2024年11月15日 の記事
防衛省・自衛隊70周年記念観閲式
観閲式で巡閲を行う石破首相
11月9日、朝霞訓練場で「防衛省・自衛隊70周年記念観閲式」が行われた。観閲官の石破茂首相は整列部隊約600名を前に「私は諸官の先頭に立ち、日本国、国民を守り抜く覚悟だ」と訓示した。続く観閲行進では人員約800名、戦車・装甲車約10両、トラック等約40両がその威容を誇り、上空では初参加の陸自UH‐2等ヘリが5機、空自F‐35戦闘機等固定翼機7機が観閲飛行した。(次号で観閲式特集を掲載)
2024年11月15日 の記事
観閲式で巡閲を行う石破首相
11月9日、朝霞訓練場で「防衛省・自衛隊70周年記念観閲式」が行われた。観閲官の石破茂首相は整列部隊約600名を前に「私は諸官の先頭に立ち、日本国、国民を守り抜く覚悟だ」と訓示した。続く観閲行進では人員約800名、戦車・装甲車約10両、トラック等約40両がその威容を誇り、上空では初参加の陸自UH‐2等ヘリが5機、空自F‐35戦闘機等固定翼機7機が観閲飛行した。(次号で観閲式特集を掲載)
2024年11月1日 の記事
AFFJの参加者 前列中央に内倉空幕長(10月15日 都内ホテル)
10月15日から19日にかけて、都内や入間基地で航空自衛隊70周年記念行事が行われた。15日は、都内のホテルで19カ国20名の空軍参謀長等を招へいして「AAFJ(Air Force Forum in Japan)多国間協議が開催され、インド太平洋地域における航空宇宙防衛力のあり方等について議論した。内倉浩昭航空幕僚長は壇上で、我が国周辺の安全保障環境や空自70周年の歩みを説明し、同盟国や同志国との連携を呼びかけた。また、この機会に参加国全ての参謀長等と2国間会談を実施した。17日は市ヶ谷からCH‐47で移動し、入間基地の見学やC‐2に体験搭乗した。エプロンには、空自70周年を記念して塗装されたF‐15等の航空機13機や空自が保有する装備品が展示されており、各国参謀長等は熱心に説明を受けていた。またF‐35が上空をローアプローチ飛行等して基地見学に華を添えた。
2024年10月15日 の記事
10月1日に石破新内閣が発足し、第26代防衛大臣に中谷元・衆議院議員(高知1区・11期)が就任した。中谷大臣は昭和32年、高知市生まれ。昭和55年に防衛大学校卒業、陸上自衛隊に入隊。同59年に2陸尉で退官、政治の道を志し、平成2年の衆議院議員総選挙で初当選した。平成13年に防衛庁長官、防衛大臣は平成26年に続いて2回目。前回就任時の平成27年には平和安全法制の成立に尽力した。
再び防衛省に戻ってきた中谷大臣を歓迎するかのような秋晴れの下、栄誉礼を受けた中谷大臣は多くの職員が待つ講堂に移動し、訓示を述べた。石破首相の指示に基づき、「防衛力の抜本的強化」「国民から信頼され、愛される自衛隊」「全ての自衛隊員が働きやすい職場環境の整備」に取り組む方針を示し、「皆様方の先頭に立って道を切り開き、共に努力して国を守るという崇高な使命を果たしていく覚悟です」と決意を述べた。
2024年10月1日 の記事
9月21日の午前中から北陸地方を中心に記録的な大雨が降り、1月の地震災害から復興を目指す石川県能登半島では、河川の氾濫、浸水被害、土砂崩れ等の被害に見舞われた。
9月21日10時50分、気象庁は、警戒レベルが最大の「大雨特別警報」を石川県に対して発表。同日11時18分に陸上自衛隊第14普通科連隊長(野田哲徳1陸佐=金沢)は、石川県知事からの輪島市等における豪雨のための人命捜索救助活動に係る災害派遣要請を受理した。現在、陸自空自が約1,400名態勢で輪島市、珠洲市、能登町で懸命な活動にあたっている。21日の臨時会見で木原稔大臣は「引き続き全力を挙げて対応していく」と述べた。【活動実績】人命救助62名、情報収集(航空機及び地上部隊)、給水支援約34t、物資輸送8.5t(糧食、飲料水、携帯トイレ、衛生用品等)、道路啓開約1,000m(国道249号と県道52号等) ※9月24日時点
2024年9月15日 の記事
9月12日、木原稔防衛大臣は、防衛省でアンティ・ハッカネン・フィンランド国防大臣と会談を行った。日フィンランド防衛相会談は2年振り。木原大臣は、フィンランドがロシアによるウクライナ侵攻を踏まえて、2023年4月、北大西洋条約機構(NATO)に加盟したことに対して支持を表明した。また、2019年に署名した「日フィンランド防衛協力・交流に関する覚書」に基づいて防衛協力・交流が進展していることを歓迎するとともに、「防衛装備移転及び情報保護の枠組み構築に向けた検討を進めるために協力していくことを確認し、今後の両国の防衛協力・交流に弾みをつけたい」と述べた。「防衛装備品・技術移転」協定が締結されれば、北欧諸国とはスウェーデンに続いて2国目となる。
ハッカネン大臣は「両国は、安全保障環境でも共有できる部分がある。NATOの新しい加盟国として、アジア諸国や日本との防衛協力・交流を深めていきたい」と述べ、両大臣は、防衛協力・交流の更なる深化に向け、一層緊密に連携していくことで一致した。
2024年9月1日 の記事
パリ五輪(7月26~8月11日)に防衛省・自衛隊を代表して挑んだ自衛隊体育学校(朝霞)の7人の選手が帰国。近代五種競技で史上初、また海上自衛官としても初の五輪メダル獲得を果たした佐藤大宗2海曹をはじめとする3人のメダリストを含む7人が8月26、27の両日、東京・市ヶ谷の防衛省を訪れ、木原防衛大臣らに "凱旋(がいせん)報告" を行った。
(次号9月15日付号でパリ五輪特集を掲載)
メダル銀3個獲得
木原大臣へ帰国を申告
佐藤2曹(近代五種)は海自初の快挙も
高谷1尉(レスリング)新添2尉(柔道)
パリ五輪には体校第2教育課の新添左季2陸尉(柔道班)、高谷大地1陸尉(レスリング班)、石黒隼士2陸曹(同)、蝦名愛梨2陸曹(水泳班)、佐藤大宗2海曹(近代五種班)、内田美咲3陸曹(同)、梶木真凜3陸曹(女子ラグビー班)の7人が出場。
高谷1尉がレスリング・フリースタイル74キロ級で、新添2尉が柔道・男女混合団体戦で、佐藤2曹が近代五種・男子個人でそれぞれ銀メダルを獲得した。
防衛省講堂で行われた帰国報告では木原稔大臣をはじめ、内局、各幕等の幹部約600人が選手たちを盛大な拍手で出迎えた。
選手を代表して、高谷1尉が木原大臣に対し力強く帰国を申告。七嶋剛士体育学校長が成果を伝えた。
木原大臣は「一人一人が世界最高の舞台において全力を尽くすことで日本国民に感動と勇気を届けてくれました。七嶋体育学校長をはじめ各競技(体校各班の)の監督、コーチ、スタッフの皆さんが選手の持てる力を存分に発揮できるよう陰ながらサポートされたことも、大変な貢献であり忘れてはなりません。(選手の)皆さんがますますそれぞれの競技で活躍することを祈っています」と労をねぎらった。
選手は帰国報告に先立ち吉田圭秀統、森下泰臣陸、齋藤聡海、内倉浩昭空各幕長にも表敬した。
このうち、史上初の五輪メダリストが "誕生" した海自(海幕)では佐藤2曹らを齋藤海幕長、北口武史海自先任伍長らが出迎え、慰労し、歴史に残る成果をたたえた。
"有言実行" 果たす
近代五種・男子個人では、佐藤2曹が「歴史を変えられるよう死ぬ気で戦ってくる」という言葉を "有言実行" した。
佐藤2曹はフェンシングのランキングラウンド(総当たり戦)を21勝14敗と勝ち越し、今回が五輪を含む全ての大会で最後の実施となる馬術(障害飛越)もペナルティーなく終え300点の満点を獲得した。
海上自衛官の "本領" を発揮し、水泳(200メートル自由形)も2分04秒21の好タイムで泳いだ。
レーザー銃射撃(5発的中)をランニング(600メートル走、5周計3千メートル)間に行うレーザーランも確実に終え、2位に入った。
レスリング・フリースタイル74キロ級に挑んだ高谷1尉は、2回戦、準々決勝を10点以上の差をつけテクニカルフォール勝ち。準決勝も小差で競り勝ったが、決勝はフォール負けを喫した。
新添2尉は柔道の個人戦女子70キロ級を7位で終え、混合団体戦(男女各3人・3階級出場)に臨み、準々決勝、準決勝を勝利し、日本の2位入賞に大きく貢献した。
2024年8月15日 の記事
7月28日、木原稔防衛大臣は米国のロイド・オースティン国防長官および韓国の申源◯(さんずいに是)(シン・ウォンシク)国防部長官と防衛省で会談を行った。日米韓3カ国の防衛相が東京で顔を合わせるのは初めてのこと。会談後は、3カ国による協力・交流の制度化を定めた覚書に署名、今後閣僚級の会談や演習等を定例化させることで、安定した3カ国協力の構築が期待される。木原大臣は「日米韓3カ国協力は、この歴史的な会合により、名実ともに新たな段階を迎える」と述べた。来年は韓国で開催することも合意した。
また木原大臣は、同日午後から都内で外務・防衛関係閣僚による日米安全保障協議委員会(日米「2+2」)に参加。自衛隊が今年度中に創立する「統合作戦司令部」に合わせて、米側が「統合軍司令部」を再編し、日米で作業部会を設置することで一致した。また、拡大抑止に関する関係閣僚会合を初めて実施し、両国は拡大抑止強化への協力で一致した。
2024年8月1日 の記事
7月19日、第36代海上幕僚長に齋藤聡(あきら)海将(前自衛艦隊司令官)が着任した。同日午前、防衛省儀仗広場で海自幹部自衛官や海幕勤務職員、儀仗隊等約400名に出迎えられた齋藤海将は、栄誉礼を受け酒井前海幕長と共に巡閲を行った。その後、海幕応接室で行われた事務引継ぎでは、酒井前海幕長からの「今後の海上自衛隊をよろしくお願いします」との言葉に、「精強な海上自衛隊を目指し取り組んで行きます。厳しい安全保障環境を考えると立ち止まることはできない。目を前に向けて行きたい。一方で今回の様々な不正等にはしっかりと対応していきたい」と応じた。齋藤海幕長は昭和41年生まれの58歳。平成元年3月、防大卒業(33期)・海自入隊。令和2年8月から護衛艦隊司令官、同3年12月から海上幕僚副長、同4年12月から自衛艦隊司令官をそれぞれ歴任した。
2024年7月15日 の記事
新たな伝統作る
70年前の今日、防衛庁設置法と自衛隊法が施行され、防衛庁・自衛隊が誕生しました。これまで防衛省・自衛隊の活動に御理解と御協力を賜ってきた皆様に対し、防衛大臣として、心からの感謝を申し上げます。
発足直後、木村篤太郎初代防衛庁長官は、職員は皆、防衛庁・自衛隊の「新しい伝統」を自分たちで作っていくという希望に燃えていると語りました。終戦後の独立回復から2年、戦争の記憶も色濃く残る中、自衛隊は我が国の防衛という崇高な任務を担い、その完遂に努めてきました。
そして、国際情勢が目まぐるしく動く中で、自衛隊の任務は次第に拡大していきました。21世紀に入ってからも、防衛省への移行や平和安全法制成立などにより、防衛省・自衛隊に期待される役割はより一層重くなってきています。
今日、ひとつの節目を迎えるに当たり、木村長官が語った「新しい伝統」とは何かと考えました。それは、いついかなる時も「国民のための自衛隊」である、ということではないかと思います。今では国民の9割が自衛隊を信頼していると言われていますが、それは、隊員1人ひとりがこの「新しい伝統」を胸に、ひたむきに任務に励んできたからこそです。
現在、我々は戦後最も厳しく複雑な安全保障環境の中で、国民の命と平和な暮らしを守り抜くため、防衛力の抜本的強化に取り組んでいるところですが、これからも国民の信頼と期待に応え続けられるよう、防衛大臣として、隊員諸君とともに一層努力していく所存です。伝統とは、長い歴史を通じて培っていくものです。「存在する自衛隊」から「行動する自衛隊」と言われて久しいですが、任務が増大する中で、我々自身もまた、新たな伝統を作っていかなければなりません。
本年秋には創設70周年を記念する自衛隊観閲式を実施するとともに、来年以降、隊員の使命の自覚や士気の高揚を図りつつ、新たな形を模索していきたいと思います。こうした取組も含め、皆様におかれましては、引き続き、防衛省・自衛隊の活動に御理解と御協力をいただければ幸いです。
令和6年7月1日
防衛大臣 木原 稔
2024年7月1日 の記事
2024年6月15日 の記事
木原稔防衛大臣は、5月31日から6月2日までシンガポールを訪問し、「第21回IISSアジア安全保障会議(シャングリラ会合)」に出席した。1日と2日にかけて中国、韓国、米国等12カ国と2カ国間会談を、また、日米韓や初となる日豪韓との3カ国会談を精力的に行った。
日米韓3カ国会談では、今年の夏に複数領域における3カ国間共同訓練「フリーダム・エッジ」を実施することで一致。木原大臣は会見で「北朝鮮情勢をはじめ、安全保障環境が大変厳しい中、日米韓の連携は地域の平和と安定に不可欠だ」と述べた。
木原大臣は、1日の全体会合でスピーチを行った。その中で、「インド太平洋地域の平和と安定の維持は、国際社会全体に関わる共通の利益だ。そして、日本はそのために先頭に立って尽力する。我々は、各国とのネットワークを活かし、法の支配に基づく自由で開かれた国際秩序の維持・強化をリードする覚悟だ」と述べた。
2024年6月1日 の記事
5月26日「富士総合火力演習」が静岡県東富士演習場で今年も開催された。隊員約2100名、戦車・機動戦闘車約53両、各種火砲38門、航空機12機等が参加し、例年通り昼間・夜間で演習を行った。
前段・後段と分かれ、前段は各種火砲等の展示、後段は諸職種協同による陣地攻撃における火力戦闘の実相展示となった。ポップアップ(隠顕する標的)などを使用し、スピード感も教育。UAV(無人航空機)が機動戦闘車と連携するなど、情報収集の様相がスクリーンに映し出され「ドローンはあんなに小さいのに画像は鮮明だね」「現代の戦闘なんだね」と驚く声も聞かれた。
富士総合火力演習とは、見学者に観てもらうショーではなく「学生に火力戦闘の様相を認識させる」ことを目的に1961年から開催されている。1966年には「自衛隊に対する国民等の理解を深める」目的も追加された。今年の目的は「現代戦における火力戦闘の実相を教育する」。
一般開放は今年もせず、昨年まで行われていたネットでのライブ配信も中止。6月末頃に編集し、解説を加えた動画を公開するとしている。
2024年5月15日 の記事
4月25日、防衛省講堂において「航空自衛隊70周年記念式典」が行われた。式典には防衛大臣をはじめ防衛省・自衛隊の高級幹部、JAXA理事長、各国駐在武官等を来賓として迎え、航空自衛隊主要部隊の指揮官や東京近郊部隊の幹部らが参列した。冒頭、約300名の参列者は1954年の創設以来の殉職隊員437柱と、先般の海自ヘリ衝突事故の犠牲者に対して黙祷を捧げた。
式辞で内倉浩昭航空幕僚長は70年の歴史を振り返り、「航空自衛隊はその時代時代において求められる役割を果たしてきた」と述べ、「今後宇宙領域における作戦を航空作戦と並び立つ主要な任務と位置づけ、『航空自衛隊』という名称を『航空宇宙自衛隊』と改称することを予定している。その名に相応しい組織となれるよう引き続き『空の守り』と『宇宙空間の安定利用』に寄与する任務を実直に遂行していく」と誓った。木原稔防衛大臣も訓示で「諸官の日々の努力が新たな航空自衛隊の歴史を刻んでいく」と激励した(18面に関連記事)。
2024年5月1日 の記事
4月22日、米インド太平洋軍司令官のジョン・クリストファー・アクイリノ海軍大将が、外国人では最高位である旭日大綬章の伝達式に出席するため防衛省を訪れた。木原稔防衛大臣は祝意を伝えると共に、20日に伊豆諸島沖で起きた海上自衛隊ヘリコプター2機の事故において、米側がいち早く支援を申し出たことに対して謝意を述べた。その後、アクイリノ大将は吉田圭秀統幕長とも会談。吉田統幕長は先般の日米首脳会談で出された共同声明の一文「この3年間で前例のないほど日米同盟は高みに達した」を挙げ、「その3年間はまさにアクイリノ大将が在任した期間だ」と賛辞を贈った。アクイリノ大将も「吉田統幕長、山崎前統幕長のような素晴らしいリーダーとやってこれたからだ」と応じた。米インド太平洋軍は、インド西岸から米太平洋岸まで管轄する米最大の地域統合軍。アクイリノ大将は2021年4月に着任し、近く退任する。後任にはサミュエル・パパロ米太平洋艦隊司令官が米上院で承認されている。
2024年4月15日 の記事
3月31日、久里浜駐屯地(神奈川県横須賀市)で陸上自衛隊システム通信・サイバー学校(学校長・奈良岡信一陸将補)の改編行事が、木原稔防衛大臣をはじめ部内外の多くの来賓を迎えて盛大に執り行われた。同21日、陸上自衛隊通信学校を改編し、「サイバー教育部」を新設。喫緊の課題であるサイバー防衛力強化のため、高い専門性を有する人材育成の中核を担う。木原防衛大臣は約150人の学校職員を前に「サイバーセキュリティ体制の強化は待った無しの課題と言えます」と強調。横須賀には防衛大学校や高等工科学校といった教育機関、民間の研究機関が集まっており、「土地柄を活かして連携をさらに深め、サイバー防衛能力の強化に繋げてください」と訓示した。自衛隊はサイバー関連部隊の拡充を目指している。今後、人員を6年度末に2,410名、7年度末に現在の約2倍となる約4,000名に増員する予定だ。
(6面に部隊新改編記事)
2024年4月1日 の記事
陸自第1ヘリコプター団特別輸送ヘリコプター隊(木更津)は3月22日、石川・能登半島地震の被災地を訪問される天皇皇后両陛下の空輸の任務にあたった。
特別輸送ヘリコプター隊隊長の横川文彦1陸佐以下15人が担った。両陛下をお乗せし、同隊の要人輸送ヘリコプターEC225LP「スーパーピューマ」で能登空港-空自輪島分屯基地-能登空港-野々江総合公園-能登空港を飛行した。
両陛下は石川県輪島、珠洲両市の避難所などを訪れ、被災した人たちを励まされた。
被災地では陸自部隊を中心に復興支援を継続している。主な活動は10師団、14普連、空自23警戒隊などが珠洲、輪島両市、能登町などで輸送、給水、給食、入浴の各支援を行っている。
2024年3月15日 の記事
航空自衛隊は1月19日から3月6日の間、米国グアムで行われた日米豪共同訓練「コープ・ノース24」に参加した。
本年度はACE(Agile Combat Employment=迅速な戦闘運用に関する米空軍の作戦コンセプト)のシナリオによる訓練を実施。機動展開等による戦力の柔軟な運用要領を試みるとともに、人道支援・災害救援活動に係る共同訓練においては大量負傷者救護訓練を行い、単独での対応が困難な災害等に対する各国と連携した災害対応能力を向上させることができた。
空自は今後も訓練等への積極的な参加を通じて同盟国・同志国との連携を深化・拡大し、「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」の実現及び地域の平和と安定に寄与していく。
2024年3月1日 の記事
木原稔防衛大臣は2月19日、来日したヨルダンのビシェル・ハーニ・アル・ハサーウネ首相兼国防大臣と東京都内で会談した。
木原大臣は今年が両国の外交樹立70周年、大使館開設50周年であることに触れ、「戦略的パートナーである両国の防衛協力・交流をより一層深化させていきたい」と述べた。
多くの難民の受け入れやテロ等への対策により「中東地域の平和と安定のために大きな役割を果たしている」と伝えるとともに、中東情勢に伴う自衛隊機を用いた在外邦人等輸送について語り、「空港を活用させていただくなど格別のご配慮をいただいた。129名の邦人等を退避させることができた」と謝意を示した。
2024年2月15日 の記事
北海道の冬の風物詩と言えば、各地で開催される雪まつりや氷まつりだろう。
今年も自衛隊が、雪像・滑り台・氷のレリーフ等の制作、雪・資材運搬等の支援を行っている。このような支援は地域住民との信頼関係の醸成や、雪中での土木作業訓練の貴重な機会として、長年行われているものだ。
2024年2月1日 の記事
1月1日に発生した石川県能登地方を震源とする最大震度7の地震から1カ月が経とうとしている。防衛省・自衛隊は陸自中部方面総監を長とする統合任務部隊(JTF)を編制して災害派遣にあたっている。現在は、避難所から被災地以外の施設に移動する二次避難の支援や、給水・給食・衛生等の生活支援にシフトし懸命な活動を行っている。1月14日からは、防衛省がPFI方式で契約している民間船舶「はくおう」等に被災者や地元支援者のための休養施設を開設、17日と19日には在日米陸軍の航空機UH60が空自小松基地から能登空港まで支援物資を輸送、20日からは陸海空音楽隊が慰問演奏を開始している。
岸田首相の「被災地に寄り添ったきめ細やかな生活支援を行うように」との指示のもと、「ニーズ把握隊」を編成。隊員が避難所等を回り、被災者から直接吸い上げた要望を支援内容に反映させている。物資の提供以外にも、対面でのやりとりによって生まれる交流が被災者の不安を和らげている。被災者が少しでも笑顔になれるように…厳しい寒さの中、被災地に寄り添った支援は続く。
活動実績(1月24日時点。数字は延べ)
【人命救助】約1040名【衛生支援】診療約650名、患者輸送約710名【輸送支援】糧食約191万1000食、飲料水約119万本、毛布約1万7000枚、燃料9万1000リットル等【給食支援】約6万5000食【給水支援】約2700トン【入浴支援】約7万7000名【「はくおう」利用者】約650名【道路啓開】県道1、6、52、57,266,285各号,国道249各号等の一部区間
給水支援継続中<34普連>
第34普通科連隊(連隊長・兜智之1佐)は5日から現地に部隊を派遣し、断水が続く石川県珠洲市において給水活動を実施している。
派遣部隊は5日午前10時に人員18名、車両5両をもって板妻駐屯地を出発。現地到着後は第1後方支援連隊(練馬)に配属され、珠洲市において給水活動を開始した。
現地は時折、強い寒気により降雪や吹雪となる中、隊員たちは困難な生活を送る被災者のため、避難所等を巡回しながら懸命な給水活動を継続している。
2024年1月15日 の記事
東シナ海や南西諸島の警戒・監視を担う鹿児島県の海上自衛隊鹿屋基地において1月9日、「令和6年鹿屋航空基地初訓練飛行」が実施された。それに先立ち、海上自衛隊第1航空群司令 大西哲 海将補から年頭訓示があり「我が国を含む国際社会は深刻な挑戦を受け、新たな危機に突入している。不測事態にしっかりと対応できる準備を整え、必要な練度を培うとともに、各種情報収集に努め、常に全力発揮が可能な態勢を維持する必要がある」などと述べた。また、2日に生起した航空機事故にも触れ「同じく航空機の運航に携わる鹿屋航空基地の隊員として改めて基本事項の徹底を図り、航空安全に万全を期する所存です」などと挨拶をした。その後、「かかれ」の号令により、航空機へと走り寄る搭乗員ら。地上で手を振る隊員たちに見守られながらP-1哨戒機・TH-135・SH-60各3機ずつが滑走路をゆっくりと進み、大空へ向け飛び立って行った。
2024年1月1日 の記事
12月14日、防衛省で木原稔防衛大臣、シャップス・イギリス国防大臣、クロセット・イタリア国防大臣が会談を行い、次期戦闘機共同開発を効率的に進めるための政府間機関「GIGO(GCAP International Government Organisation)を設立することで合意、同日条約に署名した。
2022年12月に、日英伊首脳が「グローバル戦闘航空プログラム(GCAP)」を発表してから1年、2035年までの開発・初号機配備の実現に向けてまた一歩前進した。
GIGOは3カ国の代表による「運営委員会」と実務を担当する「実施機関」から構成され、2024年度中にイギリスに本部が設置される。実施機関の初代トップには日本人が、3カ国の企業でなる共同事業体制のトップにはイタリア人が就任することも決まり、3カ国間でのバランスをとった。
木原防衛大臣は条約署名後の共同記者発表で「抑止力の根幹をなす航空優性を確保し続けていくことは、必ず成し遂げなければならない重大な挑戦だ。今やどの国も一国では自国の安全を守れない」等と述べ、「GCAPは日英伊という同志国が優れた技術を持ち寄り、コストとリスクを分担し合う事を可能とする歴史的なプログラムだ」と共同開発の意義を強調した。