自衛隊ニュース

ゲッキーのイラスト

インド洋派遣部隊帰国

石破大臣「新テロ特措法案成立に全力尽くす」
「後ろ髪引かれる思い」の声も

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補給艦「ときわ」をバックに帰国行事に臨む尾島指揮官以下派遣隊員(11月23日)


 テロ対策特別措置法が11月1日に失効、石破茂防衛大臣の帰投命令を受けた海自インド洋派遣部隊の護衛艦「きりさめ」が同22日、佐世保に、また、補給艦「ときわ」が翌23日に東京・晴海埠頭にそれぞれ約4カ月ぶりに帰国した。

 テロ特措法に基づき約6年間にわたってインド洋で各国艦艇に洋上補給活動を続けていた日本の支援が一応中断されることになった。

 23日午前8時すぎ、「ときわ」が晴海埠頭に接岸、留守家族らの出迎えの中、乗組員約140名が整斉と同岸壁に整列した。午前9時から始まった帰国行事には、石破茂防衛大臣をはじめ防衛省・自衛隊の高級幹部、町村信孝官房長官、衆参国会議員、各国大使・武官、家族ら約350人が出席した。最初に、派遣部隊指揮官の尾島義貴6護隊司令が石破大臣に帰国報告したあと、石破大臣が訓示に立ち、任務を完遂し無事帰国したことを称え、その労をねぎらいながら「政府としては、我が国の国益を確保し国際社会に対する責任を果たすため、インド洋での補給活動を再開すべく、新たな補給支援特別措置法案が早期に成立するよう全力を尽くす」ことを強調した。次いで、政府を代表して町村官房長官も新テロ特措法の今国会での早期成立を強調しながら派遣隊員に対して「今回の貴重な体験を活かして一層の活躍を」と挨拶した。伊吹自民党幹事長、太田公明党代表の挨拶に続いて来賓の紹介や花束贈呈などが行われた。

 帰国行事終了後、尾島指揮官は報道陣との会見の中で「インド洋で今も活動を続ける各国海軍の仲間を残したまま、しかも次の海自派遣部隊に任務を引き継げずに帰ってきてしまったことは後ろ髪を引かれる思い」など複雑な心境を語った。

テーマは「平和を守る行動力」

自衛隊音楽まつり
観客4万人と一体になって

陸海空音楽隊、302保安中隊、自衛太鼓など
1000隊員出演
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全出演隊員とともに観客が「明日があるさ」を大合唱、グランドフィナーレを迎えた


 平成19年度自衛隊音楽まつりが11月16、17の両日、「平和を守る行動力」をメインテーマに日本武道館で開催された。この音楽まつりには、陸海空音楽隊、第302保安中隊、自衛太鼓、防大儀仗隊、大韓民国空軍軍楽隊、在日米陸軍軍楽隊など総勢約1000名が出演、それぞれ高度で華やかな音楽演奏やドリルを披露した。招待公演を含めて計6回の公演に、約4万人が日本武道館を訪れ、各音楽隊のすばらしいパフォーマンスを堪能した。17日には石破茂防衛大臣も会場を訪れ、公演の最後に防衛省・自衛隊は「国益を考えながら今後とも国際的な貢献を果たしていく」と挨拶した。 (関連記事5面)

観閲官に福田首相
士気高く観閲パレード

自衛隊観閲式
精鋭4250隊員、最新車両200両、航空機66機参加

観閲台上の福田首相、石破防衛大臣をはじめ高級幹部の前を行進する戦車部隊


武田1師団長を伴い、オープンカーで観閲部隊を巡閲する福田首相


 平成19年度自衛隊記念日行事「自衛隊観閲式」が日本晴れの10月28日、自衛隊最高指揮官の福田康夫首相を観閲官に迎え、朝霞駐屯地で行われた。また、前日には、同中央行事の一環として自衛隊殉職隊員追悼式(防衛省慰霊碑地区)、防衛大臣感謝状贈呈式(グランドヒル市ヶ谷)が行われた。(関連記事2面、7面)


 28日午前10時半、観閲部隊指揮官の武田正徳1師団長以下約4、250隊員が朝霞訓練場に整列する中、折木良一陸幕長と泉一成東方総監らを伴い、福田首相と石破茂防衛大臣が到着、第302保安中隊(中隊長・矢古宇 努3陸佐)による特別儀仗隊の栄誉礼を受けた。引き続き、観閲台に上がった福田首相に対して、全隊員が号令一下、栄誉礼を行った。

 国旗掲揚に続いて、福田首相が武田1師団長を伴い、オープンカーで整列した全部隊を巡閲。この際には、招待者席から大きな拍手が送られていた。次いで、福田首相が観閲官訓示(全文は2面に掲載)に立ち「隊員一人ひとりが能力を高め、誇りを持って職務に精励し、国民の期待に真に応えるよう」要望した。

 整列した全隊員と車両が順次、観閲行進態勢に移動したあと、徒歩部隊を先頭にいよいよ観閲パレードが開始された。最初に、陸海空合同音楽隊が各種行進曲を演奏しながら入場。次いで、国旗を掲げた陸海空観閲部隊本部、防大学生隊、防医大学生隊、少工校生徒隊、普通科部隊、中央即応集団隷下の空挺部隊、海自部隊、空自部隊、高等看護学院学生隊、女性自衛官部隊が順次、一糸乱れぬ整斉とした行進を披露した。

 徒歩部隊に続いて、車両部隊(約200両)のパレードが始まり、国際活動教育部隊、特殊武器防護部隊、施設科部隊、化学科部隊、衛生科部隊、需品科部隊、偵察部隊、普通科車両部隊、高射特科部隊、空自ペトリオット部隊、野戦特科部隊、予備自衛官部隊、戦車部隊が各装備品を展示しながら轟音を響かせ、迫力あるパレードを繰り広げた。

 徒歩部隊と車両部隊の行進の最後には、AH-1、US-1、F-15など陸海空の航空部隊(66機)が観閲台上空を順次飛行、パレードに華を添えた。

 この日は、音楽演奏や装備品展示なども行われ、会場は大勢の家族連れで終日賑わっていた。

PSI海上阻止訓練に41ヵ国参加

パシフィックシールド07
日英米なあど7ヵ国が容疑船追尾、立入検査

 日本主催のPSI(拡散に対する安全保障構想)海上阻止訓練「パシフィック・シールド07」が10月13日から15日までの3日間にわたって、伊豆大島東方海域、横須賀新港岸壁、横浜港(大さん橋)で行われた。日、米、英、仏、豪、ニュージーランド、シンガポールの7カ国の実動部隊が実際に訓練したほか、オブザーバーも含めて41カ国が参加した。

 初日は、伊豆大島東方海域で、日、米、英など7カ国の艦艇、航空機が各々の設定する状況に基づいて容疑船に対し捜索、発見、追尾を実施。海自護衛艦「いかづち」の立ち入り検査チームが高速ゴムボートに乗り込み、容疑船に接近、縄ばしごを使って乗船した。また、英海軍の対潜哨戒ヘリコプターからも容疑船にリペリング降下した。

 二日目の14日、横須賀新港で、各国乗艦チームが埠頭に係留中の容疑船(海自試験艦「あすか」)に対し、船内捜索、容疑物資の発見・押収までの一連の流れを順次演練した。

 最終日は横浜港で、陸自中央即応集団第101特殊武器防護隊をはじめ警察、財務省(横浜税関)、海上保安庁など国内法執行機関による拡散阻止活動も各国とともに展示訓練した。

 〈PSIの概要〉大量破壊兵器やミサイル、また、それらの関連物資の拡散を阻止するために国際社会が連携して、それぞれが実施可能な措置を検討し、必要な措置を実践するグローバルな取組で、活動の基本原則は▽有志各国が自由意志で参加▽活動に際しては特定の事態や対象国を想定しない▽阻止に関する行動は国際法や各国の国内法の範囲内で実施▽各国が実施可能な手段を用いて国際的連携により拡散を阻止などとなっている。現在、日米英などオペレーション専門家会合参加国20カ国をはじめとする80カ国以上がPSI活動の基本原則を支持し、実質的に参加・協力している。日本主催は、平成16年10月の「チーム・サムライ04」に続き2回目。

折木陸幕長に米国勲功勲章

 折木良一陸上幕僚長に対するアメリカ合衆国勲功勲章授章式が10月1日、グランドヒル市ヶ谷で行われた。今回の受賞は、平成16年8月から17年8月の間、陸上幕僚副長として「米国陸軍と陸上自衛隊の共同関係の深化と強化」に貢献したことを称え受賞したものである。この勲章は米国大統領が認定したもので、叙勲の理由が記述された勲記には、「折木陸将の任務に対する献身的な姿勢と高い洞察力」が称えられ、その功績が高く評価された。

 授賞式では、パーキンズ少将がお祝いの言葉を述べた後、折木陸幕長の左胸に勲章を装着した。受賞後、折木陸幕長は、米国及び米陸軍並びに陸上自衛隊のスタッフへの感謝を述べた。また、パーキンズ少将は「自分が折木陸幕長に勲章を伝達できたことは大変な名誉」と述べ、和やかなうちに式は終了した。

155日間、総航程5万6千km終え帰国

海自遠洋航海部隊
環太平洋10カ国12寄港地訪問、親善訓練も

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隊員、家族ら関係者多数の出迎えを受け、晴海埠頭に接岸する「かしま」


 海自遠洋練習航海部隊(司令官・松下泰士海将補以下実習幹部約180名を含む約740名)が9月21日、東京港晴海埠頭HKバースに帰国した。今回の遠洋航海は、155日間にわたって環太平洋約5万6千kmを航行し、アメリカ合衆国、エルサルバドル、チリ、ペルー、メキシコ、フランス領ポリネシア、ニュージーランド、オーストラリア、マレーシア、大韓民国の計10カ国12寄港地を親善訪問した。また、アメリカ合衆国、チリ、ペルー、ニュージーランド、オーストラリアの各国海・空軍と戦術運動や防空戦などを親善訓練した。

 午前9時半すぎ、練習艦「かしま」「しまゆき」、護衛艦「さわぎり」が相次いで晴海埠頭に着岸、遠洋航海を終えた松下司令官をはじめ部隊幹部、実習幹部らが各艦から降り、帰国行事会場に整列した。式典は10時半から始まり、防衛省・自衛隊の高級幹部、衆参国会議員、関係団体の長、実習幹部の家族ら多数が見守る中、江渡聡徳防衛副大臣に松下司令官が「平成19年度遠洋航海を終了し、ただいま帰国しました」と力強く報告した。江渡副大臣は訓示の中で国内外の状況について触れながら実習幹部に対して「自衛隊に対する国民の期待に応えるべく誇りと自覚を持ち、不断の努力を積み重ねるよう」要望した。次いで吉川榮治海幕長が「この5カ月間の航海で経験した海上勤務の厳しさと楽しさを忘れることなく、いかなる配置においても海を基本としたものの見方、考え方を持ち続けるよう」訓示した。

 引き続き、中山泰秀外務政務官の祝辞、来賓紹介、祝電披露、花束贈呈、退艦式などが順次行われたあと、「かしま」艦上で実習幹部と家族が約5カ月ぶりに対面、お互いに無事の再会を喜びあっていた。

防衛監察本部が発足
防衛省・自衛隊の組織全体の健全性を確実に

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 防衛監察本部の発足式が9月3日、高村正彦防衛大臣をはじめ防衛省・自衛隊の高級幹部、来賓、職員ら関係者多数を迎え、防衛省A棟2階講堂で行われた。式では、音楽隊による国歌吹奏に続き、高村防衛大臣が訓示に立ち、防衛監察本部設置に至る経緯について触れながら「諸官一人一人が国民の平和と安全を担っているという任務の重要性と責任を自覚し、高い士気と道徳・規律を守って任務に邁進するよう」要望した。来賓を代表して久間章生元防衛大臣が祝辞を述べたあと、櫻井正史初代防衛監察監が「課せられた任務の重要性と責任の重みに思いを致し、不適切な次案の未然防止を図るため、全力を尽くして日々の職務に励んで行く」と答辞した。引き続き、D棟6階の同本部前に移動、高村防衛大臣と櫻井正史防衛監察監が看板を設置した。


富士の裾野で射撃
総合火力演習

実戦さながらの演習に8万4000人が感動
人員2000名、車両460両、航空機20機参加

 平成19年度富士総合火力演習が8月23、25、26日の3日間にわたり、陸自東富士演習場畑岡地区で行われた。予行と一般公開を合わせ、約8万4千人が迫力の展示を見学した。

 この演習は富士学校の学生教育として、陸自の保有する各種火力等の効果と現代戦の様相を認識すること、また一般公開により国民の理解を得ることを目的としている。富士学校(学校長・内田益次郎陸将)、富士教導団(団長・塚田章陸将補)をはじめとする部隊を中核に人員約2千人、戦車・装甲車、各種火砲、航空機など多数の装備品による訓練を展示した。

 晴天のもと行われた26日の一般公開は、約2万4千人の観客が早朝から続々と会場につめかけ、毎年発刊され大好評の「防衛ホーム」号外を手に、演習開始を心待ちにする人々で満員となった。午前10時すぎ、小池百合子防衛大臣をはじめとする防衛省・自衛隊の高級幹部、および国会議員などの来賓を迎えた後、プログラムの前段が開始された。


発射発煙弾が爆破した瞬間、一斉にシャッターがきられた

(8月26日、東富士演習場で)


 強い日差しの上空彼方からF―2戦闘機が目をみはる速さで登場し、瞬時の地上攻撃に観客席から最初のどよめきがあがった。航空火力につづく特科火力のりゅう弾砲の展示は、富士山を形どった同時弾着に大きな拍手が送られた。

 遠距離、中距離、近距離の火力の威力が次々としめされていき、特にCH―47輸送ヘリから下ろす特殊なロープを伝って、身軽に上空と地上を行き来する隊員の様子には、観客の驚きの声があがった。

 前段の最後、夏の大空に現れたのは5名の空挺隊員たち。地上への正確な空挺降下とその雄大さに、着地と同時に温かな拍手がおくられた。

 後段は協同の攻撃状況を展示した。CH―47等のヘリが上空に飛来、車両、偵察部隊を次々と降ろし、素早く攻撃態勢が整えられた。オートバイによる偵察やりゅう弾砲、迫撃砲、戦車、地雷原処理車などのすさまじい実弾射撃音が演習場にこだまし、息をのむ状況が続いた。

 プログラムのクライマックスは、全部隊が地上と上空に集結し、戦闘ヘリAH―64Dも初参加して戦果を拡張し、総攻撃が繰り広げられた。発射発煙弾の白い大きな煙が、爆音とともに目の前に立ちのぼり、これを最後に迫力の展示の数々が終了した。

中越沖地震
今なお続く災派活動

陸海空6万2000隊員が給水・給食・入浴など支援

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仮設入浴施設は大好評で、利用者は11万人を超えた


 7月16日午前10時13分ごろ発生した新潟県中越沖地震への自衛隊の対応状況は、8月2日までに陸海空の人員延べ約6万1650名、車両延べ約2万1430両、艦艇延べ79隻、航空機延べ479機に達している。

 防衛省・自衛隊は地震発生直後から、小池百合子防衛大臣を本部長とする災害対策本部を設置するとともに新潟県知事から災害派遣要請を受けた自衛隊は、直ちに各部隊を派遣、救出・救助活動や崖崩れ箇所の道路啓開などを開始した。次いで、人員・物資の輸送、給水・給食・入浴・天幕の各支援を開始、現在も継続している。この間、安倍晋三首相と小池防衛大臣が被災地を視察、被災者に直接声をかけて激励するとともに派遣隊員の労をねぎらった。また、イラク駐日大使が自衛隊のイラクでの復興支援に感謝する意味で被災地を訪れ、、派遣隊員や被災者に「頑張って下さい」と温かい言葉をかけていた。

 人員・物資の輸送では、海自輸送艦「くにさき」搭載のLCACが国内災害派遣で初めて出動、物資の卸下を実施した。また、航空機や車両での輸送も含めて仮設トイレ約300台、ブルーシート2600枚、携帯電話充電器1000個、米国支援物資のエアコン約100台を輸送した。陸海空自衛隊でこれまでに、柏崎市・刈羽村・上越市などの103カ所で延べ約2万300トンを給水支援、柏崎市・刈羽村の41カ所で延べ約75万食を給食支援、柏崎市・刈羽村の21カ所と輸送艦「くにさき」・柏崎港岸壁の海自仮設入浴施設で延べ約11万2200人の入浴支援を実施している。

 一方、陸自東部方面、第1師団、第12旅団の各音楽隊と在日米軍軍楽隊が柏崎市内などを巡回演奏し、被災者を慰労している。

LCAC、国内災派初出動
新潟県中越沖でM6.8大地震発生

震度6強
陸海空1万4000隊員が救出・救助、給水・入浴など支援

 7月16日午前10時13分ごろ、新潟県上・中越沖でマグニチュード6・8の強い地震が発生、新潟県柏崎市、長岡市、刈羽村、長野県飯綱町で震度6強、新潟県上越市、小千谷市、出雲崎町で震度6弱を観測した。全半壊した家屋は900棟以上、死者11人、負傷者1000人を超える大災害となった。被災地では電気、ガス、水道が止まり、崖崩れも発生、また、震源に近い東京電力柏崎刈羽原子力発電所で火災なども発生した。現在も3000人以上が避難生活を続けている。

 防衛省は直ちに新潟県中越沖地震災害対策本部(本部長:防衛大臣)を設置するとともに逐次会議を開催した。陸自は地震発生直後からOH-6やUH-1などのヘリによる偵察活動を実施、新潟県知事からの第12旅団長(相馬原)に対する災害派遣要請を受け、同旅団の初動対応部隊が出発した。また、海自SH-60J、P-3Cや空自U-125、UH-60も偵察活動を開始した。


負傷した被災者を空自ヘリに搬送する2普連隊員(7月16日、柏崎市で)


地震災害対策本部会議で対応を指示する小池大臣


 同日午後3時すぎ、第2普通科連隊(高田)の人員約210名、車両約60両が柏崎市で救出・救助活動や道路啓開を実施、女性1人を救出した。以後、第5施設群(高田)や第30普通科連隊(新発田)とともに、柏崎市、上越市、刈羽村で給水支援も開始した。また、第6、9、10師団、第1空挺団、東部方面輸送隊、中央即応集団なども順次被災地に進出、給水・給食、入浴、輸送などの支援を実施した。

 一方、海自は新潟県知事から舞鶴地方総監への災害派遣要請を受け、護衛艦「みねゆき」「あぶくま」「みょうこう」「はるな」「さわかぜ」、輸送艦「のと」「くにさき」など9隻を派遣、陸自隊員や食料、毛布、仮設トイレなどを輸送するとともに給水・入浴支援を実施した。空自も中部航空方面隊(入間)が米軍支援物資の輸送や給水支援にあたっている。

 また、自衛隊機で、安倍晋三首相(16日)と小池百合子防衛大臣(18日)が相次いで被災地を視察、被災住民を見舞うとともに派遣隊員を激励した。20日までに、派遣人員延べ1万3700名、車両延べ約4040両、艦艇9隻、水船2隻、航空機23機の規模で、負傷者・人員・物資の輸送、給水・給食・入浴・天幕の各支援、崖崩れ箇所の道路啓開などの活動を続けている。(関連記事2面)


新防衛大臣に小池百合子氏
「多機能で弾力的な実効性ある防衛力」構築目指す

 7月4日、久間章生防衛大臣の辞任に伴い、新防衛大臣に小池百合子衆議院議員(東京10区選出、当選6回=衆5・参1)が着任した。警察予備隊以降、防衛省・自衛隊の歴史において女性大臣は初めて。


女性初の防衛大臣に着任、特別儀仗隊を巡閲する小池氏(7月4日、大講堂で)


小池新大臣が職員を前に「高い規律と士気をもって任務に励むよう」初訓示 


 新旧防衛大臣の離着任行事は4日、防衛省A棟大講堂などで行われた。

 久間前大臣が午前11時、メモリアルゾーンの殉職者慰霊碑に拝礼したあと、大講堂で防衛省・自衛隊の高級幹部を前に初代防衛大臣として「在任中、私を支えてくれた全国の隊員、そして海外で活動を続ける隊員の皆さんに心から感謝の意を表します」と離任の挨拶を述べた。これに応えて、守屋武昌事務次官が久間前大臣の約9カ月間の様々な功績を称える送別の辞を述べた。引き続き、第302保安中隊(中隊長・矢古宇努3陸佐)による特別儀仗隊の栄誉礼、巡閲を行った久間前大臣は、A棟正面玄関ロビーで女性職員から花束を贈られ、大勢の職員の見送りの中、防衛省をあとにした。

 一方、皇居での認証式を終えた小池新大臣が午後3時すぎ、防衛省正面玄関に到着、多数の職員の出迎えの中、女性自衛官から歓迎の花束が贈られた。次いで、大講堂で特別儀仗隊の栄誉礼、巡閲のあと、殉職者慰霊碑を拝礼した。

 引き続き、大講堂で着任式が行われ、小池大臣が高級幹部を前に着任訓示を述べ、「防衛省発足に伴い、今まで以上に国民の期待と信頼に応えていける政策官庁を目指す」「日米安全保障体制とこれを基調とする米国との緊密な関係を一層強化し、在日米軍再編を進めていく」「様々な緊急事態への対応に万全を期す」「我が国は、責任ある国際社会の一員として国際平和協力活動に主体的、積極的に取り組んでいく」「防衛省・自衛隊の情報保全体制の強化に取り組む」の5点を強調した。これに応えて守屋事務次官が小池大臣の国政での数々の実績を称えながら一層の期待を込めて答辞した。

 新旧大臣の事務引継ぎは午後4時すぎに大臣室で行われ、久間前大臣と小池新大臣がお互いに握手を交わし、順次署名した。

 また、小池大臣は同9日、西川徹矢官房長を伴い、海上自衛隊横須賀地方総監部と自衛艦隊司令部を初度視察、現場の隊員に直接声をかけて激励した。


 〈小池百合子(こいけ・ゆりこ)防衛大臣略歴〉東京10区選出、衆議院議員(自由民主党)▽昭和27年7月、兵庫県生まれ▽エジプト国立カイロ大学文学部卒業▽ニュースキャスター、総務政務次官、経済企画総括政務次官、内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策担当)、環境大臣、内閣総理大臣補佐官(国家安全保障問題担当)、科学技術常任委員長、大蔵委員会理事、経済産業委員会委員、外務委員会委員、安全保障委員会委員、議院運営委員会委員▽当選6回(衆5回、参1回)

中病高等看護学院で戴帽式

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 6月8日、三宿駐屯地にある自衛隊中央病院高等看護学院(学院長・藤岡高弘1陸佐)の第49期看護学生57名(うち男子9名)は、約3年間の教育を修了、晴れて戴帽式に臨んだ。

 戴帽式は、看護師にふさわしいと認められた学生に対して看護師のシンボルであるナースキャップを与える儀式で、このキャップをかぶることによって、看護という職業に対する情熱や、人の命にかかわる責任感を強く認識する。また、専門的な知識と看護師としてふさわしい態度を身につけるよう決意を新たにする。

 戴帽式では、学生が、ナイチンゲール像から受け取った灯火をかかげて(=写真)、ナイチンゲール誓詞を朗唱しながら、看護される患者の気持を理解し、温かい思いやりの心をもった看護を行うことを誓った。

洋上給油750回超える
―インド洋派遣以来5年半―

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インド洋で5月21日、RAS750回を達成した「はまな」乗員


 テロ対策特別措置法に基づき、インド洋方面で協力支援活動に従事中の近藤誠1佐を指揮官とする護衛艦「すずなみ」(艦長・鍛治次郎2佐)、補給艦「はまな」(艦長・井元啓人2佐)は5月21日、イルカの大群の歓迎を受けつつ、支援RAS(洋上給油)が累計750回に達した。これは平成13年12月2日、補給艦「はまな」が第1回目の補給支援を開始して以来、5年半が経過しての達成となった。この間、補給艦部隊においては第1海上補給隊が発足し、補給艦も5隻体制となり、任務遂行に対する熱意と誇りを引き継ぎながら今回の750回を無事達成した。

 今年から防衛庁が防衛省に移行し、インド洋派遣も本来任務化され、補給艦「はまな」は今回の派遣が6回目となり、乗員の約4割が3回以上の経験者。また、4月末に安倍晋三内閣総理大臣の視察・激励を受け隊員一同、任務の重要性と国際社会に対する協力支援活動の役割を再認識し、部隊の士気はさらに高揚した。

 今後も、列国海軍艦艇から高い信頼を得ている洋上給油作業における技術の高さを維持・向上させるとともに、隊員総員が一致団結、任務完遂の決意を新たにしている。

五百旗頭防衛大学校長に聞く
「21世紀の航海にたえる教育」

 昨年の8月に防衛大学校の学校長になられた、五百旗頭真(いおきべ・まこと)氏が就任以来各界の注目を集めている。なかでも三浦活断層による災害が発生したときには1800人の防衛大生は救援に向かわせなくていいのかとの発言はいろんな波紋を広げた。かれらは自衛官ではないので出動の義務はない、出動したときの指揮はだれが執るのか、いよいよ大事なだいじな虎の子も出すのかなどと内部外部でかまびすしかった。五百旗頭学校長は阪神淡路大震災で被害に遭っているだけに地元の行政機関や自治体に対する行動は早かった、防衛省・自衛隊へも防衛大生出動の根拠作りの協力を求めている。ご本人は自分は教育者だと言い、前例のなかった学校長講義を行っているが政治力もかなりのものだ。人気の神戸大学教授から防衛大学校長に就任された気持ちは?防衛大学校の原点は?槇智雄初代学校長への思い入れなど、もちろん名前の出自なども伺った。紙数の都合で学校長が校外で続けられている国際活動や学会活動などが紹介できなかったことが残念だった。=5月8日、防衛大校長室。(聞き手・所谷尚武本社会長)


防大の教育などについて熱心に語る五百旗頭学校長(左は所谷本社会長)


防大生の災害出動を問う

―学校長は阪神淡路大震災に遭われたらしいですね

学校長

私のゼミを含む神戸大学生39人も犠牲になりました。わが家も全壊となりました。

―その時、学校長が若い人のボランティアに会って感動したとお聞きしております。

学校長

そうです、そうです。やっぱり、あそこで歴史が動いたと思いましたね。初めはアメリカ人の留学生が私のもとに3人くらいいて、彼らが地震直後から当然のように救援に動き出したんですね。それで、日本の学生はちょっと戸惑ってたんですが、やがてみんなが動き出したので。もう合宿状態のボランティア活動でした。中国人の学生もいましたが、彼らは自分の知ってる人たち、家族親戚がいる人はもちろん救助に向い、先生や友人の安否確認をします。が、それを越えてのボランティアとか、そんな介入するようなことはしないです。日本人も元々そうだったんだと思うんですよ、儒教思想っていうのはそういうもので、自分の家族の中をしっかりそれぞれが支えあっていけばいい。よその家へのおせっかいはつつしむ。それを越えて社会全体を救うなんて、それはお上のやることでそれは公儀に対して畏れ多いというような感覚だったんです。ところが92年のリオの環境会議があって、NGOやボランティアが世界中、人類共同の問題を共有して解決すべきだと考えるようになった。いわば市民としての共感をもって動く文化が一般化しました。

―で、学校長が防大生に君たちならどうすると聞いたら、みんな当然だと答えたようですね。

学校長

えぇ、あの入校式の時の私の式辞でもふれましたが、彼らのうちで抗議するように言ってくる者がいるんですよ。学校長は、その時君らはどうするか、なんてしきりと問いかけるけれども、市民を救助するのは当たり前じゃないか、何度も何度も「どうするか君らは」じゃないだろう、という風に。私はやっぱりさすがだ、と思いましたね。嬉しいですね。

―防大生というよりか、一人の若者という感じですか。

学校長

そうですね。でも特に防大生はそうじゃないですか。やっぱり自衛隊は国民の命の最後の寄る辺ですから。およそ災害というのはまず現場主義で、本人が何とかすべきものですよね。雷が来たっていうと、ひとまず自分で家の中に入りなさいっていうのは当たり前のことですよね。だけど、そういうのではすまない大規模災害になると、個人の自助努力だとか現場主義だとか言ってないで、地方自治体がちゃんと助けないといけない。警察が、消防がやらなきゃいけない。もっとひどくなったら自衛隊が出動する。国は自衛隊を最後の寄る辺として言わばリザーブしてある訳ですよ。国防という特別な任務、それが究極的本分ですけれども、これのために日夜訓練している。

―百年養っている。頼っている、頼られていると言うことですね。

学校長

百年養っている。でも百年経っても国防のために出動するということは来ないかもしれない、一生無いかもしれない。それに対して必ずあるのが、非常に頻繁にあるのが、こういう自然災害の中で市民が命を失っていく事態です。その時に力を発揮しなければいけない。いや我々は国防のその時に備えてやっているんであって、こんな末梢的なことは関係ないよと言ってる人は、どこかおかしい。国は愛するが国民は愛さないということになる。あらゆる脅威に対して国と国民をしっかり守れるという心構えと訓練があって本当に大きなものにも対応できるのだと思いますね。

―防大生はまだ自衛官ではないので出動の義務はありませんね。

学校長

義務はない。確かに義務はないですよ。むしろ私の方が初めは事務当局からたしなめられた面があります、法規上そういう任務はございません。そういうような出動を命ずる根拠がありません。もし、これが部隊であるならば近傍派遣というので、現場部隊長の判断をもって命令することができる。しかし、学校長は部隊長じゃなくて教育訓練機関の長だから、それは現在の任務にはない。それじゃあ、教育訓練目的なら命令できるのかと言ったら、それはできますと。じゃあ、教育訓練のためにこれが要ると言えばいいんだねと。つまり将来幹部自衛官として国防のためにはもちろんだけれども、災害において救助するのも自衛官の任務だ。幹部自衛官となるために教育訓練していたところ、たまたまこの地に激烈な災害が起こった。どういう事態であるのかしっかりと見ておくのは教育的に必要だ。行ってただ見てるんじゃなくて、どうやったら効果的に救出できるかとか、そういうのも大事な訓練だ。そういう意味で教育訓練上の意味も極めて大きいから、私がそのために命令したら大丈夫かと事務当局に確かめたら、それは大丈夫ですということです。

―それで学校長に指揮権があるということですね。

学校長

一定の目的に関ってあるわけです。ただしその場合、もし救助中に家が潰れて犠牲になったら大変です。その時に公務災害として認められるかどうかは、それはちょっと解釈上なんとも言えませんということでした。だけどそれは心配するな、もしそんなことが起こった時に、国と社会が見捨てると思うか、市民を救うために防大生がそういう心配までしなくていい。それで「法規をちゃんとしてもらうという努力もすべきだ」「現状のこの中で教育訓練上の目的をもって命じたらいいか」などと防大内で論じていました。そんな時、自衛隊の幹部の一人に話をしたらもうすでに耳に入っていて「ぜひやってください。防災に対する自衛隊全体の対応の中で、防大及び防衛医大の人たちの協力も得て支援活動をするという一項を書き入れておきましょうか。」それがあったら、動きやすいと思います。

―自衛隊法の災害出動ですかね。

学校長

大災害が関東地域で、首都及び首都地域の大災害が起こった場合、防衛省・自衛隊として効果的に対応するための対処方針を作っているのだと思います。その中で、防大と防衛医大も可能なことをやるんだということを、全般的な省の方針、国の方針として書いておき、そして法令上も整備しておく、そうすると防衛大学校の学校長が根拠もないのに勝手なことをやったという話にならない。そういう配慮から災害派遣計画に書き入れることを考えてくれているんだと思います。

―全国的にみても静岡は本気で取り組んでいます。静岡県の防災会議は知事が主催して毎年3自衛隊も積極的に参加しています、会議の会場も自衛隊の中です。

学校長

そうですか。自衛隊は動き出したら力強いですから。だから私は逆に防大生という1800人もの元気な基礎訓練を受けた若者が万が一の場合、三浦活断層の動きが心配されているこの横須賀地域のお役に立てるといいと思うわけです。


下克上のない組織

槇初代校長

―学校長のものは色々読ませていただいていますが槇智雄初代校長のお話がよく出 てきますが…。

学校長

会ったことは無いんですが、尊敬しております。

―その時代の防大に帰りたいと学校長はおっしゃってましたね。

学校長

帰るというんじゃなくて、精神拠点として基本に立ち返って出直すということが非常に意味あることだと思っております。私は半年間いて、これからの防大をこういう風に変えていこうという構想を考えています。省に移行して政策官庁の実を築く上で人材育成こそが重要だと、大臣からのお話もあり、たいへん有り難いことです。それを受けて防大も役割を担いたいと申し上げ、いくつかの具体的課題の中で、槇記念室を開設したいと提言しています。

―現在は資料館がありますね。

学校長

今は資料館があるんですけど、防大全般を説明するものなんです。資料館を見た上で今度は槇記念室で静かに自分自身がどう生きる、幹部自衛官になるというのはどういうことか、槇校長と対話をしながら自分自身の志をしっかり持ってもらう。そういう場があればと思っています。槇校長は防衛大の精神的拠点だと思います。

―槇校長と吉田茂(元首相)さんは、下克上のない組織にしたいと言っていましたけれど。

学校長

「下克上のない幹部を作ってもらいたい。」あれは面白いですよ。ダレス(ジョン・フォスタ・ダレス 終戦時の米大統領特使、後の国務長官)は朝鮮戦争が起こって51年の1月にやって来た時、日本は独立するんだから当然再軍備するだろうと考えてたので、自国の安全のために、さらに自由世界に貢献するためにすぐ再軍備しなさいという風に迫るんです。しかし吉田さんは、いや待ってくれと。彼は実はね、ダレスに断る半年前に増原恵吉長官に対して、下克上のない幹部をつくってくれと言って、防大の構想を指示してるんですよ。かつての独断専行の参謀本部じゃなくて、民主社会にふさわしい教育するのが先だと。それができたところで、やおら部隊を作る。


廉恥・真勇・礼節

学生自身で作った綱領

―部隊を作る前に教育の充実というわけですね。

学校長

ちゃんと精神のしっかりしたね。そこで小泉信三さん(1936年から1947年まで慶應義塾大学塾長)に紹介されて吉田さんが槇校長に会って惚れこんじゃったんです。この人なら大丈夫と。「軍事専門家である前に立派な紳士淑女であれ。」大変立派な思想の持ち主が初代校長でした。ただ槇校長は非常に悩んだんですね。つまり愛国、自衛隊と防衛大は国のためでしょ。そうすると伝統とか愛国心とか、そういうものを拠点にする以外ないじゃないですか。それでアメリカの士官学校に赴いて、広い人間性とか知識の基盤をまとっての愛国心・軍人精神というものに共鳴して帰ってきた。そしてようやく彼の腹が据わったのは、伝統というのは過去に求めるのではなく、自らつくるべきものと達観するんですね。そこで君ら自身で綱領を作ってくれと学生たちに訓示することになります。指示を受けるんじゃなくて自分たちで作れって言われて驚いたようですよ。それで例の「廉恥、真勇、礼節」の学生綱領、学生たちが2年がかりで作った。槇校長がその報告を受けたのですが、やや怪訝な顔をしたといわれます。

―意外だったのはなんだったんでしょうか。

学校長

意外だったのはウエストポイントにも学生の戒律みたいなものがあって、それは「盗むな・嘘つくな・欺くな」のモーゼの十戒みたいな三戒みたいなのがあって、それに違反したら学生自身が厳しく退学処分とかをやるらしいんです。そういうものがあることを参考にしながら学生たちがどういう風にするかと思っていたら、三戒風な処罰対象じゃなくて、心構えとする価値理念をしっかりつくったというので、大変結構だという話ですね。そういう伝統を自分で作られたという歴史が防大にはあるわけです。

―その伝統はこういう形で現在あらわれているのでしょうね。

学校長

初期の人たちは槇校長の教えをマキイズムって大事にしただけでなくて、それを結晶させた学生綱領を自らが作ったわけです。それがよく根付いたと思うんですね。アメリカは何かあると独立革命の精神です、フランスではフランス大革命の精神。ところが日本社会には不幸にしてそのようなものがない。しかし、防大生は幸いにも防大の伝統にもどれる。何かあったらそこに帰って、そこで槇校長と対話して、そして自分なりのものをまた見つけ出して再出発してもらいたい。そういう風に精神の拠点に戻って新たな力を得て活動に向

かうというふうにしたいと考えています。


神戸大から防大へ

―学校長は神戸大学の教授からこちらにお見えになったんですね。その時に周囲からそんな馬鹿なことはするなとか言われたことはありませんでしたか。

学校長

ええ、相談するわけにいきませんのでね、国家機密ですから。だからあまり広く事前に聞いたわけじゃなくて、ひそかに相談する人にはして、一緒に仕事をやってる仲間には困ると言われましたね。そして信念としてもいろんなタイプの人もいますからね、よりによって防衛に行くなんてとんでもないと、そういう気分の人もおられて。それから防衛には抵抗無いけれども、官ではなく民間で柔軟に働いてくれると思っていたのにと言う人もいました。

―ご家族はいかがでしたか。

学校長

地震で傾いた家も再建して幸せな大家族2世帯の態勢ができたところだったので、反対されるかと思ってたのに、意外にも家内は関東にも折があったら住んでみたいと思っていたのでいい機会だから私はいいですよ、と言われてこっちがびっくり仰天しました。

―奥様は自衛隊の状況なんかご存知なんですか。

学校長

いや、家内は全くのノンポリです。政治・社会・軍事のことは関係ない人で抵抗感がないんですね。いい話じゃないのって、娘たちも当然反対すると思っていたら、結構ポジティブなんですね。ちょっと首を傾げてたのが西宮にひとりきりになってしまった娘だったですけどね。だけどお父さんが決めたら私はいいから思うようにして。家族のサポートですよね。それからもう一人、今年の防大卒業式で、式辞をやってくれた山崎正和さん(大阪大学名誉教授・LCA大学院大学学長)が、高坂正堯さん(元京大教授、1996年没)が生きていたら君にやってもらうのを望むに決まってるじゃないかと亡くなった人の名前を出してまで受けるよう説かれたのには驚きました。神戸大学の元学長の新野幸次郎さんは反対でしたね。やっぱり神戸にいてほしいと。でも神戸に六甲大後援会という組織があるんですが、そこでの50周年の基調講演の話を新野先生から電話いただいてたり、今は納得してもらってます。


防大は「魂の故郷」

―学校長の文章を読ませていただいていますが本当に格調高いですね。国家の品格・品性とか言いますけれども、それを感じます。学校長のお名前が五百旗頭ですが、これもその辺に何かありそうですね。

学校長

姫路藩なんですよ。姫路藩に数軒この名前の家があったようで。そのうちの一軒がうちの先祖です。父は今の神戸大学経済学部の教授をやっていました。さかのぼっていくと、秀吉が黒田勘兵衛に姫路城の築城を命じた時の責任者に先祖がなっていて、五百旗頭宗右衛門、上も四文字、下も四文字のとんでもない人です。五百旗頭ってだいたい誰も読めないでしょう?司馬遼太郎さんも読めないだろうと思って、学生時代には名刺持ってないから紙に書いて渡したんです。「いおきべさんですか」って読まれました。さらに理由を説明して大和王朝の時代に五百の木で部族の部がついて、五百木部という一族があった。それがおそらく戦国時代に何か悪いことしようと思ってお家再興を想って木部よりも旗頭が強そうに見えるから、そう置き換えてやりだしたんちゃうか、というようなことを司馬さんはおっしゃるんですね。

―防大のOBの人たちと私はお付き合いさせてもらってるんですが、同期でも今は階級がこんなに違っても個人的なお付き合いがあって、みんなすごく仲がいいですよ。それで仕事の時はきちんとたててますしね。変な狎れ狎れしさじゃなしに、けじめはしっかりしている。すばらしいですね。防大の寮では1年生から4年生まで同室するわけですからね。あの時にあの人は僕が1年のときの3年生だったとか、だから何でも相談するんだっていうことをよく聞きます。

学校長

それは本当にいいことで、やっぱり色々なチャレンジが絶えずある真剣勝負の小原台での4年間で、楽ではない、それを一つひとつこなしていくということで、気持ちの持ち方もまっすぐにしていく共同体ができていくんでしょうね。

―学校長は学生といつも接触されている印象ですね。

学校長 昨年の8月2日にここに着任したんですけれども、その日に宣言したことは、私は管理職者になるのかもしれないけれども教育者であることをやめませんと。それで毎月1回、前例はなかったんですが全学生に講義を行っています、学生には何かの行事の時に近くへ来れば声をかけるようにしています。例えば私が挨拶で言ったことについて質問されたりします。やっぱり若い人と討論することは大切です。

―OBの方たちにメッセージをお願いします。

学校長

OBの人たちは戦後の苦しい時代に立派な伝統を築いてくれました。今もOBの方々が防大を「魂の故郷」と感じ、大事にして下さってることをひしひしと感じます。これから幹部自衛官の役割はますます大きくなると想います。21世紀の航海に耐える教育を改めて防大としても求めたいと思いますので、変わることのない励ましを後輩たちにお願いします。槇記念室が出来ましたら、是非一度お訪ね下さい。

(文責・編集部)


日米初の防衛相会談
在日米軍再編など活発に意見交換

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 久間章生防衛大臣は4月29日から5月6日までの間、北原巖男防衛施設庁長官、大古和雄防衛政策局長、泉一成統幕副長ら高級幹部を伴ない、アメリカ合衆国、イタリア及びベルギーを訪問し、各国国防関係者らと活発に意見交換した。4月30日、久間大臣は米国防省で、防衛大臣として初めてゲイツ米国防長官と在日米軍再編などについて会談(=写真)したあと、アーリントン墓地で献花した。また、翌5月1日には米国務省で、日米安全保障協議委員会(2プラス2)に臨んだ。次いで、同3日からイタリアのローマで、ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂での献花やプローディ首相を表敬したあと、日伊防衛相会談を実施した。翌4日にはベルギーのブリュッセルで、日白防衛相会談を行うとともにデ・ホープ・スケッフェルNATO事務総長と意見交換した。

武器登録作業を開始
ネパール軍事監視要員

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武器登録の監視を行う隊員(ネパール陸軍施設で)


 4月10日、国連ネパール政治ミッション(UNMIN)に参加している自衛隊軍事監視要員(石橋克伸2陸佐以下6名)は、カトマンズ市西部にある中部セクター内のチャウニー地区ネパール陸軍施設でネパール国軍とともに武器登録の作業を開始した。この日は、中部セクターに配置されている自衛官2名が、国連開発計画(UNDP)の武器登録作業監視などに参加した。

 引き続き、同18日には、6名の自衛隊監視要員全員が各セクターへの移動を完了、今後、軍事監視活動が本格化することになる。

省移行後、初のPKO参加
ネパール国際平和協力隊が出発

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家族ら多数の見送りを受け防衛省を出発する派遣隊員


 自衛隊の国際平和協力業務等が本来任務化されて初めてとなるネパール国際平和協力隊軍事監視要員(石橋克伸2陸佐以下6名)が3月28日、官邸を訪れ、安倍晋三首相に出国報告した。同30日、防衛省で久間章生大臣から各々辞令が交付されたあと、儀仗広場で齋藤隆統幕長、陸海空各幕僚長をはじめ幹部職員、留守家族多数の見送りを受け、市ヶ谷台を出発、成田空港から民航機でネパールの首都カトマンズへ向け出国した。

 翌31日、カトマンズに到着した一行は国連ネパール支援団(UNMIN)の他国の軍事監視要員と合流、監視活動に必要な研修を開始した。なお、今回のPKO活動は、部隊としてではなく初めて個人派遣という形をとっている。

ゴラン派遣隊員から
防大51期卒業生へ

 防大51期卒業生に対して、現在、ゴラン高原で任務遂行中の第23次ゴラン高原派遣輸送隊長の豊田龍二3陸佐(38期)と、UNDOF(国連兵力引き離し監視隊)司令部副広報幕僚の篠田英一郎1陸尉(43期)の両先輩からメッセージが寄せられましたのでご紹介します。



ゴラン派遣輸送隊長 豊田 龍二


 防大51期生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。小原台での修練のときを終え、今まさに自衛官として新たな道を進もうとしている皆さんは意欲に満ち溢れた表情をしていることでしょう。

 私は、第23次ゴラン高原派遣輸送隊長の豊田3佐です。日本から遠く離れた中東のゴラン高原で42名の隊員とともに、国連兵力引き離し監視隊(UNDOF)の中で、自衛隊の代表として、中東の国際平和に少しでも貢献できるように勤務しているところです。UNDOFでは、主にオーストリア、ポーランド、インド、スロバキア等の国々から来た軍人たちと協同して活動しています。日本隊は気候も風土も文化も違うこの地で、UNDOF内の兵站大隊の一部として、生活物資等の輸送、道路整備、故障車の回収、除雪等を主要な任務としています。また、陸・海・空の各自衛隊から選抜された隊員で構成されていますが、各隊員が「任務完遂」という目標の下に一致団結しており、統合運用がうまく機能しているといえます。

 日本隊がUNDOFに参加するようになって、現在12年目を迎えています。最近では日本でもUNDOFの活動について報道されることも少なくなり、あまり目立たなくなっていますが、日本隊は黙々とこの地で活動を続けてきました。私自身、こちらで任務を開始してからまだ1ヶ月ほどですが、活動しているとあちこちで「日本隊は他の部隊と比べても士気が高く、規律も守られ、仕事も一所懸命やってくれる」という評価を耳にします。これは、第1次隊からこれまでの先輩方が真摯に業務に取り組んできた証であると思いますが、話をよく聞いてみると、決して特別なことをしてきたわけではないと感じました。国内で自衛官として訓練してきた成果をそのままこの地で発揮していることが、他国や地元の人々から高い評価を得ているようです。自衛隊がこれまで実施してきた教育訓練の質の高さを改めて思い知らされている毎日です。

 私自身が防大の学生の頃、自衛隊の海外への派遣が開始され、カンボジアやモザンビークへのPKOに自衛隊が参加するというニュースを聞き、任官したらいつかは自分も参加してみたいなという漠然とした思いを抱いたものでした。しかしながら、10数年のときが流れ、皆さんも承知のとおり時代は大きく変化しました。海外での自衛隊の活動が本来任務に認められ、自衛隊は世界を舞台に活躍することが国民からも求められる時代になったのです。

 卒業生の皆様が4年間で身につけた知識や技能、経験等は、卒業後幹部候補生学校を経て配置されるそれぞれの部隊で、必ず役に立つはずです。そして、皆様の着隊を部隊の仲間は心待ちにしています。皆様の今後の活躍の場は、国内外あらゆるところに存在します。防大で学んだ幅広い視野と知識を卒業後もさらに養い、部隊で活躍されますことを、ゴラン高原の地から、ここで国際貢献のために汗を流している隊員たちとともに期待しております。



失敗を恐れず、積極的に挑戦を

篠田英一郎1尉


 防衛大学校第51期生の皆さん、御卒業おめでとうございます。

 今、私は、ゴラン高原に展開しているUNDOF(国連兵力引き離し監視隊)の司令部で副広報幕僚として勤務しています。UNDOFには、日本の他、インド、オーストリア、スロバキア、ポーランドなどから軍人及び文民が派遣されており、中東の安定のために彼らと一緒に勤務しています。

 皆さんは、小原台での4年間の修学を通じ、多くの知識と技能を身につけ、様々な経験を積まれたことと思います。これから陸・海・空の各幹部候補生学校を経て部隊等に赴任されますが、当初は目新しい事だらけで不安を感じるかも知れません。しかしながら、それは諸先輩達も過ごしてきた道です。どうか失敗を恐れず、元気溌剌として様々な事に積極的に挑戦してもらいたいと思います。初級幹部時代における経験こそが、今後の自衛官勤務における大きな基盤となります。

 皆さんの活躍の場は、国内・国外を問わず幅広くあります。近い将来、皆さんと一緒に勤務できることを楽しみにしています。

陸自がイラク人11名を教育

イラク医療の復興、医療機材保守管理技術向上図る

《衛生学校中央病院》


 陸上自衛隊では1月31日から2月28日までの間、衛生学校と自衛隊中央病院、関東補給処用賀支処が共同で、イラク・ムサンナー県の医療機材保守管理者11名(うち女性2)に対して、陸自「衛生資材整備課程」の教育科目の一部を教育した。

 衛生学校長の堀口紀博陸将補は、イラク人代表のムサンナー県保健局総合検査局長と会談した際、職員に対して「よく教育要望を分析して、期間を通じて家庭的な雰囲気の中で教育を行うよう」指導した。

 最終日には修了式が行われ、衛生学校教育部長から修了証が手渡されたあと、イラク人から研修に対する感謝と日本国への友好の言葉が述べられた。言語、生活習慣、宗教の違いという通常の教育とは掛け離れた様々な困難を乗り越え、しかも自衛隊教官らのイラク人に対する柔軟な対応と熱意により今回の教育は大きな成果を上げた。さらに、教官からは「部外者しかも外国人への教育という機会を得て、今後の海外任務などに本教育の経験を活かすことができる」という前向きな意見も聞かれた。

 陸自では、今回の研修は日本とイラクとの友好・親善に寄与するのみならず、先のイラク人道復興支援とリンクする形でイラク復興に寄与するものとしている。

 〈イラク人の陸自研修の経緯〉昨年6月21日、外務省はイラク復興支援の一環として、イラク人を日本に招聘して研修させるプログラムを計画、外郭団体のJICA東京に対し、イラク人への研修を依頼した。それらの研修のうち医療機材保守管理(上級)に関しては、陸上自衛隊の協力が不可欠と判断したJICA東京から防衛庁(当時)に対し協力依頼があった。この研修の目的は、ムサンナー県の医療機材保守管理者に対し、実務全般の理解、予防保守点検、故障診断、修理技術を習得させ、ムサンナー県の医療機材保守管理の技術向上を図り、供与された医療機材が更に効果的に活用され、地域の医療サービスの向上に貢献することで、研修は「医療機材の保守管理の基礎(陸自担任)」と「企業研修(JICA担任)」の2本柱で構成された。

日米指揮所演習(YS)実施

4800名が作戦能力の維持・向上図る

《陸自中部方面隊》


YS開始式に臨む日米参加部隊(壇上<右>が折木総監、<左>がデュービック軍団長)


米海兵隊員(左端)と陸自隊員が訓練内容を調整



海空自衛官がプレイヤーとして初参加


 陸上自衛隊は2月4日から16日までの13日間にわたって「平成18年度日米共同方面隊指揮所演習」(YS)を伊丹駐屯地(兵庫県伊丹市)で実施した。

 このYS演習は、陸上自衛隊と米陸上部隊が、それぞれの指揮系統に従い、共同して作戦を実施する場合における方面隊以下の指揮幕僚活動を訓練し、その能力の維持・向上を図ることを目的としたもので、実施部隊等は、自衛隊側が中部方面総監の折木良一陸将を統裁官に中部方面隊等約3400名、米軍側が第1軍団長のジェームズ・M・デュービック陸軍中将を統裁官に第1軍団、在日米陸軍司令部、第9戦域支援コマンド、第3海兵師団等約1400名。

 8日午後、中方総監部庁舎前で日米共同訓練開始式が行われたあと、折木中方総監とデュービック軍団長の日米両指揮官が共同記者会見に臨んだ。折木総監は、第51回目を迎えた今回のYSについて特に着意した点として「調整をより効率的にするため総監部内に調整所を設置して機能的充実を図ること」「海上自衛隊、航空自衛隊の自衛官が初めて一緒にプレイヤーとして参加していること」「伊丹駐屯地で総監部として演練するほか、海田市・善通寺・千僧・守山の各師団、旅団地域で指揮所に指揮下部隊が展開し、通信システムを使い、ホームステイションプレイ方式で効率的に演習すること」の3点をあげた。また、デュービック軍団長は「このYSが各方面隊の持回りで実施しているということは、各方面そして米軍にとっても非常に良い演習の機会。私にとって今回が最後の演習となりますが、過去2年半にわたって関わってきた地元の皆様方、日本の皆様方から受けた温かいお持てなしの心に感謝したい」と語った。


厳しい環境に耐え、任務遂行中

齋藤統幕長、空自イラク派遣空輸隊を視察

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クウェートのアリ・アルサレム空軍基地で儀仗隊を巡閲する齋藤統幕長(左端)


 齋藤隆統合幕僚長は1月27日から31日までの5日間にわたって中東地域を歴訪、29日にはクウェートのアリ・アルサレム空軍基地で、今なお任務継続中の航空自衛隊第11期イラク復興支援派遣輸送航空隊(隊長・岩本真一1佐)を視察した。統幕長が空自派遣部隊を視察するのは今回が初めて。

 この日、同空軍基地に到着した齋藤統幕長は、儀仗隊による栄誉礼を受け、巡閲したあと、厳しい環境に耐え、真っ黒に日焼けした派遣隊員約200名を前に訓示に立ち、これまでの労をねぎらうとともに今後も気を緩めず最後まで任務を完遂するよう要望した。次いで、岩本隊長以下幹部を伴ない、エプロン地区で駐機中のC―130輸送機や衛生隊、隊舎などを視察、任務に励む隊員に直接声をかけて激励した。また、派遣隊員との会食の機会も設けられ、和やかに懇談した。



C―130輸送機を視察する齋藤統幕長(左から3人目)


 視察後の齋藤統幕長コメント(要旨)は次のとおり。

 「イラク復興支援のため中東の厳しい環境下、クウェート・イラク間で空輸活動を実施しているイラク復興派遣輸送航空隊の活動をクウェートで確認することができ、日本の代表としてイラクの復興に貢献していることに、統幕長として誇りに感ずるとともに日に焼けた逞しい姿を頼もしく思いました。実際の運航状況を確認するため、C―130に搭乗する予定であったが、天候不良のためにそれは叶いませんでした。派遣部隊においては、常に安全に関する配慮を怠らず、全員が無事に任務を完遂してくれることを期待しています。イラクの安定と復興のために国際社会の一員として引き続き貢献して参りたい」

久間防衛大臣・櫻井よしこ氏
防衛省昇格「特別対談」

制作官庁としてスタートラインに立つ

(1~2面)

 1月9日、半世紀の悲願が叶って防衛庁は防衛省として発進した。今まで内閣府の一外局だったため悔しい思いをしたこと、じれったさを味わったことは誰にもあったはずだ。海外では会議の席順もAGENCY故に差をつけられたこともあったと聞く。それだけに自衛官 職員 家族 関係者には素晴しい新年、防衛省元年になった。本紙ではこれを記念して初代防衛大臣・久間章生氏とフリージャーナリストの櫻井よしこ氏との対談を1月23日防衛大臣室で行った。話は「自衛官の安全と誇り」から「集団的自衛権」など熱い問題にも及び活発な議論となった。(司会=本紙・所谷尚武)


 --防衛省への昇格は、新年早々の国民最大の関心事だったと思います。初代防衛大臣の感慨は十分想像できますが改めましてお気持ちを聞かせて下さい。

 久間章生防衛大臣 ようやく政策官庁として一人立ちできたという、そういう感じですね。それと同時に、これはゴールではなくスタートであり、これから国の安全、国民の生命・財産をどう守っていくか、あるいは国の平和と安定をどう確保していくか、やはり長期的視野に立って、防衛省が政策をたてて、それで各省と連携を図りながら各国に働きかけていくという、そういうスタートラインにやっと立ったという感じがしますね。


 --櫻井さん、新生防衛省には難問がひしめいています。期待されていることはなんでしょうか。

 櫻井よしこ氏 ローマ帝国の時代から国家にとっての最重要の課題は国防の基(もと)を固めることにあります。そこが固まってこそ国を守ることができます。だから国民が、賢く考え、政治家が勇気を持って決断して、国民と国土を守る、安全と幸せを守るというその決意を支えるのが軍事力です。軍事力を非常に賢く運用していくことによって、軍事力を使わずして国土を守ることもできるわけですね。私は軍人たる人が、外交官よりもなお国際政治を知り、政治家よりもなお政治を知る、外交・政治両方を誰よりもわきまえた人が軍人であって欲しいと思います。そして軍人であることに誇りをもてるような防衛省になってほしい、と願っています。

 中国の様子などを見ると、日本に対する脅威はかつてないほど高まっています。北朝鮮の核の問題も同じです。この一番大事な時に、防衛庁が省になりました。最も大事な時に最も重要な変化が起きた。だから本当に働き時である、だから大いに期待しているというのが私の意見です。

大臣は究極的にはどういう形の日本の安全保障のあり方がよろしいという風にお考えですか?


 久間大臣 一番大事なことは、みんなが自分たちの国は自分たちが守るという気持ちを持つこと。それと同時に、そういうことを形としても備えるということ。そして形だけでなくて、それが機能できること。それと同時に国際関係で敵対関係にならないように、配慮していくこと。それでも力が及ばない時はアメリカとの同盟関係をしっかり結んで、それによってカバーしてもらうということが一番大事です。だから、防衛庁が省になったのをきっかけに、教育基本法もそうですが、自分たちの国を自分たちが大事にして守っていくという意識をしっかり持たないといけないと思いますね。


集団的自衛権とは


 櫻井氏 そうしますと、安倍内閣のひとつの課題は所信表明演説でもおっしゃったように集団的自衛権の問題になりますね。いま大臣がおっしゃったように自分の国を自分で守るということを具体的にお話しくださいますか。


 久間大臣 集団的自衛権という言葉をよく使うのですが、国連憲章でもそうですが、個別的又は集団的自衛の固有の権利という言い方をしております。2つの権利が全く別々にあるのではなくて、自分の国を守るためには、自分自身で個別で守る場合もあるし、あるいは集団的に守る場合もある。しかし、一部の人々は、同盟を結んでおけばその相手国が危ない時にはいつもその国を救うかのように、自国の自衛権かのように言っているわけですよ。それは違うので、アメリカがヴェトナムと戦争をやっている時は、日本の平和と安全が直接脅かされるわけではないから、その時日本は集団的自衛権を行使できないと言っているわけです。自分の国にとって、危ないかどうかが自衛権という言葉の重要な要素だと言っているんです。そういう考え方を見ると、アメリカがニカラグアを攻めている時とか、アメリカはアメリカの国策に基づいて戦争をやっているのであって、日本の自衛権は関係ありませんよと。


 櫻井氏 そうすると久間大臣のお考えとしては日本の安全に、玉突きのように影響が及ぶとなれば一緒に戦うのは当然だと、そういうお気持ちなんですか、しかし、世間では反対にとられていますね? 久間大臣が集団的自衛権を否定しているような…


 久間大臣 そうではなくて、集団的自衛権という言葉が一人歩きするからそういう意味で誤解されるので、私はよく例として挙げるのですが、例えば、2台ジープが走っていて、アメリカ人が乗っているジープと自衛隊が乗っているジープが、こうして2台して一緒に並んで走っていて、そして共同作業していてね、日本のジープが先にいる時に先に撃ってきたら、それに対して反撃するけれども、米軍の方が先に行っていたら、一切反撃できないかのような、そんな馬鹿な話はないのであって、撃ってきているのがね、個別に関係なく日本のジープにも撃ってきている場合は、反撃すべきだと、私はそれは当たり前のことだと言っているわけですよ。だから自衛隊の艦船が米軍艦船に補給活動をやっている時に、その艦船が攻撃されたらどうしますか? それは補給しているその2つが一体として攻撃されている場合は、それは反撃を当然すべきであるというようなことを言っているわけですよ。

櫻井氏 なるほどね。



軍事大国になるのか

 --よく防衛省になって軍事大国になるんじゃないかという話が出ますけど、安倍総理がこの前、式典の時に、フィリピンのアロヨ大統領から省昇格を歓迎するというメッセージをいただいたということを披露していました。


 久間大臣 私は1月初めにタイに行きました。その時にプレム枢密院議長をはじめとして、ブンサーン軍最高司令官とも会いましたが、タイのブンロート国防大臣や向こうのみなさんは、みんな『おめでとう』と言ってくれました。それは日本が軍事大国ではない、外に向かって戦争をしに行く国ではないということをもうみんな分かっているんですよね。

 --櫻井さんは外国との交流が大変深いとうかがっていますが、いずれの国から何かメッセージはありましたか


 櫻井氏 私もかなり幅広く取材をしているんですけれども、どの国の方々も日本が軍事的に怖い国だなんて言う政治家や役人は一人もいないですよ。むしろ彼らは全員と言っていいくらい中国を恐れているんですね。むしろ日本に軍事的に、防衛庁が防衛省になってくれと、自衛隊をちゃんと軍隊として位置づけて我々と一緒に軍事演習もして欲しいという声が少なからずあります。私は日本はとてもアジアでは信頼されていると思います。

 --今まで自衛隊の国連の平和維持活動だとか人道支援活動の場合は、その都度作られた自衛隊法の雑則だとか付則が根拠となっていましたが、今度自衛隊法第3条の2項に本来任務と明記されて自衛官の人たちはプライドというかステイタスといいますか、そういったものができたと思うんですが、今からそういう本来任務に基いた国際貢献っていうのは変わってくるんでしょうか


 久間大臣 今まで多くの隊員が海外に行っていますからね、そういった経験に基づく教育というのをこれから先やっていく必要があります。効果のある方法とか色々問題点とか、失敗談もあるでしょうから。そういう意味で、今度は教育隊みたいなものを作ろうと思うんですよ。それと国際貢献をしなければならないということで要請があった時に、すぐに調査に行けるように即応集団みたいなものを用意しておいて、直ちに調査とか準備行為に入るとかね。やっぱりもうこれだけ国際平和協力活動というものが国際社会で、各国とも必要だということになってきている。日本も海外に出て行くのが、それはもう当然のことだという前提に立って構えなければいけませんから。そういう意味では、今までの雑則ではなくて本来任務にしておいて、今言ったような教育隊とか即応部隊を置いておくことが大事だと思います。それはやろうと思って、次の段階で再編を考えているところですね。

 --それで安倍総理がNATO発言といいますか、NATOに出動してもいいということを言いましたね。


久間大臣 それは、国際協力部隊としての出動なのか、それともNATOに行って向こうの経験を、共同の演習なり、あるいはオブザーバーで行くのか知りませんが、色々見聞を広めるという意味かもしれませんし、具体的にまだこういう考え方で部隊をNATOに派遣するというところまでいってませんから。



国民の期待に応える

 --熱い熱い話が続きました。もっとお聞きしたいのですが時間がきました。大臣、防衛ホーム新聞は隊員の皆さんとご家族の皆さんにも読んで頂いているのですが、省になったということで、改めてご家族のみなさんに何かメッセージをおねがいします。今まで随分肩身の狭い思いをされたことを聞いています。


 久間大臣 とにかく国民から期待されているわけですからね。そういうような期待されている内容を作ってやっていくというのが私の役割です。そういう点では、我が国は専守防衛という枠があるから、他国の軍隊と同じとは言いませんが、胸を張って、こういう国の防衛をやっているんだと外に向かって言えるようになりましたと、そういうことは言ってもらっていいと思います。

 --櫻井さんはサマワ一次隊の出発式にも出席されたり各地を回られています、部隊に友人も多いのではないでしょうか、彼らに一言おねがいします。


 櫻井氏 私は自衛官は、他のどの省庁の人よりも顕彰されてしかるべきだと思います。なぜならば、いざという時、本当に命を投げ出して国を守る、国民を守るということは外務省はしない、財務省もしない、防衛省の方だけなんです。軍人だけなんです。だから自分の命をかけて任務についているということについて、もっと国民も感謝しなきゃいけないし、それを顕彰していくということ、感謝するということはとても大事なことだと思うんです。同時に、みなさんにはそのことにもっと誇りを持っていただきたいと思っています。

(文責・防衛ホーム編集部)

「美しい国造り」へ
おめでとう『防衛省』発進

安倍首相「戦後レジームから脱却した大きな第一歩」

1-1

最高指揮官の安倍首相が登壇、「更に献身的な貢献を」と訓示した(1月9日)


 日本晴れの好天に恵まれた1月9日、防衛庁発足から約53年の年月を経て、いよいよ「防衛省」が発進した。この日、市ヶ谷台では「防衛省」移行記念式典が盛大に開催されるとともに全国の駐屯地・基地では、「祝・防衛省」などの看板を掲げ、隊員と地域住民が協同で省移行を祝った。(関連記事5面、6面、7面)



特別儀仗隊を巡閲する安倍首相


 午前9時半、久間章生初代防衛大臣が防衛省A棟前儀仗広場で、第302保安中隊(中隊長・矢古宇 努3陸佐)による特別儀仗隊の栄誉礼を受け、巡閲した。次いで、自衛隊最高指揮官の安倍晋三首相が防衛省A棟正面玄関前に到着、久間防衛大臣、木村隆秀防衛副大臣、大前繁雄、北川イッセイ両防衛大臣政務官、守屋武昌事務次官、齋藤隆統幕長をはじめ防衛省・自衛隊の高級幹部多数の出迎えを受けたあと、同特別儀仗隊の栄誉礼を受け、巡閲した。

 引き続き、A棟講堂で、久間防衛大臣をはじめ防衛省・自衛隊の高級幹部や国会議員、歴代防衛庁長官・事務次官・各幕僚長・各機関の長など関係者多数が出席して「防衛省移行記念式典」が行われた。 安倍首相が訓示の中で、防衛省移行に至るまでの歴史や経緯について触れながら、「今回の法改正により、防衛庁を防衛省に昇格させ、国防と安全保障の企画立案を担う政策官庁として位置付け、更には、国防と国際社会の平和に取り組む我が国の姿勢を明確にすることができました。これは、とりもなおさず、戦後レジームから脱却し、新たな国造りを行うための基礎、大きな第一歩となるものです」と述べた。また、「防衛庁省移行法の成立は、我が国の民主主義国家としての成熟、そしてシビリアン・コントロールへの自信、さらには国際社会の中で平和と安定のための責任ある役割を担っていくという国家・国民の意志を内外に示すことになった」ことを強調、「今後も、我が国が平和と繁栄を享受できるよう、高い規律と士気を保持するとともにこの『美しい国』と国民の未来のために、世界の平和と安定という崇高な使命のために、更に献身的な貢献をしていくよう」要望した。

 また、久間防衛大臣は、省移行に尽力した関係者に感謝しながら「省移行に伴い、真の政策官庁を目指し変えていかなければならないこと」「防衛政策の基本など、省移行後も変えてはならないこと」の2点を強調、「防衛省の誕生は、決してゴールではなく、新たなる政策課題へのスタートであり、困難を乗り越えた先には、我が国の繁栄と国民の明るい未来があります」と訓示した。引き続き、中曽根康弘元首相と瓦力元防衛庁長官が心温まる祝辞を述べ、会場から大きな拍手が送られた。

 式典終了後、久間防衛大臣は木村副大臣、大前、北川両政務官を伴ない、殉職隊員慰霊碑に献花した。



 また、この日、記念式典に先立って、前日に設置された久間大臣揮毫の「防衛省」仮門標の除幕式が行われた。

大勢の報道陣を前に正門の「防衛省」仮門標を除幕(左から、守屋事務次官、大前政務官、久間防衛大臣、木村副大臣、北川政務官、齋藤統幕長)

 (※安倍首相、久間防衛大臣の訓示全文は次号に掲載します。)



記念式典に出席した歴代長官等、国会議員は次のとおり。(敬称略)

 〈歴代長官等〉▽元内閣総理大臣 中曽根康弘▽第40代防衛庁長官 谷川和穂▽第44代、第61代防衛庁長官・衆議院議員 瓦力▽第47代防衛庁長官 松本十郎▽第53代防衛庁長官・衆議院議員 愛知和男▽第55代防衛庁長官・衆議院議員 玉澤徳一郎▽第57代防衛庁長官・衆議院議員 臼井日出男▽第59代、第67代防衛庁長官・衆議院議員 額賀福志郎▽第60代防衛庁長官・衆議院議員 野呂田芳成▽第63代防衛庁長官・衆議院議員 斉藤斗志二▽第64代防衛庁長官・衆議院議員 中谷元▽第44代、第45代、第50代政務次官・衆議院議員 鈴木宗男▽第46代政務次官・衆議院議員 谷垣禎一▽第48代政務次官・参議院議員 魚住汎英▽第51代政務次官・参議院議員 山口那津男▽第56代政務次官・参議院議員 浅野勝人▽初代総括政務次官 依田智活▽第2代副長官・衆議院議員 萩山教嚴▽第5代副長官・衆議院議員 今津寛▽第6代副長官・衆議院議員 木村太郎▽第2代政務次官 西川太一郎▽第3代政務次官 鈴木正孝▽第2代長官政務官・衆議院議員 平沢勝栄▽第3代長官政務官 山下善彦▽第5代長官政務官・参議院議員 中島啓雄▽第6代長官政務官・衆議院議員 北村誠吾

 〈国会議員(歴代長官等を除く)五十音順〉

 【自由民主党 衆議院議員】▽逢沢一郎▽阿部俊子▽伊藤信太郎▽伊藤忠彦▽稲葉大和▽井上信活▽宇野活▽江崎洋一郎▽遠藤宣彦▽大塚拓▽大野松茂▽小此木八郎▽小野晋也▽小野寺五典▽金子善次郎▽亀岡偉民▽河井克行▽川条志嘉▽北川知克▽木原誠二▽木原稔▽木村勉▽木村義雄▽倉田雅年▽木挽司▽坂井学▽笹川堯▽島村宜伸▽新藤義孝▽高鳥修一▽武部勤▽田中和徳▽田中良生▽土屋正忠▽寺田稔▽土井真樹▽とかしきなおみ▽中川昭一▽長島忠美▽中森ふくよ▽西野あきら▽西村康稔▽林潤▽原田憲活▽原田義昭▽福田良彦▽牧原秀樹▽松本純▽松本洋平▽宮下一郎▽森山裕▽盛山正仁▽森山眞弓▽矢野隆司▽山中Y子▽山本拓▽吉川貴盛▽若宮健嗣▽渡辺博道

 【自由民主党 参議院議員】▽秋元司▽市川一朗▽岡田直樹▽岸信夫▽国井正幸▽佐藤泰三▽椎名一保▽松村祥史▽松山政司▽山内俊夫

 【公明党 衆議院議員】▽漆原良夫▽大口善徳▽斉藤鉄夫▽佐藤茂樹▽田端正広

 【公明党 参議院議員】▽荒木清寛▽澤雄二▽松あきら▽山下栄一

 【民主党 衆議院議員】▽市村浩一郎▽内山晃▽菊田真紀子▽吉良州司▽神風英男▽長島昭久▽平野博文▽古川元久▽細野豪志▽前田雄吉▽前原誠司

 【民主党 参議院議員】▽大江康弘▽尾立源幸▽工藤堅太郎▽榛葉賀津也▽田名部匡省▽西岡武夫▽平野達男▽藤末健三▽前田武志▽渡辺秀央

 【国民新党 衆議院議員】▽糸川正晃▽綿貫民輔

 【国民新党 参議院議員】田村秀昭

 【新党日本 参議院議員】荒井広幸

 【無所属 衆議院議員】下地幹郎

 【無所属 参議院議員】木俣佳丈


 (注)国会議員の欄には代理出席も含みます。

新年のメッセージ

「防衛省」発足に伴い、
より一層、迅速・的確に各種事態へ対応


統合幕僚長 齋藤隆海将



 国内外の各地で勤務している隊員諸官並びにご家族の皆様、明けましておめでとうございます。

 今年から、防衛庁は「防衛省」となり、加えて国際平和協力活動等が自衛隊の本来任務と位置づけられます。我々としても、より一層、迅速かつ的確に各種の事態へ対応していかねばならないと、重く受け止めています。

 さて、我が国周辺では、昨年の北朝鮮による弾道ミサイル発射と核実験等、日本の安全に影響を及ぼす諸問題が顕在化してきており、世界各地で頻発するテロ、大量破壊兵器の拡散等が国際的な懸念となっています。

 このような中、昨年3月、自衛隊は統合運用体制へと移行し、イラク・サマーワでの2年半に及ぶ陸自の活動を終結する一方、イラク・クウェートでの空自による空輸任務、インド洋での海自による給油活動、ゴランPKOへの輸送部隊の派遣を継続中です。

 我々が目指すべき真に実効性のある統合運用とは、各自衛隊の良き伝統と文化を尊重しつつ、相互理解と一体感の下に、その特性と能力を結集することによってのみ達成されるものであり、我々は、連綿不断の努力を積み重ねていかなければなりません。隊員諸官には、自衛隊の原点は「武力集団」であるとの認識の下、愚直なまでに基本・基礎を守り、日頃の教育訓練が重要であることを常に念頭に置いて不断の努力を継続してもらいたいと思っています。

 我々の活動にとりましては、ご家族の皆様のご理解とご支援が極めて重要であります。平成19年が隊員諸官、そしてご家族の皆様にとって素晴らしい年となることを祈念し、年頭のご挨拶とします。