自衛隊ニュース

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陸自3部隊 "道場"を整備

北海道大、岩手山、美幌等の演習・訓練場で

道路脇の草を除去する隊員(7師団)


「作戦」と捉えて実践〈第7師団〉 

 第7師団は11月11日から同15日までの間、北海道大演習場(島松、恵庭、千歳及び東千歳地区)、柏台演習場及び静内対空射撃場において、令和6年度演習場秋季定期整備を実施した。

 射場等の訓練施設や道路整備に加え、北海道大演習場島松地区の弾薬区域では不発弾捜索・処理及び防火帯整備を実施した。

 この間、各整備を作戦と捉え「工程管理」、「隊力管理」、「品質管理」、「安全管理」を実践し、任務を完遂した。

 第7師団は、自ら整備した「道場」において、陸上自衛隊唯一の機甲師団としての実力を錬磨し、即応性の向上を図る。

 

新隊員も戦力〈第39普通科連隊〉

 第39普通科連隊(連隊長・萱沼文洋1陸佐)は岩手山演習場及び弘前演習場を整備し各種訓練施設、管理施設、機動路等の演習場機能を維持・向上させた。この際、「東北方面隊ビジョン2030」に基づき、本来求められる練度、任務及び状況に応じて必要となる練度の両立に資することを目的に行われた。

 10月2日から同7日の間は、岩手山演習場で整備を実施し、中隊ごと決められた区域を時折、雨が強く降る天気の中、決められた期間の中で整備任務を完了した。9月に中隊配属となった新配置隊員も中隊の戦力となり活躍した。

 10月8日から同10日までの間は、場所を移し我らのホームグラウンド弘前演習場を整備した。主要な幹線道路と射場の整備を実施。どちらの整備も完遂し訓練環境の充実を図ることができた。

 

練度向上図る〈第6即応機動連隊〉

 第6即応機動連隊(連隊長・中津健士1佐)は11月8日から15日までの間、令和6年度演習場秋季定期整備に参加した。

 本演習場整備は、第5旅団演習場等中期整備計画に基づき、北海道の道場化推進に寄与するとともに、美幌訓練場及び美幌射撃場整備を実施して、美幌駐屯部隊等の教育訓練基盤の充実を図る目的で行われた。

 矢臼別演習場整備では、訓練施設(射場・資材置き場等)、演習場境界線及び排水施設(溜桝・暗渠・側溝等)の整備を実施するとともに、弾着区域において不発弾捜索を実施後、防火帯整備を行った。

 作業の実施にあたり、各中隊の指導陸曹が草刈り機等の使用要領や混合ガソリンの作成要領を隊員に教育し、安全かつ効率的な整備の実施を図った。

 美幌地域では、美幌訓練場内の道路整備・支障木の伐採、美幌射撃場の入口拡張工事等を実施した。矢臼別演習場と同様に、器材の使用要領や作業中の周囲への危害予防、警笛等による注意喚起、作業手順を教育して、小隊・分隊に徹底を求めた。

 若年隊員に対しても小隊長が自ら指導して適切な機材の取扱い及び安全意識を向上させ、作業間における事故防止を図った。

 本演習場整備間を通じ、各級指揮官が現場において積極的に指導し、隊員一人一人が安全係であるという高い意識で計画的かつ整斉とした作業により、1件の事故も無く予定どおり整備が完了した。


読史随感〈163回〉
神田 淳

大東亜戦争(太平洋戦争)をどう見るか

 1941年の12月8日、臨時ニュースが流れた。「本8日未明、帝国陸海軍は西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり」。国民は日本が米英と開戦したことを知り、初戦の勝利に歓喜したが、最終結果は悲惨だった。国をあげて戦った戦争に完敗し、自信を喪失した。戦後日本は侵略戦争をしたと米英から弾劾され、東京裁判では、国の指導者が戦争犯罪人として断罪された。私は終戦の1945年生まれであるが、戦後、学校教育でも社会でも大東亜戦争を肯定する意見はまず無かったと思う。しかしあの戦争が本当に侵略戦争だったのか、戦争犯罪人を断罪した裁判は正しかったのか、日本は謝罪する必要があったのか、などについては議論が多く、あの戦争の全体的、総合的評価は今なお確定していないと思われる。なぜ大東亜戦争を振り返るのか。あの戦争をどう認識するかが、なお国際社会における日本の国のあり方に影響するからである。私は大東亜戦争を戦後における平均的認識よりもやや肯定的に見るのが正しいのではないかと思っているが、以下、世界の識者が残したあの戦争に関する発言を、参考のためにいくつかとりあげる。

 フーバー(第31代米国大統領):私が日本との戦争の全てが、戦争に入りたいというルーズベルトの欲望であったと述べたところ、マッカーサーも同意し、1941年7月の金融制裁は、挑発的であったばかりでなく、その制裁が解除されなければ自殺行為になっても戦争をせざるを得ない状態に日本を追い込み、それはいかなる国と雖も品格を重んじる国ならば、我慢できることではなかった、と述べた。ウェデマイヤー(米国陸軍大将):1941年ルーズベルトが日本に加えた経済制裁は、中国を援助するためではなく、日本を戦争に挑発するためであり、イギリスの勢力を維持するために、どうしたらアメリカを参戦させられるかという、ルーズベルトのジレンマを解決するために使用されていた。オリバー・リットルトン(英国軍需大臣):日本がアメリカを戦争に追い込んだというのは歴史の狂言である。真実はその逆である。アメリカが日本を真珠湾に追い込んだと見るのが正しい。タナット・コーマン(タイ外務大臣):あの戦争によって世界のいたるところで植民地支配が打破された。日本が勇戦してくれたおかげです。マハティール(マレーシア首相):アジア人の日本が、到底うち負かすことのできないと私たちが思っていた英国の植民地支配を打ちのめした。マレー人だって日本人のように決心すれば何でもできるはずだ。日本が50年前の戦争について謝り続けるのは理解できない。M・ユスフ・ロノディプロ(インドネシア大使):第二次大戦前、アジアのほとんどの国は白人たちの植民地になっていました。それを、日本が白人たちと戦うことによって解放したというのは間違いない事実です。ラダクリシュナン(インド第2代大統領)‥西欧の植民地であったアジア諸国は、日本人が払った大きな犠牲の上で独立できたのである。我々アジア人の民は、日本に対する感謝の心を忘れてはならない。サムソン・ウィジェンシンハ(スリランカ最高裁弁護士):第二次大戦において日本が一方的に侵略戦争を行ったなどという主張がありますが、そのような話は馬鹿げたたわごととしか思えません。サンテン(オランダ内務大臣):あなた方の日本国は、アジア各地で侵略戦争を起こして申し訳ない、アジアの諸民族に大変迷惑をかけたと、自らを蔑み、謝罪していますが、これは間違いです。あなた方こそ、自ら血を流して、アジア民族を解放し、救い出すという人類最高の良いことをしたのです。(令和6年12月15日)


神田 淳(かんだすなお) 元高知工科大学客員教授。

 著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』(https://utsukushii‐nihon.themedia.jp/)などがある。



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