自衛隊ニュース

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第3航空団修理隊の歴史

昭和33年 5月 第3野整備隊発足

昭和42年12月 F-86F整備支援開始

昭和43年 4月 F-86D整備支援終了

昭和53年 3月 三沢基地へ移動、第81航空隊整備群修理隊と融合し、F-1整備支援開始

昭和53年 6月 団バレーボール大会優勝

昭和54年 5月 団持続走大会優勝

昭和54年12月 F-86F整備支援終了

昭和56年 5月 団駅伝大会優勝

平成 1年 3月 団バレーボール大会優勝

平成 2年10月 T-4整備支援開始

平成 9年 3月 T-33整備支援終了

平成 9年 3月 F-4EJ整備支援開始

平成12年10月 F-2整備支援開始

平成13年 3月 F-1整備支援終了

平成13年10月 団綱引き大会優勝

平成17年 7月 海外訓練初参加(コープノース・グアム)

写真特集 (写真は紙面をご覧ください)

工作小隊救装分隊作業風景

パラシュートの効果的なたたみ方。それは、万一の時に効果的に開くように心を込めて一生懸命たたむこと。


修理隊の「猿人まん」

ひとつひとつ隊員が丁寧に手作りしてあるおみこし。平成20年三沢まつり併催三沢国際サマーフェスティバル2008「世界はひとつ祭りでふれあう心と心」みこし in MISAWAに参加し、総合の部で審査委員長賞、新作の部で最優秀賞を受賞。


航空機の心臓が常に元気であるように最新で細心の修理を行う


徒手格闘

敢闘心をつくること。耐えることを学ぶ事。それは自分を護ることにもつながる。


妥協なんて言葉は我々の辞書にはない

強い絆で繋がっている隊員たち。一分の疑いも迷いも感じさせない仕上げをする修理隊の各小隊・分隊・班。修理隊あっての飛行安全。


工作小隊の手にかかるF-4への記念塗装

この塗装は50周年記念塗装。航空祭でお披露目


整備小隊の手にかかるT-4の作業点検

航空機の細かなところまで円滑に作動させるために


整備小隊計器分隊の手にかかるF-2の配線点検

配線を1本1本確実に手作業で点




9月7日に行われた『08三沢基地航空祭』では、修理隊工作小隊がペイントしたF-4は「黒ファントム」と呼ばれ大注目。航空祭当日のぱっとしない天気の中、黒の機体に黄色のラインの「黒ファントム」は目立っていた。今年の目玉とも言われ、秋以降の各地の航空祭でも見ることができる。


第3航空団整備補給群修理隊

 航空機の円滑な飛行訓練は、整備補給群の検査隊、装備隊そして修理隊などの隊員達の日々心を込めた整備によって実施されているが、普段はあまり整備員たちは日の目を見ない。そこで今回は、編成単位部隊の中でも隊員が多く、今年創立50周年を迎えた第3航空団整備補給群修理隊を取材した。

 T-4の他、高度にシステム化された最新鋭のF-2と老朽化した機体であるF-4を支えるために整備をしている修理隊。円滑な飛行訓練のため神経を尖らして計画整備や計画外整備を行っていた。一方では、地域の祭りのお神輿を制作したり、記念塗装機を塗装したり…。高橋隊長の示す隊長要望事項「BEST」の意味と「絆」というものを妙に感じた1日だった。(随時掲載 取材・構成 吉田佳子)

創立50周年 第3航空団 修理隊

「BEST」を狙え!
ベストな部隊、最高の部隊を作り上げるために、
皆それぞれがそれぞれにベスト、最善を尽くせ!

修理隊50周年を記念した人文字


Bright 華々しい、輝かしい

Energetic 元気な、効果的な

Strong 強い、熱心な

Technical 技術的な、専門的な

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 第3航空団修理隊は、第3航空団第3整備補給群隷下の2番目の部隊として、初代隊長 甲斐省吾3佐のもと昭和33年5月に第3野整備隊として小牧基地において発足。当時の隊は、本部、航空機整備小隊、工作小隊、エンヂン小隊のほか、定期検査小隊を含む定員334名の大所帯だったが、昭和34年11月の改編により、定期検査小隊が検査隊として独立。野整備隊も修理隊に改称。

 昭和53年3月、第3航空団は、三沢に移動するとともに、昭和46年12月に八戸から移動していた第81航空隊の一部が編入された。その際、第3航空団修理隊は、第81航空隊修理隊からの精鋭を迎え入れ、現在の部隊の礎が築きあげられた。

 その後、修理隊は、F-86、F-1、F-4そしてF-2といった第一線戦闘機の支援整備を任務として発展を継続し、現在は第30代隊長 高橋3佐以下189名の隊員により、F-2のマザーウイングたる第3航空団の整備の中核として歩みを続けている。

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