自衛隊ニュース

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イラク派遣を終えて シリーズ
「脳から汗をかく!」

岐阜病院歯科診療部 2空佐 玉城盛勝

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 昨年末、急遽派遣要員候補に決まり、まず私がとった行動は近くの英会話学校への入学でした。何年間も英語から離れていたため単語の意味がわからない、思い出せないといった日々の連続であり、まさに20年ぶりのテスト勉強のようでした。そろそろくたびれてきている脳を動かすには、かなりシェイプアップする必要がありました。また私の弱った脳はかなりの発熱で、時々フリーズすることもしばしばでした。派遣まで約3ヶ月間という短い期間でしたが何とか仕事の合間を見つけ朝、昼、晩と英語の本を読み、CDでのシャドーイングを繰り返し行った結果、「身近な日常会話をマスターしたつもり」で日本を飛び立ちました。

 しかし現実はそう甘くなく、米軍人への最初の挨拶では1RでKOされる結果となりました。思ったことが言えない、日本語から英語に変換できないといったことがほとんどの有様に「脳から汗をかく!」という表現がピッタリ当てはまりました。脳から汗をかいたおかげで、私の脳は疲れ果て、夜はぐっすり寝ることができました。このため派遣後1週間は時差ボケもなく、体の方も至って調子がよかったのです。派遣期間中ほぼ毎日、英語に触れる機会がありましたがあまり上達している様子もなく、相変わらず脳から大汗をかき続けました。特にカウンターパートとの会話ではこちらの英語能力がわかると、向こうが気を使ってか、逆に日本語を覚えてくれたことは感謝と共に頭の下がる思いでした。こういったお互いの努力(?)のおかげで帰る間際にようやく自分の意思を多少英語で相手に伝えられるようになり、脳から汗をかく量も少なくなってきました。今回、多少発音に問題はあっても、しゃべり続けることが大事であることを認識しました。また帰国後も英語の勉強を継続していく覚悟を決めました。

 さて英語と同じくらい考えさせられたのが、自己表現の大切さでした。海外派遣では、外国の人たちとの文化的交流を避けては通れません。ここにきて私はサルサ(ダンス)教室(日本では決して習うことはないだろう)に通いました。もちろんこれも脳から汗をかくことの連続であり、まさに自分にとっての異文化初体験でした。しかし、通うにつれ、逆に自国のことや自分というものをどう表現したらいいのか、自分ならどう表現できるのかと自問自答するようになりました。幸いにも私自身、合気道の心得が少々あったのでサークルのような活動を行うことができました。その中で自分というものを少しは相手に伝えることができたように思います。

 趣味と言ってしまえばそれで終わりかもしれません。ただ英語ができ、ただ仕事ができればそれでいいのか?否。芸は身を助けるとは、よく言ったものです。その趣味がつたない英語以上に、自分にとっての武器になり自分を助け、自分の存在意義を皆に知らしめることができるのです。折り紙、手芸、武道、茶道等何でもよいのです。英語が下手でも、その教わろうとする動作が、また一緒に取り組もうとする動作が、さらには動かす指先が言葉を超えた言葉にきっとなってくれます。

 これからクウェートに赴く皆さんには、英語の勉強をして下さいと言いたいです。そして外国人との交流の中で何か一つでよいから、自分の足跡を残してきてくれたら(残すことができたら)と思います。

 最後に今回、派遣に際して支援してくださった自衛隊岐阜病院長始め多くの方々にこの紙面を持ってお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。

防衛ホーム 俳句コーナー

初日待ちをれば遠くを北狐 小川 淑子

賀状より鯛の頭のはみ出せる 西村 爽風

暮れて来し列車の窓に読初 小長谷敦子

初詣曲りくねりし路地を抜け 富岡めぐみ

閉鎖てふ郵便局の鳥総松 今井 文和

冬麗の生贄の鳥賊の墨を吐く 桑野 英毅

底冷えの山家に母の野辺送り 平井 文

煮凝と書置きのあり夜勤明け 松岡 魚清

父娘して肩寄せ歩く年籠 松村久美子

看護師の湯たんぽを抱きしめて来し 福溝千登世

高々と凧と揚りし子らの声 飯田 昌也

来し方を妻と語りつ障子張る 榎 利美

路地奥に三味線教室石蕗の 花一ノ瀬昭雄

微笑みてやはりこの顔初鏡 古敷谷眞喜子

家中に餅搗く音を響かせて 井戸田盛男

数へ日の夫と励みて玻璃磨く 山崎 文子

初富士の姿ゆがみて湖に映ゆ 本高 静舟

日をとどめ風の住みゐる冬木立 戸部 弘美

雪掻や足手まとひの大男 森 荘之助

みんな我儘みんな仲良し初句会 榎本 木作

草木の色に紙染む寒の水 棚橋 活明

初富士の玲瓏たりし雪の襞 塩見 惇子

天空を煌めき木の葉時雨かな生嶋千代女

初夢の覚めて侘しきことなりし川口 久江

榾はぜる音を聞きつつ本を読む 須藤 薫子

潮騒の絶ゆなき島の藪椿 和田 渓山

仔猫呼ぶ頑固な夫の声やさし 人見 冬菜

  選 者 吟

マダム・ミカコより揺かなる初電話保坂 伸秋

(「栃の芽」誌提供)

 「栃の芽」誌をご希望の方は〈栃の芽会連絡先=畠中草史氏 電話042・796・0961〉へご連絡下さい。

HOME's English Class (防衛ホーム英語教室)

  Hi! 皆さん。 How are you doing? ご機嫌いかがですか?明けましておめでとうございます。昨年は大きな変革の年でしたね。今年も引き続きいろいろなことに挑戦していく年になりそうですね。新しい流れの中に身を置くことができるのは、本当にわくわくしますね。今年も全力で前進していきましょう。

 今回の表現は、Wishing You Beautiful Season and A Happy New Year 2008 with Happiness & Peace「年末と新年のご挨拶」です。クリスマスシーズンの美しい飾り付けと冬の景色の荘厳さ、新年へ向けてのご多幸と平和を祈念して」ということになります。年賀状を読みながら、差出人の現況を確認し、安堵する、感心するひとときは、多くの人のつながりを実感できる瞬間であり、一番楽しい時間でもありますね。

 昨年のご愛読に感謝申し上げるとともに、本年も宜しくお願い申し上げます。

 <スワタケル>

スポーツよもやま話
根岸直樹

「復活」期す西横綱・朝青龍

大相撲人気再熱へ

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 「シャクやけど、初場所も朝青龍やろな」と、知人のベテラン相撲記者が吐き捨てるように口にした。あれだけの“事件"を起こし、厳罰(史上初の横綱出場停止処分)を受けながら「心身共に立ち直った感じ」の横綱・朝青龍。

 復帰後の昨冬の巡業でも、部屋でのけいこでも、出げいこでも、いつもと変わらぬ力強さを見せてきた。右足首の故障(関節周囲炎)にしても「もしかしたら仮病…」というのだから「シャクやけど…」ということになってしまう。

 「オレ流でいくしかない、と決めた。これまでのことは、全部オレが悪いのだから、本気で謝った。もう、一から出直すしかないと決めた。心が決まったら、スッキリした。やるっきゃないです」

 年末、九州場所を最後に引退したモンゴルの先輩・旭天山(34)=幕下、大島部屋=の断髪式で、久々に会った横綱は、顔色もよかったし、体も「かなりヤセた」というにしては、引き締っている感じ。笑顔を振りまき、旭天山には「思わずホッペにキスしちゃった。モンゴルの先輩として尊敬してきた。第2の人生は実業家だそうだが、オレも見習いたい」とも話してくれた。

 朝青龍は1997年(平成9年)17才のとき、ツテを頼って高知・明徳義塾高に相撲留学。インターハイで3位になったのを機に中退して大相撲(高砂部屋)入りした。日本語は「いい加減な日本人よりうまい」。ただ、生まれ育った国柄、環境の違いから「相撲界のしきたりを飲み込めない部分がかなりあって、それが今度の事件にもつながっているのだろう」と、くだんの相撲記者は話している。

 「悪いというなら、親方も理事長もみんな悪い。いくら外国人だからといっても、横綱として育て上げられないはずはない。武蔵丸にしても曙にしても、ちゃんと大過なく綱を張ってきたんや。こうなったら理事長、親方、そして相撲界がスクラムを組んで、朝青龍を世に恥じることのない大横綱として育て直すしかない」

 「国技・大相撲の価値を損う」として、外国人力士への風当たりがかなり強くなってきているが、朝青龍が横綱として見事に立ち直ってくれれば、相撲人気も再復活するはずだし、30人近くいるモンゴル出身力士を刺激して、さらなる励みにもつながっていくのではないか。

 新春、けいこ始めは4日。7日は明治神宮での土俵入り。8日、横綱審議委員けいこ総見。そして13日、初場所(東京・両国国技館)と続く。再出発の西横綱・朝青龍の復活で、衰退気味の大相撲人気が再燃するか。この一年の目標を聞かれて朝青龍は「白鵬(東横綱)を倒し、東の地位を取り戻すこと。そして、日本への永住権も取りたい」と話してくれた。前途は険しいが、ふんどしを締め直した横綱に初場所、注目してみたい。


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