自衛隊ニュース

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音楽隊に敬礼っ!!③
前陸上自衛隊中央音楽隊長 樋口 孝博

冬季オリンピック

音 楽隊は『冬季オリンピック』に、二度参加しています。1972年の札幌と1998年の長野、いずれも記憶が風化される前にその記録をたどってみましょう。

札幌オリンピック

 音楽隊は、1964年の東京オリンピックで大きな活躍を遂げたため、8年後に行われた札幌オリンピックへの協力は自然の流れであったようです。この大会は、極寒の北国という札幌のイメージを世界的な知名度にまで生まれ変えました。また、スキージャンプで表彰台を独占した『日の丸飛行隊』も大きな話題を呼びました。

 大会には陸・海・空のセントラル・バンドと北海道の音楽隊が参加しましたが、在京の音楽隊にとっては普段経験することのない寒さ対策に頭を悩ませたそうです。帽子や耳あてなどの防寒服装に加え、楽器の凍結防止や故障の処置まで念頭に置かなければなりません。そのため大会前には、セントラル・バンド170名が富士山中腹で「合同耐寒訓練」を行いました。

 オリンピック開会式は、マイナス8度の真駒内競技場で行われました。その配置は東京大会と同じく、合同音楽隊と合唱団、聖火台の下にはファンファーレ隊が整列しました。《札幌オリンピック・ファンファーレ》は技術的にもたいへん難しく、それを極寒の野外で演奏するのですから、自衛隊の気力・体力がなければ不可能だったかもしれません。選手団の入場で使用された《札幌オリンピック・マーチ》、《純白の大地》、《虹と雪》は、今でも演奏される貴重なレパートリーになっています。

長野オリンピック

 20世紀最後のオリンピックとなった長野オリンピックでも、音楽隊の演奏は開・閉会式や式典曲の録音など多方面にわたりました。大会を形容するファンファーレは小澤征爾氏の指揮で録音され、その気迫に満ちたレコーディングは参加者の脳裏に刻まれることになりました(譜面には、力強い赤鉛筆のクレッシェンドひとつのみ)。大会前には、ファンファーレの初披露を含めた演奏会が行われましたが、多数のテレビカメラが向けられたステージというのも貴重な体験でした。

 開会式での《君が代》は、雅楽(竜笛(りゅうてき)と笙(しょう))で演奏されました。オリンピックでの《君が代》は今まで音楽隊が演奏していただけに、これを演奏できなかったのは悔しい気持ちもありました。その後ファンファーレの演奏となりましたが、メンバーは聖火へと続く階段に配置されたため、突風で凍えるほどでした。また音響は、既にアテレコが多くなっていたため、ファンファーレも録音されたものが同時に流されました。しかし暖かなホールで録られたものと極寒の野外では、音程の違いにたいへん悩まされたのです。

 閉会式を迎えたスタジアムの外では、華やかなコスチュームの選手たちが音楽隊員と記念写真を撮っています。《君が代》などの演奏を終え、長期間に及ぶ世界的イベントに参加できた喜びを胸に、盛大な花火に送られ会場を後にしたのでした(オリンピック開・閉会式は、YouTubeで視聴できます)。

ノーサイド
北原 巖男

「平和・絆・愛を全世界に!」

 1月1日のウイーン・フィルのニューイヤーコンサート。

 会場のウイーン楽友協会は、満場の観客。日本を含む世界約90か国に生中継され、およそ1400万人の皆さんがご覧になっているとのこと。自衛隊員の皆さん・ご家族そして本紙読者の皆さんの中にも、NHKテレビを通じて聴かれた方も多いのではないでしょうか。

 表題の「平和・絆・愛を全世界に!」(NHKテレビの字幕より)は、今年の指揮者リカルド・ムーティさん(83歳)の言葉です。コロナ禍のため前代未聞の無観客公演となった2021年を始め、ウイーン・フィルの指揮を執ること何と7回。ムーティさんは、多くの人々に親しまれている著名なアンコール曲〝美しく青きドナウ〟の演奏前に、母国語のイタリア語で世界中の皆さんに訴えました。

 さて、本年は、戦後80年の節目の年。厳しい国際情勢の中、我が国は、これからもこの平和を持続して行かなければなりません。併せて、世界唯一の被爆国として、世界の核廃絶をリードして行く責任があります。昨年のノーベル平和賞は、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)が受賞しました。ノーベル賞委員会のフリードネス委員長は、授賞理由として「核兵器の無い世界を実現するための努力」と「核兵器が二度と使われてはならないことを目撃証言を通じて示して来たこと」を挙げています。

 こうした中、我が国が加盟していない「核兵器禁止条約」を巡って、「被団協」の皆さんや野党、そして与党公明党の皆さんも、同条約へのオブザーバー参加を求めて来ています。しかし石破首相は、これまでのところ慎重です。「等閑視するつもりはない。真剣に考える。」旨述べるにとどまっています。2021年1月22日の条約発効から既に4年。検討に時間を費やす時期は過ぎたのではないでしょうか。

 7月に予定される参議院議員選挙に臨む公約に盛り込み、国民の審判を受け、8月6日と9日の広島と長崎における原爆死没者慰霊式・平和記念式において、日本の首相として主体的に参加表明する、本年がその時であることを願って止みません。ちなみに日本と同様に米国の傘に依存するNATO加盟国のドイツやノルウェーなどは、既にオブザーバー参加しています。

 来たる1月20日には、「アメリカファースト!」を掲げるトランプ米大統領が就任します。ウクライナ支援、G7、G20、NATO諸国や中東、中国・日本・韓国・北朝鮮、そしてWTO、COP30等にどう臨んで来るのでしょうか。我が国政府の決意と対応は?

 2月24日には、核の威嚇を繰り返しているロシアがウクライナ侵略を開始して3年目を迎えます。イスラエルとハマスの衝突も、このままでは2年目に突入してしまうかもしれません。

 我が国周辺では、核戦力を強化し、力による一方的な現状変更を狙い、ますます覇権主義的行動を強めている中国は、日に日に我が国や台湾・フィリピン等に重くのしかかって来ています。我が国固有の領土である尖閣諸島に対しても、我が物顔で領海侵犯等を繰り返しています。

 そしてウクライナ侵略を続けるロシアを支援するため、大量の武器・弾薬のみならず自国兵士をも戦場に送り込んでいる北朝鮮。既に多数の死傷者が出ている旨報じられています。北朝鮮は、これらの見返りにロシアから技術供与を受けて、高性能の各種ミサイルや核開発に邁進しています。拉致問題についても、解決済みを主張してはばかりません。

 専守防衛に徹する我が国が必要とする防衛力の効率的な整備そして人材の確保は急務です。3月には自衛隊の統合作戦司令部が発足します。同時に、国際問題はどこまでも話し合いで解決して行く決意と努力、そして能力が備わっていなければなりません。常日頃から相互に信頼関係の醸成に努め、首脳によるシャトル外交等を含む重層的かつしたたかな、TOO LATEにならない日本外交の展開が求められます。

 韓国では、6月中旬には、憲法裁判所がユン・ソンニョル大統領の弾劾の是非を判断する期限を迎えます。ちなみに、同月22日には、日韓国交正常化60周年が控えています。最も身近な隣国韓国の速やかな政治的安定の回復と良好な日韓関係の促進は、双方の繁栄とこの地域の安全保障に欠くことが出来ません。

 このような現下の厳しい国際情勢の真っ只中にある私たちにとって、ムーティさんの凝縮された「平和・絆・愛を全世界に!」の訴えは、国や民族、宗教、立場の違いを超えて、等しく私たち人間の琴線に触れるものとなったのではないでしょうか。「平和と絆と愛」は、相互に密接に結びついてトライアングルを形成し、世界を最も安定した持続可能な存在へと導いて行く。そのようなことに改めて思いを致すとき、自分に出来るささやかなことへの使命の自覚とその遂行が迫って来ます。

 「〝美しく青きドナウ〟の美しい音の波の中には喜びと悲しみ、生と死がいっぱい詰まっています。」(2021年1月1日リカルド・ムーティ)

  

北原 巖男(きたはらいわお) 元防衛施設庁長官。元東ティモール大使。現日本東ティモール協会会長。(公社)隊友会理事


機略縦横(87)

南西航空音楽隊 准曹士先任
1空曹 永島 洋児

敬意を持って

 近年、我々自衛隊においても、異なる時代背景で育った世代間での価値観の違いについて課題となっています。確かにITの発達などで社会の変化が加速しているものの、世代ごとに生じる社会環境や価値観の違いはどの時代にも存在し、傾向や特徴を世代の違いと一括りにはできません。

 「自衛隊は飯の数」と言われた時代もあり、職務において経験を重んじる事は大切ですが、たとえ多くの経験を積んだ人であっても、生まれたばかりの赤ちゃんが見る景色や感じる世界を代わりに経験することはできません。

 このように、時代や世代に関わらず、一人ひとりが異なる背景や価値観を持つことを理解し、お互いを尊重し敬意を持って接する姿勢が重要だと考えます。そうすることで心理的安全性が高まるよう、自由に意見を言える雰囲気づくりや傾聴を意識した日常のコミュニケーションを心掛けていいます。


勤続25年隊員を表彰

第6即応機動連隊

 第6即応機動連隊(連隊長・中津健士1陸佐=美幌)は11月25日、美幌駐屯地において永年勤続表彰式を実施し、勤続25年を迎えた隊員11名に対し、防衛大臣からの表彰状を代理授与した。

 本行事が開始し、連隊長から受賞者に対し、表彰状を一人ひとりに手渡し、「ここまでこれたのは受賞者の努力もさることながら、家族、同僚等の支えがあったからこそであり、周囲の方々への感謝を忘れることなく、これからは後輩隊員の活模範となり、引き続き定年退官まで勤務してもらいたい」と祝辞を述べた。

 その後、駐屯地司令室において受賞者は連隊長及び中隊長と記念撮影が行われ、本行事の記念とした。


厳しくも温かく、未来を照らした教育者
28年前に幹部候補生と区隊助教の間柄で

空自幹部候補生学校

 12月16日、航空自衛隊幹部候補生学校(学校長・岡本秀史空将補=奈良)において、感動的な光景が目にされた。定年退官を迎えられる梅木薫曹長に、学校長から花束が贈呈されたのだ。

 岡本学校長が、退官する隊員に直接花束を手渡すことは稀なこと。そこには、深い敬意と惜別の思いが込められていた。

 実は梅木曹長は、28年前、学校長が幹部候補生だったころの区隊の助教。厳しくも温かく、数百人にわたる未来の幹部候補生を指導してきた。脚光を浴びる機会の多い職種ではないが、航空自衛隊の教育という重要な役割を担い、数々の若きリーダーを育て上げてきた。

 梅木曹長が教えてきたのは、単なる教練動作や訓練に関することだけではない。それは、責任感、使命感、そしてチームワークといった、リーダーとして不可欠な資質である。彼の教えは、卒業生たちの心に深く根付き、幹部自衛官として思い悩んだ時の道しるべとなった。

 梅木曹長が残した教育の成果は、これからも多くの隊員に受け継がれ、これからも日本の空を守り続ける礎となるだろう。


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