自衛隊ニュース

つばさ会からトルコ派遣隊員へ激励の栄養ドリンクを贈呈
航空自衛隊退職者等で構成される「つばさ会」の齊藤治和会長は3月20日、府中基地の森川龍介航空支援集団司令官を訪問し、トルコ南東部で発生した地震に対する国際緊急援助活動に対し敬意を表した。また、激励品として、実際に任務にあたる第1輸送航空隊(小牧)の隊員へ栄養ドリンクが贈呈された。
同会は平素から航空自衛隊の活動等に対する支援を実施し、航空防衛力の発展に寄与している。
懇談で森川司令官は、つばさ会からの激励に対しお礼を述べるとともに、今回の任務に至った経緯や航空支援集団の具体的な活動の説明を行った。懇談にはつばさ会の有村理事、川波航空支援集団副司令官が臨席した。
派遣隊は、3月13日に小牧基地を出発し、パキスタンを拠点にテント等の支援物資の輸送を実施した。3月24日にすべての任務を終え、26日に帰国した。
(肩書等は当時のもの)
消防総監表彰を受賞
自衛消防業務認められ
<中央病院>
自衛隊中央病院(病院長・ 福島功二防衛技官)は、3月20日、東京消防庁開庁75周年に合わせた、消防総監からの自衛消防業務が特に優秀だった事業所に対する表彰を受けた。
表彰伝達のため中央病院を訪れた世田谷消防署長、世田谷消防署予防課長の2名は、病院長との懇談を行い、自衛消防業務の重要性や中央病院が担う地域医療における重要性について活発な意見交換を行った。
その後、消防署主導の表彰式を執り行い、病院長、総務部長が陪列する中、防災係・櫛島曹長が中央病院を代表して表彰状を受けとった。
櫛島曹長は「この度は自衛隊中央病院の自衛消防業務への取り組みが認められ大変光栄に思います。日ごろから、病院長が職員に要望している『基本を守り、そして続けること』を実践した結果だと思っています。引き続き、基本を守りながら、コツコツと地道に業務に邁進して医療体制を側面からバックアップしてまいりたいと思います」と感想を述べた。
自衛隊中央病院は、引き続き病院長を核心として、職員一人一人が基本を守り、続けることで自衛隊衛生基盤の強化及び地域医療に貢献していく所存である。
第2回航空宇宙防衛力シンポジウム
<空幹校>
航空自衛隊幹部学校(学校長・影浦誠樹空将=目黒)は3月14日「戦略的な挑戦への対峙」をテーマに「令和4年度第2回航空宇宙防衛力シンポジウム」を開催した。
目黒基地の会場では、國分良成氏(前防衛大学校長・慶應義塾大学名誉教授)による基調講演「中国をめぐる安全保障問題と日本の立場」に続き「中国再考」「戦略理論研究のシンカ」と題した2つのセッションが行われ、パネルディスカッションでは有識者及び幹部学校航空研究センター研究員による活発な議論が行われた。
オンラインにて同時配信高校生から質問も
第1セッション「中国再考」では、パネリストに井上一郎氏(関西学院大学教授)、山口信治氏(防衛研究所中国研究室主任研究官)、航空研究センターの大磯3空佐を迎え、ディスカッサントの峯村健司氏(キヤノングローバル戦略研究所主任研究員・青山学院大学客員教授)のリードにより、「話語権」「グローバルガバナンス」「覇権」をキーワードに今後の中国が求める国際秩序について議論が繰り広げられた。
第2セッション「戦略理論研究のシンカ」では、パネリストに大田啓氏(防衛装備庁先進技術戦略官)、光辻克馬氏(幹部学校客員研究員)、航空研究センターの丹羽2空佐及び中谷3空佐を迎え、ディスカッサントの航空研究センター山本3空佐のリードにより、ミッション・エンジニアリング、複雑系思考、戦略的コミュニケーション等、多様な戦略理論研究についての議論が展開された。
シンポジウムは終始、國分氏(慶大名誉教授)ら有識者の鋭い質問や意見により議論が白熱し、時間を忘れるほどの盛り上がりをみせ、参加した有識者からは非常に有意義な時間であったとのコメントが聞かれた。
この様子はオンラインにて同時配信され、高校生からの質問があるなど、幅広い年齢層から数多くの質問が寄せられた。
おかえり しらせ
南極地域観測協力 無事に終え帰国
4月10日午前8時ごろ、第64次南極地域観測協力に従事した砕氷艦「しらせ」(艦長・波江野裕一1海佐以下175名)が母校の海上自衛隊横須賀基地に帰港し、151日間におよぶ長期航海を終えた。晴れわたる青空の下で行われた帰国行事には、久方ぶりの再会を待ちわびた家族や関係者が大勢詰めかけた。
南雲統幕副長は「各人が有する高い能力を発揮し、入念な事前準備と創意工夫そして強固なチームワークにより困難を乗り越えてきた。諸官の献身と艦長、先任伍長の優れたリーダーシップに敬意を表する」と統幕長の訓示を代読した。また酒井海上幕僚長は労をねぎらうとともに「引き続き各人が本行動で得た貴重な体験や教訓を今後の勤務に生かし、さらなる発展に努めてもらいたい」と要望した。行事後、波江野艦長が集まった隊員家族らに挨拶をして回る姿があった。留守を預かる家族あっての任務の完遂。「無事に帰ってきました」。艦長が報告する度、温かい拍手がその場を包んだ。
1120トンの物資と観測隊員をのせた「しらせ」は、昨年11月11日に東京国際クルーズターミナル(江東区青海)を出港後、オーストラリア西部のフリーマントルを経由して、12月24日、南極昭和基地沖に10年連続の接岸を果たした。約1カ月の物資輸送や艦上・屋外観測や基地設営支援を無事に完遂し、今年1月24日に離岸。再びフリーマントルを経由し、4月10日に帰国を果たした。総航程は地球1周分にせまる約3万7000キロ。砕氷行動のラミングは往路復路合わせて561回で、例年より比較的少ない回数だった。
読史随感
神田淳
<第123回>
どうして民主主義が根付かなかったのか(3)
戦前日本における民主化がなぜ挫折したか。その根本原因の考察は、今後の日本の政治の教訓となるだろう。
昭和になって軍部が台頭し、議会に基礎をもつ政党内閣が軍部を抑えられなくなったことが一番大きい。軍部はどうして台頭したか。まず、当時の日本の安全環境の悪化がある。当時の中国は政情不安定で、内乱状態にあった。満州における日本の権益が侵される問題を一挙に解決しようと、関東軍が軍事行動を起こしたとき、国民は内閣よりも軍部を支持した。
国の安全が危機にあるとき軍が大きな力をもつのは一般的な現象であるが、戦前の日本は憲法に問題があった。大日本帝国憲法には内閣が軍部をコントロールする仕組みがなかった。行政は内閣の国務大臣が天皇を補弼して行い、陸軍大臣、海軍大臣も内閣で軍政に責任をもったが、憲法は別途「天皇は陸海軍を統帥す」と定めており、軍の統帥は内閣の管轄外にあった。本来軍事の一部に過ぎない「統帥権」が強調され、憲法を根拠に「統帥権の独立」が主張されて、これをてこに軍の統帥部が勝手に行動するのを内閣が抑えられなくなった。
次に政党が国民の信頼を失ったことが大きい。各政党は政権の獲得を激しく争い、政治スキャンダルを暴き合い、泥仕合を行った。議員は国策に関する議論に集中せず、議場内でしばしば乱闘を起こした。こうした政党の体たらくが信頼失墜の原因であるが、深いところで国民に、国の統治は自分たち民の任務ではなく、官の仕事であるとの意識があったことがあげられよう。デモクラシーとは人民(デモス)による支配(クラトス)に他ならないが、日本人には支配(統治)は民ではなく武士の仕事であるとの意識が残っていた。そのため、ひとたび国の安全が危機に瀕すると、民選議員よりも容易に官僚、軍への依存に傾いた。ちなみに、大正2年生まれの私の父は、議員よりも官僚の方を信頼していた。この意識は江戸時代に広まった儒教の影響もあるだろう。儒教では良き政治は皇帝と役人(=君子)の仁政によって実現するもので、民が実現するものではない。
民主主義が根付かなかった理由として、日本人の「公」に関する感覚もあるだろう。日本人は伝統的に、「私」よりも「公」に高い価値を置く倫理を培ってきた。あの時期「滅私奉公」と言われた。私を無くし、公に尽くす。国家が公であり、個人より全体が公であり、私企業でも会社は公的性格をもつ。民主主義とは「私」の意見を「公」までもっていくシステムだと私は思うが、個人を基本に置く民主主義は日本人の公感覚と違うように思われた。
古代ギリシアに直接民主主義があったが、近代の代議制民主主義は基本的に、個人の自由、独立、尊厳といった個人主義的傾向の強いアングロサクソン(英米)の社会で発達した政治制度である。アングロサクソンが近代世界で成功し、民主主義が最も良き政治制度だと見なされるようになったが、個人主義的傾向のない国で容易に根付かないことは、世界の現代史が証明している。その中で、戦前の早い時期に日本に民主主義が相当程度根付いた歴史は、評価されてよい。
自由な民主主義の国の方が良い国で、先進国だと私は思う。民主主義は難しいが、日本は改良を重ねつつ今後も意識的に民主主義を維持していくのがよい。
(令和5年4月15日)
神田 淳(かんだすなお)
元高知工科大学客員教授。
著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』などがある。