自衛隊ニュース

ゲッキーのイラスト

2012年に向かって!
創造への挑戦

素晴らしい未来に向けてテイク・オフ!

 今年3月11日、東日本大震災により航空自衛隊松島基地は被害を受けた。その日、松島基地の第4航空団に所属する第11航空隊(ブルーインパルス)は、12日の九州新幹線全通開通記念祝賀飛行のため芦屋基地で待機していた。


 今年は1000年に一度といわれる規模の大地震があった大変な年だったが、明るいニュースもあった。

 7月にはサッカー女子日本代表「なでしこジャパン」がW杯ドイツ大会優勝。日本中に元気を届けた。選手たちから「ノリさん」の愛称で親しまれる佐々木則夫監督は「小さな娘たちがよく頑張ってくれた」と話すように、体格など大きく違う相手に、連携しパスを繋ぎ、技と粘りと笑顔で勝った。2ヵ月後、来年7月のロンドンオリンピック出場権も獲得。自衛隊からもボクシングなどにメダル有力候補が出場する予定。日本代表選手たちはきっと期待に応えてくれることだろう。

 来年2月には、もうすでに人気スポットとなっている東京スカイツリーが竣工する。全高634mは自立式鉄塔として完成時点で世界1位となる。東京、いや日本の新しい観光名所として期待できそうだ。

 ここ数年、ノーベル賞候補として必ず名前が挙がるiPS細胞研究の山中伸弥・京都大学教授。今年も残念な結果となったが、来年こそは、と期待が高まる。

 来年は選挙の年でもある。アメリカ大統領、ロシア大統領、フランス大統領、韓国大統領、台湾総統の各選挙がある。代表が入れ替わる党大会が中国でも予定されている。世界の政治が大きく動き、日本も様々な影響を受けるだろう。世界中が平和で豊かになっていくよう期待したい。


 1964年の東京オリンピックや1998年の長野オリンピック、2002年FIFAワールドカップ、更には去年3月プロ野球チームの東北楽天ゴールデンイーグルスホーム開幕戦、第65回国民体育大会の開会式など、明るい話題に「ブルーインパルス」は欠かせない。来年はそんな「ブルーインパルス」が描く「スター・クロス」のように明るく、機動美を伴いながら変化する「チェンジ・オーバー・ターン」のような年になるよう期待しよう。

自衛隊音楽まつり
観客3万9千人を魅了
日本武道館

 11月18、19の両日、東京・北の丸公園の日本武道館で「平成23年度自衛隊音楽まつり」が開催された。来賓、招待者、一般応募当選者など2日間計6公演に約39000人が来場し、約900人の出演部隊などによる、各公演約2時間に渡る感動のステージに酔いしれた。


テーマは「愛、希望、勇気 今を越えて、その先へ」

 今年のテーマは「愛、希望、勇気、今を越えて、その先へ」。東日本大震災の追悼、復興へ向けたメッセージを発信するため掲げられた。19日午後には「特別公演」が設定され、被災者や災害派遣への協力者、在日米軍人とその家族など東日本大震災関係者が招かれた。開演に先立ち、防衛省・自衛隊を代表して一川防衛大臣が登壇。「愛、希望、勇気」のテーマに触れ、「震災から8ヵ月、被災地の皆さまに改めて伝えたい言葉です」、「今この時を乗り越え未来へ向かって行こうという気持ちを音楽の力で表現したい」などの挨拶をした。プロローグとして『アメイジング・グレイス(賛美歌)』が演奏され、続けて、『国の鎮め』のらっぱ吹奏とともに震災で亡くなられた方々に対する黙祷が捧げられた。

 例年通り、音楽まつりは3章構成。メインテーマ「愛、希望、勇気」が各章名に使われた。陸・海・空自衛隊音楽隊、第302保安警務中隊によるオープニングセレモニー、オープニング演奏に続き、第1章『愛』へ。各方面音楽隊、在日米陸軍軍楽隊、在沖縄米海兵隊音楽隊によるドリル演奏。北部方面音楽隊の『コラール・デ・ソーラン』に合わせ、北海道の各地から集まった隊員が力強くよさこいソーランを舞い踊った。在日米陸軍軍楽隊の『世界にひとつだけの花』では、男女パートに分かれ日本語で見事な歌声を響かせた。東北/東部方面音楽隊合同演奏では、2方面音楽隊の『Stand Alone』に合わせ、スペシャルゲストの宮城三女OG合唱団が美しいハーモニーを披露した。

 第2章『希望』冒頭では未来への希望の象徴として防大儀じょう隊のドリル演奏。陸自中央音楽隊、海自東京音楽隊、空自中央音楽隊による単独ドリル演奏では、陸中音が重厚な『ザ・シンフォニアンズ』、『凱旋』を、海東音が人文字などを駆使し軽快に、『宇宙戦艦ヤマト』、『行進曲 軍艦』などを、空中音は華麗なカラーガードを交え『空へ』、『明日という日が』などをそれぞれ演奏した。続けて全国の自衛太鼓から12個チームが出演。単独でも迫力のある自衛太鼓がこれだけ揃う機会は他になく、魂を揺さぶる振動が館内に轟いていた。2章のラストは音楽まつり出演全部隊による『さくら』と『希望』の大合唱。『希望』は、来場者も共に大きな声を出して会場全体が一体感に包まれた。

 第3章『勇気』では陸・海・空自衛隊音楽隊による演奏に続き、全出演部隊による、東北方面隊創立50周年記念曲『七彩の奥羽国』、エドガー作曲の『威風堂々』で感動のフィナーレ。全部隊が退場したあと、1人指揮台に残った陸自中音武田晃隊長は消灯らっぱの演奏に送られ、バックステージに消えた。名残惜し気な万雷の拍手はいつまでも止まなかった。

156日間の航海終え帰国
海自遠洋航部隊

北・中・南米など6カ国14寄港地を歴訪

 海上自衛隊の遠洋練習航海部隊(指揮官・大塚海夫海将補=練習艦「かしま」「あさぎり」、護衛艦「みねゆき」で編成)の帰国行事が10月27日、東京・晴海埠頭で行われた。実習幹部約180名を含む総員約730名は、156日間にわたって約5万5000キロを航海し、6ヶ国14寄港地を歴訪した。

 当日は雲一つない晴天に恵まれ、午前9時に練習艦「かしま」「あさぎり」、護衛艦「みねゆき」が順次岸壁に接岸、隊員の家族らが出迎えた。帰国行事には神風英男防衛政務官、杉本正彦海幕長、河村克則横須賀地方総監をはじめとする防衛省・自衛隊の高級幹部、国会議員や協力団体などが列席する中、大塚練艦隊司令官が帰国報告を行った。これを受けた神風政務官は、実習幹部に対して「今回の航海を通じて初級幹部として必要な知識と技能を身につけるとともに、国情を異にする各国の国防体制や文化等に接し、国際的視野と高い識見を培ってきた。諸官はこれからそれぞれの任地に赴き、幹部自衛官としての第一歩を踏み出すことになる。自衛隊に対する国民の期待に応えるべく、常に誇りと自覚を持ち、今後とも不断の研鑽を積んでいくことを期待する」と述べた。続いて、杉本海幕長が訓示で、「海上自衛隊の全ての活動目標が海の上にあるのを肝に銘じ、この5ヶ月間の海上勤務における厳しさと楽しさを忘れることなく、いかなる配置にあろうとも海の上を基本とした物の見方・考え方を持ち続けてもらいたい。そして諸君は、その若さをもって失敗を恐れず、まっすぐ正直に、行き脚のある初級幹部として何事にも積極的に挑戦し、精進を続けてもらいたい」と実習幹部を激励した。その後は来賓紹介と祝電披露等が行われ、協力団体からの花束贈呈で帰国行事を終えた。

 遠洋練習航海は昭和32年から行われ、今年で55回目。初級幹部としての基礎的な知識・技能の習得、シーマンシップの育成などを目的とし、同時に訪問国との親善を深めることで国際的視野を養う。今回は北・中・南米の各都市を歴訪し、現地との交流を図った。

観閲官に野田首相
航空装備、800隊員が一堂に
航空観閲式

野田首相「国を守り最前線で奮闘する自衛隊員は『国の誇り』」

 「平成23年度自衛隊記念日記念行事航空観閲式」が10月16日、自衛隊最高指揮官の野田佳彦内閣総理大臣を観閲官に迎え、空自百里基地とその周辺空域で行われた。前日には、同記念日中央行事の一環として自衛隊殉職隊員追悼式(防衛省慰霊碑地区)と防衛大臣感謝状贈呈式(グランドヒル市ヶ谷)が行われた。

 平成8年から始まった航空観閲式も今回で6度目。前日は低気圧が張り出し関東全域は荒天であったが、当日未明には雨も上がり、式開始刻限の昼前には、雲の切れ間から陽が差し込み汗ばむ陽気となった。防衛省・自衛隊の高級幹部および自衛隊協力者等約6000人の招待者、衆参国会議員・各国大使館関係者等多数を観覧席に迎え、会場は華やかなムードに包まれた。

 創立50周年を迎えた空自中央音楽隊の音楽演奏に続き、観閲地上部隊(空自中音・陸自部隊・海自部隊・第1~第3空自大隊・空自機動部隊)が入場。陸海空各部隊から選抜された約800名が威風堂々の行進を披露した。続いて観閲地上部隊指揮官の石野次男中空司令官、観閲式執行者の片岡晴彦総隊司令官が相次ぎ入場し、地上部隊による栄誉礼。そして、観閲官の野田内閣総理大臣が一川保夫防衛大臣と共に臨場し、特別儀仗隊による栄誉礼が行われた。

 国旗掲揚に続き観閲飛行がスタート。海自P—3C哨戒機、空自U—125A捜索救難機、C—1中型輸送機、KC—767空中給油・輸送機、F—2戦闘機が次々と会場右手から飛来する。東日本大震災災害派遣で被災者の捜索・救助活動、物資・人員輸送などに従事した機種に関しては場内アナウンスでその旨が紹介された。観閲飛行に続き観閲官・野田首相が片岡観閲部隊指揮官を伴いオープンカーに乗車して地上部隊の巡閲。

 全国から観閲式に集った精強な自衛官たちを頼もしげに見つめ、観覧スタンド前に首相の乗車が近づくと招待者から首相に対し熱のこもった拍手と国旗手旗が打ち振られた。

 首相は巡閲に続く観閲官訓示でも感極まった様子でこの日の訓示で自身が自衛官を父に持つことに真っ先に触れ、「自衛官は国の誇り」と語り、東日本大震災における災害派遣活動を労った。また、中国の古典を引用し「天下、安らかなりといえども、戦いを忘れなば必ず危うし」と述べて日本と国民を守るためさらなる精励をするよう要望した。その後、観閲地上部隊が退場した基地エプロン上では、航空機による展示視閲が行われ、F15、F—4EJ改、F—2が地上滑走。続いて、緊急発進ボタンを野田首相が自ら押してF—4EJ改がスクランブル発進を展示した。最後に、観閲式の締めくくりにT—4ブルーインパルスが6機編隊で展示飛行。大空に三角形や星、白鳥、十字架、木などを形づくる華麗な飛行を次々に披露して万雷の拍手を浴びていた。

自衛隊記念日行事
『体験飛行』
初めて4基地同時開催

10月1日、自衛隊記念日行事の一環として航空自衛隊主催の「体験飛行」が行われた。

 今迄は入間基地だけでの開催だったが、今年は三沢基地、入間基地、浜松基地、那覇基地で開催。5・6倍の倍率の中、見事当選した人達は、各地で思い出に残る時間を過ごしていた。

 4基地の中で唯一YS-11の体験搭乗をした「浜松基地」。集合時間の1時間前からぞくぞくと人が集まってくる。車のナンバーは浜松のみならず、他県のものも多数見うけられる。「初めて当選しました。他の3基地はCH-47JでYS-11に乗れるのはここだけと聞き2重の喜びです」と、当選葉書を大事そうに握りしめている神奈川県から来たご夫婦。

 待ち合い場所の格納庫では、展示してあるT-4の写真を撮る人、隊員に質問をする人と様々。中には「今日渡そうと思って書いて来た」激励メッセージを隊員に渡す子どももいた。美保基地から来たYS-11がいよいよ飛び立つと、待っている人は一斉に航空機に向かって手を振っていた。

 航空機の中では、眼下の風景や室内での記念撮影に一生懸命。「ベルトをはずしていいですよ」のアナウンスと同時に全員カメラを手に立ち上がる。コックピットを覗きに行く人、シートの下を覗き込む人、緊急脱出の説明書までもが、カメラの中に納められる。民航機では少し大きく揺れると「うわぁ~」という声が上がるが、この航空機の中では恐がる声は聞こえない、むしろ揺れを楽しんでいるようだった。

 「テレビで見た災害派遣の自衛隊員は怖そうに見えたけど、今日の隊員さんはとても優しかった」「楽しかったぁ、地図が見えた」「思ったより飛行機は小さいんだね」などと言いながら、名残惜しそうに基地から帰って行った。

台風被害で災害派遣
人命救助、行方不明者の捜索、物資輸送など実施

 8月25日にマリアナ諸島で発生した大型の台風12号は、9月3日、高知県東部に上陸し四国縦断後、岡山県南部に再上陸して北上を続け、この影響で近畿、中国地方を中心に各地で記録的な豪雨をもたらし、相次ぐ土砂崩れや河川の氾濫など大きな被害が発生した。

 和歌山県では、熊野川が氾濫し、新宮市の市街地が一時水没、那智勝浦町では、JR紀勢線の鉄橋が流出するほか田辺市伏菟野(ふどの)では土砂崩れが発生した。これに伴い、9月3日午後10時58分、第37普通科連隊(連隊長・古庄信二1陸佐)は、和歌山県知事からの災害派遣要請を受理、非常勤務態勢に移行し、初動派遣部隊を速やかに派遣するとともに、翌日、午前9時から新宮市熊野川町で孤立住民救助及び行方不明者の捜索を開始した。また、第304水際障害中隊約20名も当初、伏菟野地区において行方不明者の捜索を開始した。第3施設大隊約30名も孤立化した地域への通路開設のため、道路の啓開作業を実施した。

 9月12日、行方不明者が多い那智勝浦町に第7普通科連隊(連隊長・篠原啓一郎1陸佐)約70名を派遣し、行方不明者の捜索を強化したほか、第3師団隷下の各部隊から集成した給水支援隊により、水タンク車4両、水トレーラー約20両で新宮市及び那智勝浦町を中心に給水支援を行った。

 一方、奈良県では、五條市、十津川村などで20人以上が行方不明となり、9月4日午前4時20分、第4施設団(団長・岩谷要陸将補)は、奈良県知事からの災害派遣要請を受理、第7施設群(群長・米津浩幸1陸佐)約400名が五條市、十津川村へ派遣、人命救助及び行方不明者の捜索、道路啓開、物資輸送、給水支援等の災害派遣活動を実施した。9月6日には、第36普通科連隊(連隊長・足立寧達1陸佐)の佐伯副連隊長以下140名が孤立化している十津川村に第3飛行隊(隊長・田代2佐)の航空機(UH-1)で進入し、直ちに行方不明者の捜索活動を開始した。

 27日現在の活動地域は、和歌山県(新宮市、那智勝浦町)、奈良県(五條市、十津川村)であり、第3師団及び第4施設団から派遣された隊員は、延べ2万人以上にのぼる。

新防衛大臣に一川参院議員
野田新内閣が発足
特別儀仗受け隊員に初訓示

 野田佳彦新内閣が9月2日発足したことに伴い、第9代防衛大臣に一川保夫参議院議員(69歳、石川選挙区・衆3参1)、防衛副大臣に渡辺周衆院議員(49歳、静岡6区・衆5)政務官に下条みつ衆院議員(55歳、長野2区・衆3)、神風秀男衆院議員(49歳、埼玉4区・衆3)がそれぞれ就任した。一川防衛大臣は同5日に初登庁、栄誉礼を受け巡閲したあと着任式で、野田首相からの指示として (1)シビリアンコントロールを確保しながら日本の平和・安全を確保する (2)大綱・中期防に基づく動的防衛力の構築 (3)日米同盟の深化・発展 (4)普天間飛行場移設等の速やかな取り組み (5)PKO、海賊対処活動などに積極的に取組む (6)東日本大震災の経験を踏まえつつ災害派遣の初動態勢を整え、国民の生命財産を全力で保護する、の6つの項目を紹介するとともに「一日一日の業務を意義のあるものとしたい」と全国の隊員に向け初訓示した。その後、大臣室で事務引継ぎが行われ、一川新大臣と北澤俊美前大臣は互いに握手を交わし、順次署名した。また、前大臣の離任行事や新旧副大臣・両政務官の離着任式が翌6日にかけて相次いで行われた。

富士の裾野に轟音鳴り響く
平成23年度富士総合火力演習
2400隊員が迫真の実弾演習

東日本大震災派遣部隊使用の人命救助システムなど展示も


 平成23年度富士総合火力演習が8月28日に東富士演習場で一般公開された。

 富士学校(学校長・山本洋陸将)・富士教導団(団長・川崎朗陸将補)を基幹に人員約2400名、戦車・装甲車約80両、各種火砲約80門、航空機約30機、その他車両約600両が参加。当日は北澤俊美防衛大臣、松本大輔・広田一両政務官をはじめ防衛省・自衛隊の高級幹部、全国各地から集まった自衛官、国内外の来賓、一般公募の見学者など、計約2万4000人が来場して日頃の訓練成果を見届けた。

 東日本大震災の犠牲者に対して1分間の黙祷を捧げた後に始まった火力演習は、前段で「遠距離火力」「中距離火力」「近距離火力」に分類して各種装備の実弾射撃を行った。F2による航空火力を皮切りに、99式自走155mmりゅう弾砲をはじめとする特科火力、迫撃砲、誘導弾、普通科火力、ヘリ火力、戦車火力、空挺降下と息を付く間もなく次々と展示され、目標への正確な射撃、難易度の高い「曳火射撃 富士山」などに見学者から大きな拍手とため息が漏れていた。また、90式戦車・74式戦車による戦車火力の展示においては、腹の底に響く射撃音と、露出した肌がひりひり震えるほどの衝撃に驚きの声が上がっていた。

 攻撃の場を通じた諸職種協同の戦闘様相を展示した後段演習では、観測ヘリOH—1、無人偵察機FFOSによる航空偵察から始まり、ヘリボン行動、戦車・火砲などによる攻撃、フィナーレの戦果拡張まで一糸乱れぬ連携を見せていた。

 また、ヘリボン行動などにおいて、装備品の存在感にも負けない、隊員のきびきびとした動きに対しても大きな拍手と賞賛の声が上がっていた。

 約2時間に渡る前・後段各演習の前後と演習後には富士学校音楽隊と第1音楽隊の合同音楽隊による音楽演奏が見学者を楽しませたが、今年は東日本大震災にちなみ、演目に「東北民謡メドレー」が加えられていた。また、演習後の装備品展示の中に震災で使用された人命救助システムがあり、10式戦車やAH—64Dなどに匹敵する人気を集めていた。演習場から送迎バス乗り場へ向かう道筋には、東日本大震災における災害派遣活動を紹介する写真パネルの展示があり、道ゆく人の多くが足を止め真剣な表情で見入っていた。

1普連Aが優勝!
—自衛隊拳法富士山大会—

フリー参加

全国から54チーム集結

 7月30日、御殿場市体育館で富士地区曹友会主催の第5回自衛隊拳法富士山全国大会(以下、富士山大会)が開催された。富士山大会は徒手技術(拳法)練成の成果を発揮する場を提供する目的で始められ、当初は中部大会の名称で近隣の部隊から参加を募ったが、その後、参加希望の申し出が相次ぎ、前回から全国規模の大会に拡大し今回から富士山大会の名称となった。

 全国規模の拳法大会は毎年3月に開催される選抜の全自衛隊拳法選手権大会(旧称・全自衛隊徒手挌闘大会)があるが、富士山大会は自由参加のオープン大会であり、団体戦のみが行われる。各部隊の集合訓練で訓練しているチームのほか、課業外を中心に熱心な練成を行う有志のチームも多数参加。北は北海道から南は沖縄まで全54個チームが集結した。

 「敗者復活戦の導入もあって数多くの選手と戦い、試合を目にすることが出来る。富士山大会は日頃の練成の大きな目標・励みになっている」(大会会長・今井雅人板妻曹友会会長)。

 決勝まで平均4、5試合、本戦1、2回戦で姿を消したチームによる敗者復活トーナメントで勝ち進んだ場合、最大7試合を約半日で行うため、大会終盤では脛や太腿、腕のダメージを鎮痛スプレーで必死に回復する姿が目についた。また、競技場で試合を行う選手には、控えているチームメイトは勿論、同じ部隊の他チームなどが二重三重に人垣を作り、声を枯らして熱の入った大応援を送っていた。

 過酷な1DAYトーナメントを制したのは第1普通科連隊Aチーム。「積極果敢な攻撃を貫いたことが勝利の要因」(監督の櫻井正人2陸曹)という。

 大会結果は次の通り。

▽優勝=第1普通科連隊A▽準優勝=第51普通科連隊A▽第3位=第12普通科連隊、第37普通科連隊A▽敢闘賞=第34普通科連隊B

 なお、大会前には、全自衛隊拳法連盟の平成23年度第1回常任理事会が行われ、本年3月に開催できなかった第27回全自衛隊拳法選手権大会を中止扱いとし、平成24年3月10、11日に第28回大会を開催予定とすることが議決された。

創設57周年を祝う
富士学校 富士駐屯地

観閲式、訓練展示、ふれあい広場など実施


 朝から日差しが眩しい7月10日、富士学校・富士駐屯地(富士学校長兼富士駐屯地司令・山本洋陸将)開設57周年記念行事が行われた。

 例年どおり全国から駆けつけた人々が朝6時前から正門前に行列を作っている。「今年は記念行事ないかと思った。あって嬉しい」と大きなカメラバックを持ち替えながら喜ぶ岐阜からきた男性。震災以降陸自で初めての駐屯地開放となった今日の入場者は約1100人を数えた。

 総合訓練場の周りは今か今かと始まりを待つ人で埋め尽くされているが、既に立っているだけで汗の出る状態。震災で御殿場地域に避難して来た人も招待されていて28家族が来ている。

 国会議員や地元首長、歴代校長ら来賓を迎えて10時15分から総合訓練場で記念式典が始まった。山本学校長の式辞、来賓らからの祝辞や激励のあと、山本学校長を観閲官としたお待ちかねの観閲式。受閲に向かう車両が一斉にライトを点けると「お~~」とどよめきがおこり、シャッター音が鳴り響く。

 隊員約2000名、戦車等車両約200両が参加した迫力ある観閲式が終わると、音楽演奏。その後10式戦車(試作車)の華麗なる機動展示。砲塔を回しながらの走行や後進しながらでも目標を追従するなど軽やかに見える動きに観客は目を奪われていた。

 続いて訓練展示(模擬戦)が始まった。OH—1らの偵察活動から始まったが、敵陣地にはAH—64Dが攻撃を加えている。これには観客も大喜び。各種火砲の砲撃や突撃では、耳を塞ぎ歓声が起こる。そしてとぎれないシャッター音。装甲車から下りてきた普通科部隊が敵陣を制圧し状況終了、観客の中には「ふ~」とため息をついて肩の力を抜く人も。

 ふれあい広場では、朝から隊員のお店に列が出来て大盛況。防災展示コーナーでは、東北で使用した物と同じ装備品等も並べられており、近くの隊員を質問攻めにする人やがれきを再現した物に目を奪われる人等様々だった。

 「隊員が10万人も東北に行ってしまって、一時はどうなるかと思ったけど、今日の駐屯地祭に来て安心したよ」と笑顔で語る大阪から来た人など、日に焼けた肌と安心や様々なお土産を持って駐屯地を出ていった。

災派規模、逐次縮小へ

東日本大震災

統合任務部隊の編成解除 7月1日付

陸・海・空災部隊は生活支援など各活動任務を継続


 北澤俊美防衛大臣は7月1日、東日本大震災発生以来、約4カ月にわたって被災地で救援活動を続けてきた陸海空の統合任務部隊(JTF)の解除を決定した。

 この日、防衛省で開かれた災害対策本部会議の冒頭、JTF指揮官の君塚栄治東北方総監以下高嶋博視横須賀地方総監、片岡晴彦航空総隊司令官に対して▽3月14日以降、東日本大震災における大規模震災災害派遣を実施してきた統合任務部隊は本日をもって編成を解除する▽引き続き、東北方総監、横総監、総隊司令官はそれぞれ陸災部隊、海災部隊、空災部隊を指揮し、支援活動を実施せよ—とする命令書を読み上げ、君塚指揮官に手渡した。

 3月11日に東日本大震災が発生して以来、7月6日までの自衛隊活動実績は次のとおり。

 〈人命救助等〉▽人命救助1万9286名▽御遺体収容9501体▽御遺体搬送1004体 〈物資等輸送〉▽物資等輸送1万2045・5トン▽医療チーム等輸送1万9935名▽患者輸送175名 〈生活支援〉▽給水支援3万2984・7トン▽給食支援474万48食▽燃料支援1396・1キロリットル▽入浴支援100万4870名▽衛生等支援2万3370名

 また、JTF編成解除後の災害派遣規模は7月6日現在、▽陸災部隊約1万9500名、航空機約35機▽海災部隊約1800名、艦艇6隻、航空機2機▽空災部隊約6900名、航空機約50機となっており、各部隊とも引き続き、行方不明者の捜索や生活支援、物資輸送、御遺体収容、応急復旧、余震・津波に関する情報の早期入手と迅速な対応、漂流物等の情報活用による航空安全の確保などの支援活動を行っている。また、原子力災害対処では除染作業や住民の避難支援、情報収集などを継続している。


優秀地本表彰
宮城、三重、福岡に1級賞状
2級は札幌など10コ地本が受賞

 平成22年度優秀自衛隊地方協力本部表彰式が6月15日、防衛省で実施された。これは全国50コ地本の中から、募集、援護、予備自衛官などの活動において、この1年間で特に好成績を収めた地本を選び表彰するもの。第1級賞状は北澤俊美防衛大臣が3コ地本長に、第2級賞状は火箱芳文陸幕長が10コ地本長に、それぞれ賞状と副賞を授与した。


【第1級賞状授与式】

 第1級賞状授与式は大臣室で行われ、中江公人事務次官、火箱芳文陸幕長、杉本正彦海幕長、長島修照空幕副長(空幕長代理)、徳地秀士内局人事教育局長が陪席する中、北澤大臣が宮城(本部長・吉見隆1陸佐=北畠彰副地本部長代理出席)、三重(本部長・佐藤正典1陸佐)、福岡(本部長・山中洋二1陸佐)の3コ地本に、それぞれ1級賞状と記念品を授与した。次いで、北澤大臣は陪席者とともに3コ地本代表者と懇談し、募集・援護・予備自衛官の日頃の業務に加え、東日本大震災における自衛隊の窓口としての活動に対し、労をねぎらった。

【第2級賞状授与式】

 第2級賞状授与式は渡部悦和陸幕副長、松村五郎陸幕人事部長、園田直紀海幕人計課長(海幕人教部長代理)、杉山良行空幕人教部長、蛭川利幸陸幕募集・援護課長が陪席する中、陸幕長室で行われた。火箱陸幕長は札幌(本部長・阿部知己1陸佐)、福島(本部長・安田孝仁1陸佐)、茨城(本部長・大池孝志1陸佐)、栃木(本部長・新田栄二1陸佐)、静岡(本部長・柏瀬静雄雄1空佐)、愛知(本部長・小林秀人1陸佐)、京都(本部長・石田裕1陸佐)、奈良(本部長・佐々木正人事務官)、鳥取(本部長・住谷正仁1陸佐)、宮崎(本部長・林英治1空佐)の10コ地本長一人ひとりに労いの言葉をかけながら2級賞状と記念の楯を授与した。陸幕長は「各地本が達成した成果は、地本長を核心として、全部員が一丸となって成し遂げたもの。募集・援護・予備自衛官の各業務ともに、厳しさを増す環境の中、今回の受賞を誇りとして、引き続き、任務に邁進してもらいたい」と話した。

海賊対処航空隊7次隊
陸自部隊が出国

宇都宮駐屯地

 6月3日には、派遣海賊対処行動航空隊の第7次要員として警衛任務等に当たる陸自中央即応連隊の隊員約60名の出国行事が宇都宮駐屯地で実施された。警衛隊長の寺本保敏3陸佐が、中央即応連隊長・山口和則1陸佐に出国報告した後、家族や駐屯地で勤務する隊員らから盛大な見送りを受ける中、派遣隊員は同日、成田空港から民航機に乗り、タイ・バンコク経由で現地に向かった。寺本3陸佐はインタビューで、「各国の期待に応える活動と、我々の連隊としての誇り、自分自身の誇りとしてしっかりと任務を達成していきたい」と話した。

遠洋航海部隊が出発

晴海

総員730名、6カ国・14寄港地を親善訪問

 平成23年度遠洋練習航海部隊の出港行事が5月24日、防衛省・自衛隊の高級幹部、衆参国会議員、各国大使、協力団体、乗組員の家族ら関係者多数を迎えて、東京・晴海埠頭で行われた。この日は雨のため、式典会場をHK岸壁から客船ターミナルに移して実施された。

 派遣部隊は、練習艦隊司令官の大塚海夫海将補を指揮官に第61期一般幹部候補生課程修了者約180名(うちタイ王国海軍少尉1名)を含む約730名で、艦艇は練習艦「かしま」「あさぎり」、護衛艦「みねゆき」の3艦。156日間にわたって約5万5000kmを航行し、米国、カナダ、メキシコ、パナマ、ペルー、チリの6カ国、14寄港地を親善訪問する。

 午前9時すぎ、小川勝也防衛副大臣が会場に到着、海自儀仗隊による栄誉礼を受け巡閲したあと、出国行事が始まり、整列した派遣隊員を前に小川副大臣が「日頃の訓練の成果を存分に発揮し、この航海を通じて人格の修養と練度を高め、一層逞しくなって無事帰国するよう」訓示した。来賓を代表して山花郁夫外務政務官が「東日本大震災に対して心温まる復興支援をしてくれた米国をはじめ各国との信頼、友好を一層深めてきてほしい」と祝辞。次いで、杉本正彦海幕長が壮行の辞の中で「隊員一人ひとりが日本国の代表であるという自覚を持ち、諸君が寄港地で発信する有形無形のメッセージが、各訪問国との今後一層の関係強化につながるということをしっかりと心に留めるとともに各地における研修やレセプション等の機会を通じた各国軍人との交流により、海軍の役割というものに認識を深めるよう」要望した。

 水交会、父兄会、隊友会など協力団体から練艦隊司令官、各艦長、実習幹部ら各代表に花束が贈られ、大塚司令官が小川副大臣に「遠洋航海に出発します」と力強く挨拶し、壮行会が終了。引き続き、大塚司令官を先頭に乗組員が一列になって「かしま」「あさぎり」「みねゆき」に乗艦、甲板等に整列した。この頃には出港を祝うかのように雨が上がり、帽振れの中、来賓、家族ら関係者に見送られながら、3艦は最初の寄港地・米国へ向け出港した。

初の大規模統合運用を展開

東日本大震災

発生から2ヵ月、今なお続く災派活動

 東日本大震災では部隊運用の効率化を図るため、3月14日に君塚栄治東北方面総監を指揮官とする災統合任務部隊(Joint-Task-Force=JTF)を編成、2006年に統合運用体制へと移行してから初めて大規模な統合運用が行われた。被災地では陸海空の3自衛隊が一丸となって救助・捜索、生活支援、物資輸送の各活動に全力を挙げている。(数字は5月9日現在)


 被災地で活動する自衛隊は、3月20日に10万人態勢を確立し現在も救援活動を続けている。救助者数は1万9286人に上り、行方不明者の捜索活動も毎日懸命に行っている。米軍、海上保安庁、警察と共同による集中捜索も4月1~3日、同10日、同25~26日の3度にわたって実施された。地上部分では陸自と空自が担当し、沿岸部を含む洋上は海自が艦艇や小型ボートなどを投入、空自も航空機を使用して空からの捜索に当たった。

 生活支援では、入浴、給水、給食、医療の各活動で被災者を支えるとともに、瓦礫の除去作業で被災地の復旧に貢献している。4月4日には陸空自衛隊員が松島基地で瓦礫の除去を行うとともに、翌5日には泥の除去作業と入浴支援を協同で行うなど、JTFは一丸となって被災地の復旧活動や被災者の支援に当たっている。

 また、地震と津波により道路の寸断など車両の通行が困難になり、艦艇やヘリを持つ自衛隊は物資輸送で重要な役割を果たした。これまで食糧や水などの物資約8980トン、医療チーム約1万3800人をそれぞれ輸送した。空自松島基地などの拠点に空輸された物資を陸自部隊が車両で避難所に運んだり、海自がヘリや輸送艦で港などに陸揚げした物資を陸自車両が引き継ぐなど、各自衛隊の能力を活かした活動を行った。


3自衛隊を一体的に運用

 統合運用とは、陸海空の各自衛隊が単独ではなく、一体となって活動することで、2006年に統幕の発足によりその体制が整えられた。科学技術の進展により作戦進行速度が増したことや活動の多様化などの環境の変化といった体制移行の必要性から、3自衛隊を一体的に運用するとともに、以前は複数存在した防衛大臣(当時は防衛庁長官)に対する軍事専門的見地からの補佐を統幕長に一元化することで、より迅速で効果的な対処が可能となった。

 その他、「日米安全保障体制の実効性の向上」という一面もあり、今回の東日本大震災において「トモダチ作戦」を展開する米軍との円滑な連携を図ることへと繋がった。陸海空の各自衛隊が分かれて米軍と連携を確保するのではなく、JTFを組織するとともに日米調整所を設置して相互調整を行うことで緊密な共同活動が実現した。

 活動形態としては、統合任務部隊によるものと協同によるものの2種類がある。今回の東日本大震災のように、単独の指揮官の下に統合任務部隊を組織した例は、ソマリア沖・アデン湾で活動中の海賊対処行動部隊が挙げられる。

統合部隊被災者救援に全力

 東日本大震災に対して、防衛省・自衛隊は東北方面総監(君塚栄治陸将)を指揮官とする統合任務部隊を編成、人員約10万6000名(陸自約7万、海自約1万3600、空自約2万1600、原子力災派部隊約450)、航空機約500機、艦船約50隻をもって現在もなお災害派遣活動を継続している。

 これまでに、▽航空機による情報収集▽被災者の救助(約2万人)▽消火活動▽人員及び物資輸送▽給食・給水・入浴・医療支援▽道路啓開▽瓦礫除去▽ヘリコプター映像伝送による官邸及び報道機関等への情報提供▽自衛隊施設(防大)における避難民受け入れ▽慰問演奏などを実施するとともに、米軍、海保、警察、消防とともに行方不明者の捜索を続けている。また、政府をはじめ現地調査団の輸送支援も行っている。

 北澤俊美防衛大臣と折木良一統幕長は逐次被災地を視察、懸命に災派活動を続けている隊員に対してその労をねぎらった。

 東日本大震災の被災者数は4月24日現在、死者1万4300人、行方不明者1万1999人となっており、避難者は13万人を超えている。


〈松 本〉

 東日本大震災発生から約1ヶ月以上が経過した。

 防衛省では海上保安庁、米軍と共同して過去に類をみない大規模な共同捜索活動を東北沿岸地域一帯で実施している。

 第13普通科連隊(連隊長・横山義明1陸佐)は南相馬市で沿岸地域を中心とした必死の行方不明者の捜索活動を続けている。

 同地域は津波の被害で冠水したままの地域が多く、また瓦礫と化した中での捜索となっており、苦労が絶えない。

 そこで隊員は、胴付長靴を常時着用し、鳶口を使用して、冠水地域を捜索すると共に、瓦礫の山をグラップル等重機でかき分けながら懸命の捜索を実施しているが、依然として行方不明者が多く、地元関係者からは、「1人でも多くの不明者を見つけて欲しい」と求められている。

 また、隊員の中には、瓦礫や廃材で怪我を負う者、体調を崩す者もいる中で、過去最悪といわれる危難への適切な対応が求められる隊員は、災害派遣任務完遂に向け連隊長を核心として高い団結・規律・士気を保持し捜索活動に従事している。


〈仙 台〉

 東北方面特科隊(隊長・福島司1陸佐=仙台)は、地震発生直後直ちに連絡班、地上偵察班を派遣し、隊指揮所を開設すると共に、被災地における人命救助活動と捜索活動の準備を行った。3月11日16時36分には、福島第1原発での事故のため、発電所周辺の住民避難支援に参加し、約130名の住民を避難所まで輸送した。また、沿岸部では大津波による被害が甚大なため、沿岸地域の情報収集と人命救助活動を行った。

 一方、東北方面通信群(群長・嶌末真1陸佐)本部中隊映像伝送小隊は、福島県大熊町の原子力発電所の映像を決死の撮影を実施した。この映像は、首相官邸及び現地本部等に配信され今後の作業等の資料になる貴重な撮影である。


〈新発田〉

 3月12日から福島県で災害派遣活動を続ける30普連(連隊長・大窪俊秀1陸佐)、その活動を支える大きな一つが第12後方支援隊第2整備中隊第3普通科直接支援小隊(小隊長・河合伸明1陸尉)である。

 派遣部隊の車両等各種装備品の整備を担当する小隊の6名はこれまで福島駐屯地において大型車両5台、高機動車19台、小型車9台、人命救助セットの整備を実施し、30普連の派遣活動に多大な貢献をしている。

 長期に及ぶ派遣間、整備工具・施設に制約がある中、軽易なものから高段階の整備を始め、故障を防ぐための定期的な整備まで休むことなく、その整備に万全を期し、車両等各種装備品の可働率100%を維持し、避難者収容や物資輸送等を支える原動力となっている。

 第3中隊(中隊長・富永誠3陸佐以下44名)は3月31日、第12特科隊第1中隊(宅原友則1曹陸以下10名、大型車両5両)と協同して会津美里町の避難所の移転に伴う物資輸送を実施した。

 この輸送活動は、町内の赤沢小学校の体育館を避難所として使用するため、館内に箱詰めされた支援物資(レトルトパック、カップラーメン、トイレットペーパー等)約2500箱を同町内の旧藤川小学校体育館に移すため実施された。

 物資輸送は小雨交じりの中、各隊員は協同連携して赤沢小から旧藤川小の約6キロの間を車両で何往復もして整斉と積み下ろし作業を行い、約6時間ほどですべての物資の輸送を完了した。

 現場の担当者によると避難所となる赤沢小の体育館には、50~60名の避難者の収容が可能となり今後、県内各地から自主避難してくる住民等を受け入れていくと話した。 部隊としても被災地の早期復旧を目指し、自治体等の要望に対応してできる限りの支援を今後も実施していく。


〈出 雲〉

 東日本大震災に伴う災害派遣は、出雲駐屯地から3月12日に、第1次派遣隊(第304施設隊・第104施設直接支援大隊第1直接支援隊)が岩手県遠野市を指揮所に、3月15日には、第2次派遣隊(第13偵察隊・第13後方支援隊第2整備中隊偵察直接支援小隊)が、福島県いわき市に指揮所を配置し、それぞれ災害派遣活動を実施している。

 第1次派遣隊は、主として道路等の啓開作業を実施し、第2次派遣隊は、行方不明者の捜索、給水支援、物資輸送等の支援活動を実施している。


〈島 松〉

 東日本大震災の発生に伴い、陸上自衛隊北海道補給処(処長・佐藤暢彦陸将補)は、岩手県内に北方FSA(岩手FSA)を開設するため、災害派遣隊を岩手駐屯地に前進させた。

 災害派遣隊は3月17日、岩手駐屯地に到着後、速やかに岩手駐屯地燃料スタンドに燃料の補充を開始した。

 その後、糧食交付所、燃料交付所、部品交付所及び整備所等を設置して、派遣部隊への支援基盤を確立した。

 3月20日には、第1派派遣隊長の渡邊一弘1陸佐(北海道補給処副処長)から後任の岸谷清満1陸佐(北部方面後方支援隊長)に災害派遣隊の指揮が引き継がれ、本格的な兵站支援活動が開始された。


〈小 平〉

 震災の発生後、小平学校(学校長・伊藤善寛陸将補)は3月12日から24日の間に、厚生幕僚、予備自幕僚、会計幕僚など計23名を順次、統合幕僚監部と東北方面総監部に派遣した。

 今回の派遣は、陸幕等からの要望を受けたものだったが、小平学校広報班が「この未曾有の大災害に対して何らかの形で貢献したいとの意思の発露」というように、各職種教育部では東北方と自主・積極的に調整を行った。

 今回のような大災害では、第一線の捜索、救出等の任務から民生支援等の後方支援まで多種多様な機能・人材を数多く必要とする。小平学校は情報・警務・会計の3個の職種教育と語学・人事・システムの3個職域の幅広い実務教育を担当しており、各種機能に対応するスペシャリストが多いことから、被災地で大きな役割を果たしている。

10万統合部隊懸命に救助活動

東日本大震災
初めて米軍、海保、警察、消防と行方不明者捜索

 3月11日に発生した東日本大震災の被害は、4月10日までの1カ月間に死者1万3013人、行方不明者は1万4608人で、死者・不明者の総数は2万7621人に達し、戦後最大の自然災害となっている。

 防衛省・自衛隊は、宮城県など各県知事の災害派遣要請を受けると同時に、陸自東北方面隊を主力に災害派遣部隊を地震や津波による被災地に派遣、救出活動を開始した。また、東北方面総監を指揮官とする10万人を超える規模の陸海空統合部隊を編成、行方不明者の救出・捜索、物資輸送、瓦礫の除去・道路啓開、給水・給食・入浴などの支援を続けている。

 4月1日から3日にかけては、宮城県などの沿岸を中心に、米軍、海保庁、警察、消防と共に、行方不明者を一斉に捜索、その結果、計79人の遺体を発見し収容した。

 北澤俊美防衛大臣は米海軍原子力空母「ロナルド・レーガン」、海自護衛艦「ひゅうが」、空自松島基地や被災地で救護活動にあたっている隊員を相次いで視察、感謝の言葉とともに厳しい任務の労をねぎらった。


〈6師団〉

 宮城県知事、福島県知事からの災害派遣要請を受けた第6師団(師団長・久納雄二陸将)司令部では、ヘリや渡河ボートなどを使用しての被災者の救助活動、給水・給食等の民生支援を行った。

 行方不明者の捜索活動で捜索の確実性を高めるため、「捜索活動実施状況確認表」を作成し、いつ、誰が、どのような捜索をしたのかを記述し、捜索した1軒1軒にその用紙を貼り確認作業を進めていった。また、移動経路を確保し、作業効率を上げるため、重機で瓦礫に埋もれた道路の啓開作業を行い、復興に向けた活動も続けた。

 これらの活動と並行して民生支援活動でも6師団は活躍した。給水・給食、炊き出しなどによる生活支援、また、医官による巡回診療なども行われ、避難所での生活で体調を崩す人や津波で薬を流され避難した慢性疾患の人などにとっては、大きな存在となっていた。各避難所では医療の手が届かない所が多く、住民からは感謝の言葉がたくさん聞かれた。

 第6師団広報では、「温かいおにぎりを頬張りにっこり笑う子供たち。医官の診療を受けて安堵の表情をする老人。口々に聞かれる『ありがとう』の言葉が、隊員たちの励みとなり更なる力となっている」と話している。


〈10師団〉

 第10師団(師団長・河村仁陸将)は震災後、東北地方に進み、3月12日に東北方面総監の指揮下に入った。宮城県南部地区における人命救助活動等を実施する任務を受けると、直ちに被災地へ向かった。名取市、岩沼市、亘理町、山元町の4市町ですでに活動していた第2施設団から任務を引き継ぎ、翌13日から本格的に救助活動を開始した。

 津波で破壊され重なり合った瓦礫や、あたり一面に深く溜まった海水が救助活動を困難にしたが、ボートや胴長靴等を駆使して人命救助を急ぐ隊員たち。「一刻も早く、一人でも多くの生存者を発見し救出する」という強い信念と、懸命に献身的に誠心(まごころ)をこめて行動し、次々と生存者を救出した。

 津波による直接的な被害を受けなかった沿岸から離れた地域では、広範囲で電気、ガス、水道等のライフラインが停止したほか、燃料や生活用品が不足するなど、避難者をはじめとする多数の市民生活に影響を与えた。10師団は、人命救助活動を続ける一方、活動地域を西側に隣接する市町まで拡大し、給水、炊き出し、入浴、医療、人員・物資輸送支援等の民生支援活動を逐次拡大して行った。18日、第3師団の第3後方支援連隊を基幹とする第3生活支援隊が師団に配属され、主として亘理町での救助活動や民生支援活動を開始、師団の活動が更に活発化した。

M9・0巨大地震、大津波発生

東北地方太平洋沖

陸海空統合10万人超える隊員が懸命に災派活動


 3月11日午後2時46分頃、東北地方三陸沖を震源とするマグニチュード(M)9・0の巨大地震が発生した。宮城県で震度7を記録するなど、国内観測史上最大のもので、東北から関東にかけて震度5以上の強い揺れが各地を襲った。また、この地震の直後に10mを超える巨大津波が発生、青森県から千葉県までの太平洋側の地域を襲い、未曾有の大災害をもたらした。この東北地方太平洋沖地震(東日本大地震)と大津波による被害は、同27日現在、死者1万804人、行方不明者1万6244人、負傷者2776人となっている。

 防衛省・自衛隊は地震発生直後に、災害対策本部を設置。北澤俊美防衛大臣の指示発出や宮城県など各県知事の災害派遣要請を受けた自衛隊は、直ちに陸自東北方面隊を主力に災害派遣部隊を被災地に派遣、救助活動を開始した。同14日には、東北方面総監を指揮官とする10万人規模の陸海空統合任務部隊を編成、かつてない大きな規模で孤立者の捜索救助や物資の輸送などの活動にあたっている。また、初めて即応予備自衛官らが招集され、被災者の生活支援任務に就いている。

 一方、損壊した東京電力福島第1原子力発電所では、陸自中央即応集団が主力となって東京消防庁などと協力しながら放射性物質の拡散を防ぐため放水などの作業を行っている。

 東日本大地震に対して、米軍が1万8000人を超える人員と艦船約20隻、航空機約140機で「オペレーション・トモダチ」と題する救援活動を展開、また、中国、韓国が初めて救助隊を派遣するなど、130以上の国や地域から物心両面での支援が寄せられている。


物資輸送は自衛隊に一元化

 東日本を襲った大地震と津波は交通にも爪痕を残し、支援物資の輸送に大きな影響をもたらした。道路の寸断や瓦礫により車両の通行が困難になったことなどから、水や食料のほか毛布などの生活必需品の支援物資が被災地に届かない、もしくは一部の避難所に集中するといった状況が続いた。また、津波による被害が甚大で広域であったため、想定よりもはるかに多くの避難所ができ、どこに被災者がいるのか把握が難しい事態も発生した。「支援物資が足りない」「孤立化している」という声が上がる中、政府は3月15日、救援物資が効率的に被災者にいきわたるよう物資の管理・輸送を防衛省で一元的に行うことを決定。市町村や企業、団体からの提供物資を都道府県が窓口となり、指定された駐屯地・基地に集め、自衛隊が現地対策本部と調整して被災地に輸送する態勢を整えた。

 また、物資輸送中のヘリなどが空から状況を把握し、孤立化した被災者を発見した場合には、救助したり救援物資を投下するなど柔軟に対処した。石巻市で約400名が孤立化した地域が発見され、海自ヘリが食料などを運んだのもその例だ。また、同16日には被災地の燃料不足に対応するため、駐屯地・基地に備蓄されているガソリン・軽油などの燃料の一部放出が決まり、空自松島基地からガソリンと軽油を宮城県の東松島市、石巻市へ向けて輸送を開始した。防衛省・自衛隊では、被災地における物資不足解消に向けて全力を挙げている。


〈海自派遣活動〉

 海上自衛隊では震災が起きて10分後にP-3Cによる状況偵察を開始し、その後も各基地から護衛艦や哨戒機、救難機などが順次投入され、捜索・救難活動のほか物資や人員の輸送を実施した。海上自衛隊からの派遣部隊は隊員約1万6000名、艦艇約50隻、航空機約100機に上る。

 発災当日は八戸航空基地の体育館を開放して被災者約770人などを収容したほか、大湊地方隊が緊急物資として青森県六ケ所村、風間浦、三沢市、むつ市に対して毛布3000枚と缶詰1000個を送った。翌12日からは各基地から出港した護衛艦部隊が宮城県沖に到着し、捜索・救難活動が本格化させた。

 第2航空群のUH-60Jヘリは同12日、青森県八戸港に停泊中の地球深部探査船「ちきゅう」から小学生ら52人を救出し、八戸航空基地まで移送した。小学生らは、前日に「ちきゅう」内部を見学している最中に地震に遭い、津波の影響を避けるため接岸を見合わせ、船内で一夜を過ごしていた。 同13日には、福島県双葉町の沖合約15kmの海上で漂流していた男性を護衛艦「ちょうかい」が発見した。この男性は津波によって流された自宅の屋根一部に乗って、丸2日間救助を待ち続けていた。「ちょうかい」乗員は内火艇を下ろし、11時12分に男性を救助。その他、海上自衛隊の捜索・救難活動によって、3月28日現在で896名が救助されている。

(2面につづく)


火箱陸幕長が視察
ゴラン高原派遣輸送隊

15年間、延べ1,300隊員派遣

30次隊(4師団)から31次隊(14旅団)へ指揮移転

 国連兵力引き離し監視隊(UNDOF)へ派遣しているゴラン高原派遣輸送隊が、第30次隊(隊長・武者利勝3陸佐以下43名)から第31次隊(隊長・志道桂太郎3陸佐以下43名)に指揮移転した。また、司令部要員も第15次から第16次(各々3名)へ交代した。

 指揮移転式は3月3日、UNDOFファウアール宿営地(シリア・アラブ共和国)で行われ、火箱芳文陸幕長、鈴木敏郎シリア大使をはじめ関係者多数が出席した。最初に、30次・31次派遣隊員が整列する中、UNDOF司令官のナタリオ・C.エカルマ3世フィリピン陸軍少将に対して儀仗を行ったあと、日本国歌を吹奏した。次いで、武者30次隊長と志道31次隊長がUNDOF司令官の立ち会いのもと、お互いに文書に署名し、ゴラン高原派遣輸送隊の隊旗を移譲した。

 引き続き、火箱陸幕長が派遣隊員を前に、「日本へ帰国する第30次要員の諸官、約6ヵ月に及ぶ任務の遂行、大変ご苦労であった。原隊復帰後は、UNDOFでの経験を活かし、隊務運営の中核として各部隊を牽引するとともに、UNDOFで獲得した教訓等を広く他の隊員に伝達するよう」、また「新たに任務に就く第31次要員にあっては、これまでの先輩達が培ったゴラン高原派遣輸送隊の伝統を継承し、日頃の練成の成果を遺憾なく発揮して任務遂行に邁進するよう」訓示した。

 鈴木大使の来賓祝辞とUNDOF司令官の訓示に続いて、派遣隊員が威風堂々と観閲パレードを行い、指揮移転式を終了した。

           

 UNDOFへの自衛隊部隊の派遣は平成8年に開始して以来、今年で15周年の節目の年を迎えた。これまでに延べ約1300名の隊員を輸送部隊として派遣し、UNDOFの活動に必要な日常生活物資などをイスラエル、シリア、レバノンの港湾、空港、市場などから各宿営地まで輸送している。また、道路の補修や山岳地帯での除雪作業などの後方支援業務も行っている。一方、司令部要員は、企画・調整、広報、予算関連の業務を1年交代で遂行している。

ハイチPKO4次隊出発

千僧

初めて女性自衛官6名を派遣

 ハイチで大地震復興支援活動にあたっている陸自ハイチ派遣国際救援隊の第3次隊と第4次隊が2月中にそれぞれ交替した。これまで約1年間にわたって首都ポルトープランスを中心に、倒壊した建物のがれきの除去や道路の補修作業などの任務を遂行しており、4次隊では初めて女性隊員6名も派遣された。


 ハイチ派遣国際救援隊第4次隊(隊長・足立寧達1陸佐以下約350名=中部方面隊基幹)の壮行行事が1月25日、千僧駐屯地(兵庫県伊丹市)で行われた。行事では、第3師団、第4施設団、阪神病院などの部隊から志願した派遣隊員を前に、荒川龍一郎中方総監が訓示の中で「ハイチでの活動が、我が国を代表して行う崇高な任務であるとの誇りを堅持するとともに、任務の成否が国際社会及びハイチにおける我が国の評価に直結するものであるとの認識を保持し、任務に邁進するよう」強調しながら「任務必遂」「平常心の保持」の2点を要望した。また、足立隊長の派遣準備完了報告や壮行会食、見送り行事なども順次行われた。

 初の女性自衛官6名を含む第4次隊は2派に分かれて(第1派が2月8日、第2派が同21日)、それぞれ民航チャーター機で関西国際空港からハイチへ向け出発、7月までの約半年間にわたる復興支援任務に就いた。

 一方、半年間の任務を無事完遂した第3次隊(隊長・佐々木俊哉1陸佐以下350名=東北方面隊基幹)が2月11日と同24日の2派に分かれてチャーター機で青森空港に帰国、弘前駐屯地で編成解組式に臨んだ。

空音創立50周年祝う

立川

盛大に記念式典、植樹、コンサート開催

「国民に"夢と感動"届ける」

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 航空中央音楽隊創立50周年記念行事が穏やかな晴天に恵まれた2月1日、立川分屯基地で盛大に開催された。

 午後2時半、第1ホールで記念式典が始まり、防衛省・自衛隊の高級幹部をはじめ歴代隊長、来賓多数が陪席する中、立山吉博隊長が登壇、整列する隊員に対して航空中央音楽隊の歴史・沿革に触れ、「更なる飛躍のため、一致団結、ゆるぎない誇りと自信をもって次の半世紀に向かい、新たな伝統を刻みながら一歩一歩前進していこう」と式辞した。

 来賓紹介に続いて、岩成真一空幕総務部長が岩崎茂空幕長の祝辞を代読、航空中央音楽隊の功績を称えながら「隊員諸官は、先輩諸兄の気概や英知に学び、伝統を正しく継承し、更に発展させ、しっかりと次の世代に伝えていかなければならない。現状に甘んじることなく、日々の研鑽を重ね、これからもプロフェッショナルの中のプロフェッショナルであり続けるよう、そしてその洗練された演奏をもって、夢と感動を一人でも多くの国民に届けるよう」要望した。

 引き続き、空音隊庁舎前で、50周年を祝う看板をバックに出席者全員で和やかに記念撮影したあと、代表者らが記念植樹を行い、2月に開花するという早咲きの「河津桜」の苗を植樹した。また、歴代隊長や中村芳文副隊長の指揮で、記念演奏も行われ、創立50周年の節目を祝った。


UNMIN任務終了

4次隊6名帰国

国連本部、ネパール政府から高い評価受ける

3年10ヵ月、延べ24隊員派遣

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 国連ネパール政治ミッション(UNMIN)の終了に伴い、第4次ネパール国際平和協力隊(隊長・白川智章2陸佐以下服部剛3陸佐、丸山彰彦1陸尉、渡邊崇宏1陸尉、赤瀬丈1陸尉、堀克哉1陸尉)の6隊員が1月18日、帰国した。

 白川隊長以下6名は同夕、防衛省・自衛隊の高級幹部が出迎える中、A棟前儀仗広場に到着、折木良一統幕長に「任務を終了し、無事帰国しました」と白川隊長が帰国報告した。これに対して折木統幕長は「日本、そして自衛隊の代表として最後まで任務を完遂してくれたことに感謝する」と派遣隊員の労をねぎらった。

 厳しい環境の中で、約10ヵ月間にわたって活動を続けてきた白川隊長は「UNMIN派遣開始以来約4年間の最後の締めくくりとしての任務を完遂できて大変光栄に思う」とコメントした。


北澤防衛大臣「労いの言葉」

 去る平成23年1月15日、国連ネパール政治ミッション(UNMIN)がその任務を終了したことを受け、我が国からネパール国際平和協力隊として派遣している自衛官6名も、業務を完了して帰国することとなりました。

 我が国は、UNMIN設立から間もない平成19年3月にネパール国際平和協力隊の派遣を開始してから、これまでの約3年10ヵ月の間、延べ24名の自衛官をUNMINの軍事監視要員として派遣し続け、UNMINの活動に貢献してまいりました。

 UNMINにおける活動は、部隊ではなく個人の派遣による活動であり、またその業務内容も、任務地における武器及び兵士の管理の監視業務という、これまで防衛省・自衛隊が経験したことのない、新たな挑戦とも呼べるものでありました。しかし、我が国は、国際社会の責任ある一員として、これまでUNMINの活動に真摯に取り組んできた結果、ネパールの平和構築に対して貢献できただけではなく、国連本部、UNMIN、ネパール政府などからも高い評価を受け、さらには我が国の国際平和協力活動の幅を広げることができました。

 これも偏に、過酷な環境の中無事に任務を完遂した24名の隊員とそれを支えた御家族などの関係者各位のご尽力の賜物であり、皆様に感謝申し上げます。

 UNMINの活動は終了しましたが、ネパールにおける和平プロセスはまだ終了しておらず、今後ともその進捗状況をよく見極める必要があると考えています。防衛省・自衛隊としても、UNMINにおける活動で得た経験を今後の糧とし、今後とも国際平和協力活動に積極的かつ戦略的に取り組んでまいります。

伝統の「降下訓練始め」
空挺団

北澤大臣「新しい時代の防衛力を形作る力に」

最精鋭400隊員が降着戦闘繰り広げる

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 第1空挺団(団長・山之上哲郎陸将補)の平成23年「降下訓練始め」が穏やかな晴天に恵まれた1月9日、千葉県・習志野演習場(習武台)で行われた。訓練には人員約400名、航空機約20機、車両約50両が参加。また、空自航空支援集団、陸自第1ヘリコプター団、第1師団、東部方面航空隊、富士教導団、中央即応連隊が支援した。

 午前11時前、演習場上空にCH—47ヘリが飛来、高度約340mから山之上団長以下各指揮官、曹友会長、最年少隊員が次々に落下傘降下し、青空に大輪の花が咲いた。

 引き続き、北澤俊美防衛大臣をはじめ防衛省・自衛隊の高級幹部、来賓、一般市民ら約1万人が見守る中、降着戦闘が始まり、偵察部隊の潜入・偵察活動、ヘリからの敵部隊に対する航空攻撃、軽物量の投下、C—130、C—1輸送機から主力部隊の空挺降下、迫撃砲部隊の陣地進入、AH—1Sによる対機甲戦闘などが実戦さながらに繰り広げられた。

 訓練終了後、ラッパ吹奏に続いて、北澤大臣が全参加隊員を前に「日頃からの厳しい訓練や任務を重ね、高い士気と練度を誇る隊員諸官に接し、防衛大臣として改めて大変誇りに感じている」と空挺隊員を称えながら「昨年は、新しい防衛大綱が策定され、その中で打ち出された『動的防衛力』という考えのもと、今後、自衛隊では、より高い機動力や迅速な展開・対応能力が求められてくる。第1空挺団の役割も、これまで以上に重要になると考えられる。隊員諸官は厳格な規律のもと、日々の訓練と自己研鑽により、一歩一歩、技術や能力を高めていくことを通じて、新しい時代の防衛力を形作る力となるよう」訓示した。


新年のメッセージ
統合運用の更なる実効向上へ

統合幕僚長 折木良一陸将

 読者の皆様、国内外の各地で勤務している隊員諸官、新年あけましておめでとうございます。

 さて、国際的な安全保障環境は、大規模な軍事的衝突の蓋然性は低下する一方、大量破壊兵器の移転・拡散等の脅威に加え、宇宙空間・サイバー空間に対する脅威が認識されつつあります。我が国周辺では、依然として領土問題や資源問題などが未解決のまま存在しております。

 このような中、自衛隊は、国内では、宮崎県口蹄疫対応等の災害派遣のほか、平素から我が国周辺の警戒監視や情報収集、対領空侵犯措置等を不断に行っているところです。国外では、昨年発生したハイチ大地震・パキスタン大洪水に際し、国際緊急援助隊を派遣しました。また、ソマリア沖・アデン湾における海賊対処、ゴラン高原派遣輸送隊、ネパール軍事監視要員、スーダン司令部要員等の派遣を継続するとともに、新たにハイチ共和国、東ティモールへの派遣を開始しております。

 その他、昨年日米安保条約締結50周年を迎えた日米同盟深化のほか、様々なレベルにおける防衛交流・安全保障対話等を積極的に推進してまいりました。

 このように、自衛隊は、安全保障環境の変化に応じ、「我が国の平和と独立を守る」という任務を確実に実施するとともに、国際平和協力活動など幅広い活動を行っているところであり、昨年末に策定された新たな防衛計画の大綱・中期防衛力整備計画の下で、国民の皆様の信頼に応え得るよう、陸・海・空各自衛隊が団結して万全の態勢を維持していく所存です。

 本年も隊員諸官とともに統合運用の更なる実効性の向上に努め「今日に即応し、明日に備える」態勢を維持し、与えられた任務の達成に邁進することを誓い、新年のご挨拶といたします。