自衛隊ニュース

ゲッキーのイラスト

HOME's English Class
(防衛ホーム英語教室)

I'm freezing to death!

アイム フリージング トゥ デス

凍え死にそうだな!


 皆さん。How are you doing? お元気ですか? お正月早々に米国のカリフォルニア州立大学のバークレー校に短期留学してきました。講義と研究の準備もあり、年末からはクリスマス、お正月気分もなく過ごしました。事務所のちかくにある靖国神社に無事帰朝できたことをお礼参りして、やっと生活が落ち着いた感じがいたします。あらためて、本年もご愛読の程、よろしくお願い申しあげます。バークレーは、晴天に恵まれ、毎日穏やかな天候のなかで研究できました。米国の北部では、記録的な寒波が到来して、大変なことになっていましたが、ニュースのインタビューでよくfreezingという単語を耳にしました。実際に、軒先からツララがたれ、積雪にうもれているシーンをみると、寒さが伝わってくるような感覚でした。


 今回の表現は、"I'm freezing to death!"「凍え死にそうだな!」です。freeze(フリーズ)は、「凍る、氷結する、動かなくなる、動作を止める」という意味です。今回は、凍えるという意味で使っていますが、米国で、警官、警備員、あるいは物取りがあなたに銃をつきつけて「Freeze!」と叫んだときは、その場で凍りついたように動作をストップします。過去にハロウィーンで日本人留学生がこの言葉を「Please」と聞き間違え惨事になったこともありました。「凍える」、「止まれ!」を一緒に覚えて置いてください。to deathは、「死に至るまで」という感じ、死ぬぐらいという意味です。これだと大げさだと感じるならば、It's freezing cold.「凍えちゃうぜ」がおすすめです。


 まだまだ、寒い日が続きます。健康に留意してお過ごしください。外出後のうがい、手洗いの習慣は、風邪予防と同時に生活に区切りとリズムを与えてくれます。ストレスのない陽気で楽しい生活をお楽しみください。See ya!

〈スワタケル〉

防衛ホーム 俳句コーナー

四方へ矢を放ち行者のどんど焚く  脇田登志子

手付かずの神饌田の畦の蕗の薹  岡野アイコ

都庁まだ影として立つ初明り  田中雅巳

湯の町の路地そちこちにはだれ雪  辰巳一郎

家居して夫所在なく日脚伸ぶ  八木多佳子

麦踏の向き変へるたび筑波見ゆ  宮本立男

水仙の翳を纏ひし白さかな  高木智念

日溜りに其処此処彼処蕗の薹  馬場美雪

スイートピー活け湯の街の骨董屋  藤岡孝子

野火の炎の立ち上がりては這ひ寄れる  佐賀あかり

満天の星の煌めき寒波来る  氷川杜夫

日の温み根方に集め冬木立  折口桂子

耕して一畝ごとに長休み  東 秀文

遠富士のいよいよ遠し冬霞  水島孝雄

夫婦して暇な余生を日向ぼこ  人見冬菜

古びたる地口行灯午まつり  水野 正

地に返る色とは見えず落椿  米田ふさゑ

春浅し赤きスカーフ巻き直す  森 佳世

   選 者 吟

どの庭も白梅の咲き蜑の路地  成川雅夫


スポーツよもやま話
根岸直樹

松井氏 新たなスタート

 「いやあ、こんなにリラックスした日を送れたなんて、ここ10数年なかった。いい休養ができました」と松井秀喜さん(39)。気のせいかほほのあたりがふくらんで、血色もいい。暮れの22日に久々に帰国、郷里の石川県能美市を中心に、10数年ぶりの休養を楽しんだ松井さんも、新しい年を迎えて、いよいよグラウンドに立つことになった。

 予定は二月の巨人軍・宮崎キャンプから。「とりあえず計画らしいものは立てているが、ほとんどは白紙」だそうだ。現役から退いて2年。昨年フロリダ州タンパのヤンキース2軍キャンプでユニホームを着てバットは手にしているが「コーチ」の肩書きが付いての始動は、2月の宮崎キャンプが初めてだ。

 ただし「臨時」ということで、本格的にメニューを提示するのは、もう少し先のことになるのだろう。宮崎では「みんなが希望するなら、原監督とホームラン競争ならやってもいい。面白いかも」と話している。それにしても生涯382本と日米通算505本の松井さんの打ち合い、見応えも十分。実現すれば大変な話題を提供してくれることになるだろう。

 松井さんがあるとき、こんなことをいっていた。「ある人に聞いた話だが、昔の偉人が"やってみせ、いって聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば人は動かじ"といったそうだ。ほめてやらなくともいいが、ここはそうした方がいいと、直してやる必要はあるだろう。自分の体が自由に動くうちに、やってみせる指導をしてみたい。若い人には、やってみせるのが一番いい」と。

 一月初め地元・石川県能美で松井秀喜杯争奪の少年野球優勝チームと記念写真を撮ったときのこと。少年チームの代表から「早く日本に帰ってきて監督になって下さい。ぼく達は松井監督の元でプレーができる日が来るように頑張っていきます」といわれ、これ以上ないような笑みを満面に浮かべて「野球を愛する気持ちを忘れずに続けていってほしい。ぼくも頑張るから、君達も途中で挫折することなく続けて下さい」と話しかけていた。小学生から始めた自分のことを思い浮かべていたのか。

 公表はしていないが、春には待ちに待ったジュニアが誕生と聞いている。松井さんの父・星雄さんは「メジャーで一流のコーチ・監督を目指すことが最高の夢なのかもしれないが、最後はやはり日本に帰ってきて、若い選手を育ててほしい。家族も近くに住むことが一番いいんじゃないか」と話していた。

 原監督の次ぎは松井監督だと、誰もがいっている。これで決まり。長嶋生涯監督もいってるじゃないですか。『巨人軍は永久に不滅です』と。松井さんは長嶋監督に出会ってから「野球人生が一変した」といっていた。野球に対する姿勢は意外に古風で現役時代、最後まで革手袋を使わなかった。「シンに当たらないと手がしびれる。そのためには素手が一番いいんだ」といっていたのをいま急に思い出した。

紙面一覧
紙面一覧
close