2014年2月15日 の記事
空自「UH-60J用途廃止」
航空自衛隊初のUH—60J52号機の用途廃止に伴う記念式典が、1月23日(木)新田原救難隊で行われた。
当日は、52号機の用途廃止を祝福するかの如く雲一つ無い青空となり、記念式典には第5航空団飛行群司令西野1佐をはじめ基地所在部隊長、OB会(てげてげ会)及び協力会(助くっ会)等多数の御来賓の御臨席を賜ることができた。
新田原救難隊長による式辞の後、祝辞において第5航空団飛行群司令西野1佐は、災害派遣における指揮所勤務経験から、海上保安庁が遂行できない任務を救難隊が完遂した際、操縦士から「UH—60Jの能力があってこその成果でした。」と聞かれた話を披露して頂いた。
式典終了後記念撮影を実施し、出席者全員で52号機の最後の飛行となる小牧基地への空輸任務を見送り、全ての行事を無事終了した。
空自UH—60Jは、51号機から53号機まで、米国において組み立てられ、試験飛行を行った後分解され、三菱重工小牧南工場で組み立てられ、航空自衛隊に納入された。
本来52号機は、製造番号が一番であったが、米国での試験飛行が長引き、先に試験飛行が終了した2番機が航空自衛隊初号機として納入された経歴がある。
52号機は、平成3年3月航空自衛隊に納入され、平成3年9月に航空救難団へ配属となり、救難教育隊において、運用試験等を行い、平成4年7月に千歳救難隊に配備された後、救難教育隊、小松救難隊、松島救難隊、百里救難隊、浜松救難隊、那覇救難隊、新田原救難隊で数々の災害派遣に出動、及び、救助ヘリコプターのパイロット養成に使用され、約23年間の任務を全うした。
平成26年1月23日(木)新田原基地から、小牧基地に空輸された52号機は、最終任務の空輸を終え、小牧基地において用途廃止に向け、準備が始まった。