自衛隊ニュース
パリ五輪で任務完遂
近代五種で審判員務む
海2術校(田浦)の清水3佐
海上自衛隊第2術科学校(学校長・南厚将補=田浦)の体育教官室長、清水3佐は8月8日から同11日の間、フランス共和国パリ近郊で開催された「第33回オリンピック競技大会(パリ大会)」近代五種競技に国際技術役員(ITO=International Technical Official)として参加した。
清水3佐は、東京五輪での貢献が国際近代五種連合から評価され、日本人初の近代五種競技ITOに選出された。今大会の女子フェンシング・ランキング・ラウンドのメイン会場での主審を務めるなど、日本人審判員の技量の高さを示すとともに、同種目の競技運営に大きく貢献した。
パリ大会では、海上自衛官の佐藤大宗2曹(さとう・たいしゅう=自衛隊体育学校所属)がオリンピックの近代五種競技112年の歴史の中で日本人初となるメダル(銀メダル)を獲得する快挙を成し遂げたが、日本選手は大会期間中にユニフォームチェックを何度も受けるといった状況があった。
清水3佐は、競技運営サイドに重点項目等を再確認し日本チームと共有することで、不要なペナルティーの回避にも貢献した。
メダル獲得後押しも
大会前に主催者や競技団体はルールや規程の範囲での競技運営方針を決め、テクニカルミーティング等で開示する。近代五種競技も同様であり、それらの情報は全て英語で開示されることから、清水3佐は競技運営方針等の重要事項を日本代表チームと日本語で共有を図り、有効な対策を講じたことが佐藤2曹の実力を引き出し、メダル獲得につながったといえる。
近代五種は、2025年1月から馬術が「オブスタクル」に変更されることが決定している。
4年後のロサンゼルス大会に向け、日本選手のさらなる強化には国際連盟の新ルール等の情報活用が不可欠であり、パリ五輪は、情報戦略が極めて重要であることを再認識することができた大会であった
富士駅伝で4位
留萌
第26普通科連隊(連隊長=小川1佐)の留萌自衛隊持続走訓練隊は8月4日、「秩父宮記念第49回富士登山駅伝競走大会(自衛隊の部)」に参加した。
大会は、御殿場競技場と富士山頂を往復する11区間総距離48・19キロを6人でたすきをつなぎ、山頂区間(6区)を除く5区間は1人が往路・復路を走る「日本一過酷な駅伝レース」と言われている。
地元から大応援団も
留萌チームは、2大会連続で第3位に入賞しているため、今大会は2位以上を目標に掲げ、ベテラン隊員から若手隊員まで一致団結して大会に臨んだ。
富士登山駅伝大会留萌市後援会(会長・留萌市長)の大応援団も富士山の岩場や砂走りを登り、各選手に声援を送り応援旗を力の限り振って後押しした。
レースは上位6チームが一進一退の攻防を繰り広げ最後まで勝敗が分からないくらいし烈な戦いとなった。留萌チームは昨年の記録を上回る好成績でゴールしたものの、他チームの力走に及ばず惜しくも第4位でゴールした。
監督の三浦3尉は「第2位という目標は達成できなかったが選手たちの走りは最高だった。常日頃から支えていただいている留萌管内の皆様及び駐屯地の隊員に感謝しつつ、これからも訓練に邁進していく」と述べた。
◇出場選手▽1・11区=野村士長(2中隊)▽2・10区=佐々木3曹(4中隊)▽3・9区=黒木3曹(2中隊)▽4・8区=高坂3曹(8区区間賞、3中隊)▽5・7区=高橋曹長(キャプテン、2中隊)▽6区=佐藤1曹(1中隊)
5旅団はママチャリレースで
ワンツーフィニッシュ
第5旅団司令部付隊(隊長・工藤3佐=帯広)は8月17日、北海道・更別村十勝スピードハイウェイで行われた「全日本ママチャリ耐久レース」に参加した。
大会は十勝スピードウェイが発祥の地とされ、1週3・4キロのコースを1チーム最大10名で交代しながら6時間走り続ける過酷なレース。
司令部付隊からは「OVER350の部」に「サーキットの狼A」(平均年齢47歳・8名1チーム)、「サーキットの狼B」(同46歳・9名1チーム)の計2チームが参加。見事なペダル漕ぎと鍛え抜かれた体力、チームワークで他チームを圧倒し、サーキットの狼Bが「優勝」、サーキットの狼Aは「準優勝」と素晴らしい結果を獲得した。
大会終了後、工藤隊長は「体力・気力が続く限り来年もみんなで挑戦したい」と抱負を述べた。
司令部付隊は力を合わせて走り抜いたことでさらに一体感を増し、より一層の絆を深めることができた。
F4に抱いた夢の実現へ
幹候校(奈良)の関根候補生
奈良基地所属の一般幹部候補生(部内)関根候補生は、幼少期に航空祭で見た航空機に憧れ航空自衛隊に入隊した。入隊後、航空機を整備する任務に就いた関根候補生は偶然、同機との "再会" を果たした。
関根候補生がF4戦闘機352号機に初めて出会ったのは7歳のとき。航空自衛官(航空機整備員)だった父と一緒に訪れた入間基地航空祭で、展示されていた同機の前で記念写真を撮った。
16年後、関根候補生は、航空自衛隊百里基地で航空機整備員として勤務することになり、偶然にも352号機と再会した。しかし5年後、この戦闘機も退役を迎えることに。関根候補生は退役を迎えるその瞬間を直接見届けた。
関根候補生は「入隊のきっかけになった352号機の整備に携わるとともにその退役を見届けたことは非常に幸福なことであり、言葉にできないほど感慨深かったです」と語った。
さらに、「352号機を子供の時に初めて間近で見たとき、私は二つの夢を持ちました。一つは父と同じ航空機の整備に携わる職に就くこと、もう一つは航空機開発に携わる職に就くことです。航空機整備員として一つ目の夢は叶いました。そして、現在は航空機開発に携わるべく父と同じ幹部自衛官としての道を歩み始めました。今後は、航空機整備員としての知識を生かし技術幹部として航空機開発に携わり、国防に貢献していきたいです」と、夢に向け決意を新たにしている。