自衛隊ニュース
八シ通分、青森地本長から褒賞授与
広報実績で
自衛隊青森地方協力本部(本部長・渡邉雄一1海佐)は2月6日、海自八戸システム通信分遣隊(分遣隊長・鬼塚主税3海佐)に対して本部長部隊褒賞を授与した。
青森地本が部隊広報活動の実績による本部長部隊褒賞を授与するのは、今回が初めて。
この部隊褒賞は昨年6月から12月にかけ八シ通分が実施した青森港、八戸港及び八戸航空基地における青森地本主催の艦艇広報・基地サマーフェスタに併せた移動通信訓練を兼ねた自主広報、地元高校生を対象とした職場研修及び進路ガイダンスへのリクルータ派出等に対するもので、幅広い採用広報活動への貢献を評価した。
なお、令和6年2月時点で令和5年度に八シ通分が実施した広報活動における延べ広報人数は2030名に上り、採用対象年齢層はもとより、幼児から年配者に至るまで幅広く海上自衛隊のPRに成果を挙げている。
渡邉青森地本長は今回の褒賞授与に関し「青森県は、人口減少率及び人口に占める15歳未満の子供の占有率が全国ワースト2位。また進学率及び有効求人倍率の上昇、民間企業の処遇改善等によって、厳しい募集環境に一層の拍車が掛かっている状況にあり、募集広報は一層の工夫が必要。特に宇宙、サイバー、電磁波の新領域において将来活躍する隊員の獲得は喫緊の課題。こうしたなかで八シ通分が実施している体験型広報の試みは青森県においては過去に例がなく、各地において大変好評であった。今後もぜひとも広報活動へ協力をお願いする」と功績を称えた。
鬼塚八シ通分長は「どうすれば広報対象者に宇宙、サイバー、電磁波の新領域に興味を持ってもらえるか知恵を絞った」と振り返り、また同分遣隊先任伍長(寺口洋海曹長)は、「広報の知見がほとんどないなか、創意工夫をして新領域の魅力を伝え採用広報に少しでもつなげたい思いを隊員一同が共有し、各地での広報に臨んだ。入隊者数の減少は自らの職場にも直結する正面の課題であり、身近な危機として捉える必要がある。褒賞受賞の栄誉は今後の隊員の励みにつながった」と語り、来年度以降の活動に意欲を示した。
海自P1 シードラゴン参加
海上自衛隊は1月8日から24日までの間、米グアム島周辺で行われた令和5年度米海軍主催固定翼哨戒機多国間共同訓練(シードラゴン2024)にP1(第3航空隊第31飛行隊長・片桐尚樹2海佐以下派遣人員約40名)を派出した。
海自は戦術技量の向上と参加国海空軍との連携強化を図るため2020年から本訓練に参加しており、今回で5回目。
米国のほかオーストラリア、インド、韓国が参加し対潜戦を実施。海自は昨年優勝した第1航空隊に続き本年も優勝し、2年連続1位の快挙を達成した。
内閣府とコラボし海洋安全保障
海幕募集推進室
海幕募集推進室はこのほど、内閣府総合海洋政策推進事務局(参事官・谷口礼史氏)と連携し、国士舘大学(柴田徳光専任講師=外交史専門)での海洋安全保障の講義を実施した。
総合海洋政策推進事務局に出向している海上自衛官(宮田裕己2海佐)に海幕募集推進室が取り組んでいる大学生へのアプローチ施策を紹介したところ海洋人材の育成・確保の観点で事務局から連携の提案があり、実現した。約40名の大学生が講義に参加した。
講義の前段は、谷口参事官が「我が国の海洋をめぐる状況と海洋基本計画について」と題して、我が国におけるに海洋の重要性を説きつつ海洋基本計画の概要及び海洋開発や海洋関連技術等の具体的な施策について説明した。
後段は海幕募集推進室の岡山幸弘3海佐が講義のシラバス(地政学が主なテーマ)を踏まえ、シーパワーに関する講義を実施。海上自衛官としての知識や経験を織り交ぜながら分かりやすい説明に努めた。
学生からは「海洋開発重点戦略の内容がとても興味深かった」、「海の重要性、利便性を知ることができ海が『世界の公共財』という意味を改めて理解した」といった声が聞かれ、海洋政策や海上自衛隊等への関心が高まった様子が伺えた。
海幕募集推進室は「四方を海で囲まれ、海洋に係る悠久の歴史を有する我が国にとって、海洋基本計画に示される海洋人材の育成は海洋立国の観点から極めて重要な取り組みである。募集の観点からも海上自衛官を志願する若者の増加に長期的かつ間接的に寄与するものと考えている。より若い世代に『海』や『船』に関心をもってもらうため、引き続き海上保安庁をはじめ海洋政策に係るさまざまな組織・機関等と連携し、海の魅力等をPRしていきたい」としている。
広島サミット
安全確保の功績で陸海空7部隊に第1級賞状授与
G7広島サミット(昨年5月19~21日、広島市)での会場周辺の安全確保に貢献した功績で3月12日、陸海空自衛隊の7個部隊に木原防衛大臣からの第1級賞状が贈られた。防衛省で鬼木副大臣が表彰状と副賞の盾を伝達した。
受賞部隊は次の通り。
▽陸上総隊・同支援部隊
▽呉地方隊・同配置部隊・同支援部隊
▽システム通信隊群
▽航空総隊
▽航空支援集団
▽自衛隊サイバー防衛隊
▽中部方面隊・同配属部隊・同支援部隊
読史随感
神田淳
<第146回>
石橋湛山…信念の言論人・政治家・思想家
石橋湛山(1884-1973)は第55代内閣総理大臣。1956年自由民主党総裁選で岸信介を破って総理に就任し、独立回復(1952年)後の日本再建の舵取りに邁進したが、2か月後気管支炎肺炎に倒れた。病気は容易に快復せず、医師団は向こう2か月の静養加療が必要と診断。ここにおいて湛山は退陣を決意した。「ーー私は新内閣の首相としてもっとも重要なる予算審議に一日も出席できないことがあきらかになりました以上は首相としての進退を決すべきだと考えました。私の政治的良心に従いますーー」。湛山の潔い身の引き方を知った国民は粛然とし、彼の退陣を惜しんだ。
石橋湛山は戦後政治家に転身し、総理大臣にもなったが、戦前は東洋経済新報社記者、後に社長として言論界で活躍した著名なジャーナリストだった。湛山は自由主義者であり、戦前の、自由が失われていく時代にあって一貫して自由の論陣を張った。湛山は帝国主義、植民地主義に反対し、小日本主義を説いた。満州事変では大新聞がこぞって関東軍の行動を支持したとき、満蒙は日本のものにあらずとして、満州領有の不可を明言した。湛山は軍部の独走とその政治干渉を批判し、あくまで政党主体の議会政治を擁護した。軍部による言論統制が強化され、良からぬ自由主義者、反軍的であると圧迫を受けたが湛山は屈しなかった。
言論人石橋湛山は確固とした哲学と歴史観をもち、結果としてその主張には未来を先取りしたような見識が見られる。湛山は大国日本主義を棄て、植民地の朝鮮、台湾、樺太を放棄し、満州に持つ日本の権益もすべて放棄せよと説いた。あの時代の日本人には到底受け入れられない主張である。しかしその後の歴史を見ると、大国日本主義の日本は満州権益に端を発する日中戦争につまずき、米英との戦争に突入し、敗戦で植民地をすべて失い、戦後小国日本となって復活した。日本は結果として湛山の見通した道を歩んだことになる。湛山は過去の欧米列強の帝国主義による植民地経営が、国民全般にとっては採算がとれるようなものでないことを、具体的に論証した。これからの世界は植民地の全廃に進むであろうし、すべての植民地が独立して新しい国家をつくるのが世界史の流れであると、あの時代に断言した。
また歴史を振り返ると、戦前日独伊三国同盟の締結が日本の進路を決定的に誤らせたとの歴史評価はほぼ定着しているが、湛山は当時国内で高まる自由主義排撃の動きや独伊両国への礼賛気運を戒める言論を展開した。自由主義・個人主義・デモクラシーが「わが国体に適わない悪思想」であり、独伊両国で起こった全体主義は「日本古来の精神と一致する」などという見解は軽薄である。平和が回復し産業が進めば、独伊の今日の全体主義は段々変化し、「中正の思想」に戻るだろう。両国があくまで個人的傾向を取り入れず、極端な全体主義を固守するならば、その全体主義は必然的に崩壊すると湛山は断言した。湛山は真の自由主義の理念を示し、自由主義に対する世間の誤謬を正そうとした。日本は対独伊接近策ではなく、親英米主義、特に対英関係改善により現状を打開すべきであると湛山は主張した。
石橋湛山は戦前言論人の信念を貫き、しばしば時代を超える識見を示した。現在の日本は新しい戦前の時代などと言われる。湛山が生きていれば現在の日本と将来をどう洞察するだろうか。
(令和6年4月1日)
神田 淳(かんだすなお)
元高知工科大学客員教授。
著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』などがある。