自衛隊ニュース

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平成30年度自衛隊音楽まつり
平和に向けた「挑戦」を表現

 11月21日から23日の間、日本武道館において自衛隊最大の音楽の祭典「平成30年度自衛隊音楽まつり」が開催された。一般公演と招待公演合わせた全7公演には約41500人が来場し、陸海空自衛隊と海外ゲストバンドとの約900人の共演に胸を弾ませ、惜しみない拍手を送った。

 最寄り駅の九段下駅から会場の武道館までの混雑はこの時期の風物詩。開場2時間前から良い席を取ろうと長蛇の列ができる。心待ちにした「自衛隊音楽まつり」。今年度のテーマは「挑戦CHALLENGE」だ。夢と希望に満ちた平和で明るい未来の実現。その思いを音楽で表現するという「挑戦」が始まった。

 「序章:挑戦始まる」では映画「シンゴジラ」でも印象的な「who will know」を陸海空の歌姫達がソプラノで歌い上げる静かな幕開けから陸海空自衛隊音楽隊による合同演奏、オープニングセレモニーと続いた。

 「第1章:陸の挑戦」では、仙台に拠点を置く陸自東北方面音楽隊が「仙台七夕まつり」の世界観を華やかに表現。続く陸自西部方面音楽隊は九州に縁のある大河ドラマメドレーを演奏した。お馴染みのゲストバンド米海兵隊第3海兵機動展開部隊音楽隊、在日米陸軍軍楽隊はパワフルかつジャジーな演奏で聞く者のハートを掴んだ。陸自中央音楽隊と第302保安警務中隊は「祖国」「分列行進曲」を。一糸乱れぬ移動演奏は「さすが」の一言。最後は大きな震災を経験した東北方面音楽隊と西部方面音楽隊を含む第1章出演部隊による「明日へ」。真っ直ぐな歌声と演奏で来場者は被災地に思いを馳せた。

 「第2章:海の挑戦」では、フランス海軍所属バガッド・ド・ラン=ビウエ軍楽隊が日仏外交関係樹立160周年を記念して欧州から初参加。バグパイプやボンバルドというブルターニュ地方のオーボエの演奏はどこか懐かしさを感じさせるものだ。日本と同じく海洋に囲まれたシンガポール軍軍楽隊は2回目の参加。伝統舞踊を取り入れた華やかな演奏で魅せた。海上自衛隊東京音楽隊は、初めて2名のボーカルデュオ(三宅由佳里3海曹・中川麻利子3海曹)に挑戦。また「行進曲『軍艦』」では会場が手拍子に包まれた。

 「第3章:飛翔」では、防衛大学校儀仗隊が新フォーメーションに挑戦。「ファンシードリル」を披露した。自衛太鼓では、全国各地で活動する太鼓部12チーム約200人が織りなす圧倒的な技術と力による音で武道館を揺らすほどの迫力を見せつけた。

 「第4章:空の挑戦」では航空自衛隊中央音楽隊と自衛太鼓による共演に続き、「天空の城ラピュタ」「空の精鋭」の演奏に航空自衛隊演技隊の華やかな演舞が彩りを添えた。

 最終章の前に紹介されたのは、公演を「縁の下の力持ち」として支えた東部方面隊から選抜された「演技支援隊」。演技支援にあたった約600名を代表してステージに整列した隊員たちにこの日一番の大きな拍手が送られた。

 「最終章:終らぬ挑戦」は全出演部隊による合同演奏。荘厳な「SEIMEI」、「ジュピター」と続き、最後は「みんながみんな英雄」で会場が一体となった。

 約2時間の「挑戦」はあっという間に過ぎた。今後も多くの課題に挑まなくてはいけない自衛隊。しかし最終章で5人の歌姫が笑顔で歌った『あたらしい未来がやってくる』という歌詞に、自衛隊の挑戦の先に待つ光を感じることができた。

平成30年度職種等強化施策(特科)

第1特科団

 第1特科団(団長・片岡義博陸将補=北千歳)は、10月15日から22日までの間、矢臼別演習場において「平成30年度職種等強化施策(特科)」を担任実施した。

 本訓練は、「師団の陣地防御における情報と火力の連携を強化するとともに、総合戦闘力を最大限発揮し得る方面隊の特科部隊を練成する。この際、観測機関の標定能力の向上を重視するとともに、方面直轄情報部隊等と協同訓練を実施する」ことを目的として、参加人員2042名、火砲36門を編成するとともに、方面隊内特科部隊の他、第1電子隊、北部方面情報隊との協同により行った。

 全部隊編成完結式において統裁官(第1特科団副団長・千葉徹1陸佐)は、「迅速・確実な目標情報の収集・処理を追求せよ」、「主動的な射撃指揮の実行」、「安全管理・健康管理」の3点を要望し、「各部隊はこれまでの訓練成果を発揮し、創意を凝らして本訓練の目的達成に努め、達成感を持って訓練を終了し、それぞれの部隊に帰れることを期待する」と訓示した。

 各訓練部隊は、情報中(小)隊、観測中隊及び直轄観測機関による砲目標の標定と、第1電子隊及び方面情報隊の獲得した目標情報とを合同情報所において共有するとともに、特科連隊・群・隊本部は、情報処理から射撃指揮に至る火力戦闘指揮を一連の状況下で行った。

 対抗部隊は、第7特科連隊長(川口貴浩1陸佐)の指揮の下、訓練部隊の観測斥候潜伏下の中、企図を秘匿した陣地占領を行い、広域分散・頻繁な小移動により健在性を保持しつつ、火力戦闘を実施した。また、訓練の終始を通じ、迅速・確実な安全点検の実施により射撃任務(射撃弾数1111発)を整斉と行い、訓練の目的達成に寄与した。

 また、今年度も敵を強く意識させるため交戦訓練装置を使用し、火砲及び隊員にレーダ受信装置を装着して、審判を実施した。参加各部隊は連・群・隊長以下、今まで積み上げてきた訓練成果を遺憾なく発揮して、じ後の特科部隊の訓練に多大な教訓を得て訓練を終了した。

平成30年度日米最先任下士官等会同

 10月24日から26日までの3日間、統幕最先任主催による「日米最先任下士官等会同」が行われた。本会同は今年で8回目であり、初めて海上自衛隊硫黄島航空基地にて開催された。

 本会同は「日米下士官の相互運用性向上のため、自衛隊及び米軍の現況を情報共有するとともに意見交換を行い、日米相互理解の深化及び信頼性の醸成を図る」を目的とし、統幕最先任荻野准空尉を始めとする陸海空自衛隊最先任上級曹長等17名、在日米軍最先任上級曹長グリーン最上級曹長を始めとする在日米陸海空海兵隊最先任上級曹長等11名の28名が参加した。

 会同では、統幕最先任から日本の防衛の基本方針である「実効性の高い統合的な防衛力を効率的に整備し、統合運用を基本とする柔軟かつ即応性の高い運用に努める」との発表があった。また、在日米軍最先任上級曹長から過去の統合作戦時における実例とその反省・改善点の紹介や、平時からのJoint-Mindの涵養が大切であると発表があり、日米最先任下士官は統合の重要性を再度確認した。

 意見交換・グループ討議は自衛隊、在日米軍に分かれて実施し、理想とする下士官の育成・下士官交流を実現するため、何ができるかをテーマに活発に議論が交わされ、相互理解の深化や陸海空の更なる連携に向けた前向きな意見が出ていた。

 戦跡研修において、参加者一同は天山慰霊碑、米軍将兵の碑等を参拝し、英霊に対し哀悼の誠を捧げた。また再会記念碑においてはその碑文(「かつての戦地、昨日の敵は、今や友好の地となり、今日の友である。〝Where we once met in war. We now meet in peace〟」)の前で、参加日米最先任下士官等が共に手を組み記念撮影を行った。これは、1945年(昭和20年)の激戦の地となった硫黄島の戦いから73年後の2018年に日米最先任下士官等が訪れ、改めて日米同盟の強化と友好と絆を象徴するものとなった。

 本会同の所見として、荻野統幕最先任からは「今回参加した日米最先任下士官の一人一人が過去を見つめ、現在を活かし、未来に向けて何を繋げていくかを全員が感じとったと思っている。今回の会同は我々にとって小さな一歩かもしれないが、未来に向けての確実な一歩になる。本会同は、最先任下士官等だけでは実現不可能であったが、最先任上級曹長等制度の意義を日米各司令官及び関係幕僚等の理解を得て実現できたことは、今後更なる制度の活性化及び理解促進にもつながるものであると思っている」とあり、日米会同参加者の多くの賛同を得ていた。

 期間中、最先任下士官等の交流と意見交換を通じて統合運用の在り方やその重要性を認識し、日本と米国の強固な同盟力を改めて確認することができ、意義深い日米最先任下士官等会同となった。

平成30年度 防衛大臣感謝状贈呈式

 同日、ホテルグランドヒル市ヶ谷(東京都新宿区)で「平成30年度防衛大臣感謝状贈呈式」が行われ、個人59名・団体81件が表彰された。岩屋毅防衛大臣は「自衛隊が誇りを持って日々の任務にまい進できるのは、皆様方のお支えがあってのことです」と挨拶を行った。

 ※受賞者については次号に掲載します。

次期飛行点検機U-680A塗装機を公開

<飛行点検隊>

 飛行点検隊(司令・中澤武志1空佐=入間)は次期飛行点検機「Citation 680A Latitude」の塗装済み画像を公開した。また自衛隊内での型式も「U-680A」に決定した。

 塗装は歴代点検機と同様に赤と白を基調とし、尾翼にはチェックの柄も施されている。デザインを担当した隊本部企画本部の後藤剛3空佐が「U-125の機体後部のデザインを活かしたかった。伝統の継承です」と話すように、機体後部が現行機U-125、前部が同じく現行機のYS-11を継承したようなデザインが特徴的だ。「U-680A」は平成31年度末にまず2機、32年度中に3機目が納入される予定。

マレーシア・エストニアと防衛相会談
各国との防衛協力・交流の更なる深化へ

日・マレーシア防衛相会談

 9月11日、小野寺五典大臣は防衛省で、マレーシアのモハマド・ビン・サブ国防大臣と会談を行った。また、会談に先立ち両大臣は「日本国防衛省とマレーシア政府との間の防衛協力・交流に関する覚書」に署名した。モハマド大臣は「第10回日ASEAN防衛当局次官級会合」の特別講演者として来日中だった。

 今回署名された覚書は小野寺大臣が前回の防衛相時に自ら提案したもの。両大臣は今後、覚書に基づき軍種間交流をはじめ、幅広い分野で防衛協力を具体化していくことで一致。また今年4月に締結された「防衛装備品・技術移転協定」を踏まえ、防衛装備・技術協力を進めていくことでも一致した。さらに海洋秩序には航行の自由と法の支配が必要であるとし、日本が提唱する「自由で開かれたインド太平洋戦略」に基づいた今後の協力についてマレーシアも同意した。

 日本とASEANとの防衛協力については、人道支援・災害救難等の分野の深化を進めることで両大臣は一致。地域情勢については、北朝鮮に対する日本の対応をモハマド大臣も支持する旨発言があった。また、南シナ海についても、国際法に基づく平和的な解決が必要で、国際社会として取組む必要性があるとの認識で一致した。


日・エストニア防衛相会談

 9月21日、小野寺五典防衛大臣は、エストニア共和国のユリ・ルイク国防大臣と会談を行い、地域情勢や、両国間のサイバー分野における防衛交流やNATOを通じた交流について意見交換を行った。

 冒頭、小野寺大臣は今年5月のエストニア訪問時に基地や訓練視察等で歓迎を受けたことに謝意を述べると、ルイク国防大臣も「大変光栄に思います」と述べた。また小野寺大臣は「今やサイバー分野における友好国間で連携した対処が極めて重要だ」と述べると、ルイク国防大臣も防衛省職員のNATOサイバー防衛協力センター(CCDCOE)への派遣を「歓迎する」と述べ、引き続き実務者協議等を実施しサイバー分野での協力を深化させていくことで一致した。

 地域情勢については、小野寺大臣が北朝鮮問題について「北朝鮮の完全な非核化のため、各国が連携して国連安保理決議の完全な履行を求めていくことが重要だ」と述べると、ルイク国防大臣も同意した。またルイク国防大臣からは、ロシアが実施した大規模演習「ボストーク2018」への懸念が示された。


米第3海兵機動展開部隊司令官

 9月20日、小野寺五典防衛大臣は防衛省において第3海兵機動展開部隊司令官兼沖縄4軍調整官・エリック・M・スミス海兵隊中将の表敬を受けた。スミス司令官はニコルソン中将の後任として8月2日に着任したばかり。

 小野寺大臣はスミス司令官の就任を歓迎するとともに「自衛隊の水陸機動能力向上において今後も一層の協力をお願いしたい」と述べた。また在沖縄4軍を調整する役割を兼務するスミス司令官に対し「安全な運用を心がけ、事件・事故に対しても特に注意して頂きたい」と要望した。

 スミス司令官は「日米同盟関係は決して崩れることはない」と強調。また「私も妻も沖縄で生活しています。沖縄はマイホームです。県民に対してもベストなパートナーだと立証したい」と述べた。


第52回自衛隊高級幹部会同

 9月3日、防衛省において「第52回自衛隊高級幹部会同」が、自衛隊最高指揮官の安倍晋三内閣総理大臣を迎えて開催された。自衛隊の高級幹部に対して防衛省の政策方針を周知徹底させることを目的に実施されるこの会同で安倍首相は、小野寺五典防衛大臣をはじめ、副大臣、各政務官、事務次官、各幕僚長、各機関長・部隊長ら講堂に集まった防衛省・自衛隊の高級幹部約180名に対して訓示を述べた。

 安倍首相は今夏の豪雨災害における自衛隊の活動に対し「本当に頼りになった」と高く評価。また、今冬に策定予定の防衛大綱、中期防について「これまでの延長線上ではなく、大局観ある、大胆な発想で考え抜いてほしい」と要望した。最後に厳しい環境の中でも「自信と誇りを胸に、日本と世界の平和と安定のため、ますます精励されることを切に望む」と激励した。

 続いて小野寺大臣は今後取り組む課題として「防衛政策の根幹となる自らの防衛努力について」「日米同盟の強化」「安全保障協力の推進」「規律の維持と安全の確保」について訓辞。「責任の重さを今一度深く認識し、緊張感を持って日々の職務に当たって頂きたい」と要望した。

平成30年度富士総合火力演習

水陸機動団が初出演

 8月26日、「平成30年度富士総合火力演習」の一般公開が静岡県の東富士演習場で行われ、小野寺五典防衛大臣、高橋憲一防衛事務次官をはじめとした防衛省・自衛隊の高級幹部、国内外の来賓、そして倍率約28倍の抽選で当選した一般客が陸上自衛隊最大規模の実弾演習を見守った。

 本演習は昭和36年に陸自富士学校の学生教育の一環として始まり、一般公開は昭和41年から行っている。今年度の演習担任官は富士学校長・高田祐一陸将、演習実施部隊指揮官の富士教導団長・古田清悟陸将補を中核に人員約2400名、戦車・装甲車約80両、各種火砲約60門、航空機約20機、その他車両約700両が参加し「前段」「後段」で勇姿を見せた。

 演習は例年どおり、陸上幕僚長・山崎幸二陸将から小野寺大臣に対し準備完了報告がなされ、前段演習「陸上自衛隊の主要装備品の紹介」が開始。まず特科火力の展示として、陸自で最も多く配備されている155mmりゅう弾砲FH70が登場。少し遅れで99式自走155mmりゅう弾砲が進入。全ての射弾を同時に破裂させる「TOT」など速やかで広大な正面に対する射撃を披露、特定の広さの地域を制圧する場面を目の当たりにした。また陣地変換時に本来牽引式のFH70が自走する姿も見ることができた。その後は中距離火力、近距離火力、ヘリ火力、対空火力の紹介が続き、前段最後は戦車等火力の紹介。本演習で初めての射撃展示を行う16式機動戦闘車(MCV)2両が進入。空輸性、路上機動性に優れたMCVが105mm砲を発射するとその轟音に観客がどよめいた。続いて別の2両が横行行進射撃及び蛇行進射撃と離脱行進射撃を実施、その機動性と10式戦車と同等の命中精度を示すと同時に、搭載しているネットワークシステムによって戦闘に必要な情報をリアルタイムに共有する様相を見せつけた。

 15分の休憩を挟み行われた後段演習は畑岡地区を我が国の島嶼部と想定し、「島嶼部に対する攻撃への対応」のシナリオのもと、敵に進入された島嶼部を陸海空の統合運用作戦で奪回する様相を展示。警戒監視をしている海自P-1哨戒機の進入から状況が開始された。地上では陸自が保有する最新のネットワーク電子戦システム(NEWS)等が、電磁スペクトラム作戦を実施するとともに、緊急展開した即応機動連隊がMCV等により敵を撃破。その後、水陸機動団の上陸作戦では、海・空からヘリ等あらゆる手段で断続的に監視し攻撃をかける様子に観客は息をのんだ。また情報小隊による偵察ボートの迅速な隠蔽の様子、水陸両用車(AAV)による射撃、スカイレンジャー(UAV)いわゆるドローンの情報収集等初めて目にする光景もあった。そして最終段階、主力部隊の富士教導団が上陸し、87式偵察警戒車による偵察射撃、92式地雷原処理車による障害処理、各戦車部隊による攻撃等圧巻の火力攻撃等が行われた。最後は空地一体となり島嶼部一帯に残存する敵を撃滅し、島嶼部を奪回するため、更に攻撃する「戦果拡張」を行って状況終了となった。

 晴れ間が時折しかのぞかないあいにくの天気により、一部展示内容の変更を余儀なくされたが、霞がかり視界がクリアではない難しい環境が演習にリアリティーを持たせた。初めて来たという30代男性「音や衝撃が凄いとは想像していたが、ここまで凄いとは…」同じく始めて来た小学生男子「戦車がかっこ良かった、また来たい」と興奮覚めやらぬ観客達。MCV、AAV、電子戦など見所が目白押しの今年度の富士総合火力演習。29年度末に大改革を断行した新生陸上自衛隊が標榜する「即応機動する陸上防衛力」を存分に味わえた濃密な2時間であった。

美ら島レスキュー2018 <15旅団>

県内108機関、約1千名が参加、県・旅団の災害対処能力を向上

 本訓練は、マグニチュード9・0の大規模地震及び10mを超える大津波による被害を想定し、初動対処や人命救助、炊き出し支援、インフラ復旧等の図上訓練及び実動訓練、訓練研究会を通じて、防災関係機関及び在沖米軍との連携を強化するとともに、沖縄県及び旅団の災害対処能力を向上させた。

 また、今年は新たな取り組みとして、県の災害対策本部を県庁に設置し、よりリアルな訓練を行った。

 第15旅団長の原田陸将補は「大規模災害が沖縄で発生した場合、少なくとも発災後3日間は県内のアセットのみで最大限のことをやらなければならない。沖縄にいる私たちが頑張り、救える命をしっかり救えるよう、県と協力しながら、それを実現できる体制を作っていきたい」と述べた。また、県の池田知事公室長は「沖縄は離島県なので陸路による応援が望めない。大規模災害が起きた時には県内のあらゆる機関が協力して対応する必要がある」と述べた。

 第15旅団(旅団長・原田智総陸将補=那覇)は、7月18日、19日の両日、那覇駐屯地及び沖縄県庁において、沖縄県との共催による災害対策訓練「美ら島レスキュー2018」を行った。訓練の規模は年々大きくなっており、今年は県・陸海空自衛隊・在沖米軍・消防・自治体等108機関、約1000名が参加した。

全力で入浴支援

<第5旅団>

 台風7号と本州に停滞した前線の影響で中国、四国、九州及び関西地方などで記録的な大雨となり、河川の氾濫や土砂崩れが相次ぐなど西日本各地は甚大な被害に見舞われた。

 第5旅団(旅団長・堀井泰蔵陸将補=帯広)は、第2師団及び第11旅団とともに被災地における入浴支援任務にあたる北部方面隊入浴支援隊として、旅団司令部から2名、第5後方支援隊(隊長・蛯原良雄1陸佐)から22名、合計24名、車両12両の派遣部隊を編成し、7月9日(月)午後4時、帯広駐屯地所在部隊の隊員、派遣隊員家族及び自衛隊協力諸団体の方々約600名が見送る中、四国地方へ向けて帯広駐屯地を出発した。

 11日夜、活動拠点である愛媛県宇和島市吉田公民館に到着した派遣部隊は、翌日早朝より野外入浴所「熊乃湯」の開設準備を開始、午後から入浴支援活動を始めると、豪雨被害に遭われた多くの方々が集まり、「このような状況の中で入浴出来ることがとても嬉しい」、「北海道から来てくれありがとうございます。お風呂と隊員皆さんの笑顔に癒されました」など、多数の感謝と喜びの声をいただいた。

 数十年に一度の豪雨による被災地において、不安を抱えながら長期にわたり不自由な生活を余儀なくされている被災者の方々のために、旅団は引き続き全力で入浴支援活動を行う。

東京地本新庁舎開庁記念式典

4年ぶり「本丸」市ヶ谷帰還で新たなスタート

 東京地本が、約4年ぶりに「防衛省の本丸」市ヶ谷に戻ってきた。

 6月27日、東京地方協力本部庁舎において、新庁舎開設記念式典が盛大に実施された。式典には住田和明東部方面総監をはじめとした防衛省・自衛隊幹部、協力団体、地本OBら来賓と本部職員を合わせた約100名が参加した。

 東京地本は昭和31年8月に東京地方連絡部として竹橋に創設されその後、昭和35年檜町、昭和53年市ヶ谷と庁舎を移転。平成26年7月、庁舎の老朽化等を理由に長らく親しんだ市ヶ谷を離れ、新宿のイーストサイドビルの仮庁舎に移転した。平成28年10月から、防衛省に隣接する元外務省子弟寮跡地で新庁舎建設が始まり、今年5月に完成、約2週間の移転作業を経て6月18日から本格的に業務を開始した。

 東京地本部長・楠見晋一陸将補は式典において、平成27年7月の第1級賞状受賞をはじめ、募集・援護・予備自における実績や災害派遣等、新宿イーストサイドビル時代を振り返るとともに「再び慣れ親しんだ市ヶ谷の地で気持ちを新たに勤務できますことを隊員一同の喜びとするとともに、庁舎建設移転をご支援頂いた皆様に対し心から感謝申し上げたいと思います」と謝辞を述べた。また、東京地本は大都会東京を担任していることから「全自衛隊の人材確保の命運を担っている」とし、「隊員一同初心に返り、募集、援護、予備自、広報業務において、時代の趨勢に即した進化を遂げつつひとりひとりがなすべきことをなし、いかなる困難な任務も完遂するという気概を胸に一丸となって任務の完遂に邁進して行こう」と呼びかけた。

 住田東方総監は、昨年8月に発生した海自哨戒ヘリSH-60Jの墜落事故の犠牲者に東京地本管内出身隊員がいたこと、、採用時や事故後の家族へのケアが自衛隊に対する信頼を厚くしたという事例をあげ、「単に募集に留まらず、その後の家族へのケアも含めて一生懸命になる広報官、その存在が地域との結びつき、信頼感や絆を構築した。それが募集援護業務にも反映される」等と述べた。そして東京地本がどれだけ高い目標を達成できるかが陸海空の人的戦闘力を維持する条件だとし、「全国の募集の中心として頑張ってもらいたい」と激励した。

 その後、大越19代地連部長、高橋東京郷友連盟会長から祝辞が贈られ、閉式後は正面玄関でテープカットが行われた。

 新庁舎は3階建てで、真新しい庁舎内には広報展示室も開設されている。玄関はガラス張りで、募集対象者も入りやすい開放的な雰囲気が特徴的だ。新庁舎は、JR・メトロ市ヶ谷駅徒歩10分、都営大江戸線牛込柳町駅徒歩12分、都営新宿線曙橋駅徒歩13分、防衛省左内門からすぐ。

タイ国軍にPKO分野の能力構築支援

需品学校で浄水装置操作伝授

 陸上自衛隊は、6月12日から15日の間、タイ国軍に対するPKO分野の能力構築支援事業を松戸駐屯地に所在する需品学校及び防衛省本省で実施した。日本国内においてタイに対する能力構築支援は初めて。これは3月にタイでの、国連南スーダン共和国ミッション(UNMISS)に派遣予定のタイ国軍要員に対するセミナーを実施した際に、タイ側から要望があり実現したもの。タイ国軍は日本隊が使用していた宿営地を引き継ぎ、日本隊が撤収時に国連に譲与した浄水装置を使用する予定だ。13日・14日の2日間は需品学校で陸自教官がその維持・管理要領を伝授した。翌15日は防衛省本省でUNMISS派遣経験のある陸幕勤務者が、タイ国軍訪問団と意見交換を行った。

 13日、陸上自衛隊需品学校(学校長・上田和幹陸将補=松戸)を訪れた派遣要員を含むタイ陸軍訪問団7名は、学校長表敬の後、座学及び実機を前にした浄水装置操作の教育を受けた。今回教育のために使用した浄水装置は、南スーダンにあるものとほぼ同型。教官は、イラク派遣時に操作経験のある需品学校の隊員が務めた。

 訪問団は、南スーダンの厳しい環境を考慮した丁寧な説明内容に感心していた。そして、装置ひとつひとつの説明に熱心に耳を傾け、多くの質問をし、休憩時間を惜しんで装置を確認する等、少しでも多くの知識を吸収しようとする姿勢に教官側の説明も熱を帯びていった。

 汗ばむ天気の中で行われた約2時間の屋外研修の終盤には、実際に浄水処理済みの水を全員で試飲。無味無臭で水道水より安全と言われる水で乾杯すると自然に笑みがこぼれていた。翌14日、訪問団は教えられながら実際に装置を操作した。

 13日の研修後、訪問団長・ティーラチャイ陸軍大佐は、謝意を表すとともに「今日の成果を活かして大いに役立て、今後もタイと日本の友好関係を広げていきたい」と述べ、現地で施設隊長を担うブリン中佐は、「現地視察の際に日本の宿営地が一番整っていたので、その施設に入ることができて嬉しい」と満足そうだった。上田学校長は「本事業・能力構築支援事業全般を通じて、国際社会、ASEAN地域の平和と安定に寄与できることをうれしく思う」とコメントした。

 15日は、第3次派遣隊長を務めた持田将貴1陸佐(現陸幕人事教育部援護班長)らUNMISS経験者8名を含む陸幕勤務者9名と意見交換を行い、南スーダンでの成果や教訓を共有し、友好関係を更に広げることができた。


航空救難団創立60周年記念行事

救難活動の「最後の砦」
<航空救難団>

 6月2日、航空自衛隊入間基地の救難団格納庫内において、航空救難団(司令・小川能道空将補)は創立60周年記念行事を盛大に実施した。

 式典には航空総隊司令官・前原弘昭空将、入間基地司令・影浦誠樹空将補をはじめ、基地所在部隊長、歴代救難団司令等の来賓や救難隊員約200名が参加した。

 航空救難団は昭和33年に浜松で臨時救難航空隊として新編され、昭和35年に隊本部を入間基地に移転。昭和36年には航空救難群に改称・改編された後、昭和46年に現在の航空救難団に改編された。平成元年からは新編された航空支援集団隷下となり、平成25年からは隷属替えより航空総隊隷下となった。また、同年からは航空救難団司令が災害派遣の指定部隊等の長と定められ、急患空輸等の災害派遣について直接命令できる態勢となった。

 任務は、10個救難隊による、航空自衛隊を初めとする自衛隊の事故等の機体・搭乗員の捜索救難及び救助活動の「救難業務」、4個ヘリコプター空輸隊による人員及び装備品等の「空中輸送業務」、それらに関する「教育訓練」及び「整備業務」。そして他救助機関が活動困難な場合は、急患空輸や遭難者の捜索救助活動等、国民の生命及び財産等を守るための「災害派遣」を行う。東日本大震災の時に、バケットを使った消火活動や消火剤の空中散布などを行った回数は200回以上になった。

 小川空将補は「皆様もご承知のとおり、昨年10月17日、浜松救難隊所属UH-60Jの墜落事故が生起しました。我々は、事故発生直後から搭乗員四名の無事をひたすらに祈り捜索救助活動等に全力を尽くしましたが、彼らを救うことはできませんでした。そして、本年1月30日には、浜松基地において、ご遺族並びに多数のご来賓のご臨席を賜り、葬送式を滞りなく執り行いました。本式典の実施に当たり、このような時期に創立記念行事を行うことへの迷いもありましたが、悲しみを乗り越え、新たな決意をもって更なる精強化を図ることが、4名のみならずこれまでに殉職された55柱の御霊のご遺志に応えることであるとの思いに至り、本式典を挙行する決心を致しました」と苦しい胸中をまず述べた。そして「創立以来、国民の負託に応え、能力向上を図るとともに黙々と任務に邁進し、実績をあげて参りました。これは、創立当初から綿綿と引き継がれている「That Others May Live(他を生かすために)」という崇高な精神を胸に、歴代団司令を始め諸先輩方が幾多の苦難を乗り越え、部隊の精強化と任務遂行に尽力された結果でありますとともに、航空総隊司令官を始め関係各位のご指導、ご支援の賜物であります」と謝意を述べた。そして「我々は、如何なる情勢の変化にも適切に対応すべく、諸先輩方が築き上げられた輝かしい歴史と伝統、そして、痛ましい事故の教訓を確実に継承しながら精強化に努め、航空救難団の更なる発展に全力で取り組むことをここに誓いたいと思います」と決意を表明した。

【航空救難団の活動実績(平成30年5月31日)】

・航空救難‥248件(救助者数149名)

・災害派遣‥2492件(東日本大震災は1件としてカウント)(救助者数‥6693名、患者空輸‥1188名、人員輸送‥14279名、空輸貨物454万8025kg)

・航空輸送‥2万3328便(空輸人員43万9022名、空輸貨物‥986万1558kg)

 式典後、CH-47J、U-125A、新型UH-60Jが報道陣に公開された。平成27年7月に納入された新型の救難ヘリコプターUH60J(通称‥J2)の報道公開は初めて。グラス・コックピット、4つのワイヤーカッター、IRサプレッサー、デュアルホイストを新たに装備する。今後全機種へ順次切り替わっていく予定だ。


タイ王国国軍司令官公式招待

河野統幕長

 5月17日、河野克俊統合幕僚長は、防衛省にタイ王国国軍司令官・ターンチャイヤン・スリスワン陸軍大将を公式招待し会談を行った。

 儀じょう広場で栄誉礼・儀じょうを受けた河野統幕長とスリスワン司令官は場所を第1応接室に移した。会談では冒頭、河野統幕長がスリスワン司令官の訪問を歓迎するとともに、タイからの留学生と同部屋だった防衛大学生時代の話をする等終始和やかに行われた。両者はインド太平洋地域における安全保障上の関心事項について意見交換を行い、防衛協力・交流に関する今後の方向性において認識を共有した。また、多国間共同訓練コブラゴールド、ソマリア沖アデン湾での海賊対処、教育交流や艦艇・航空機の寄港等、引き続き協力関係を進めていくことで一致した。

 スリスワン司令官は、会談後、習志野駐屯地で部隊研修、翌日18日は防衛大学校を訪問し、タイの留学生との懇談、授業風景の視察等を行った。


水陸機動団創設記念行事

 4月28日、長崎県佐世保市にある相浦駐屯地(司令・青木伸一陸将補)で、相浦駐屯地創立63周年・水陸機動団(団長・青木伸一陸将補)創設記念行事が盛大に行われ、部内外からの来賓及び一般来場者合わせて約4,000人が見守った。式典は、水陸機動団約800名による観閲式、約200名による観閲行進、水陸両用車等を用いた模擬戦闘訓練展示などが行われた。青木団長は「我々は、陸上自衛隊の新たな可能性に対し、夢と希望をもって全国から集まった。困難に対し自ら意思をもってこれに立ち向かおうとする隊員達であり、いわば運命を共にする仲間である。どんな過酷な状況においても行動して作戦を遂行し、任務を達成できる実力を保持することが必須である」などと訓示を述べると共に、地元の方々や水陸機動団隷下部隊が駐屯する大分県由布市・玖珠町の方々の信頼に足る存在となるべく不断の努力を継続する事を強く隊員に要望した。(関連写真13面)

西部方面戦車隊新編行事

方面隊直轄部隊として集約保持

 西部方面隊(総監・湯浅悟郎陸将)は、3月27日、第4戦車大隊及び第8戦車大隊の廃止に伴い、西部方面戦車隊を新編し、同日、玖珠駐屯地において西部方面戦車隊新編行事を行った。

 西部方面隊に所属する戦車部隊は、これまで第4師団及び第8師団がそれぞれ戦車大隊を保持して運用してきた。しかし、今後は、方面隊の直轄部隊の戦車隊として集約保持し、引き続き、陸上作戦における総合戦闘力の根幹を成す機甲戦闘力として、方面隊内の各師団・旅団の運用を支えていく。

 本新編行事では、中隊旗授与式、隊旗授与式、観閲式等を行い、隊の更なる強固な団結、厳正な規律、士気の高揚を図った。特に、隊旗授与式では、立会官の方面総監・湯浅悟郎陸将が西部方面戦車隊長の黒木正憲1陸佐へ隊旗を授与し、その後の訓示では「今回の改革は、重戦力を抑制しつつ機動展開力を高める改革である。戦車部隊は、対着上陸作戦のような重戦力がぶつかり合う作戦は当然のことながら、ゲリラ戦闘等においても戦場で勝利を獲得するためにはなくてはならない戦力である。このことは、いささかの揺るぎもない。戦車が保有する情報収集能力、火力、機動力、防護力を誇りに思い、胸に刻んで、実力のある部隊を作り上げてもらいたい」と述べ、隊員を激励した。訓示を受けた黒木1陸佐は「西部方面隊唯一の戦車部隊として、国民の生命と安全の確保はもちろん、増大する多様な役割に即応するため更に訓練を積み重ね、地域の皆様とともにこれからも共存共栄を『継承』していきます」と決意を述べた。

 本行事に参加した西部方面戦車隊最先任上級曹長山本福徳准尉は「第4戦車大隊・第8戦車大隊が幕を閉じ、新しく西部方面戦車隊が始動しました。各戦車大隊のそれぞれの伝統を受け継ぎ、西部方面隊唯一の戦車部隊として強靭な部隊の創造のため、隊員一丸となり職務を遂行することを再認識するとともに、身の引き締まる思いです。西部方面戦車隊の新編に携れたことを光栄に思うとともにこれまでの、各戦車大隊の運営に携られた諸先輩や隊員、地域の皆様に心より感謝いたします」と決意を述べた。

島嶼を守り抜く 水陸機動団新編

 本格的な水陸両用作戦能力(島嶼等への侵攻に対して速やかな上陸及び奪回、確保等)を整備するために3月27日に新編された水陸機動団(団長・青木真一陸将補)の団長旗授与式が長崎県佐世保の相浦駐屯地で4月7日、盛大に行われた。

 小野寺五典防衛大臣は、「どのような事態においても、国民の生命・財産、我が国の領土・領海・領空を守り抜く。この崇高な使命を改めて心に刻み、隊員諸君が一致団結し、幾多の困難に立ち向かうことを期待します」などと訓示を述べた。またPKO日報問題にも触れ「隊員1人1人が業務の重要性を改めて認識し、国民からの信頼を回復するために今一度、自らの業務の在り方を見直し、同種事案の再発防止に万全をきすように努めて下さい」とも訓示した。

 佐世保市内の崎辺地区には水陸両用車部隊の分屯地や海自の大型艦艇を停泊させる岸壁の建設、島嶼防衛能力の構築に不可欠な事業を進めている。また、湯布院駐屯地や玖珠駐屯地にも水陸機動団の隷下部隊を配備するなど、「島を守り抜く」という我が国の断固たる意思と能力を国際社会に示すためにもこれらの地域の重要性は一層高まっている。


中央即応集団廃止式

陸上総隊の母体として11年の歴史に幕をおろす

 3月26日、満開の桜が咲き誇る座間駐屯地で、中央即応集団廃止式が行われた。平成19年3月に編成され、国外延べ12個の任務と国内延べ31個の任務を完遂した同隊は11年の歴史に幕をおろした。

 式典は隷下8コ部隊約200名が参加し、神奈川県知事代理、座間市長、相模原市長代理、在日米陸軍司令官、協力会会長、歴代司令官等多数の来賓が見守った。小林司令官は式辞で同隊に対するこれまでの理解と協力に敬意と謝意を表するとともに、隊員に対して「今後もこの中央即応集団で培った知識・経験・技能を十二分に活かし、それぞれの任務に邁進することを期待します」と激励の言葉を贈った。キャンプ座間に駐留する在日米陸軍のパスカレット司令官は、「隊員諸官のプロ意識、任務完遂への執念により世界はより良い場所になりました」と国内外における功績を讃えた。

 式典は、中央即応集団付隊隊長の富田真彦3陸佐から司令官の小林茂陸将に隊旗が返還され、司令官に対する栄誉礼ののち閉式となった。

 翌27日は廃止された中央即応集団が母体となって新編された陸上総隊(司令官・小林茂陸将=朝霞)が発足、新たな歴史の一歩を踏み出した。※中央即応集団の歩みについては防衛ホーム3月15日号もご参照下さい。

F-35A配備記念式典

三沢基地

「配備意義極めて大きい」

 2月24日、航空自衛隊三沢基地(司令・鮫島建一空将補)において、最新鋭のステルス戦闘機F-35A配備記念式典が小野寺五典防衛大臣始め日米政府関係者臨席の下、盛大に開催された。式典で小野寺大臣は「中国は軍用機による周辺空域での活動を急速に拡大させ、ロシアも軍事活動を活発化している。このような安全保障環境が厳しい中、F-35配備の意義は極めて大きい」などと訓示した。航空自衛隊は、平成30年度中にさらに9機のF-35Aを三沢基地に配備する予定。

人命救助に関する除雪等を実施

14普連

国道8号線で車両約1500両が立ち往生

 第14普通科連隊(連隊長・加々尾哲郎1陸佐=金沢)は、2月6日から同年2月9日にかけて、福井県知事からの要請に基づき、人命救助に関する除雪、物資輸送等に係る災害派遣を実施した。派遣期間中、人員述べ約4925名・車両述べ約805両の規模で任務にあたり、車両救出台数は約1190台、食料等配布は約6750食、除雪距離は約31・8km、給油支援は約15320Lにのぼった。


 2月5日から6日にかけて、昭和56年の「56豪雪」以来、37年ぶり約130cmの記録的な大雪となった福井県では、あわら市、坂井市を通る国道8号線に車両約1500両が立ち往生した。福井県から災害派遣について打診があったことから、連隊は、派遣に先立ち、2月6日13時10分に情報収集及び現地調整のため、連絡幹部等3名を福井県庁に派遣した。

 同日14時、福井県知事が、第14普通科連隊長に対し、人命救助に関する除雪、物資輸送等に係わる災害派遣を要請、加々尾連隊長は、同時刻をもって受理した。

 加々尾連隊長は、第14普通科連隊、第10後方支援連隊第2整備大隊第1普通科直接支援中隊(隊長・新地一也1陸尉=春日井)、第130地区警務隊金沢派遣隊(隊長・梅村建1陸尉=金沢)、現地で合流する福井県鯖江市の第372施設中隊(隊長・木村恒之2陸佐=鯖江)を含む人員約180名、車両約30両からなる派遣隊(隊長・14普連3中隊長・松本剛幸1陸尉)を編成した。加々尾連隊長は派遣にあたり、被災者のため、迅速な救出活動を実施するよう訓示を延べ、駐屯地隊員が見送るなか、派遣隊は駐屯地を出発した。

 派遣隊は、NEXCO中日本の協力のもと、積雪のため通行止めとなっていた北陸道を利用して、福井県あわら市に所在する金津インターチェンジを通過、拠点となる国土交通省熊坂スノーベースに集結し、同日16時50分、国道8号線における被災車両周辺の除雪、食料、水、燃料の配布等を任務として、24時間態勢の救助活動を開始した。

 活動地域が、国道8号線のあわら市熊坂地域から坂井市一本田地域に渡る約11kmの区間となったため、当初派遣した部隊に加え、18時30分、第10師団主力をもって対応することとなった。

 2月6日23時、坂井市役所丸岡支所に現地指揮所を設置、連隊から逐次増員を行うとともに、第35普通科連隊(連隊長・曽根勉1陸佐=守山)、第10後方支援連隊(連隊長・河合寿士1陸佐=春日井)、第10戦車大隊(大隊長・加藤忠幸2陸佐=今津)、第382施設中隊(山口勇2陸佐=富山)から人員及び車両が現地に到着し、救出活動の進捗に拍車がかかった。

 14普連主力による被災車両救出に伴う除雪においては、北部の熊坂地域から14普連1中隊(中隊長・藤井泰一3陸佐)、同3中隊(中隊長・派遣隊長に同じ)、同重迫撃砲中隊(中隊長・小川高志1陸尉)が南進、南部の一本田地域から同本部管理中隊(中隊長・加藤貴博1陸尉)、同第2中隊(中隊長・松木重夫1陸尉)が北進する形が取られ、人員約500名、車両約90両をもって、隊員たちはスコップを使って車両救出に必要な通路の開設等を手作業で行い、第372施設中隊のバケットローダー等で車両の救出にあたった。

 食料、水及び燃料の配布では、被災者一人ずつに要望を確認し、人力で牽引するアキオ(大型ソリ)を使って救援物資を現地まで運搬、途中、上下線の車両が重なりアキオ運搬ができない場所では、隊員が燃料の入ったポリタンク等を手で運び、配布及び給油を行った。また、本部管理中隊衛生小隊の隊員が被災者の安否確認を行い、不調を訴える方には血圧と体温測定及び問診を行い、治療薬を渡す場面もあった。

 2月8日夜、救出の終盤となる坂井市一本田地域では、加々尾連隊長の陣頭指揮のもと、残された車両20両の救出作業が行われ、2月9日0時37分頃、最後の1両が救出された際には、加々尾連隊長を含めた隊員達から歓声が上がり、約4日間に渡った人命救助に関する除雪、物資輸送等の任務を完遂した。

C-2輸送機 任務開始

第3輸送航空隊

 1月31日朝7時30分、鳥取県にある航空自衛隊美保基地(司令・北村靖二1空佐 兼・第3輸送航空隊司令)からC-2輸送機が埼玉県の航空自衛隊入間基地へ向けて離陸した。国内外におけるC-2での空中輸送に関する所要の準備が整ったため、一部の任務飛行が開始され、美保→入間→硫黄島への初輸送任務となった。


【初便見送り行事、そして初輸送任務】

 同日朝6時50分、ほんのりと明るくなりかけた美保基地に、各部隊旗を持った美保基地所在隊員約300人が格納庫前に集まっていた。その前を北村司令がC-2の脇に整列しているC-2乗組員に向かって歩んでいく。機長の川田康弘3空佐からの出発報告を受けた北村司令は、1人1人と握手。その後7名の乗組員はC-2輸送機の中に乗り込んで行った。このC-2輸送機は、美保基地から入間基地に行き、一度着陸し荷物と遺骨収集団員約40名を載せて硫黄島に飛び立って行った。


【あらゆる面で期待】

 C-2輸送機は、C-1輸送機と比べ、全長・全高・翼幅いずれも約1・5倍の大きさで、航続距離はC-1が約2,400kmに対しC-2は9,800km(いずれも空荷時)となり、入間基地から硫黄島基地まで2時間5分で到着する事が出来る。C-130Hでも2時間30分~40分掛かっていた事を考えると、あらゆる面で期待される。

 飛行中の機内は普通に会話が出来る程静かで、シートも傾斜がついていて座りやすい。また、シートベルトが4点式で、離着陸時の微妙な踏ん張りをしなくても身体は傾かない。そして何より広い。

 北村司令は「C-2輸送機はチーム美保として、言っていることの解らない赤ん坊を一人歩き出来るところまで、丁寧に、語りかけ、あやして育てて来た感じ」と言う。これから、さらに育ち多様な任務を遂行するC-2輸送機。注目していきたい。

大雪像制作中
さっぽろ雪まつり

受け継がれる「匠の技」約60年にわたる制作協力

第18普通科連隊

 第18普通科連隊(連隊長・石川貴茂1陸佐=真駒内)は1月6日、「第69回さっぽろ雪まつり」の雪像制作協力開始に先駆け、「第2雪像制作部隊編成完結式」を連隊グラウンドにおいて行い、石川連隊長から「万事作戦を基準として任務を遂行せよ、安全・危機管理を徹底せよ」と2点の要望事項が述べられ、各隊員は要望事項を肝に銘じ、作業に徹することを誓った。

 第2雪像制作部隊は1月7日から2月5日までの間、第18普通科連隊に連綿と受け継がれている巧みな雪像制作技術を駆使し、「大通り8丁目会場」において大雪像『奈良・薬師寺 大講堂』を制作する予定である。

 翌1月7日、第2雪像制作部隊は「大通り8丁目会場」において行われた「第69回さっぽろ雪まつり協力団編成完結式」及び「雪輸送開始式(さっぽろ雪まつり実行委員会主催)」に参加した。

 じ後、第2雪像制作部隊が制作する雪像の安全祈願式が行われ、北海道テレビ放送代表取締役社長樋泉 実氏と石川連隊長及び第2雪像制作隊長今井1陸尉の3名と、安全祈願式の参加者全員で、雪山に清酒を注いでお清めを行い、制作期間中の安全を祈願した。


さっぽろ雪まつりに対する自衛隊の協力

 今では毎年240万人近い来場者で賑わうさっぽろ雪まつりへの協力は、1953年大会における音楽隊の演奏から始まり、雪像制作はその2年後の1955年から現在まで続いている。これまでに数多くの雪像を制作し、そのスケール感と完成度で見る者を楽しませてきた。近年では、市民への技術協力も行う等、「身近な自衛隊」にも大きく寄与し続けている。


沿革

1950年(第1回):さっぽろ雪まつりがスタート。

1953年(第4回):大通り会場野外ステージで保安隊音楽隊の演奏を実施。

1954年(第5回):陸上自衛隊が誕生、真駒内駐屯地開設。

1955年(第6回):初めて雪像制作を実施。第101通信大隊(現北部方面通信群)が大通会場で高さ11mにも及ぶマリア像「栄光」を制作。

1962年(第13回):第11師団創設。当年から11師団が協力を開始。

1963年(第14回):「真駒内駐屯地スノーフェスティバル」を市民に公開。真駒内会場が第2会場になるきっかけとなる。

1965年(第16回):真駒内会場が正式に第2会場となり、大雪像4基、中雪像32基を制作。

1983年(第34回):すすきのが正式会場となり3会場体制になる。大通で大雪像3基、真駒内で大雪像5基、中雪像2基を制作。

2002年(第53回):市民への技術協力を開始。

2005年(第56回):真駒内会場廃止。40年間で大雪像、中雪像約270基を制作、輸送した雪の量はトラックで延べ約13万台、制作に携わった隊員は延べ約52万人、入場者数は延べ約2300万人。

2006年(第57回):雪像制作が各部隊のグループ編成となる。

2008年(第59回):雪不足のため増強輸送隊を投入。採雪場所は10ヶ所にも及んだ。

2009年(第60回):第11旅団として初めての雪像制作協力。

2014年(第65回):「ソチ冬季五輪」の応援、「2017札幌アジア冬季競技大会」開催を祝して、スポーツ選手の躍動感を雪で表現。

新年のメッセージ

防衛大臣 小野寺 五典

 明けましておめでとうございます。

 平成30年の年頭に当たり、国内外で日夜勤務に精励している隊員諸君に、新年のお慶びを申し上げます。

 昨年は、我が国を取り巻く安全保障環境が一層厳しさを増す中、緊迫する北朝鮮情勢への対応に尽力した年でした。

 新年を迎えた今、諸君と共に取り組むべき主な施策について、以下、申し述べたいと思います。

 政府として、北朝鮮の政策を変えさせるため、あらゆる手段を使って北朝鮮に対する圧力を最大限にし、対話のための対話ではなく、北朝鮮の方から、非核化に向けたコミットメントと具体的行動を前提とした意味のある対話を求めてくる状況を作っていくことが重要です。

 その上で、私たち防衛省・自衛隊に求められるのは、万が一の事態に備え、我が国の守りに万全を期すことです。日本海の洋上ではイージス艦が、そして全国各地で、展開しているPAC-3部隊が北朝鮮の弾道ミサイル警戒にあたってくれています。また、米国との累次の共同訓練により、北朝鮮の脅威を抑止するための防衛態勢が強化され、その能力も向上しています。さらに、昨年末、弾道ミサイル防衛能力の抜本的向上を図るため、イージス・アショアの導入を決定いたしました。

 引き続き、強固な日米同盟の下、高度な警戒監視体制を維持し、諸君とともに、緊張感を持って我が国の平和と安全の確保に万全を期してまいりたいと思います。

 我が国が直面する安全保障上の課題は山積しています。

 先ほど申し上げた北朝鮮に加え、中国は、透明性を欠いたまま軍事力を強化するとともに、東シナ海、南シナ海の海空域において、既存の国際秩序とは相いれない独自の主張に基づく力を背景とした一方的な現状変更の試みを継続しており、さらに、大量破壊兵器等の拡散や国際テロの深刻化、サイバー空間や宇宙空間などの新たな領域における課題の顕在化等、グローバルな安全保障上の課題は広範かつ多様化しています。

 これらを踏まえれば、我が国を取り巻く安全保障環境は、戦後、最も厳しいと言っても過言ではありません。

 諸君におかれては、このような厳しい安全保障環境について、まさに自らの実感として受け止めていると思います。

 こうした状況の中、我が国自身の防衛力を強化し、自らが果たし得る役割の拡大を図る必要があります。

 私たち防衛省・自衛隊は、防衛大綱・中期防に基づき、周辺海空域における安全確保、島嶼部に対する攻撃への対応、弾道ミサイル攻撃への対応等を重視し、統合機動防衛力の構築に努めてきましたが、現行の中期防は、平成30年度で期限を迎えることから、次期中期防について早急に検討を進める必要があります。

 その際、中期防の前提となる防衛大綱についても、安全保障環境の変化に対応し、あるべき防衛力の姿はいかなるものかといった観点から、その見直しについて、不断の検討をしていくことが必要です。

 安倍総理からは、「防衛大綱の見直しや次期中期防の検討を行う」旨の指示を受けています。総理の指示の下、現在の安全保障上の課題等を的確に把握し、政府部内でよく議論をしつつ、現場の実情も踏まえながら、不断の検討を進めていきたいと考えています。

 また、日米同盟の強化もさらに進めていかなければなりません。

 私は、昨年の大臣就任以来、北朝鮮の挑発が続く中、日米「2+2」や、マティス米国防長官との会談を重ね、日米間の緊密な連携を図ってまいりました。

 平和安全法制の整備により、自衛隊と米軍との連携は一層緊密化しており、日米同盟の抑止力は大きく向上しています。

 今後とも、日米ガイドラインの実効性を確保し、日米同盟の抑止力・対処力の一層の強化に努めてまいります。

 同時に、沖縄をはじめとする地元の基地負担軽減のための取組も重要です。地元の声に真摯に耳を傾け、普天間飛行場の一日も早い移設・返還、米海兵隊のグアム等への移転などに全力で取り組んでまいります。

 また、米軍の安定的駐留のためには、地元の理解を得ることが不可欠です。米軍の事件・事故等に関する地元の懸念を踏まえ、米側には、引き続き米軍機の飛行安全の確保や隊員の綱紀粛正の徹底等を求めていかなければなりません。

 また、日米同盟の強化に加え、諸外国との安全保障協力も引き続き推進してまいります。私自身、豪州やインド、ASEAN諸国などのカウンターパートとの会談や、日米韓3ヵ国での防衛大臣会談、英国との「2+2」といった様々な機会を通じ、戦略的な国際防衛協力を推進してまいりました。本年も、共同訓練や、能力構築支援、防衛装備・技術協力など、幅広い分野において、諸外国との防衛協力・交流を力強く推進していきたいと思います。

 さらに、グローバルな安全保障上の課題にも取り組んでまいります。

 ソマリア沖・アデン湾における海賊対処行動については、水上部隊、航空隊及び支援隊の派遣を継続しており、現地では隊員諸君が任務に汗を流してくれております。また、3月から6月まで、通算3人目のCTF151司令官を派遣する予定です。

 南スーダンPKOについては、昨年5月末に施設部隊の活動を終了しましたが、UNMISS司令部に対する要員派遣は継続しており、引き続き、国連PKO等への貢献を行ってまいります。

 今後とも、積極的平和主義の旗の下、国際社会の平和と安定のための取組を推進してまいります。

 最後になりますが、昨年は、陸自のLR-2、海自のSH-60J、空自のUH-60J、といった航空機の事故が相次ぎました。亡くなられた隊員のご冥福、ご家族の皆様への心からのお見舞いを申し上げます。二度とこのようなことがないよう安全には万全を期していただきたいと思います。その上で、隊員諸君におかれては、国民の期待と信頼に一層応えるべく、改めて、一人ひとりが我が国の平和と独立を守り抜くという私たちの使命を自覚し、一致団結し、厳正な規律を維持しつつ、任務に一層奮励努力されることを切に望みます。

 私もまた、諸君と共に、国民の生命・財産、我が国の領土・領海・領空を断固として守り抜くという決意を新たにし、全身全霊をもって、職務に当たる所存です。

 最後になりますが、隊員諸君、そして御家族の皆様の益々の御健勝と御多幸を心からお祈りするとともに、本年が、防衛省・自衛隊にとって更なる成長の年となること、そして日本の平和が保たれることを祈念し、私の挨拶といたします。


平成30年1月4日

防衛大臣 小野寺 五典

自信と誇りを持って真に機能する航空自衛隊目指せ

 12月20日、第35代航空幕僚長に丸茂吉成空将が着任した。

 儀仗広場に現れた丸茂新空幕長は、栄誉礼・儀仗を受けた後、A棟講堂に場所を移し、着任式に臨んだ。市ヶ谷勤務の職員ら約220名を前に「この重責を果たすべく、全身全霊を持って与えられた職務に臨む覚悟である」と決意を述べた丸茂空幕長は、「我々は今後も航空自衛隊のさらなる精強化を図り、またこの組織が有する良き伝統、気風を未来へ継承していかなければならない。これからも我が国の平和と安全、国民の生命と財産を守り、その付託に応えるためにも、国内外の情勢、時代の変化に柔軟に適応しつつ、任務が完遂できる精強な存在でなければならない」と続け、「各隊員は各級指揮官を核心として一致団結、部隊の精強化に努め、自身と誇りを持って真に機能する航空自衛隊を目指し職務の完遂に努めよ」と要望した。

 丸茂空幕長は、昭和58年防大27期卒業後、航空自衛隊に入隊。平成26年8月に空将に昇任後は、西部航空方面隊司令官、航空幕僚副長を歴任し今年12月から現職。