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スペーサー
自衛隊ニュース   1099号 (2023年5月15日発行)
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ノーサイド
北原巖男
独立回復21年の東ティモールと

 アジアで一番新しい国・グローバルサウス・地政学的に極めて重要な位置にある民主国家・東ティモール。今月20日には2002年5月20日の独立回復から早や21年を迎えます。(独立回復式典が行われた土地を予め整備したのは、自衛隊PKO施設部隊であったことが懐かしく思い出されます)
 国連外交推進を重視し、非同盟中立を掲げつつ、日本をはじめ米国・オーストラリア・インドネシア・ポルトガル・EU・中国・韓国など諸外国としたたかな外交を展開、国益の確保・必要な支援獲得に邁進しています。
 しかし、国づくりは道半ば。
 資源依存経済からの脱却を目指すも未だ自国産業は育たず、日本とは真逆に人口増加を続ける若者たちの雇用問題は深刻です。同国政府は、多くの若者を韓国・英国・オーストラリア等へ出稼ぎに派遣。更にカナダ・ニュージーランドそして日本にも受け入れを要請しています。
 ちなみに日本については、現在、技能実習生制度の廃止が検討されていますが、東ティモール初の技能実習生数名が間もなく来日予定です。パイロットケースであり、彼らの頑張りに期待すると共に日本側「監理団体」、「受け入れ機関」の皆さんの誠実な対応をお願いしたいと思います。先月、東ティモールを訪問した際に、技能実習生として来日する予定の皆さんにもお会いしました。日本語で自己紹介する希望に満ちながらも不安を隠せない姿を目の当たりにするとき、彼らが日本に来てよかったと思えるような滞在になることを、また、将来、日本を好きになって帰国してもらいたい、そんな気持ちが湧き上がって参りました。僕自身、彼らのサポートに努めて行かなければならないとの決意を新たにいたしました。(東ティモールの場合、「送りだし機関」は民間組織ではなく政府組織(SEFOPE)であり、技能実習生が「送りだし機関」から多額の借金を抱えて来日することはありません)
 東ティモールは常に輸入超過であり、主な輸出品は僅かに天然ガスとコーヒーに留まります。しかも、長年国家財政を支えてきたバユウンダンガス田は枯渇し、新しいグレーター・サンライズガス田の開発は、オーストラリアとの調整未了のため着手時期すら不明。その間に、国家財政のほぼ8割を賄ってきた原資である「石油基金」の食いつぶしが懸念されます。(これまで、バユウンダンガス田の天然ガスは、海底パイプラインでオーストラリアのダーウィンに送られて液化。年間300万トンの全てを日本に輸出。東ティモールは、そのロイヤリティを米国にて「石油基金」として積み立て、国づくりのために少しづつ切り崩して使用。外務省HPによると2021年現在、「石油基金」残高は、約177億ドル)
 昨年11月のアセアン首脳会談は、2011年から申請して来た東ティモールのアセアン加盟を承認しました。しかし具体的加盟時期は未定。日本としては、アセアン10か国と緊密な信頼関係を維持しつつ、東ティモールの加盟時期決定までの期間短縮に寄与するような、また、アセアン加盟を先取りする支援やアセアン関連会議等への招聘を積極的に実施して行くことが重要と考えます。
 こうした中、東ティモールに対する中国の進出は大変顕著です。中国が整備したという多くの道路は、首都ディリから第2の都市バウカウまでの約120kmの道路を含め、現時点ではとても綺麗で快適でした。所要時間もこれまで3時間半くらいかかっていたものが、今や2時間半ぐらいに短縮、大変驚きました。
 しかしこの道路、もともとは、日本が東ティモールに対する世界初の円借款で造ることにしたものです。ところが、JICAで行われた入札で、落札したのは2工区とも中国の企業。愕然としました。
 今月のG7広島サミットを前に行われた岸田首相のアフリカ諸国訪問時、エジプトの交通渋滞の緩和を目的として、カイロ都市圏南西部に地下鉄を建設するため1000億ドルを限度とする円借款の書簡の交換が行われました。今後、この大規模プロジェクトを、よもや中国の企業が落札するといった事態が生起することは無いと信じます。何としても、日本の企業が落札することを願って止みません。
 東ティモールは、ディリ港を旅客船のフェリー専用とし、新たに近郊のティバールを埋め立てて貨物用の港を完成させていました。大きなガントリークレーン2基や積まれたコンテナが見えました。現在は、夜だけのオペレーションとのことで、動きを感じることはありませんでした。建設に当たっては、中国から大きな支援が提供されているようです。巷間言われる「債務のワナ」に陥らないことを願って止みません。
 今回の東ティモール訪問は、2019年以来でした。僕たちのガイド兼ドライバーさんはこんなことを話していました。「道路の両サイドの日用品・スーパー・電気器具・自動車やオートバイの整備・レストランなどを見てください。あれもこれもいずれも中国人のお店です」
 日本との関係は良好です。しかし、かつてに比べて東ティモールにおける日本の存在感はどこか薄くなって来ているのではないか、そんな感じも致しました。
 グローバルサウスの同国は、法の支配に基づく国際秩序を重視する日本と価値観を共有するアジアの民主国家・日本のポルトガル語圏諸国共同体(CPLP)オブザーバー入りを認めたCPLPサミット首脳会議主催国・アジアやアフリカ諸国20か国から成るg+7をリードしている国・資源小国日本の身近に存在するアジアの天然ガス供給国・日本が重視するアセアンの11番目の加盟国になる国・「自由で開かれたインド太平洋」実現に向けたパートナー国・中国と親しい国・民主国家の国軍(F-FDTL)に対する能力構築支援や防衛大学校への留学生を受け入れている国(2023年3月時点で19名の若手士官が卒業)。小国ながら東ティモールは日本にとって極めて重要な国なのです。
 残念ながら、独立回復から今日までの21年間、東ティモールを訪問した我が国の首相は誰一人いません。このまま看過して良いはずがありません。
 今同国は、独立回復記念日の翌日5月21日に行われる「国民議会」選挙の真っ只中に在ります。1院制。全65議席。全て比例代表制で選出。総人口約130万人、平均年齢18歳。選挙権は17歳から。東ティモールの投票率は、これまでも毎回70%以上の高率。若者も積極的に投票しており、いわゆる「シニア民主主義」ではありません。
 選挙管理委員会に登録された政党の数は、なんと17。僅か130万人の人口の下で、17もの政党が完全比例代表制で議席確保を目指していることから、1党のみで65議席の過半数33議席を確保し、長期安定政権を発足させることは至難であると思います。もちろん、フレテリン(ル・オロ党首‥前大統領 現在23議席)及びCNRT(グスマン党首‥元首相・元大統領 現在21議席)の2大政党は、単独過半数獲得を目指して全力を投入しています。
 今回の注目点は、ルアク首相(PLP党首‥元大統領・元国軍司令官 現在8議席)率いる3党連立政権(PLP・フレテリン・クント 現在3党合計36議席)が政権を維持出来るか、或いはグスマン氏が政権を奪取し首相に返り咲くか、単独政権か、連立政権とすればその組み合わせ如何。
 東ティモールの政治的民主化度は、アセアン10か国よりも進んでいます。これまでの選挙は民主的に整斉と行われ、その結果について、国民はこれを受け入れて来ています。もちろん、国軍は民主国家の軍隊として、完全なシビリアンコントロール、政治優先の下にあります。
 日本としては、東ティモール国民議会選挙の行方を注視しつつ、独立回復21年目の本年から5年間を担う新政権が抱える懸案事項をも予めしっかりと把握・検討しておく。そして新政権発足に際しては、速やかに目に見える施策・行動を通じて緊密な信頼関係構築に努めて行く。
 全く予断を許さない厳しい国際情勢等の中で、我が国の国益を踏まえた方途であると思料します。

北原 巖男(きたはらいわお) 元防衛施設庁長官。元東ティモール大使。現日本東ティモール協会会長。(公社)隊友会理事


読史随感
神田淳
<第125回>

暗殺を否定する

 戦前の日本は暗殺が多かった。大正の終わりから昭和の初めにかけて頻発した暗殺が、戦前の日本を悪くした。大東亜戦争に敗れて再出発した戦後の日本には、戦前日本のすべてを否定的に見る歴史認識が生まれている。こうした認識は偏向した史観で、正さなければならないと私は思っているが、暗殺が多かったことだけは、戦前日本の悪いところとして否定したい。
 1921年(大正10)11月4日東京駅で原敬首相が中岡艮一(こんいち、18歳)という愚かな若者に刺殺された。中岡は政治に不満をもち、同年9月28日朝日平吾という右翼の活動家が安田善次郎(安田財閥の総帥)を暗殺したことに刺激されたという。原首相の暗殺は日本に決定的な喪失をもたらした。原は日本で初めて本格的な政党内閣を組織し、平民宰相として国民に歓迎された。原は卓抜した能力と見識をもつ大政治家で、明治から現在に至る歴代の日本の首相の中で、一、二を争うほどすぐれた政治家だったと思う。原が生きていれば、日本はその後昭和になって転落していく歴史とは異なる道を歩んでいた可能性がある。
 1930年(昭和5)11月14日、浜口雄幸首相が東京駅で右翼の青年に銃撃された。そのとき一命をとりとめたが、その後容体は快復せず、翌年8月16日死亡した。銃撃犯は佐郷屋留雄という青年(24歳)で、浜口は社会を不安におとしめ、天皇の統帥権を干犯したからやった、などと供述した。浜口首相は協調外交を貫き、国民に信頼された謹厳実直な政治家だった。愚かなテロとしか言いようがない。
 1932年(昭和7)2月9日、前大蔵大臣井上準之助が東京本郷で小沼正(20歳)に暗殺された。また同年3月5日、三井財閥の総帥団琢磨が日本橋の三井本館入り口で菱沼五郎(19歳)に銃撃され、落命した。小沼正と菱沼五郎は血盟団というテロ組織のメンバーで、血盟団は政界や財界の大物をテロの標的としていた。愚かなテロで日本は井上準之助、団琢磨という世界レベルの第一級の人材を失った。
 そして同年(1932、昭和7)5月15日、五・一五事件が起きる。海軍青年将校らが犬養毅首相を官邸に襲い暗殺した。この事件の影響は大きく、これにより日本の政党政治が途絶えた。青年将校らは政党政治家や財閥を批判し、国家改革のためにやったと主張。驚くべきことに、殺された犬養首相よりも暗殺の実行犯の方に同情が集まった。戦前の日本社会の病理である。
 極めつきは1936年(昭和11)の二・二六事件である。陸軍皇道派の青年将校らが昭和維新を叫び、千余名の兵士を率いて政府要人を襲い、殺害した。斎藤実内大臣、高橋是清大蔵大臣、渡辺錠太郎陸軍教育総監は即死、鈴木貫太郎侍従長は瀕死の重傷を負ったが奇跡的に助かった。事件後、政治家は陸軍を恐れるようになった。陸軍に支配された日本は急速に転落の道を歩むことになる。
 戦後の日本社会はテロとは無縁と思っていたが、安倍晋三元首相が昨年7月9日奈良市で暗殺される驚愕の事件が起きた。さらに驚愕すべきは、暗殺を肯定する意見の存在である。島田雅彦なる大学教授が今年4月14日のネット番組で、「こんなことを言うと、また顰蹙を買うかもしれないけど、今まで何ら一矢報いることができなかったリベラル市民として言えばね、せめて『暗殺して良かったな』と。まあそれしか言えない」と語った。信じられないくらい愚かな教授である。
(令和5年5月15日)

神田 淳(かんだすなお)
 元高知工科大学客員教授。
 著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』などがある。


職業能力開発センターに第68期生8名が入所
 公務又は通勤災害による負傷や疾病で障害を負った隊員の円滑な部隊勤務や社会復帰に向けた更生指導業務を実施する自衛隊中央病院(三宿)職業能力開発センター(センター長・大堀健防衛事務官)で4月6日、第68期生8名(陸自7名、空自1名)の入所式が行われた。
 国歌演奏、入所生の任命後、学生長が代表してセンターへの入所を申告した。
 続いて、執行者の福島功二病院長が登壇。式辞の中で、この研修は任務であり、自衛官としての自覚と統率方針である「常在戦場」の心構えを持ち続けて欲しいとしたほか、「友愛」「誠実」「努力」「感謝」の4項目を要望するとともに、過去にとらわれることなく、明日への気力を新たに研修に精進するよう述べた。
 来賓祝辞では、防衛省人事教育局の齋藤敏幸給与課長が登壇し「皆さんが同期の絆を深め、健康に十分留意しつつ、全てのカリキュラムを修了し、更なる飛躍を遂げて職務に復帰することを祈念する」と激励の言葉を述べた。
 入所生は、1年又は6カ月の間、それぞれの履修科において、各人の目標に向け、知識・技能、各種資格等を習得し、部隊復帰後それぞれの職務において貢献できるよう研修することとなる。
 職業能力開発センターでは、「公務災害等により障害を負った隊員がおられたら、ぜひ入所を検討してもらいたい。部隊復帰に向けてしっかりサポートしたい」としている。
(同センター入所については、各駐屯地・基地の賠償補償担当に相談下さい)

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