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スペーサー
自衛隊ニュース   1096号 (2023年4月1日発行)
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防衛省・自衛隊 地方協力本部
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名門享栄高野球部が就業体験 <愛知>

 愛知地方協力本部金山募集案内所(所長・宮田勇一1陸尉)は1月28、29の両日、陸上自衛隊春日井駐屯地で「愛知私学4強」と言われる名門校、愛知享栄学園享栄高等学校硬式野球部の生徒37名に対し自衛隊インターンシップを実施。自衛隊の魅力を周知しつつ、就業体験を通じて同校野球部の夏の甲子園出場に向けたチーム全体の精神力及び体力の向上に寄与した。
 インターンシップ参加の経緯は、同校野球部OBで平成12年春の甲子園への出場経験がある金山募集案内所広報官の橋本1陸曹に対し、同校野球部の大藤敏行監督から「硬式野球部員の意識を変えるため、自衛隊での就業体験を通じ困難な状況でも乗り越えられる強い意志と精神を養ってもらいたい」との強い要望があったことから。
 春日井駐屯地に到着後、生徒たちは迷彩服に着替え、自衛隊の概要説明及び災害派遣活動の講話を受講。午後からは、災害派遣活動の体験を行い、想定被災地に徒歩で向かう状況を付与され、徒歩で水缶1本(20キロ)及び折り畳み担架1セットを各分隊(3個分隊編成)に配分、約25キロの土嚢を背嚢に入れて約3キロを行進しつつ、途中で患者が発生した状況も付与され、担架に乗せて行進する体験を行った。
 障害走路通過の体験では綱の登降、鉄条網等の通過及び走行訓練を行い、全員で協力しながら目的を達成し、チーム全体の精神力、体力の向上を図ることができた。

全国制覇目指す

 参加した生徒たちからは「自ら行動する積極性が身に付きました」、「チームが一つになれました」、「これまでの行動がいかに機敏性に欠けていたのかを知ることができました」との感想が聞かれた。コーチ陣からも「生徒の意識を変えることができました」、「チーム一丸で困難な課題に立ち向かう姿は素晴らしかった」、「自衛隊に興味が湧きました」などの意見を頂き、悲願の「全国制覇」を果たすための熱量を基幹要員全員が感じ取りるとともに、自衛隊を十分にアピールすることができた。
 金山募集案内所は、インターンシップで得たことを糧に、夏の甲子園で「全国制覇」という悲願の目標を達成することを心から願いつつ、日々の募集広報に邁進していく。

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合同説明会を開催 <和歌山>

 和歌山地方協力本部(本部長・栫憲記1陸佐)は2月25日、他機関と連携して公務員合同説明会を開催した。例年、高校生の募集解禁となる7月に和歌山地本が主体となり、他機関(警察、消防、刑務、海保)と連携して公務員合同説明会を県内6カ所で開催してきた。今回は初めての試みとして、来年度の一般幹部候補生試験をターゲットとし、主に大学生を対象とする説明会を2月に和歌山市内で企画し、県庁、検察庁、警察、裁判所と合同で開催することとした。
 事前に県内大学等はもとより、和歌山県出身者が多く進学した県外大学等に対してポスターやチラシを配布、地本のホームページ、SNSによる告知や、参加機関にも案内を実施してもらった結果、30名以上が来場した。
 説明会では、始めに約20分程度で各機関毎に業務内容等について説明を行ってもらい、その後、各ブースに分かれて個別の説明を実施した。参加者の多くが事務職を希望していたため、個別説明では、県庁等のブースに参加者が集中していたが、地本の広報官が積極的に案内したことにより、自衛隊の説明にも耳を傾けてもらうことができた。
 参加者からは「公安系の説明会に参加したことがなかったので良かった」、「今後の就職先を選ぶうえで参考にしたい」との感想が聞かれた。
 和歌山地本では、今後も県内の各機関と良好な関係を維持して、引き続き合同説明会を開催していく。

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ヒーローとコラボ <沖縄>
 沖縄地方協力本部(本部長・久保勝裕陸将補)の島尻分駐所(所長・長澤1陸尉)は2月15日、糸満市のローカルヒーロー「イトマンマン」の動画撮影に協力、募集広報を行った。
 イトマンマンとは、糸満市非公認のローカルヒーローで、沖縄本島南部の糸満市の魅力を世界中に発信し、観光客を呼び込むために誕生した。悪役サキヌマー(酒飲み)が引き起こす問題を平和的に解決していくローカルヒーローの物語。現在、イトマンマンは、糸満市内の地名(字名)を覚えさせるため、各地区の名所旧跡前でラジオ体操を踊るという動画を撮影し、動画サイトに掲載中。
 今回は、糸満市阿波根地区に所在する沖縄地本島尻分駐所前で撮影したいとの依頼を受け動画の撮影に至る。さっそうと現れた「イトマンマン」は島尻分駐所前で、自衛官募集の看板をバックにラジオ体操動画撮影を実施した。動画は編集され、後日、イトマンマン公式ユーチューブにアップが予定されている。
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入隊予定者体感 <旭川>
 旭川地方協力本部(本部長・高田博文1陸佐)は2月26日、第4高射特科群(名寄)との協同により広報イベントを開催。入隊予定者とその家族が参加し、部隊側からは冬の部隊行動の展示が行われ、隊員から展示説明を受けた後、防寒戦闘服を試着した入隊予定者達からは、「意外に暖かい!」「防寒靴がゴッツイ!」などの声が聞かれ、即席自衛官が誕生した。
 その後、冬季装備を施した隊員が登場。スノーモービルや雪上車にスキーを付け牽引された隊員たちの姿に「かっこいい!」の歓声が上がった。
 引き続きグループごとに雪洞見学、スノーモービル・雪上車の体験試乗、スキー・かんじき体験が行われ、雪洞見学では「迷路のようだ」「ここで寝ると聞いてびっくり!」「思ったより暖かい」との感想が聞かれたほか、駐屯地グランド内で実施されたスノーモービルの後部座席や雪上車の助手席で体験試乗した入隊予定者からは「初めての経験で楽しかった」などの感想が聞かれた。
 また、初めてかかとの浮くスキーに挑戦したり「かんじき」を履いた参加者からは「すごく難しい」とその難しさに苦渋していた。
 イベントに参加者した名寄市在住の渡邊咲希さんは「参加してとても楽しかった。自衛官だった父の背中をずっと見て来て憧れていました。災害時などでは困っている方々の助けになりたい。父を乗り越えて幹部になることが目標です」と語ってくれた。士別翔雲高等学校3年生の熊澤楓君からは「小さい頃、名寄駐屯地の市街地パレードを見て衝撃を受けました。それ以来自衛官一本で来ました。仕事の希望は偵察でオートバイやスノーモービル等を乗り回したい」と頼もしいコメントを頂いた。
 イベントの最後は体験喫食。ミリタリーコックお手製の豚汁に「すごく美味しい!」「おかわりしたい」と冷えた体を温めた。
 午後からは説明会が行われ旭川地本名寄出張所の広報官らが入隊前の準備事項等を説明し成功裏に本イベントを終了した。
 担当した旭川地本名寄出張所長(猪師1尉)は、「今回のイベントは入隊予定者のみならず家族の方々にも楽しんでいただけたと思います。参加者、支援者ともにみんなが笑顔になれた素晴らしい一日となりました。第4高射特科群長をはじめ準備に携わってくれた多くの方々に感謝しかありません」と感想を述べ、謝意を示した。

読史随感
神田淳
<第122回>

どうして民主主義が根付かなかったのでしょう(2)
ー国家主義への傾き

 大正デモクラシーと呼ばれた戦前日本の民主主義的傾向は、昭和になって失われた。民主主義が失われた時代の歴史を今一度振り返る。
 1930年(昭和5)、政府(浜口雄幸内閣、立憲民生党)は金解禁(金輸出禁止の解除)を断行したが、前年アメリカで始まった恐慌は世界恐慌へと拡大し、金解禁は嵐の中で雨戸を開けるような結果となった。輸出は激減、株価・物価が下がって企業倒産があいつぎ、失業者がふえて深刻な昭和恐慌となった。農村はさらに深刻で、農産物の価格が暴落し、養蚕農家は壊滅的打撃を受けた。都市の失業者が農村に帰ったが、兼業する仕事もなく、農家の困窮はいちじるしかった。人々は、金輸出再禁止を予期して円売り・ドル買いを進める財閥を非難した。それは財閥と強い結びつきをもつ政党政治への批判となった。
 深刻な経済悪化に対応できない、しようとしない政党内閣に人々は失望した。政党同士が相変わらず権力の獲得のみを目的とする争いを続けるのを見て、人々は民主主義による政党政治を否定的に見るようになった。この時期政党がかかわった数多くの政治スキャンダルが、政党政治に対する国民の信頼を失墜させた。『大阪毎日新聞』は言う。「この現状はいわゆる既成政党の醜状を白日の下にさらけ出したものであり、政党政治の病根は国民等しく目を覆い、政、民の泥仕合に愛想をつかし議会を前にして政界の将来に一層の不安を感ぜしめつつある」
 そして1931年(昭和6)起きた満州事変が、政党と軍部との力関係を急速に軍部に傾けさせる契機となった。軍部には中国の排日運動にさらされる満州在住の日本人の窮状と、満州権益への脅威に対処できない政党政治に対する強い不満が生まれていた。満州に駐留する関東軍は参謀の石原莞爾を中心として1931年軍事行動を起こした。政府(若槻内閣、立憲民生党)は閣議で事変不拡大の方針を決め、軍部に伝えたが、関東軍はこれを無視し、満州占領を進めた。また朝鮮に駐在する日本軍も独断で越境し、関東軍の行動に合流した。世論、多くの有力新聞は軍の行動を支持した。若槻内閣は軍を抑制することができず、やがて当初の方針を撤回し、次々と軍のつくった既成事実を追認して総辞職した。
 この頃軍部の青年将校や国家主義者を中心とする急進的な国家改造運動が活発になり、彼らは財閥・政党などが日本のゆきづまりをもたらしたとして責任を問い、直接行動によってこれを倒し、軍部中心の内閣をつくり、内政・外交の大転換をはかろうとした。1932年(昭和7)5月15日、海軍青年将校らが犬養毅首相を官邸に襲い、暗殺した(五・一五事件)。この事件の影響は大きく、もはや政党内閣の継続はむつかしいと見た元老西園寺公望は後継首相に政党関係者を推薦しなかった。ここに民主的な政治体制としての政党政治が断絶するに至った。
 この頃より国内の思想・言論は急速に国家主義に傾き、社会主義ばかりでなく、自由主義・民主主義的な思想・学問への抑圧も強まった。1935年(昭和10)天皇機関説問題が起きた。この、天皇を国家の一機関とみなす広く認められてきた美濃部達吉による民主的な学説を、軍部や国家主義者が天皇中心の国家体制に反すると攻撃し、岡田内閣は譲歩して天皇機関説を否定する国体明徴声明を出した。
 日本の民主主義的傾向が復活するのは1945年(昭和20)太平洋戦争に敗れた後である。
(令和5年4月1日)

神田 淳(かんだすなお)
 元高知工科大学客員教授。
 著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』などがある。


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