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スペーサー
自衛隊ニュース   1089号 (2022年12月15日発行)
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読史随感
神田淳
<第115回>

日本の成立ー縄文時代

 日本列島に住み着いた現生人類は1万6千年前から土器をつくり始めた(縄文土器)。縄文土器が用いられた紀元前4世紀までの1万数千年間を縄文時代と呼ぶ。その後稲作が広がり、金属器が使用され、土器も弥生土器に変わって弥生時代となった。古墳時代、飛鳥時代がこれに続いて日本の国が成立していく。
 近年の歴史研究によって、日本文明の基礎は縄文時代に育まれたとの見方が強まっているように思われる。
 縄文時代、人々は原始的な貧しい狩猟採集生活をしていたと考えられていたが、青森県で見つかった縄文時代の定住集落の跡(山内丸山遺跡)は縄文人のイメージを変えた。この遺跡は5,500年前から1,500年間存続し、最盛期には500人もの人が定住していた。人々は、栗を常食とするため栗林を大量に管理し、イモ、豆、エゴマ、ヒエ、ヒョウタンを栽培していた。日本の豊かな自然は野、山、海、川にイノシシ、シカ、マガモ、キジといった山の幸、カツオ、マダイ、スズキ、サケ、貝類といった海の幸を豊富にもたらした。
 田中英道は、縄文文化は世界の四大文明に匹敵するという。縄文時代、土器が出現し定住生活が始まったが、土器の出現も定住化も世界的に最も早い時期だった。日本列島における縄文の豊かな土器文化は世界の文明史に特筆されてよい。
 日本では3万8千年前から磨製石器が使われたことがわかっているが、縄文時代は磨製の石斧や鏃(やじり)が使われるようになった。鏃やナイフに使われた黒曜石の産地は限られているが、これが全国で利用されていることから、縄文時代非常に広い範囲で交易が行われていたことがわかる。人々は骨や角から精巧な釣り針やモリをつくり、魚介類をとっていた。翡翠でつくられた精巧な装飾品(ペンダント、イヤリング)も発見されている。また、漆の技術も1万年前から使われていたことがわかっている。
 縄文時代の遺跡は全国で9万531カ所発見されており、発掘される土器、石器、土偶、木製品、衣類(編み物)、装飾品などから縄文人の生活が想像できるが、大きな特徴として、縄文遺跡からは戦争のための武器は全く出土しないことがあげられる。武器や敵を防ぐための柵や堀が発見されるのは弥生時代になってからである。縄文時代の1万数千年間、特に中期は温暖化が進み、自然は豊かで、人々は共生し、戦争のない穏やかな社会を営んでいたと考えられる。この時代に日本人の穏やかな性格が育まれ、和の文化の基礎がつくられたという文明認識が進んでいる。
 日本の伝統文化である神道も、縄文時代に生まれて今に及んでいると考えられる。神道は、自然崇拝、アニミズム、祖先崇拝及び清浄崇拝の信仰であり、生活感覚、宗教感覚である。縄文の遺跡から神道の精神が伺える。秋田県の縄文遺跡「大湯ストーンサークル」は人々に太陽信仰があったことを示す。神道は太陽神である天照大神を最高神とする。神道は自然道である。縄文人は自然の中で現代日本人よりもずっと自然とかかわり深い暮らしをしていた。自然を畏敬し、自然に神を見、自然崇拝を基本とする神道が縄文時代に生まれたのは間違いないだろう。我々現代日本人にその自覚はないが、改めて神道を知ると、現在なお我々の生活感覚に神道が横たわっていることがわかる。カミ(神)をアイヌ語でカムイという。アイヌは縄文人の一分派である。「カミ」もそのまま日本語になった縄文人のことばであろう。
 日本の精神文化の基層は縄文時代にできたと思われる。
(令和4年12月15日)

神田 淳(かんだすなお)
 元高知工科大学客員教授。
 著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』などがある。


板妻駐屯地創立60周年記念行事
3年ぶりに一般開放、約3000人を魅了
 板妻駐屯地(司令・水野克輝1陸佐)は11月27日、駐屯地において「板妻駐屯地創立60周年記念行事」を挙行し、60周年という節目を祝すとともに3年ぶりに駐屯地を一般開放し、約3000人の観客を魅了した。
 過去2年、新型コロナウイルスの影響で規模を縮小して実施していた本行事。今回は開催に先立ち、前日26日に、長年にわたり駐屯地に尽力頂いた方々に対する駐屯地司令からの感謝状贈呈式、祝賀行進、隊員家族等を対象とした記念行事の総合予行、橘中佐の遺徳を偲ぶ「橘祭」を実施した。
 27日の記念行事当日は、川勝平太静岡県知事をはじめ地元選出国会議員、近隣首長、各種協力支援団体等、多数の来賓出席の下、駐屯地所在部隊が参列する中、観閲式及び観閲行進を実施した。
 執行者式辞において水野司令は「私ども板妻駐屯地一同、我が国の平和と独立、国民の皆様の生命・財産をお守りするとの自衛隊の使命を自覚し、皆様のご期待に応え信頼を獲得できるよう精進して参ります」と述べた。
 観閲行進では34普連を筆頭に車両及び中隊毎に戦闘装備、対特殊武器、災害派遣、近接戦闘装備等、それぞれの装備で徒歩行進し、次いで駐屯地所在部隊、支援部隊、駐屯地キャラクターのイタヅマンが車両に乗車して行進し会場を沸かせた。その後、静岡市のオフロードバイク隊がオートバイ及び車両で行進し、最後に第1飛行隊(立川)のヘリコプター(UH1)が観閲飛行を行った。
 アトラクションでは、第1音楽隊による音楽演奏、34連隊らっぱ隊の吹奏、続く板妻橘太鼓の演奏では最先任上級曹長が大旗を振りながら迫力の演出で観衆を魅了した。
 続く至近距離射撃技術展示では約40名の隊員が動きを合わせた様々な射撃技術を披露するとともに、1コ中隊規模による模擬戦闘訓練展示を行い、各種車両、ヘリ、特科及び機甲火力と連携した大迫力の戦闘行動を披露した。
 この他、装備品展示、車両の体験試乗等、各種体験コーナーを設けて大人から子供まで楽しめる催しを来場者に存分に楽しんで頂き、本記念行事は大盛況のうちに終了した。

創立70周年防衛大学校開校祭
熱戦 伝統の棒倒し競技会
 防衛大学校(久保文明学校長)は、11月12日から13日まで、第70回開校記念祭を開催した。
 12日、防衛大学校創設以来の伝統行事となっている「棒倒し競技会」が行われ、熱戦を繰り広げた。この棒倒し競技会は、各大隊150名の学生が攻撃と防御に分かれ、相手の棒を3秒間30度以上傾斜させると勝利となる。今年度激しい試合を勝ち抜き栄えある優勝の栄冠に輝いたのは、第2大隊であった。
 13日は、殉職等で逝去された本校卒業生及び学生を悼む顕彰碑献花式を厳かに執り行った。また、記念式典・観閲式では、学生による整斉とした観閲行進や陸・海・空3自衛隊による祝賀飛行のほか儀仗隊によるドリル演技を行った。観閲官として同式典に出席した小野田防衛大臣政務官は、訓示において「一人一人が果たすべき責務と国民からの期待がより大きなものとなっていることを自覚し、一層の教育訓練に励まれることを希望する」と将来幹部自衛官となる学生を激励された。

久留米駐屯地70周年記念行事
入隊1ヵ月の新隊員が堂々徒歩行進
 久留米駐屯地(司令・有村義治1陸佐)は、10月23日、70周年となる久留米駐屯地創立記念行事を4年ぶりに開催した。
 式典に先立ち、駐屯地司令感謝状贈呈式を行い、久留米駐屯地の隊務運営と隊員の士気高揚に多大な貢献をされた8名の方に対し、深い感謝の意を込め、駐屯地司令より感謝状と記念品を贈呈した。
 記念行事は、70周年という節目の年であったが、新型コロナウイルス感染症拡大防止のため一般開放は行わず、一部の自衛隊協力諸団体及び協力者等の方々を招待して、隊員の真摯な姿を披露し理解と信頼の獲得を図った。また、事前に駐屯地司令以下、各部隊の代表者366名をもって70周年に因んだ人文字を作成し記念すべき日に一枚の花を添えた。
 観閲式式辞において観閲官である有村1佐は、昭和27年からの久留米駐屯地の歴史や駐屯地所在部隊の状況に併せ、歴史と伝統のある久留米駐屯地を益々精強にして覇気あふれる部隊として育成すべく「地域と共に」を合言葉に、一層尽力する決意を述べた。
 観閲行進では、第4音楽隊の軽快な吹奏の中、入隊して約1カ月の新隊員(31名)が徒歩行進を行い、若さ漲る堂々とした姿を披露した。また、車両行進では、駐屯する各部隊が力強い車両行進を披露した。
 久留米駐屯地は今後も、地域の皆様のご支援・ご協力のもと、地域と共に歩み発展する駐屯地を目指し、更なる学生教育や部隊訓練にまい進していく。

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