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スペーサー
自衛隊ニュース   1069号 (2022年2月15日発行)
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ノーサイド
北原巖男
人を救うこと

 1月31日17時30分頃、航空自衛隊航空戦術教導団飛行教導群所属のF-15DJ戦闘機1機が、要撃戦闘訓練のため小松基地を離陸した直後、小松基地の西北西約5kmの洋上において、レーダーから航跡が消失致しました。
 搭乗機には、飛行教導群司令の田中公司一等空佐と同群の植田竜生一等空尉が搭乗されていました。
 飛行教導群は、「F-15戦闘機を運用し、対戦闘機戦闘に係る戦技に関する調査研究と関係部隊の指導を任務としています。一年を通じて全国の戦闘機部隊及び警戒管制部隊を廻って「敵役」を演じており、通称「アグレッサー(侵略者)」と呼ばれています。保有するF-15には、敵味方の区別を容易にするため独特な識別塗装が施されています」(小松基地ホームページ)
 お二人は共に高い技量を持たれ、全国各地の戦闘機パイロットの技術向上に励む精鋭部隊の経験豊富な部隊指揮官であり隊員です。
 陸海空自衛隊・海上保安庁等により捜索・人命救助活動が懸命に続けられて来ていますが、これまでに機体の一部と考えられる複数の物件が回収されており、当該機体は墜落したものと推定されています。
 2月8日、閣議後の記者会見で岸防衛大臣は、「引き続き搭乗員2名が行方不明であります。・・・引き続き、人命の救助に全力を尽くすとともに、機体の捜索に努めて参ります。事故原因等については、現在、航空幕僚監部の事故調査委員会において調査を進めており、原因究明に努めているところであります」、「フライトレコーダーについては、まだ見つかっていないところです」と述べています。
 朝、元気に小松基地に向かわれた田中公司群司令そして植田竜生一等空尉のご家族の皆さまのご心中を拝察申し上げることは到底出来ることではありません・・・。一刻も早く発見され、ご家族のもとに戻られることを願って止みません。
 2月7日付け産経新聞は、事故調査委員会の関係者が「無責任に可能性を言い出すわけにいかない。今はあらゆる可能性を想定している」と語っている旨を報じています。
 このような中にあって、僕はかつて読んだ今は亡き作家城山三郎さんの著書「嬉しうて、そして・・・」(2007年8月 文芸春秋刊)をもう一度開いてみました。大分以前の著書ですが、忘れられない記述があることを、ふと思い出したからです。
 "自衛隊は人を助けるためにあるという私の考えは、自衛隊員とのつきあいの中で確固としたものになりました。忘れ得ぬ人に、航空自衛隊のパイロットだった西光二等空佐がいます。・・・自衛隊入隊後、アメリカでパイロット教育を受けた日本のジェット・パイロットの先達でもありました。・・・西さんは常日頃「アメリカの訓練では事故の際、直ぐ脱出ボタンを押して飛び出ろと教えられるけれど、自分は部下に、絶対安易に飛び出てはいかん。とにかくまず海へ向かえ、あるいは人家のない山。海、山どちらも駄目なら、最後の最後まで人家のない所まで行ってそこで飛び降りろと教えています」と話していたのが印象的でした。そして後年、彼の身にその通りのことが起きたのです。
 昭和三十八年、F-104Jという翼の小さい戦闘機で千歳基地を飛び立ったところ上空でエンジンが故障。彼は地上にいる人を一人も殺してはならないと、エンジンが止まった状態のまま千歳基地までぎりぎり降下してきて、最後に滑走路のはずれに墜落して亡くなったのです。その日、彼に双子の娘が生まれています。脱出ボタンを押せば、我が子に会えると知りながら、彼は「言行一致」を最後まで貫いた。いま小さな碑が滑走路の脇に立っています。
 平成十一年の秋、埼玉の入間基地近くで自衛隊のT-33型練習機が入間川河川敷に墜落し、機体が高圧線に接触し、首都圏で大きな停電が起きた事故がありました。あの時、マスメディアは停電のことばかり書き立てて、殉職したパイロットが地上の危険を回避しようと努力したことには触れなかった。・・・人家を避け安全な場所を探して、無理に入間川の河原まで飛んできたため脱出できず、命を落とした。いくらでも途中で脱出する機会があったものを、自分の命を犠牲にして国民の命を守るーー西二佐の精神は彼らの中に見事に生きていたのです。
 これらのことを通して私は、自衛隊の本義は「人を救うこと」にあるのだと考えるようになった。"(筆者抜粋)
 今回の事故の原因等については、事故調査委員会の調査結果を待たなくてはなりません。
 組織は人であり、全国の自衛隊員の皆さんは、自衛隊の本義は「人を救うこと」にあるとして、いかなる事態に対しても国民の負託に応えられるよう、日々厳しい錬成訓練等に取り組んで来ています。
 しかしその訓練中に、「自分の命を犠牲にして国民の命を守る」といった事故の生起は、何としても絶対に防いでいただきたいのです。
 徹底的な原因究明を行ったうえで、今一度、隊員一人一人が安全管理にかかる認識を新たにし、防衛省・自衛隊全体として再発防止に全力で取り組んで行くことを切に願います。

北原 巖男(きたはらいわお) 元防衛施設庁長官。元東ティモール大使。現日本東ティモール協会会長。(公社)隊友会理事


「頑張っています」新しい職場
活躍するOBシリーズ

ヤマネ鉄工建設株式会社 運輸部運輸課 河崎史龍
河崎氏は令和3年3月に第12飛行教育団基地業務群施設隊(防府北基地)を空士長で退官。22歳

 私は、航空自衛隊第12飛行教育団基地業務群施設隊に勤めていましたが、トラック運送の仕事に興味を持ち、再就職を希望しておりました。援護室からの情報で合同企業説明会の開催を知り、参加した企業のうちの1社であるヤマネ鉄工建設に2021年4月に採用されました。
 ヤマネ鉄工建設は長門市に本社を置き、東京支店、大阪営業所と合わせて3拠点があり、超高層ビルの鉄骨製作、建築設計、損害保険代理業、太陽光発電事業等、幅広い事業を行っています。
 私は現在、運輸部運輸課に配属されており、本社で製造された鉄骨製品を大型トレーラーに積み込み、海上輸送を行うため、フェリー発着所のある北九州市の門司港までの運送業務を行っております。
 大型自動車の免許は、自衛隊時代に取得していましたが、ヤマネ鉄工に入社してからは、けん引・フォークリフト・クレーン運転士の資格も取得し、10月からは1人での運転業務を任せてもらえるようになりました。
 覚えることも多く、屋外で行うトレーラーへの積み込みは季節や天候にも影響され、体力も使い大変ですが、自分の興味のあった職種に就くことができて、毎日がとても充実しています。
 今はこの職場で、日本でも有数な大型建造物に携われることにやりがいと喜びを感じています。自衛隊時代に培った体力と集中力を生かし、これからも無事故と安全運送を心がけ、日々精進していきたいと思います。

自衛官にとっての「人生100年時代」(6)
定年後の「人生計画」を作ろう

取り残されている自衛官!
 今回からしばらくの間、「人生100年時代」を睨みながら、現役時代に何を準備すればいいか、という本シリーズの核心に迫ってみようと考える。「人生100年時代」、若年定年の自衛官にとっては、マラソンの「折り返し点」を少し回ったあたりで定年を迎え、その後も長い人生が続くことについては、シリーズ冒頭でも触れた。
 表は、一般の就業者と退職後2、3年後の元自衛官の「何歳まで働きたいか」の意識調査を比較したものである。
 調査の対象・年次など元々のデータに違いはあるが、一般の就業者がすでに「人生100年時代」を意識して70歳を越えても「働きたい」と希望する人が半数以上存在するのに比し、元自衛官の場合は、「65歳まで」が約半数、「70歳まで」が8割弱に及んでいる。若年定年の自衛官は、「人生も若年定年」と思ってはいないだろうか。

「マルチ・ステージ」と「自己開拓」
 さて、階級や自衛隊の職務経験などによる差異はあるが、自衛官であったことのアピールポイントは私達が自覚する以上にたくさんある。そして、退職直後は、援護関係者の尽力もあって、「自衛官であった」というだけで雇用してくれる職場に再就職できる。しかし、数年後、せっかくありついた仕事を退職する者も少なくない。
 また、現役時代同様、後進に道を譲ることなどから、再就職期間は限定される。防災官のように、条例によって定年が決まっている場合もある。
 こうして、再就職途中で退職した者も、無事に再就職任期を終えた60代前半の者も、再び職探しを余儀なくされる。若年定年の自衛官は、人生の「マルチ・ステージ」が宿命づけられており、この「現実」からはだれも逃れられないのである。
 この際の職探しは「自己開拓」しかなく、問題なのは、元自衛官のアピールポイントの "賞味期限" が切れてしまうことであろう。自衛官の最終階級、様々な特技や勤務経験などを通じて得た能力よりも、国家資格やスキル、それに仕事に取り組む積極的な姿勢などが決め手になる場合が多い。
 60歳前半の元自衛官の職探しを何人も見てきたが、簡単ではない。時には失望感さえ漂う。しかし、見事に職を得て、輝きを放ち続ける一部のOB達の共通点は、現役時代から「定年後はこれをやろう」と計画し、多忙な中にあっても、その計画を実行するために必要な努力を継続してきたことである。まずは、「定年後、いかに生きるか」を考え、計画することが肝要なのだ。
 渋沢栄一の有名な「夢七訓」の一部を借りれば「計画なき者は実行なし、実行なき者は成果なし、成果なき者は幸福なし」なのである。以下次号。

 「退職自衛官の再就職を応援する会」詳細と問い合わせ、本シリーズのバックナンバーはこちら。https://www.saishushoku-ouen.com/


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