防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
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自衛隊ニュース   1061号 (2021年10月15日発行)
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読史随感
神田淳
<第87回>

日本のこころ「誠」についての随想

 「誠実であること」は今なお日本人が最も重視し、最も好む人間のあり方ではないだろうか。日本人は人との信頼関係を非常に大切にするが、誠実が信頼関係の基礎である。行動規範に誠実を掲げる日本企業も多い。日本人は男児によく「誠」の字を含む名を付ける。戦後長い間、男児の名として一字の「誠」は名前ランキングのトップにあった。
 「誠(まこと)の心」は歴史始まって以来、日本人が求め続けてきた心である。「まこと」は「真事」あるいは「真言」であり、偽りでない本当、真実のこと。古くは「清き明き心」として捉えられ、中世においては「正直(せいちょく)の心」として捉えられた。「まことの心」は古来の神道の理想「清明正直」の心そのものであった。
 儒教も誠を重要な徳目として挙げる。『大学』では「意を誠にする(誠意)」を説き、『中庸』で「誠は天の道なり、これを誠にするのは人の道なり」と言う。儒教を朱子学として大成した朱子は、誠を真実で邪心のないこととし、これが天の理法であるとした。
 誠は日本の儒教で特に重視された。伊藤仁斎は『論語』、『孟子』に聖人の教えを見いだしたが、仁斎がその実践倫理の根本に捉えたのが「忠信」であった。「忠」も「信」も「まこと」であり、「忠信」は「誠実」とも言いかえられる。「忠信」は「人に接するとき、あるいは事をなすとき、欺かず、詐らず、真実で、純粋な心でかかわること」であり、忠信(=誠実)が仁(=愛)であるとした。
 山鹿素行も誠を重視した。素行は「やむを得ざる、これを誠という」と言う。他者への誠実は、心の底より抑えがたいものとしてあるべきもので、それが誠であると。
 幕末において誠の思想は頂点に達した。吉田松陰は「天道も君学も一つの誠の字の外なし」と言う。松蔭は君のため、国のために思うところがあっても、それを決断をもって実行に移さなければ誠ではないと考え、実行した。幕末の日本社会を動かした道徳は「至誠」であった。
 誠(まこと)は古代より現代まで日本人が重んじてきた日本の心であるが、誠実に大きな価値を置き、これを尊ぶ精神は実は世界的なものである。
 「誠実さと信念だけが人間を価値あるものにするーーゲーテ」、「大事業というものは厳しい誠実さの上にだけ築かれるーーカーネギー」、「誠実さ。深く偉大で純粋の誠実さこそ英雄的な人の第一の特色であるーーカーライル」、「誠実でなければ人を動かすことはできないーーチャーチル」、「すべての真の偉人の第一の美徳は、誠実であることだーーアナトール・フランス」、「私たちは成功するためにここにいるのではありません。誠実であるためにここにいるのですーーマザー・テレサ」。
 世界的な誠実と日本の誠実は概ね共通するものの、意味の違うところがあることも我々はよく知る必要がある。米国・カナダで30年グローバル企業の教育研修事業を行ってきた渥美育子氏は、「誠実」と訳される「Sincerity」の真の意味は言行一致であると述べている。日本人が「誠実に対応している」と言うとき、それは(誠意をもって)真剣に取り組んでいるということで、相手の望む結果を出すことを必ずしも意味しない。誠実に関するこのニュアンスの違いが、日米貿易摩擦の溝が埋まらない背景にあったと。
 世界に生きる我々日本人は、世界の異文化をよく知り、国々の背骨を形成している道徳、倫理、宗教の考え方をよく知る必要がある。
(令和3年10月15日)

神田 淳(かんだすなお)
 元高知工科大学客員教授。著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』などがある。


飛行場に係る協定を徳島県と締結
早期復旧・発着再開に向けて
<徳島教育航空群>
 海上自衛隊徳島教育航空群(群司令・町島敏幸1海佐)は、9月2日に徳島県と「徳島飛行場における海上自衛隊航空機に係る事故発生時の早期復旧・発着再開に向けた態勢強化のための協定」を締結した。
 本件は、徳島教育航空群が管理する徳島飛行場の滑走路における発着に支障が生じる状況が発生した場合に、飛行場機能の早期の復旧と発着再開に向けた態勢を強化することを目的とし、事前の調整を経て締結に至ったもの。
 徳島県庁で行われた締結式では飯島徳島県知事と徳島教育航空群司令の町島1海佐が、協定書への署名を行い、徳島県クレーン協同組合理事長の井貝氏が同席した。
 締結式の挨拶で、飯島知事は「一番安全、安心な飛行場を目指し、海上自衛隊と引き続き、協力していく」と述べ、町島1海佐は「本協定の意義を自覚し、強い責任感を持ち、飛行場の運用に取り組む」と徳島飛行場の管理責任者としてさらなる態勢強化への決意を述べた。

元「しらせ」機関長が小笠原村の全校で南極講話
<父島基地分遣隊>
 海上自衛隊父島基地分遣隊(隊長・奥村武士2海佐=現統幕学校)は、7月から9月にかけて、常夏の小笠原村(父島、母島)にある小学校から高校4校全てに「南極と砕氷艦「しらせ」」講話を行った。この講話は、分遣隊から各学校に、砕氷艦「しらせ」が南極で切り取って運んできた氷を贈呈する際に行ったもので、村内にある全学校に対して「しらせ」乗員だった隊員が一律に講話をするのは初めてのことだった。
 小笠原村は東京都心から南に約1000kmから1900kmにわたって30余り散在する島々からなる自治体で、住民は父島と母島のみに住んでいる(令和3年9月現在、父島約2130人、母島約460人)。父島に小笠原村立小笠原小学校、小笠原中学校及び東京都立小笠原高校が、母島に小笠原村立母島小中学校があり、自然豊かな島の魅力を生かした教育が行われている。講話をした奥村隊長は、平成26年〜28年の間、しらせ機関長として第56、57次南極地域観測協力行動に参加しており、実際に経験した者ならではの視点で生徒たちに語りかけた。南極の氷のでき方、しらせが氷を砕いて進む方法、白夜の景色、ペンギンの群れ、洋上で見るオーロラ等々、亜熱帯の小笠原からすると別次元のような南極の話に生徒たちは興味深く聞き入り、聴講後には「コロナは南極まで行っていませんか?」など、この時世ならではの質問もあった。さらに生徒たちは実際に氷に触り、その中にある気泡を観察するなどし、各回とも大いに盛況だった。
 本土から遠く離れた小笠原村は、新型コロナウイルス感染防止対策が首都圏より厳格に施されており、例年数多く開催されている諸式典やお祭り、運動会等の島交流イベントがことごとく中止となっている。このような状況下において、今回の講話は50年以上培ってきた小笠原村と海自父島基地分遣隊との信頼関係と各学校の自衛隊に対する深い理解の上で成り立ったものであった。
 奥村隊長は、「講話を聴いて、少しでも南極のことに関心を持って、亜熱帯から極地に渡るスケールの大きい視野を将来に約立ててもらえたら嬉しい」と語っている。

人命救助で善行褒賞
<八戸航空基地隊>
 海上自衛隊八戸航空基地隊(司令・芳賀良哉2海佐)は、8月26日に同隊航空警備隊所属の登藤慶太1海曹に対し人命救助による善行褒賞を授与した。
 登藤1海曹は7月23日、八戸市沼館交差点で生起した交通事故を目撃し、付近にいた民間人と協力し、救急車を要請するとともに、頭部から出血があり意識朦朧とした負傷者の安全確保及び応急処置を実施した。後に到着した救急隊員に発見時の状況、処置の概要を伝え、救護を引き継いだ。
 褒賞状の授与後、登藤1海曹は「自衛官として国民を守るという使命感から行動しただけのことであり、今後も引き続き職務に邁進していく」と語った。
 なお、八戸航空基地隊においては昨年11月に航空警備隊所属の中村海士長が人命救助により、今年3月に同隊運航隊所属の山田2海曹が人命救助により、6月に航空警備隊所属の花田海士長が高齢者の保護処置により善行褒賞を授与され、部隊として昨年11月から4例目の善行であり、地域社会への貢献度は高い。

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