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自衛隊ニュース   1014号 (2019年11月1日発行)
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読史随感
神田淳
<第40回>

不世出の偉人 徳川家康

 「織田がつき羽柴がこねし天下餅 座りしままに食うは徳川」といった江戸期の落首(匿名の狂歌)がある。徳川家康は「狸親仁(たぬきおやじ)」といわれ、江戸幕府を開いた神君家康も、日本の庶民の人気と評価は、英雄信長、秀吉に及ばないようである。
 しかし、私は徳川家康こそは不世出の偉人であり、世界的水準の偉大な軍人政治家だったと思う。
 家康は戦国時代の無秩序に終止符をうち、太平の世を開いた。家康がつくりあげた統治システム(多次元の幕藩制複合国家)はその後長期にわたって有効に機能し、日本は270年に及ぶ戦争のない持続的な安定した社会を謳歌した。
 江戸は繁栄し、元禄の頃(17世紀末)には人口100万を擁する都市となった。同じ頃ロンドンは46万、パリは18世紀末で55万人に過ぎなかった。江戸は、治安の良さと公衆衛生の先進性で世界の都市を凌駕していた。東京(江戸)の基礎は、埋め立てや上下水道整備を含めた家康の都市計画によって造られた(注1)。
 日本の社会は安定し、人口が増えた。日本の人口の世界シェアが最高になったのは元禄の頃であり、5%に達していた。卑弥呼の弥生時代は0・3%、現在は2%である。磯田道史は、おそらく将来、江戸時代は日本の栄えた時期として、憧憬の念をもって回顧されるだろうと言う(注2)。
 家康は「海道一の弓取り」といわれるすぐれた武将だったが、信長や秀吉と異なり好学の人で、歴史や哲学の書に親しんだ。知識欲と独創性があった(注3)。
 山内昌之は、家康ほど多彩な人材の登用にたけた政治家は歴史に類を見ないと言う(注4)。配下の武将は皆家康に心服していた。家康が登用した人材の中には、外交政策のアドバイザーとなったイギリス人ウイリアム・アダムス(三浦按針)やオランダ人ヤン・ヨースティンらもいる。家康は、「人の価値がわからないのは、すべて自分の智が明らかでないからだ。才能や知恵ある者を使いこなすことができず、役に立たない者とのみ国政を議論してはならない」と言う。衆に抜きんでた智慧と人間力をもつ者のみが人を使うことができる。家康はそういう人だった。
 家康は次のような言葉を残している。「人の一生は、重荷を負うて遠き道をゆくが如し。いそぐべからず」、「不自由を常と思えば不足なし」、「堪忍は無事長久の基(もとい)、怒りは敵と思え」、「勝つことばかりを知りて負くることを知らざれば、害その身にいたる」、「おのれを責めて人を責むるな」、「最も多くの人間を喜ばせた者が、最も大きく栄える」、「大事を成し遂げようとするには、本筋以外のことはすべて荒立てず、なるべく穏便にすますようにせよ」、「及ばざるは過ぎたるより勝れり」。何という深い智慧に満ちた言葉かと思う。特に、「及ばざるは過ぎたるより勝れり」に家康の深遠な経験知をみる。
 家康は晩年、皇室と西の勢力が結びついたとき徳川幕府は倒れると予言した。250年後、歴史はまさにそのように進行した。家康の叡智にはそれが見えていたのである。
 江戸時代、近代科学はないものの、文化、社会は成熟し、近代が静かに準備された。江戸と明治は連続している。近代日本の起点を明治維新ではなく、むしろ家康の開いた近世の江戸システムに求める見方に共感する。
注1、3、4『日本近現代講義』山内昌之・細谷雄一編著より
注2『日本史の内幕』磯田道史著より
(令和元年11月1日)

神田 淳(かんだすなお)
 高知工科大学客員教授
著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』など。


無事故管制3千万回達成
航空保安管制群
3千万回目は松島管制隊
 航空保安管制群(司令・渡部琢也1空佐=府中)は、令和元年10月1日、第4航空団所属機の着陸をもって「無事故管制3000万回」を達成した。
 無事故管制3000万回とは、北は千歳基地から南は新田原基地まで、全国15基地に所在する航空自衛隊の管制部隊が管制した航空機の離陸を1回、着陸を1回及び管轄空域の通過を1回と数えた合計回数であり、昭和37年1月1日に航空自衛隊が航空交通管制業務を開始して以来、57年余の歳月を経て成し遂げた。
 この記録は、歴代の群司令を始めとする諸先輩の残した功績はもちろんのこと、その偉業と伝統を継承した現所属隊員一人ひとりの努力の成果であるとともに、飛行部隊を始めとする自衛隊関係部隊及び機関並びに国土交通省等の絶大なる支援と協力を得て達成したものである。
 この記録達成に伴い、航空保安管制群は10月3日、第4航空団と航空救難団松島救難隊が所属する松島基地において記念行事を挙行した。
 主催者である航空保安管制群司令・渡部1空佐の挨拶、来賓を代表して第4航空団司令兼ねて松島基地司令・松尾洋介空将補からの祝辞に引き続き、3000万回目の管制を行った航空保安管制群松島管制隊の管制官と第4航空団のパイロットに花束が贈呈され、最後に松島基地所属機を背景に記念撮影を行った。
 今回の達成を機に属隊員一同は、伝統と重責を再認識するとともに、一丸となって飛行運用への支援と飛行安全の確保に向け、新たな気持ちで任務に邁進することを誓った。

GOODLUCK20-A
WELCOME20-E

静浜基地
 気付けば着隊から7ヶ月以上が過ぎ、澄み渡る秋空の季節に私達20-Aは晴れて10名全員で卒業を迎えることができました。厳しいながらも懇切に操縦の "いろは" を叩き込んでくださった教官の方々をはじめとして、暑い中でも機体を整備してくださった整備員の皆さん、飛行のお世話になった管制隊、気象隊の皆さん、毎日美味しい食事を作ってくださった食堂の皆さん、健康の面倒を見てくださった衛生隊の皆さん等、お世話になった方は枚挙に暇がありませんが、静浜基地の数多くの隊員の方々に支えていただきました。代表してお礼を申し上げます。
 今回初級操縦課程を修了するに至りましたが、私達は戦闘操縦者としてはまだまだ小鳥のような存在です。この静浜基地で学ばせていただいた事を確かな基礎として、将来大きく羽ばたけるよう今後の課程でも精進して参ります。
 本当にありがとうございました。
 (20-A 木下3空尉)
 この度20-E8名は、8月8日付をもって初級操縦課程に入校しました。航空学生として入隊してから約2年半が過ぎ、やっと戦闘操縦者へのスタートラインに立てたことを、20-E一同大変嬉しく思っています。
 着隊して約1ヶ月半が経ちましたが、静浜基地での生活にも慣れ、座学、フライト、そしてサッカーと毎日充実した日々を送っています。また、全国でも美味しいと評判の高い静浜基地の食事は、学生のモチベーションアップには欠かせません。
 初級操縦課程は、操縦技術はもちろんのこと、戦闘操縦者としての基礎を身に付けるところであると考えています。コース、またシリーズ一丸となって本課程に臨み、より優れた戦闘操縦者を目指し学生一同日々精進していきます。
 3月17日までの約8ヶ月間、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い致します。
 (20-E 小澤3空曹)

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