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自衛隊ニュース   1012号 (2019年10月1日発行)
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読史随感
神田淳
<第38回>

聖徳太子でなければならない

 文部科学省が2017年、小中学校の学習指導要領の改定案として、聖徳太子の名前を、小学校では「聖徳太子(厩戸王)」、中学校では「厩戸王(聖徳太子)」と表記することにし、パブリックコメントを求めた。多くの国民から反対意見が寄せられて、文科省はこの案を取り下げ、従来通り「聖徳太子」の単一表記となった。
 国民の良識が、文科省の愚行を阻んだと私は考える。文科省の改定案の根拠は、「聖徳太子は当時おそらく聖徳太子とは呼ばれておらず、厩戸王と呼ばれていたと推定される」といった、あやふやなものであり、改正の必然性は全くない。国民はこの改定案の背景に、日本の歴史から聖徳太子を抹殺し、日本の歴史を貶めようとする勢力(左翼、および中韓)の存在を感じたと思う。
 田中英道と伊藤隆は、日本国史学会誌(第十号、平成29年)で、聖徳太子の名が厩戸王のあとカッコで付けられる表記は誤りであると、以下のように明確に述べている。
『日本書紀』(720年)においては皇太子と書かれているが、706年においては、「上宮太子聖徳皇」と書かれ、一般にそれまで「聖徳」の名が使われていたことを証拠立てる。『日本書紀』の敏達天皇の条に、娘が「東宮聖徳」に嫁すと書かれており、当時から「聖徳」の名が使われていることを示唆している。また法隆寺金堂の薬師如来座像の光背銘に、「聖王」と書かれ、その造像記には、推古15年(607年)とされているから、その年代から「聖王」と呼ばれていたことがわかる。厩戸王を支持する学者たちが間違っているのは、『日本書紀』に書かれていることは皆、捏造だという戦後の歴史学者の、天皇・藤原権力の維持のために『記・紀』が書かれたという偏見に基づいているからである。仏教の注釈書『三経義疏』も聖徳太子自身が書いたことは実証されているし、『十七憲法』も聖徳太子の編纂によるものであることは明らかである。聖徳太子は生前より深く尊敬されており、「聖徳」の名は当時から言われていた「上宮法王」や「豊聡耳命」に合致するもので、厩戸王などと書く必要は全くないーーー。
 聖徳太子は類まれなる聡明な人で、人の意見を聴いて直ちに深い理解を示す、日本人が最も尊敬した指導者であった。聖徳太子は日本で初めて国家理念を明確にもち、太子の定めた十七条憲法の第一条「和を以って貴しとす」は、日本の国のかたちとして現在もなお生きている。
 十七条憲法はすばらしいが、特に第十条はこの憲法の白眉である。「十に曰く、忿(こころのいかり)を絶ち、瞋(おもてのいかり)を棄て、人の違うことを怒らざれ。人みな心あり。心おのおの執るところあり。彼是とすれば、我は非とす。我是とすれば彼は非とす。我必ずしも聖にあらず。彼必ずしも愚にあらず。共にこれ凡夫のみ。是非の理、た(言偏に巨)れかよく定むべけんや。相共に賢愚なること、鐶(みみがね)の端なきがごとし。ここをもって彼の人は瞋(いか)ると雖も還って我が失を恐れよ。我独り得たりと雖も、衆に従い同じく行え」
 個人は皆違っており、違いはその人の尊厳そのものである。他の意見を尊重し、自己の絶対性を否定する。民主主義の基本となる考え方を、聖徳太子は実に美しい達意の表現で述べている。
 日本人は聖徳太子を聖者とみなし、太子を信仰する態度は歴史の早い時期に成立した。こうした歴史的事実を軽んじてはならない。
 (令和元年10月1日)

神田 淳(かんだすなお)
 高知工科大学客員教授
著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』など。


第21回百里基地音楽祭
地元中学生と合同演奏
 航空自衛隊百里基地(司令・佐川詳二空将補)は、令和元年8月3日、百里基地周辺市町協力会との共催により、「第21回基地音楽祭」を小美玉市小川文化センター「アピオス」において実施した。
 今回の音楽祭では、航空自衛隊中部航空音楽隊による演奏に加え、鉾田市立鉾田北中学校の吹奏楽部の生徒との合同演奏も披露された。
 開演に先立ち、会場正面入口でロビーコンサートが催されるとともに、音楽隊員によるリハーサルも兼ねた演奏指導も行われた。
 開演は午後2時。協力会会長の島田小美玉市長及び副会長の岸田鉾田市長を始めとする来賓や、基地協力団体や基地モニター、更には地域住民を中心に1000名近くが来場する中、基地司令の挨拶で基地音楽祭は幕を開けた。
 演奏は2部構成で、アンコールを含め全10曲の演奏。第1部の後半で、鉾田北中の吹奏楽部との合同演奏「風になびく草原」が披露され、隊員と生徒さんとの見事なコラボレーションに対し、会場は称賛と声援の拍手が響きわたった。
 第2部では、聴き覚えのある映画音楽を中心に、演奏者と聴衆が一体となった演奏演出がなされた。
 百里基地は「約2時間の演奏プログラムでしたが、地域の皆様に、夏の楽しい一時をご提供することができました。猛暑の中、ご来場された皆様、そして合同演奏にご協力いただいた鉾田北中の皆様に感謝申し上げます」と述べている。

在日米空軍女性軍人とガールズトークを開催して
那覇救難隊 松山 寿曹長
 7月2日、米軍嘉手納基地において、第18航空団下士官最上級曹長ジェシカ・ベンダー(女性軍人)の協力を得て、同航空団所属の女性軍人と那覇救難隊の女性隊員との「女子会(ガールズトーク)」を開催しました。
 ジェシカ・ベンダー最上級曹長は、嘉手納基地下士官のトップであり、唯一の女性の先任です。多彩な経歴等を持つ方ですが、気さくでフレンドリーな一面もあり、とても話しやすい女性です。
 私は、業務調整等で嘉手納基地に行く機会を持たせてもらっていますが、その際、ジェシカさんとの会話を通じて彼女が、軍隊や自衛隊のような組織における、女性の役割や働き方に強い思いと問題意識を持たれている事を知り、社会における女性の進出や活躍について思うところは日米ともに共通だと感じました。
 これを機に女性隊員・女性軍人の意見交換が行えれば、相互に得るものがあるはずと思い、ジェシカさんと那覇救難隊の准曹士先任に相談したところ快諾を得て、女子会を企画開催する運びとなりました。
 日米双方から通訳の協力を得て、女性米軍人4名と那覇救難隊女性隊員2名での女子会が始まりました。当初は言葉の壁もあり、双方とも固い感じでしたが、若い女性同士ということもあり、次第に打ち解けて話が弾み、予定していた時間をかなりオーバーしてしまいました。会話の内容は、公私に渡り様々でしたが、育児休業期間と復帰後のケアの違いに、双方驚きがあったようです。今回は、初めての試みでしたが、お互いに視野を拡げさせる点で成果があったと感じています。自衛隊も女性進出の時代であり、女性隊員が少しでも働きやすく、勤務を継続できる職場作りを目指し、今後も機会を見つけて、企画していきたいと思います。

「米子がいな祭」でオープニングフライト
<第3輸送航空隊>
 第3輸送航空隊(司令・塩川壮1空佐=美保)は7月27日〜28日の2日間、米子市で開催された「第46回米子がいな祭」において、第403飛行隊所属のC2輸送機と第41教育飛行隊所属のT400練習機によるオープニングフライトを実施した。
 午後12時頃、オープニングセレモニーに続いて、米子駅前広場上空に2機の航空機が姿を現すと、沿道にいた観衆からは大きな拍手と歓声が起こり、カメラを手に航空機を撮影する姿が多数見られた。
 オープニングフライトは今年で6年連続の実施となったが、恒例行事となったオープニングフライトに参加した市民からは「2機が同時に飛んでいるのは航空祭以外でなかなか見られないのでよかったです」とのコメントが聞かれた。

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