防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
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自衛隊ニュース   978号 (2018年5月1日発行)
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全国で入隊・入校式

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7師団
 第7師団(師団長・小野塚貴之陸将=司令部‥東千歳)は、4月7日に第7特科連隊(連隊長・岡部健1陸佐)が、8日に第11普通科連隊(連隊長・宮内雅也1陸佐)が、東千歳駐屯地において、自衛官候補生の家族を含め、部内外から多数の来賓の参列を得て、「平成30年度自衛官候補生課程入隊式」を執り行った。
 第7特科連隊の自衛官候補生入隊式で、岡部連隊長は58名の自衛官候補生に対し、「失敗を恐れず、積極的に行動せよ」、「同期の絆を大切にせよ」と要望すると共に、「教育が修了する6月末には、紫紺色を基調とした新制服のコンセプトである「使命感」、「強靭性」、「品格」を感じさせる、成長した姿を御家族に見せられるよう頑張ってもらいたい」と激励した。
 また、第11普通科連隊の自衛官候補生入隊式では、宮内連隊長が55名の自衛官候補生に対し、「進んで難局にあたれ」、「同期の絆を大切にせよ」と要望すると共に、「時には厳しい訓練や規律厳正な生活、ホームシックに涙することもあるだろうが、辛抱強く、根気よく、ひとつずつ困難を乗り越えていってもらいたい」とエールを送った。
 入隊式に参加した自衛官候補生の家族は、1週間ぶりに対面した子息の紫紺色の新制服姿を前に、着隊から短期間での成長を驚き、また喜びを露わにしていた。
 両部隊の自衛官候補生総勢113名は、それぞれの連隊長からの激励を胸に、自衛官となるための第一歩をスタートした。
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5旅団
 第5旅団(旅団長・堀井泰蔵陸将補=司令部‥帯広)は、4月7日に釧路駐屯地(担任・第27普通科連隊)、8日に帯広駐屯地(担任・第5特科隊)及び美幌駐屯地(担任・第6普通科連隊)において、「平成30年度自衛官候補生入隊式」を執り行った。
 それぞれの入隊式では、多くの来賓、家族が見守る中、27年ぶりに改正された紫紺色の新制服を身にまとった自衛官候補生が「事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に努め、もって国民の負託にこたえることを誓います」と力強く服務の宣誓を行なった。
 式に訪れた家族は、「普段は小さな声なのに、式においては大きな声で返事をする我が子の姿に大変驚きました」等、自宅を送り出してからわずかな期間で見違えるようになった子弟のはつらつとした態度に感動し、目を潤ませた。
 今年度は、釧路駐屯地14名、帯広駐屯地33名、美幌駐屯地21名の合計68名の自衛官候補生が入隊し、約3ヶ月間の厳しくも充実した新隊員教育を同期の仲間と共に歩み始めた。
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10普連
 第10普通科連隊(連隊長・伊與田雅一1陸佐=滝川)は、4月7日「平成30年度自衛官候補生課程入隊式」を挙行した。式では、多くの家族や来賓者が見守る中、新たに導入された新制服に身を包んだ新入隊者59名が力強い大きな声で、申告・服務の宣誓を行い、国を守る決意を新たにした。
 家族は、気迫のこもった言葉、節度のある敬礼を目の当たりにして、短期間で成長した我が子の姿に驚きと感動の表情を浮かべていた。
 伊與田連隊長は、式辞で「高い規律心と遵法精神の保持」、「体力・精神力の涵養」を要望し、これから始まる訓練を同期と協力し合い歯を食いしばって頑張るよう激励をした。
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札幌病院
 自衛隊札幌病院(病院長・上部泰秀陸将)は、4月4日、北部方面総監部医務官、同人事課長・教育幹部、北部方面最先任上級曹長、入校学生の原隊指揮官として、北部方面衛生隊長、第2後方支援連隊衛生隊長等多数の関係者が臨席する中、第43期准看護学生26名(男子14名、女子12名)の入校式を挙行した。
 入校にあたり、病院長は、「心身を鍛えよ」、「貪欲に学べ」の2点を挙げ、多様で厳しい環境下での任務に耐えうる強靭な身体を作り上げ不屈の精神を培い、識能を習得を確実にし、陸曹になる者として、自らを律し、万事に積極的にあたるよう要望した。
 また、准看護学院長(相羽寿史 1等陸佐)は、事に臨む「気力」、問題解決の糸口となる「知力」、如何なる状況下においても傷病者の救護にあたれる「体力」の充実を要望した。
 入校式後、来賓及び病院関係者と会食を行った学生は、ステージ上で一人一人教育に臨む熱い意気込みを宣言した。
 病院は、これまでの卒業生が築いてきた良き伝統を引き継ぐ、准看護師の資格を持った「真に役立つ衛生救護陸曹」となるよう、2年間の教育を開始する。
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4特群
 第4特科群(群長=神園雄一1陸佐=上富良野)は、4月8日、富良野地方自衛隊協力会会長(向山富夫上富良野町長)、同副会長(木佐剛三中富良野町長)をはじめ、関係協力諸団体の来賓及び家族が見守る中、「平成30年度自衛官候補生課程教育入隊式」を行った。
 神園群長は教育開始に当たり「失敗を恐れず、積極的に行動せよ」と「同期の絆を大切にせよ」の2点を要望し、少し緊張の面持ちの自衛官候補生に対し、今後の自衛官としての成長に期待を込め激励した。
 入隊式終了後、駐屯地隊員食堂で行われた記念会食において、自侯生を代表して挨拶した八下田自侯生は、「立派な自衛官として、また、社会人として自立出来るように頑張ります」とこれからの意気込みを述べた。
 多くの来賓やご家族の見守る中、真新しい制服で身を包んだ20名の自衛官候補生は、自衛官への決意を新たにし、第一歩を歩み始めた。
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28普連
 第28普通科連隊(連隊長・阿部慎治1陸佐=函館)は、4月8日、駐屯地において「平成30年度自衛官候補生課程入隊式」を挙行した。
 紫紺色の新制服に身を包んだ44名は、自衛官候補生(以下、自候生)として任命され、自衛官として社会人としての新たな一歩を踏み出した。
 入隊式には、木古内町長、森町長、八雲町長、鹿部町副町長、自衛隊協力諸団体各会長、高等学校長等の来賓をはじめ、多数の家族が見守る中、厳粛に執り行われた。
 また、「任命」では一人一人の名前が読み上げられ、自候生は大きな声を発して起立し、代表で成田弦海自候生が申告。引き続き「服務の宣誓」を力強く行い、わずか1週間で堂々かつ機敏な動作を見せた。
 執行者の阿部連隊長の式辞では、共に切磋琢磨しようと激励した。来賓祝辞では、木古内町長の大森伊佐緒氏及び道南地区自衛官志願推進協議会会長の浜野幸子氏並びに函館地方隊友会会長の笹森時太郎氏が激励の言葉を贈り、今後の成長と活躍を祈念した。
 また、祝賀会食では道南自衛隊家族会会長兼ねて函館市自衛隊家族会会長の杉本幹雄氏が来賓祝辞を行った。
 教育隊は、教育隊長(副連隊長・和田靖2陸佐)以下23名の基幹隊員をもって、自候生と共に約3ヶ月間の教育・訓練に励む。

ノーサイド
沖縄の5月に思うこと

 1972年5月15日、沖縄復帰。今月は、その日から46年目を迎えます。
この間、沖縄の人口は、約97万人から1・5倍の約145万人へと大幅に増加して来ました。全国的に人口減少が継続する中にあって、沖縄は右肩上がりを示しています。
 また、内外の沖縄ファンは多く、入域観光客数は、復帰当時の約44万人から21倍もの約940万人へと大幅に増加して来ています。沖縄は観光立県として、これからも順調に訪問客、「沖縄大好き人間」のリピーターを増やしてして行くことでしょう。
 しかし、決してこれまで順調に推移して来たわけではありません。そこには、今も基本的には変わらない沖縄の過重な基地負担をめぐる特殊性があります。世界中を震撼させた2001年9月11日の米国同時多発テロ事件。そのとき国内で急速に高まったのが、「沖縄の米軍基地はテロの攻撃目標になるのではないか」との不安でした。修学旅行をはじめ観光旅行は中止・キャンセルが激増、入域観光客数は大幅に落ち込みました。…このときの沖縄の皆さんの心中は、どんなだったでしょうか。
 政府は、沖縄の皆さんの安全を確保し、過重な基地負担を軽減するため、米軍基地の整理・縮小をはじめ、事件や事故の再発防止、航空機騒音や環境対策等に懸命に取り組んで来ています。しかし事件や事故等は、今なおしばしば発生しています。
 沖縄の基地問題には、復帰以前から今日に至るまで、幾多の長く辛い歴史や経緯があります。かつて沖縄の方から、「今起きている事件や事故を、単発の点として捉えるのではなく、線上の点として捉えて欲しい。対応も異なってくるのではないか」と言われたことを忘れることはできません。
 そして、全ての在沖米軍の皆さんには、名実ともに沖縄の皆さんの「良き隣人」であって欲しいと思います。決して「遠い」隣人ではなく、真に「近く」の「良き隣人」として。
 現在、特に重要な基地問題は、辺野古沖での工事が進められている普天間飛行場の移設です。誰でも自由に登れる嘉数高台(かかずたかだい)の展望台から普天間飛行場を一望するとき、宜野湾市民の皆さんの住宅や学校、病院などが、普天間飛行場を取り巻くようにドーナッツ状にひしめき合い、説明のいらない世界一危険な飛行場の実態が目前に迫ります。普天間飛行場の移設実現は、市民の皆さんの安全に係る焦眉の急です。
 私は、本土に在る私たちが、沖縄の皆さんの基地負担の実態を、少しでも「皮膚感覚」で体感するように努めたり、基地問題に対する沖縄の皆さんとの「温度差」を、少しでも縮めるよう努めて行くことは、沖縄の皆さんが一番大切にしている「チムグクル(肝心)」に通じるように思います。
 そんなことを考えていますと、常に沖縄に寄り添い、沖縄の発展に全力を尽くされ、一貫して平和な国を築くため行動して来られた野中広務先生のことが浮かんで参ります。前述の嘉数高台は、先の沖縄戦の激戦地の一つ。ここでの戦没者の多くは京都出身でした。この場所に、御霊の冥福と世界の恒久平和を祈り建立された「京都の塔」の碑文には、野中広務先生の沖縄の皆さんに対する思いも込められています。「…また多くの沖縄住民も運命を倶にされたことは誠に哀惜に絶へない…」
「京都の塔を整備した人たちの中で、残っているのはとうとう自分ひとりになってしまった」と語っていた野中広務先生。
 4月14日に京都で行われたお別れの会でのご遺影は、益々大切になって来ていることは何かを熱く語りかける、そんなお顔です。

  
北原 巖男(きたはらいわお)中央大学。70歳。長野県伊那市高遠町出身。元防衛施設庁長官。元東ティモール大使。現(一社)日本東ティモール協会会長


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