防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
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自衛隊ニュース   975号 (2018年3月15日発行)
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読史随感
世界史における明治維新
 19世紀、ヨーロッパの列強はアジアを侵略した。イギリスはインドを支配、続いてマレーシア、ビルマを植民地とした。清(中国)にアヘン戦争をしかけ、中国が半植民地化する端緒を開いた。フランスはベトナムを含むインドシナ半島を植民地化した。ロシアはアムール河以北の清の領土を奪い、ウラジヴォストーク(「東方を支配する」意)港を建設した。
 こうした中、日本は開国し、1868年、明治維新を遂行した。明治維新は、列強によって日本が植民地化される危機感を背景に、強い中央集権国家を建設する、150年前の日本人の渾身の応戦であった。
 維新政府は、王政復古の大号令を出し、廃藩置県を断行し、封建的諸制度を撤廃して、四民平等とした。富国強兵・殖産興業を国家目標とし、「文明開化」が流行語となるほど、西洋を真剣に学び、吸収した。
 1889年には憲法を制定した。翌年選挙を実施し、帝国議会を開いた。日本はこの時期に、立憲政治体制をまがりなりにも確立したのである。こうして建設された近代国家日本は、日清戦争(1894)に勝ち、日露戦争(1904-1905)にも勝つことができた。
 幕末ペリーの来航(1853)に始まった強力な西欧文明の圧力(挑戦)に対する日本の応戦は、日露戦争の勝利をもって一区切りがついたとみることができる。新興の近代国家日本が世界に認められ、列強に伍する国家としてのステイタスを得た。
 明治維新を世界史からみるとどう評価されるだろうか。まず明治維新は、他に強制されることなく、日本人が自力で成し遂げた体制変革だった。あの時期、アジアで日本のようなことのできた国は他になかった。
 明治維新は下級武士の起こした革命であった。しかし、革命後成立した体制は武士階級を廃止し、四民平等とした。これなど、社会変革を階級闘争史観でみる西洋の文明史家の理解しにくいところである。しかし当時の武士は、新しい日本のために、自らの階級を否定することに躊躇しなかった。
 明治維新ができた理由として、私は当時日本が武士の支配する軍事政権だったことが大きいと思う。軍事を統治の基本に置く武家政権だったがゆえ、強大な軍事力をもつ西欧列強の脅威と、日本の危機を正しく認識できた。
 西欧文明の挑戦をうけて、明治維新を行い、近代国家の建設に成功した日本は、日露戦争をピークとして、以後失敗を重ねていく。そして40年後、太平洋戦争でアメリカに徹底的に敗れる。維新後営々と築きあげた大日本帝国を滅ぼす。
 日露戦争後日本が転落していく要因として、「日本は世界の中で生きていくしかない」という指導者の自覚が希薄化していったことを挙げたい。実はこの強い自覚こそが明治維新を引き起こした根本原因だったが、維新後日露戦争までの成功体験が、この自覚の希薄化を招いた。
(著者紹介)
 神田淳(かんだすなお)高知工科大学客員教授
 著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』などがある。

第4次師団訓練検閲
<第7師団>
〜第73戦闘団、第7施設大隊が奮闘〜
 第7師団(師団長・小野塚貴之陸将=東千歳)は、2月6日から9日までの間、北海道大演習場(島松、恵庭・千歳地区及び東千歳地区)において、第73戦車連隊を基幹とした第73戦闘団(戦闘団長・中村智志1陸佐)及び第7施設大隊(大隊長・山本慎太郎2陸佐)に対し、訓練検閲を実施した。
 訓練検閲に先立ち、第73戦闘団及び第7施設大隊は、戦闘の主要な手段である個人装備火器の迅速・正確な火力を十分に発揮できるかを狙いとして、全受検者から無作為に抽出した隊員に至近距離射撃を実施するとともに、第73戦闘団には、(1)「積極的に行動し、任務を完遂せよ」、(2)「諸職種を組織化し総合戦闘力の最大限発揮に努めよ」、(3)「安全管理」を、第7施設大隊には、(1)「作戦の全局面において、特有の施設技術能力を駆使して師団の任務達成に寄与せよ」、(2)「指揮の要訣の実践及び基本基礎の確行」、(3)「安全管理及び物品管理の徹底」を要望し、その訓練練度を評価した。
 第73戦闘団は、戦闘団長計画により検閲に臨む戦闘準備点検(物心両面の準備)を確認した後、師団の作戦地域への車両行進(装軌・装輪)を行い、集結地に進入、攻撃準備を完了した。
 戦闘場面において、敵の激しい抵抗を受けつつも、戦闘団長は、最新の状況に基づく状況判断を行い、戦機を捕捉した迅速果断な決心のもと、配属された普通科中隊、特科・高射特科火力、施設中隊等の諸職種部隊の総合戦闘力を組織化して、戦車戦闘団の衝撃力をもって敵を圧倒し、師団の任務達成に寄与した。
 第7施設大隊は、受閲準備完了報告後、隊容検査を受け、じ後、車両行進(装軌・装輪)により、集結地に前進するとともに、戦況推移及び状況の変化に即応した施設見積を継続し、師団の作戦地域全域において運用上の要求と技術上の可能性の調和を図りつつ、師団主力部隊の行動に合致した広範多岐にわたる施設支援を不眠不休で実施した。
 特に、対空挺・ヘリボン障害の構成、師団段列地域の各種施設の構築及び戦車連隊の機動路の開設・整備により、師団の任務達成に貢献した。
 今回の訓練検閲を通じて、両受閲部隊は、今後の練成訓練実施上の資を得るとともに、師団としても、日本唯一の機甲師団としての総合戦闘力の最大限発揮のあり方や冬季における部隊行動上の留意事項等、貴重な教訓を得ることができ、衝撃力を発揮した攻撃に特徴づけられる「第7師団のDNA」の継承を図ることができた。

「鶏空上げ定食」No.1決定!
調理競技会開催
<南西航空方面隊>
 航空自衛南西航空方面隊(司令官・上ノ谷寛空将=那覇)は、2月22日、南西航空方面隊調理競技会を那覇基地において開催し、南西航空方面隊隷下の基地及び分屯基地から8名の選手が参加した。今年度の競技献立は、近年、航空自衛隊が取り組む「食育」の一環として定められた、空自統一献立の「鶏空上げ(からあげ、空自全体でより上を目指すという意味を込めたもの)定食」であった。
 各選手はそれぞれの基地の地域特性を活かした鶏空上げを作成した。完成度が高く、審査は難航を極めたが、僅差で「親子空上げ(半熟卵に薄く伸ばした鶏肉を巻いて揚げたもの)」及び「紫空上げ(チューリップ状の手羽中に紅芋を巻いて揚げたもの)」を作成した第5高射群第19高射隊(隊長・武藤則久2空佐=恩納)の眞方寛2空曹が優勝した。眞方2空曹は、「レシピを研究し、自分なりの工夫を加えた結果、今回優勝することができた。今後も安心、安全な給食の提供に努めるため日々精進していきたい」と優勝の喜びを述べた。
 閉会式で上ノ谷南西空司令官は、「競技会を通じ、参加全選手が常日頃から真摯かつ実直に勤務していることを確認することができた。選手全員、自信と誇りをもって引続き勤務してもらいたい」と訓示を述べ、表彰式終了後に全選手と握手し、健闘を讃えた。
 本競技会で各選手が作成した鶏空上げのレシピは、航空自衛隊南西航空方面隊ホームページ(http://www.mod.go.jp/asdf/swadf)から3月9日より期間限定でダウンロードできる。
 ※競技会の結果は以下のとおり
 優勝▽第19高射隊(恩納)眞方2空曹「恩納分屯基地特製空上げ定食」
 準優勝▽第55警戒隊(沖永良部)山本空士長「春のささやき空上げ定食」
 南西航空方面隊司令官特別賞▽第54警戒隊(久米島)柴田1空士「島香る空↑↑(あげあげ)定食」

(株)SUBARUに9名派遣
<飛行点検隊>
U-125定期整備工場で研修を実施
 2月2日、飛行点検隊(司令・吉廣敏幸1空佐)は陸上自衛隊宇都宮飛行場に隣接している栃木県宇都宮市の株式会社SUBARUに、隊本部装備班長山下1空尉を含む操縦士逢坂3空佐以下9名を派遣した。これは、U-125飛行点検機に係る整備等の関連業務を研修するというもの。
 飛行点検隊所属のU-125の定期整備を担っているというだけに参加者は真剣な眼差しで、整備等の工場における航空機の組立・修理・整備等の各種行程を見学した。その後、工場において安全管理活動の研修を受け、社員との意見交換を行った。
 「整備業務等の研修により、その重要性の意義を感じた」「今後導入予定の次期飛行点検機に係る業務の参考になった」等の他、人的な交流を図ることにより今後の各種知見向上の資とする事ができた。

福井県大雪災害派遣に出動
<第35普通科連隊>
56豪雪以来37年ぶりの大雪
 第35普通科連隊(連隊長・曽根勉1陸佐=守山)は、2月6日から9日までの間、師団の命により第14普通科連隊(連隊長・加々尾哲郎1陸佐=金沢)を基幹とした福井県における大雪に係る災害派遣に出動した。連隊隊員約360名、車両約70両を動員して、第14普通科連隊、第10後方支援連隊(連隊長・河合寿士1陸佐=守山)、第10戦車大隊(大隊長・加藤忠幸2陸佐=今津)、第10施設大隊(大隊長・大谷和之2陸佐=春日井)と協同し、国道8号線において立ち往生した車両救出のための除雪作業及び立ち往生した車両に残された人への衛生支援、自治体が準備した燃料の民間車両への給油、食料の交付等を実施した。
 56豪雪以来、実に37年ぶりの記録的な大雪は、福井・石川両県にまたがる国道8号線沿いの交通網を直撃。1500両を超える車両の立ち往生が発生した。増え続ける渋滞車両の列にも負けず、隊員は手作業をもって根気強く一両一両丁寧に除雪作業を行った。また、除雪作業と並行して車内に残された方々の健康状態の確認、食料の交付、燃料の給油を行うなど、全隊員が被災者の健康管理を念頭に置き活動をした。
 隊員の昼夜を問わぬ除雪作業により、2月9日午前0時過ぎ、3日ぶりに立ち往生が解消され、石川県加賀市から福井県福井市間、約27kmに及ぶ通行止めが解除。連隊は無事任務を完遂した。

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