防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
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自衛隊ニュース   1053号 (2021年6月15日発行)
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読史随感
神田淳
<第79回>

昭和の偉人 土光敏夫

 昭和は遠くなりつつある。すでに平成の30年を経て、令和となった。昭和は戦前と戦後で大きく変わった。戦前は昭和の始めより軍国主義化し、大東亜戦争に行きつき、敗れ、明治以来築き上げてきた大日本帝国を失った。戦後の昭和(昭和20年以降)は復興の時代。高度成長を達成し、昭和43年(1968)には世界第二位の経済大国となった。豊かさを表す国民一人当たりのGDPも昭和55年(1980)には欧米の先進国並となった。1979年には『ジャパン・アズ・ナンバーワン』という米国経済学者の著作も現れた。
 戦後の昭和(昭和20〜64年、1945〜1989)は日本の興隆した時代だった。私は、この時代を代表する経済人として松下幸之助と共に土光敏夫を思い出す。松下も土光も昭和の時代に活躍し、松下は昭和天皇崩御の1989年に、土光はその前年に世を去った。二人は経済で興隆した戦後の昭和を象徴する偉人だった。
 土光敏夫は1896年(明治29年)の生まれ。東京高等工業学校(現東京工業大学)を卒業、石川島造船所に入社。1950年石川島重工業社長に就任。徹底した合理化で同社を再建、成長させる。1965年東芝の再建を請われて社長に就任し、辣腕を振るう。1974年第4代経団連会長に就任。財界総理として日本経済の発展に尽力。1981年85歳のとき、鈴木善幸首相、中曽根康弘行政管理庁長官に強く要請されて第二次臨時行政調査会長に就任。増税なき財政再建、三公社(国鉄、専売公社、電電公社)の民営化路線を敷いた。
 土光は「ミスター合理化」と言われ、合理的経営に徹した。しかし、土光の合理化は社員をクビにするような、浅薄なものではなかった。実際、土光は一度も社員を解雇したことはなく、上に立つ者はいかに部下を生かすかを考えるのが仕事だと言っていた。そして土光は徹底した現場主義で、日本一の工場長と言われた。土光は技術者であり、経営者として技術的合理性に富んでいた。企業は不景気でも決して研究開発を惜しんではならない、と言った。
 土光は「個人は質素に、社会は豊かに」をモットーとし、そのように生きた。財界のトップにあって、土光の質素な生活はきわだっていた。電車通勤で、生活費は月3万円で済ませ、俸給のほとんどを土光の母登美のつくった橘学苑に寄付した。昼はざるそば、夜も一汁一菜。宴会を避け、夕食後は古い自宅で書斎にこもり、読書。行革審の会長時代、直子夫人と共にとるつつましい土光家の夕食をNHKが放映し、「メザシの土光さん」として、行革のシンボルとなった。
 土光は座右の銘を一つだけあげろと言われれば、躊躇なく「日に新たに、日々に新たなり」をあげると言う。一日のことは一日に終え、明日に持ち越さない。一日一日にけじめをつける。土光は日蓮宗の信者であり、毎日早朝と就寝前に法華経を読経した。お経をあげて毎日心の区切りをつけるという。そして読経し無心になって、仏心すなわち宇宙の原理に接するという。土光は人は信仰をもつべきだと言った。
 昭和の経済界のトップ土光敏夫は宗教者であり、「法華経の行者」であった。土光の生き方からは人としての正しさと強さが伝わってくる。それは土光以上に信仰心の篤い母登美の、「正しきものは強くあれ」との志を継いだものだった。
 晩年の土光に接した作家城山三郎は、土光の生き方に「極上の天然記念物を見る思いがする」と記している。土光敏夫のような希有な人格は、令和の日本にはもういないかもしれない。

神田 淳(かんだすなお)
 元高知工科大学客員教授。著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』などがある。


一歩踏み込んだ恒久的な 感染症対策について
<防府南>
 航空教育隊(司令・伊東修1空佐=防府南)は、新型コロナウイルス感染症予防の対策について、これまでの応急的対策よりも更に踏み込んだ「恒久的な感染症対策」の整備を方針に掲げ、昨年の11月から隊内(防府南及び熊谷)において整備を行ってきた。
 特に、全国から集まる課程学生の生活・教育環境における対策を最優先に、防炎性の透明な間仕切りを学生居室に設置するとともに、教場及び事務室にアクリルボードを設置する等ハード面の整備を推進した。更に、各種対処要領の見直し、意識啓発ポスターの作成及び定時放送等を実施する等のソフト面の充実も図り、教育訓練、勤務環境及び基地業務において、隊員一人一人が同じ思想で感染症予防対策を推進していく。
 全国から着隊した令和3年度の春期学生(2355名)の受け入れにおいても、新規感染者を「0」に抑えることができた。この良好な状況を保持し、今後も学生が安心して入校できる環境を維持向上していく。

北空准曹士先任交代
<三沢>
 北部航空方面隊(司令官・深澤英一郎空将=三沢)は、5月17日、准曹士先任交代式を三沢基地において挙行した。当日は、新型コロナウイルス対策を万全にするため、参列者を在三沢の部隊長及び准曹士先任に限定し、米空軍第35戦闘航空団先任下士官マイニンガー最上級曹長、米海軍三沢航空基地隊先任伍長ハウエル最上級上等兵曹を来賓として迎え、最小限の規模で実施するとともに、隷下部隊にライブ配信した。
 交代式は、第7代北空准曹士先任の三浦准尉による准曹士先任識別章の返還及び下番に際しての謝辞、第8代准曹士先任の池邉准尉に対する准曹士先任識別章の授与及び池邉准尉が抱負を述べた。その後、司令官が航空自衛隊が制度を導入して10年以上が過ぎ、多様な価値観の社会の中で、准曹士先任の果たす役割の重要性について訓示し、閉式した。

二輪車安全講話及び実技講習
<芦屋>
 芦屋基地(司令・岩城公隆空将補)は、4月15日、春の交通安全運動の一環として折尾警察署の支援を受け、自動二輪車に特化した内容の安全講話及び実技講習を実施した。
 はじめに、自動二輪車保有隊員及び希望者約160名に対し、「グッドライダーミーティング(正しく乗れば危なくない)」をテーマに県内の交通事故情勢や自動二輪車の特性について講話が実施された後、実技講習場所(基地内自動車教習所)へ移動し、46名の隊員を4グループに分け、基本走行、路上走行、急制動について講習を受けた。
 安全運転に必要な基本を再確認するとともに必要な意識及び技量について、維持向上を図れたものと思う。
 最後に、折尾警察署の皆様へお礼申し上げます。ありがとうございました。

航空自衛隊

 航空自衛隊は、日米同盟の抑止力・対処力を強化するため米軍との共同訓練を実施している。令和3年度4月1日〜6月8日時点で実施した訓練は以下のとおり。
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(1)米軍との共同訓練
実 施 日:4月1日
実施場所:三沢西方の日本海上の空域
参加部隊:【空自】第3航空団(三沢)F-35A×4機 【米空軍】F-22×4機、F-16×1機、KC-135×2機
訓練項目:各種戦術訓練

(2)米軍との共同訓練
実 施 日:4月8日
実施場所:九州西方の東シナ海上の空域
参加部隊:【空自】第5航空団(新田原)F-15×4機、第8航空団(築城)F-2×4機 【米空軍】F-15×4機、E-3×1機、KC-135×2機 米海兵隊:F-35B×2機
訓練項目:防空戦闘訓練

(3)米軍との共同訓練
(捜索救難訓練)
実 施 日:4月27日
実施場所:陸上自衛隊日出生台演習場
参加部隊:【空自】航空救難団芦屋救難隊U-125A×1機、UH-60J×1機 【米海兵隊】F/A-18×2機
訓練項目:陸上部における捜索救難訓練

(4)米軍との共同訓練
実 施 日:4月27日
実施場所:日本海、沖縄北方を含む東シナ海上の空域
参加部隊:【空自】第2航空団(千歳)F-15×3機、第5航空団(新田原)F-15×4機、第6航空団(小松)F-15×2機、第7航空団(百里)F-2×2機、第9航空団(那覇)F-15×4機【米空軍】B-52×2機
訓練項目:編隊航法訓練及び要撃戦闘訓練


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