防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
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自衛隊ニュース   1047号 (2021年3月15日発行)
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防衛省・自衛隊 地方協力本部
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入隊予定の女性限定懇談会(お茶会)実施
<大阪>
 大阪地方協力本部(本部長・濱田博之陸将補)は2月14日、大阪地方協力本部合同庁舎において陸・海・空自衛官の曹士(男女)のリクルータ支援の下、入隊予定女性15名に対して女性限定の懇談会(お茶会)を実施した。
 本施策は、厳しい募集環境の克服及び女性の活躍を推進するため、昨年の女性限定職場体験に引き続く企画第2弾として、新型コロナウイルス感染症対策を講じつつ開催した。
 懇談会の前段は、各リクルータの自己紹介後、ローテーション方式(約10分)により、参加者とリクルータ全員との懇談を実施した。参加者は、それぞれの軍種や職務、生活環境や訓練内容等について興味津々で話に耳を傾け質問などをしていた。支援の各リクルータからも「自分が入隊前に不安に思っていたことや入隊前に必要だった事項を伝える事ができた」と語った。
 懇談会の後段は、お茶会として、主催者側も女性のみとなり、終始リラックスした雰囲気の中、女性の悩みや本音のトークを交わした。アンケートの結果から「不安が解消できた」「同期となる人と仲良くなれた」「女性ならではの悩み(結婚・育児・化粧)が生の声で聞けた」等の意見を確認するとともに、「入隊がいまから楽しみ」「女性限定の懇談会(お茶会)は絶対必要」等の自由意見も見られ、つなぎ広報として大きな成果を収めることができた。
 大阪地本は、「今後も女性自衛官の活躍推進を念頭に職業として自衛官の魅力を伝えられるイベントを企画していきたい」とし、来年度についても複数回の女性限定のイベントを予定している。
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美保基地職場見学を支援
<鳥取>
 鳥取地方協力本部(本部長・村岡正智1空佐)は2月3日、航空自衛隊美保基地において、境港総合技術高等学校機械科1年生23名及び教諭2名の職場見学を支援した。本見学は「地元企業に学ぶ」と題して学生の進路選択の一助として毎年実施されているものであり、美保基地のC-2輸送機、工作分隊及び車両整備分隊を見学した。
 C-2の見学で生徒たちは、座席に座ったり貨物室の内装を間近で見ることができ、航空機の大きさや様々な装備品があることに大変驚いていた。コックピットでは操縦席で操縦桿を握り喜ぶ様子が見られた。また、「機内の電光掲示板は何故付いているのか?」等積極的に質問をしていた。
 次に見学した工作分隊は、航空機の機体の傷や歪みの溶接修理や塗装などを行う職場であるが、同校の機械科では実習授業もあり、参加者は初めて見る作業機械や整理整頓された工具に興味津々であった。また、溶接技術は数年ごとに検定試験があるほど技術が問われるとの説明を聞き、技能の維持・向上のために隊員が作った工作物を手に取ってまじまじと眺めていた。
 車両整備分隊の見学では同校機械科卒業のリクルーターであり、同分隊の整備員でもある杵築空士長から説明を受け、先輩の働く職場を見学できたことにより一層会話が弾んでいた。また、車両整備の為に分解してあるパーツや性能点検に使う器材を見たり特殊な工具等を手に取ることができ、教諭からは「車両整備士の資格取得を目指している学生もいるため、とても良い経験になった」との感想が聞かれた。
 見学最後の自衛隊の職業説明を受け、様々な職種があることや、「ありがとう」と言ってもらえる仕事であるとの話を聞いて「自衛隊に興味が湧いた」という生徒もいた。今回は機械科の生徒であることから、学校で学んでいることと繋がるような職場をみることで、今後の進路選択の一端を担い自衛隊の中でも自分の学んでいることを活かせる職場があることを知ってもらえる良い機会になった。
 鳥取地本は今後も部隊との連携を図り、自衛隊の魅力を発信していき、募集基盤の醸成に努めていく。
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予備自補から予備自へ そして一般曹候補生へ!
<熊本>
 熊本地方協力本部(本部長・ 本賦1陸佐)は、2月19日から2月23日までの5日間、第8後方支援連隊(北熊本駐屯地)担任による予備自衛官(5日間)招集訓練を支援した。
 ソーシャルディスタンスやアルコール消毒等、新型コロナウイルス感染拡大防止を考慮した訓練計画のもと、例年よりも参加人数を制限した体制で、基本教練や格闘訓練等の各種訓練が実施された。
 訓練に参加した予備自衛官の1人、木原さんは熊本県内の大学生(4年生)で陸上自衛官である父の勧めで、2年前に予備自衛官補を志願。先日、予備自衛官補として求められる所定の教育訓練を無事卒業し、今回、予備自衛官として初の招集訓練となった。
 さらに昨年、木原さんは就職試験の一つとして一般曹候補生採用試験を受験し、見事合格。今回の訓練は陸上自衛官になることを見据えての参加となったため、以前にも増しての自衛官として技術の向上に力が入った。
 これまで共に訓練を受けつつ、わが子の様にサポートしてきた予備自衛官の先輩方からも「立派な自衛官になれよ」との熱いエールをもらい、木原さんからも「ご指導ありがとうございました。これからも頑張っていきます」と感謝と自衛官への決意を伝えた。
 熊本地本は今後もより良い訓練環境の構築のため関係各所との連携はもとより、予備自衛官の方々に更に寄り添い、より一層の堅固な関係を維持していく所存である。

読史随感
<第73回>
神田淳

ケンペルのみた元禄日本
 エンゲルベルト・ケンペル(1651-1716)はドイツの生まれ。1690年(元禄3年)長崎オランダ商館の外科医として来日し、丸二年日本に滞在した。帰国後『日本誌』を著し、ヨーロッパに日本を紹介。日本の社会、地理、歴史、文化を克明に記す『日本誌』は、その後長期にわたって、ヨーロッパ人の日本観に大きな影響を与えた。
 ケンペルは『日本誌』に、当時の日本の鎖国政策を肯定的に記している。「日本の鎖国というのは、実に見事に機能しており、それによって日本は西欧人も羨むべき文明の完成度を達成している」、「この民(日本人)は習俗、道徳、技芸、立ち居振舞の点で世界のどの国民にもたちまさり、国内貿易は繁盛し、肥沃な田畠に恵まれ、生活必需品は有り余るほど豊富であり、国内には不断の平和が続き、かくて世界でもまれに見るほど幸福な国民である。日本人は海外の全世界との交通が一切断ち切られている現在ほどに、国民の幸福がより良く実現している時代を、ついに見いだすことはできないだろう」。
 こうしたケンペルの日本評価は、当時の日本とドイツの状況をそのまま反映したものだろう。ヨーロッパで三十年戦争はケンペルの生まれる直前に終わっていたが、この戦争によってドイツは荒廃し人口も減った。17世紀後半、ドイツではなお戦争が続き、まだ魔女狩りが行われていた。
 一方、ケンペルが来日した17世紀後半の日本は、徳川時代の全盛期であり、江戸開府後元禄時代に至る百年間は、日本の大成長時代だった。大規模な国土開発がなされ、農地開発が進み、人口は急増した。江戸の人口は百万に達し、世界一の都市となった。上方を中心に、井原西鶴、松尾芭蕉、近松門左衛門、尾形光琳らに代表される文芸や美術が興隆した。
 こうしたヨーロッパと日本の位相は、百年後の18世紀後半には一変する。1777年ケンペルの『日本誌』ドイツ語版でドームは、「日本人は多くの技術を発明したが、現時点であらゆる分野においてヨーロッパに追い越されたしまった」と記し、1790年代のドイツ語大百科事典は、「日本は鎖国によって啓蒙思想をとりあげることができなかったため、ヨーロッパに追い越されてしまった」と記している。
 百年で日本が変わったのではなく、ヨーロッパが一大発展を遂げ、変わったのである。18世紀はヨーロッパが世界の中央に登場した時代だった。啓蒙主義が発展し、英米仏で市民革命が起きた。自由主義による近代市民社会を実現し、国民国家(ネーションステート)が生まれた。産業革命が起き、資本主義経済が進展した。18世紀末、イギリスでは一連の技術革新で、綿織物の生産力は何百倍にもなっていた。
 日本は元禄時代に頂点に達して以来、18世紀には文化は成熟したものの、国力は伸張しなかった。人口も3千万人で頭打ちになり、幕末まで増えなかった。外国と交易のない日本は一国の資源とエネルギーの限界に達していた。鎖国によりヨーロッパの近代科学技術情報は限定され、イギリスにおけるような技術革新は起きなかった。19世紀半ば(1853年)ペリー来航により開国したときは、文明(ヨーロッパ)と半開(日本)と対比されるほど、文明の差が自覚された。
 やはり、鎖国政策が長期的に日本の発展を遅らせたと評価せざるをえないだろう。鎖国しなければその後の260年の平和はなかったかもしれないが、太平洋戦争のような戦争は経験しなかったかもしれない。(令和3年3月15日)
神田 淳(かんだすなお) 高知工科大学客員教授著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』などがある。

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