防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
スペーサー
自衛隊ニュース   1035号 (2020年9月15日発行)
-
1面 13面 17面 18面 19面 20面 21面 22面 23面 24面

ノーサイド
北原巖男
やすらぎの池

 公益社団法人隊友会機関紙「隊友」(8月15日付け第796号)の「読者の庭」コーナー。札幌地方協力本部南部地区隊の木村太郎3等陸曹の寄稿文「あの日の声をわすれるな」が目に留まりました。
 木村3曹が取り上げていたあの日とは、早や半世紀以上前の1968年(昭和43年)7月2日に、当時の少年工科学校「やすらぎの池」で生起した生徒12期生13名の殉職事故のことでした。
 木村3曹は、現在の高等工科学校で毎年行われている慰霊式で流れる歌「13の吾が友」の中にある「俺達にはまだ愛国心なんてわからない、でも国を守る先頭に立つんだ」という歌詞が今でも思い出され、あの当時の悲劇が心に語りかけてくると述べています。
 そして自身も生徒12期生であり現在は募集相談員を務めている佐々木正美氏から無言で渡された一冊の本「武山・やすらぎの池の絆」を紹介。最後に次のように締めくくっています。
 「我々現職自衛官が今後の自衛隊を担っていく上で、人の死という代償で安全管理の重要性を学ぶことがないように、あの日の13人の犠牲を語り継がなければなりません。初夏になると、「もう俺ら以外に犠牲はいらない」と、あの日の声が今も私の心に語りかけてくるのです。」
 自衛隊に与えられた任務の特性上、任務完遂に向けた訓練や行動には、常に様々な困難や危険が伴います。
 しかし、事故等によって国民の生命や財産に被害をもたらすような事態は、何としても避けなければなりません。更に、自分たちの仲間・同僚隊員を失うことは、耐えがたい悲しみであることは言うまでもありません。
 「やすらぎの池事故」を始め、様々な事故が発生した都度、防衛省・自衛隊では事故原因の徹底究明に努め、再発防止策等を講じて来ています。残念ですが、悲劇は止みません
 令和2年度「防衛白書」は、1950年(昭和25年)に警察予備隊が創設されて以来今日まで、任務遂行中に不幸にしてその職に殉じた隊員は、1900人を超えていると述べています。そして令和元年度の自衛隊殉職隊員追悼式では、新たに12柱(陸自4柱、海自4柱、空自3柱、機関等1柱)の顕彰が行われた旨を記述しています。
 筆者もかつて部隊葬等に参列したことがあります。悲しみをこらえ凛とされた奥さまと残された無邪気な小さな子供達が、お父さんの遺影に向かって花を手向け、頭を下げている後ろ姿には涙を禁じ得ませんでした。
 精強な自衛隊員一人ひとりの皆さんは、同時に、かけがえのないお父さん(お母さん)であり、夫(妻)であり、息子(娘)であり、可愛い孫でもあります。
 全ての隊員の皆さん、部隊指揮官の皆さんには、事故防止・安全管理のため、改めて最善の努力と注意の徹底をお願い申し上げます。
 正に木村3曹が言われるように、「人の死という代償で安全管理の重要性を学ぶことが無いように」。
 しかし、事故等にひるんでなるものか。
 言うまでもなく、国民の皆さんが期待する自衛隊は、常に国民と共にある国民の為の「精強な自衛隊」です。
 そんな自衛隊を担い・担って行くのは、安全管理を徹底しつつ、同時に、自らの任務遂行に決して臆することの無い「精強な自衛隊員一人ひとり」なのです。

北原 巖男(きたはらいわお) 元防衛施設庁長官。元東ティモール大使。現(一社)日本東ティモール協会会長。(公社)隊友会理事


令和2年度自衛隊中央病院大量傷者受入訓練
新型コロナ想定
警察・消防等と緊密な連携

 令和2年9月5日、東京都世田谷区池尻と目黒区東山に跨る防衛省三宿地区内の自衛隊中央病院(院長・上部泰秀技官)で、「令和2年度自衛隊中央病院大量傷者受入訓練」が、大規模スポーツイベント開催中に発生した同時多発テロという訓練想定で行われ、約700名が参加した。また、河野防衛大臣・山本副大臣を始め、山崎幸二統幕長・湯浅悟郎陸幕長など防衛省関係者や都庁、警察・消防県警者なども視察に訪れた。院内に入る前には院外の検温所で、大臣といえども例外なく検温を受け、手指の消毒をしていた。
 今訓練の狙いとしては、(1)新型コロナウィルス流行下における訓練実施要領(2)各種計画などへの反映(大量傷者受入計画等・東京都災害時医療救護ガイドライン等)(3)部内外関係機関・組織(警視庁、東京消防、東京DMAT及び世田谷医師会等)との連携強化となっており、主要演練項目は、(1)テロ等特殊災害対処(2)指揮幕僚活動だった。
 訓練は病院内道路をテロ発生会場に見立て生々しく始まった。犯人役が不審な液体を撒きながら歩く。バタバタと通行人が倒れ苦しむ。更に犯人は刃物で通行人を切りつける。血だらけになって倒れる通行人。サイレンを鳴らしたパトカーが到着し、警察官が「大丈夫ですか?お名前を言えますか?」等倒れている人に声をかける。そのうちにNBCテロ対策車が到着。警察庁機動隊化学防護隊の隊員や消防救助機動部隊の隊員も防護衣を着けて駆けつけ、不審な液体が撒かれた場所で倒れている人を救護する。消防士がトリアージタッグをつけて回る。重傷者は担架で、歩ける人は支えられながら、救急車に乗せられるまで木陰で待機する。木陰では、中央病院の看護師らが警察・消防らと応急処置をする。警視庁の機動隊化学防護隊員が消防車に水をかけてもらい除染をする。自衛隊と警察・消防が入り混じって活動し、まるで映画を見ているような光景だ。
 中央病院では、テロの第1報により大量傷者受入計画を発動、指揮所を開設。消防からの要請により地域の医療機関で対応できない中等以下の患者受入のため航空救難団のUH-60・CH-47、第1ヘリ団のCH-47のほか、警察・消防のヘリで続々と運ばれてくる。重症患者を中央病院から転院させる際にはドクターヘリを使用。CH-47のような大型ヘリが離発着できるようなヘリポートをもつ病院は都内で中央病院だけであり、各航空搬送の拠点になるため警察・消防のヘリ、ドクターヘリも初めて訓練に参加した。訓練上でも現実にも誰がコロナウィルスに感染しているかわからないため、全員が手袋・マスク・ゴーグルを着用、各所に消毒液も配備されていた。
 訓練開始式で上部病院長の訓示にあった「安全管理・コロナ対応に留意し、コロナ禍でも訓練は可能だということを示したい」通りの訓練であった。今まで院内感染を出していない中央病院。ゾーニングや個人防護などの徹底、全ての問題点を常に改善し、中央病院は常に進化し続けている。今まで行ってきた訓練の教訓と常日頃から徹底している基本により、今回の訓練でも感染者を出さず大きな成果を出す事が出来た。河野大臣も記者団に対し「患者受け入れの最初にきっちりトリアージをやりながら進んで行くのを見て、また、未だ感染者ゼロを続けているので、安心して任せていける」と語っていた。


UNMISS司令部要員が帰国

 昨年6月25日から今年8月26日まで、国連南スーダンに共和国ミッション(UNMISS)に司令部要員として派遣されていた、高橋忍3陸佐と佐藤応百3陸佐が9月11日の午前中に湯浅五郎陸上幕僚長、午後に河野太郎防衛大臣に対して帰国報告を行った。河野大臣は「日本を代表して、二人はとても高い評価だったと聞いています。今回の経験をしっかりと活かして下さい。お疲れ様でした」と労った。その後の懇談では大臣から、コロナ禍で大変だったでしょう、との問いかけに対して「ストレスはかけっこで解消しました」「ギターを購入し曲が弾けるようになりました」等の回答にその場は笑いに包まれた。
 高橋3陸佐は「情報幕僚」として、佐藤3陸佐は「施設幕僚」として首都ジュバにある司令部で勤務。佐藤3陸佐については、その業績が評価されてUNMISS参加各国軍要員の上位10%の優秀者に贈られる「軍事部門司令官表彰」を受賞した(自衛官として4人目)。
 UNMISSにおいては、現在も司令部要員として「施設」「兵站」「情報」「航空」の4部門で陸上自衛官4名が活動を続けている。


NEXT →
(ヘルプ)
Copyright (C) 2001-2020 Boueihome Shinbun Inc