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自衛隊ニュース   1034号 (2020年9月1日発行)
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読史随感
神田淳
<第60回>

李登輝と武士道

 台湾の元総統李登輝が今年の7月30日死去した。97歳だった。李登輝は台湾が日本の統治下にあった1923年台北州に生まれ、旧制台北高校卒業後、京都帝国大学に進学し農業経済学を学んだ。1944年学徒出陣により出征し、陸軍少尉として終戦を迎えた。戦後台湾にもどり、台湾大学を卒業。その後二度にわたってアメリカに留学し、1968年コーネル大学で農業経済学の博士号を得て帰国。台湾大学教授兼中国農業復興聯合委員会(農復会)技師に就任した。
 1971年蒋経国に勧められて、国民党に入党。蒋経国が行政院長に就任すると農業専門の政務委員として入閣した。1984年には総統に就任していた蒋経国より、副総統に指名された。1988年蒋経国総統の死去に伴って、1990年から2000年まで、2期にわたり、台湾出身者として初めての総統となった。
 李登輝は台湾の民主化を積極的に進めた。その民主化は静かな革命だった。1996年、総統直接選挙を実施し、台湾史上初めて台湾人が自ら選ぶ総統となった。中国は、李登輝の主導した一連の政治改革や直接選挙の実施が台湾独立につながると反発し、台湾周辺海域にミサイルを発射して威嚇したが、李登輝はこうした中国の圧力に毅然と対応した。
 李登輝は総統退任後、台湾独立の姿勢を強めた。「台湾は主権国家」だと発言し、台中関係を「特殊な国と国との関係」とする二国論を展開した。2012年以降民進党の蔡英文(現総統)を支持した。蔡英文は李登輝の死去に際し、「台湾の民主化における貢献はかけがえのないものだった」と述べた。
 「22歳まで僕は日本人だった」、「僕は戦後の日本人が失った純粋な日本精神を、今も持ち続けている。だから政治の苦難も乗り越えられた」と言う李登輝は、戦前の日本の良き教養教育が生んだ最高の人格であったとの思いがする。
 李登輝は『武士道解題』という著書を残しているが、これを読むと、李登輝の教養の広さと深さに驚嘆する。李登輝は旧制中学及び高校時代、西田幾多郎(『善の研究』)、阿部次郎(『三太郎の日記』)、カーライル(『衣装哲学』)、カント(『純粋理性批判』、『実践理性批判』)、ゲーテ(『ファウスト』)、鈴木大拙(『禅と日本文化』、『教行心証』の英訳)、倉田百三(『出家とその弟子』)、新渡戸稲造(『武士道』)などを熟読して、人格を形成した。
 李登輝は言う、台湾の総統時代の12年間、いかなる思いで「公」のために奉じてきたか、そして何の未練もなく後進に道を譲ったのか、これらの答えはすべてかつての「日本の教育」に土台を置いた「大和魂」すなわち「武士道精神」にこそあった、と。
 李登輝のような親日的な台湾要人の日本訪問を、日本政府は、中国の圧力に屈してしばしば拒んだ情けない歴史をもつ。1994年、広島でのアジア大会に招待された李登輝が出席を表明すると、中国から日本に猛烈な圧力がかかり、招待は取り消された。また、2001年李登輝が心臓病の治療のために来日を希望したが、当初日本政府は中国に忖度してビザ発給を認めなかった。これには反対論があり、最終的には人道的措置としてビザが発給されたが、こうした日本政府の対応は、三流国と言わざるを得ない。
 李登輝は戦後の日本が自信を失い、卑屈になったと憂慮していた。李登輝は、「日本には武士道という世界一すばらしい精神的支柱がある」、「日本人よ武士道を忘れるな」と繰り返し述べている。
(令和2年9月1日)

神田 淳(かんだすなお)
 高知工科大学客員教授
著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』などがある。


中部方面警務隊競技会
第131地区警務隊が初総合優勝
 中部方面警務隊(隊長・池亀俊哉1陸佐=伊丹)は、7月20日、21日伊丹駐屯地体育館において「令和2年度年度中部方面警務隊競技会」を実施した。
 本競技会は、新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、濃厚接触の局限を図りつつ、20日には「犯人に直接結びつく証拠(指紋・足跡)を収集する」鑑識競技会を、21日には「相手に与える危害を最小限にとどめながら、安全かつ効果的に制圧逮捕することを目的とした」逮捕術競技会をそれぞれ実施した。
 鑑識競技会では、体育館内に模擬事務室を設置し、実況見分方式により、検出・採取の部及び異同識別の部で行われ、第130地区警務隊(守山)が3連覇を果たした。
 また、逮捕術競技会では、5個部隊の団体戦総当たりにより実施され第131地区警務隊(千僧)が前回大会の雪辱を全勝により果たし、2度目の栄冠に輝き、鑑識競技会の結果と合わせ、第131地区警務隊が初の総合優勝を飾った。

国連活動支援局に陸上自衛官を派遣
衛生分野の業務に従事
 防衛省・自衛隊は、8月8日に、国連活動支援局特別活動部パートナーシップ支援課に川崎真知子2陸佐(陸幕運用支援・訓練部運用支援課)を派遣した。期間は約1年、ニューヨークに所在する国連本部で勤務する。
 川崎2陸佐が派遣されたパートナーシップ支援課とは、「国連」、「日本等の支援国」、「要員派遣国」が協力して、PKO派遣に必要な訓練や装備品の提供を行うための枠組みである「国連三角パートナーシップ・プロジェクト(UNTPP‥the United Nations Triangular Partnership Project)」の企画・運営等を行う部署。川崎2陸佐はその部署で「国連野外衛生救護補助員コース(UNFMAC‥the United Nations Field Medical Assistant Course)」における訓練の企画・調整等の業務を行う。UNFMACは、国連PKOの現場で応急処置を実施できる要員の育成を目的としてできたコースで、昨年10月の試行訓練では衛生学校の陸上自衛官2名が派遣されている。
 国連本部への派遣は、川崎2陸佐が女性として初めてで、倍率100倍を超える応募の中から川崎2陸佐1人が選ばれた。そんな川崎2陸佐は元々薬剤師で、同じ陸上自衛官の兄の背中を追いかけてこの道に進んだ。2002年には東ティモール国際平和業務の第1次派遣隊に従事、2013年から14年は国連南スーダン共和国ミッションで兵站幕僚として活動した。
 7日、湯浅悟郎陸上幕僚長に対して出国報告を実施した。湯浅陸幕長は「国連の活動支援局に要員を派遣することは我が国のプレゼンス(存在感)を発揮する意味でも非常に大きな価値がある。身体に気をつけてがんばってほしい」と激励した。川崎2陸佐は記者団に対して「(これまでの海外派遣で)現場を知っている人間としてどのような訓練であれば能力向上に直結できるのか、ということと、衛生学校では教官として、医療のことをほとんど知らない隊員へ教育をした経験があるので、そのようなノウハウを活かしていきたい」と意気込みを語った。

航空自衛隊連合准曹会特別級表彰
 航空自衛隊連合准曹会は、令和2年7月30日、米第5空軍最先任である「ブライアン・クルゼルニック最上級曹長」の異動に際し、連合准曹会顕彰における特別級表彰を行った。
 クルゼルニック最上級曹長は、平成30年12月に就任以来、第5空軍下士官のリーダーとして、日米共同訓練レッド・フラッグ・アラスカへの視察をはじめ、大湊分屯基地、東北町分屯基地、知念分屯基地及び宮古島分屯基地への空自部隊訪問における隊員との交流を通じ、日米下士官交流の発展に大きく貢献をしたことから、この度、特別級表彰をされることとなった。
 クルゼルニック最上級曹長は、連合准曹会発行の機関誌に空自隊員へのメッセージを寄稿するなど、空自隊員との様々な下士官交流においても、これまでの経験と知識を生かし、そのリーダーシップを発揮し、日米下士官のパイプ役となってその調整も行った。特に、下士官との懇談の場では、アメリカンジョークを交えたユーモア溢れる対話により、常に笑いの絶えない下士官交流に努めてくれた。
 なお、連合准曹会による表彰式では、全国73支部を代表し、会長である杉本孝哉准空尉より、記念の盾を贈呈した。

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