防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
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自衛隊ニュース   1020号 (2020年2月1日発行)
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ノーサイド
北原巖男
寅さん

 渥美清さん(1928年〜1996年)演じるフーテンの寅さんがテンポよくしゃべるテキ屋の口上。
 「ものの始まりが一なら、国の始まりは大和の国…憎まれ小僧、世にはばかる。日光、ケッコウ東照宮。三で死んだか三島のお千…四谷、赤坂、麹町、チャラチャラ流れるお茶の水…後藤又兵衛が槍一本で六万石、ロクな子供が出来ちゃいけないんで教育資料の一端として買っていただきましょう、この英語の本。ネッ、英語はABCからメンソレータムからDDT、NHKにマッカーサー、古いところは全部出ているよ。続いた数字が七つ、七つ長野の善光寺、八つ谷中の奥寺で竹の柱にカヤの屋根、手鍋さげてもわしゃいとやせぬ…これで買い手がなかったら、右に行って御徒町、左に行って上野。右と左に泣き別れ、さあ、どうだ!!ただでくれてやらあ…」
 渥美清さんは、1968年にフジテレビで26回にわたって放映された連続ドラマ「男はつらいよ」をはじめ、翌年の山田洋次監督の映画第1作から28年間、49作にわたって人々に慕われる寅さんを一途に演じて来られました。
 テレビでは、寅さんは毒ヘビにかまれて死んでしまう衝撃の結末。渥美清さんの「新装版渥美清 わがフーテン人生」(渥美清著2019年7月毎日新聞出版刊)には、そのときテレビ局にジャンジャンかかってきた抗議電話の一例が紹介されています。
 「あ、もしもし、もしもし、言ってんだよッ!!お前がプロジューサーか?なにィ、そうだ?じゃあ、聞くけどよォ、どうして、お前、テメエの一存で寅を殺すんだよォ。お前も人間だろう。だったらお前、あんなかわいそうなことをしちゃァいけねえよ。ナニ?ドラマだから仕方がない?テメエー、ナニ言ってんだ、いくらドラマでもなァ、寅をあんな目に遭わすんだったらな、お前、これからさき、いいことないよ。お前、わかってんのかよォー。月夜の晩ばかりあるんじゃねえぞ、それがわかってんのか、このヤローオッ…」
 映画では、このような「身勝手」?なことは起きませんでした。
 第1作から50年となる昨年末、シリーズ第50作「男はつらいよ お帰り寅さん」が公開されました。僕は、朝8時30分からの第1回上映時間に駆け付けました。「四角四面の顔にたくわえたチッコイ目」の渥美清さん=寅さんに久しぶりに会ってきました!
 渥美清さんは、前掲の著書の中で述べています。「たとえば、わたくし、仕事なんかでフトうまくいかないときに、お勝手の窓をあけると、二、三軒向こうに寅のヤツが立っています。その寅を見て、わたくし、あいつ、またうまくいってないんだなァ、それにひきかえ、オレは、仕事がうまくいかなくても、あいつより、まだましだ、と自分を慰めることができると思います。それだけに、わたくし、寅のヤツがかわいそうになるんで…ですからとても愛せます。かわいそうにということは、惚れたっていうことではないでしょうか?」
 第50作公開に先立っての山田洋次監督の言。
 「寅というのは自分の幸せは最後にする人間でしょう。まず俺が幸せになるということをまったく考えない。俺は最後でいい。目の前に不幸な人がいたらその人を助けるのが第一だというふうにして、生きてきた。…寅さんは時空を超越している」(2019年12月14日付け日本経済新聞「文化」欄)
 「防衛ホーム」の読者の皆さんの心の中にいるそんな寅さん、今日はどこを旅しどなたに出会っているのでしょうか?

北原 巖男
(きたはらいわお)
元防衛施設庁長官。元東ティモール大使。現(一社)日本東ティモール協会会長。(公社)隊友会理事


さらなる飛躍目指して
年頭行事

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44普連
 第44普通科連隊(連隊長・土肥直人1陸佐=福島)は令和2年1月6日、福島駐屯地内において訓練始めを実施した。
 訓練に先立ち土肥連隊長が隊員に対し、「昨年は台風大雨などあったが、引き続き各種災害等に備え連隊一丸となり訓練に励み飛躍できる年であることを願って頑張って行こう」と年頭の辞を述べた。
 その後、隊員約700名が、連隊本部を先頭に歩調を合わせ約2kmの駆け足を実施し、年男による勝鬨を挙げ士気の高揚及び団結の強化を図った。
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高等工科学校
 令和2年1月9日に陸上自衛隊高等工科学校(学校長・堀江祐一陸将補=武山)は、年始の恒例行事である「書き初め大会」を実施した。日本の伝統を継承しつつ創造性や個性的な心の豊かさを育むことを目的として昭和50年から実施し、今年で46回目となった。
 本行事は、生徒会が主体となり計画し、今年の題材は「抱負」、「目標」、「縁起」及び「新年」の中から一人ひとりがイメージした文字とされ、それぞれの半紙には「克己」、「挑戦」、「努力」、「報恩謝徳」など様々な文字が揮毫された。
 生徒たちは、それぞれのクラスに分かれ自らが考えた文字を筆先に精神を集中させながら、落ち着いて丁寧に作品として仕上げていた。
 最後に、代表の生徒が全校生徒の前で作品を掲げ今年の抱負等を発表した。
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19普連
 第19普通科連隊(連隊長・今村英二郎1陸佐=福岡)は令和2年1月7日、連隊全隊員で新年明けの訓練始めを実施した。
 当初、連隊朝礼で昇任者の申告を実施して、昇任者及び年男がそれぞれ決意表明を行うとともに、連隊長は年頭の辞で「庚子(かのえね)を迎え、気持ちも新たに新しいことにチャレンジして、今年も良い年になるようにお互い頑張ろう」と激励した。
 じ後、連隊長を先頭に連隊全隊員による駆け足を実施して、第3科運用訓練幹部の掛け声のもと、連隊本部・各中隊が整一した隊列を組んで威容を示し、令和2年の訓練始めを終了した。
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12普連
 令和2年1月6日、第12普通科連隊(連隊長・渡辺亘紀1陸佐)及び、国分駐屯地に所在する第8後方支援連隊第2整備大隊第1普通科直接支援中隊は、年始の訓練初めにおいて、鹿児島神宮への参拝を行った。
 隊員たちは、入念な準備運動の後、C装(戦闘服・戦闘靴)で国分駐屯地を出発。片道、約5kmの道のりを走り、鹿児島神宮へ参拝した。
 駐屯地へ帰隊した隊員たちは、駐屯地前にある海軍国分特攻基地の慰霊碑に植えてある桜が咲いていることに気づき、こちらへも参拝した。この桜は通称「特攻桜」と呼ばれており、一本だけ毎年この時期には開花し、隊員の目を楽しませてくれている。
 隊員たちは、いい汗を流し、新年のいいスタートがきれたようだ。
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10特連
 第10特科連隊(連隊長・中村雄久1陸佐=豊川)は、令和2年1月9日、豊川訓練場において令和2年訓練始めを実施した。
 連隊長の中村1陸佐は訓示で「我国の周辺情勢はより一層厳しさを増し、国内における自然災害についても頻発・激甚化している。連隊としては引き続き、即応態勢を維持・強化し、訓練を積み上げ、いかなる任務も完遂しうる強靭な部隊とならなければならない。昨年のラグビーワールドカップで日本代表が見せた『ワンチーム』のように、連隊一丸となってあらゆる厳しい任務にも臆することなく、常に前へ進んでいける部隊の創造に邁進していく所存である。より一層強く、頼もしい連隊を共に創り上げ、この新たな一年を乗り切って行こう(要旨)」と述べた。
 その後、各部隊から選ばれた年男年女5名がそれぞれ今年の抱負を力強く述べ、引き続き訓練場に並んだ装備品に対し、今年一年の安全を祈願した。最後に12門のFH70による空砲の斉射が青く澄んだ爽やかな空に轟き渡り、臨席した後援会の会員に勇姿を見てもらい令和2年の幕を開けた。
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中部方面航空隊
 令和2年1月9日、中部方面航空隊(隊長・藤田尚樹1陸佐=八尾)は、第3飛行隊及び中部方面通信群と協同し、航空隊統一編隊飛行訓練を実施するとともに、併せて方面隊全体に対する空中からの方面総監年頭訓示の飛行を担任した。UH・AH・CHで編成された計13機が、大阪・京都・奈良の上空を約150kmにわたり編隊を組み飛行した。訓練開始式において航空隊長藤田1陸佐は、「任務の完遂の信念を堅持し、絶対安全の意識の下、厳しい任務を完遂し得る強靭な中部方面航空隊を育成し、各種事態等への対応に万全を期すことを新年の誓いとする」と訓示を述べた。
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49普連

 第49普通科連隊(連隊長・前野直樹1陸佐=豊川)は、令和2年1月6日、豊川駐屯地近郊の三ヶ根山登山を第306普通科直接支援中隊と共に実施し、新年を迎え気持ちを新たに令和2年の訓練を開始した。
 三ヶ根山は愛知県西尾市、蒲郡市及び幸田町の境界に位置する。山頂は三河湾を眼下に収めることができる風光明媚な場所であり、展望台とともに、先の大戦で亡くなった先人の慰霊碑等が数多く設けられている。
 登山は、連隊本部を先頭に中隊ごと登山口を前進開始し、朝日を背に意気揚々と山道を登り頂上を目指した。山頂に到着後は、各々に周辺を研修したほか、今回参加した全員で美しい景色を背景に記念撮影を行った。
 連隊長は山頂において「この素晴らしい展望を目標達成のイメージとして令和4年度の連隊検閲を目標に、気持ち新たに今年も頑張っていこう(要旨)」と訓示し、連隊隊員一同新たな年における飛躍を誓った。


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