防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
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自衛隊ニュース   1017号 (2019年12月15日発行)
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読史随感
神田淳
<第43回>

中曽根康弘元首相の逝去

 中曽根康弘元首相が11月29日、亡くなった。101歳だった。国に貢献した非常に立派な政治家だったと、国民の一人として深い敬意を表明したい。
 中曽根康弘は戦後まもない1947年、28歳の若さで群馬3区から衆院選に立候補して初当選。以来連続20回の当選を重ね、政治家の道を歩んだ。1959年岸内閣で科学技術庁長官に初入閣して以来、運輸相、防衛庁長官、通商産業相、行政管理庁長官などを歴任。1982年自民党総裁となり、内閣総理大臣を3期5年間つとめ、1987年退任した。
 首相在任中の実績としては、行政改革を推進し、国鉄、日本専売公社、日本電電公社の三公社の民営化を行った。また、日米安全保障体制の強化につとめ、レーガン大統領と親密な信頼関係を構築して(「ロン・ヤス」関係)、良好な日米関係を築いた。防衛力強化政策の仕上げとして、防衛費の予算計上額をGDPの1%以内にとどめる三木内閣以来の方針を撤廃し、長期計画による防衛費の総額明示方式に切り替えた。
 中曽根内閣は「戦後政治の総決算」を掲げた。その眼目は戦後吉田茂首相の敷いた安全保障政策の是正にあった。彼は言う、「吉田首相はマッカーサーを相手に戦後日本を立て直した偉大な功労者であるが、自国の軍事、防衛、安全保障を軽視して、米軍に依存した。当時はそれでやむを得なかったかもしれないが、いずれ国は自ら守らなければならないと、国民を訓すべきだった」と。
 中曽根康弘は憲法改正を悲願とした。曰く、「現憲法はマッカーサーからのお下げ渡しで、日本人が自らつくったものではない。千数百年続いてきた日本の歴史、伝統、社会規範、発展への共通の理想、世界人類の未来を見据えた決意を入れるというのが憲法というものである。それは自ら国会でつくるしかない」。
 中曽根は新保守自由主義を唱えた。それは歴史と伝統を共有する共同体(国家、民族)基盤の上に、歴史、伝統のよいところを守り、科学技術を駆使して創造力をもって時代を切り開く新保守主義と、小さな政府、規制排撃、個人・人権の尊重、市場の重視、地方分権を指向する自由主義を実現運用しようとするものである。
 中曽根の政治思想は、歴史、哲学、思想、宗教に関する深い教養に裏打ちされていた。そして日本の歴史、伝統、宗教を深く理解し、日本の文化を尊重した。戦後の社会問題やその他の様々な問題の根本に、社会に生きる理念や哲学と、国や郷里の伝統と歴史を失わしめた戦後教育の誤りがあると考えていた。
 中曽根康弘は最期まで政治を考え続けた人だった。勉強家であり、読書家だった。そして常に国家への思いがあった。彼は戦後教育に最も欠落しているのは、国家論であるという。占領政策と猖獗をきわめたマルキシズムの影響によって国家論がタブー視され、国家論が欠落しているゆえ非常に空疎な社会論や平和論が生まれていると言う。
 「賢者は歴史に学ぶ」、「政治家の資質の第一は歴史観である」と語る中曽根康弘は、風見鶏やパフォーマンスの人ではなく、背骨のまっすぐ通った重厚な思想家だった。
(令和元年12月15日)

神田 淳(かんだすなお)
 高知工科大学客員教授
著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』など。


令和元年度 北部方面隊戦車射撃競技会
第2戦車連隊 90式完全制覇
 第2師団第2戦車連隊(連隊長・黒木正富1陸佐(当時)=上富良野)は、10月27日から11月3日までの8日間、北海道大演習場において実施された「令和元年度北部方面隊戦車射撃競技会」に人員約120名・戦車約30両で参加した。
 第2戦車連隊は今年4月から上富良野演習場で基礎的な訓練から積み重ね、8月以降は、北海道大演習場での転地訓練で射撃技術の向上に取り組んできた。その結果90式戦車の部において、部隊対抗・中隊対抗・小隊対抗と全ての部門で優勝し、完全制覇を成し遂げ、優勝旗を史上初めて上富良野駐屯地に持ち帰った。
 全部門での優勝は平成22年の第71戦車連隊以来10年ぶりの快挙である。また、併せて実施された戦車直接支援部隊の部でも第2後方支援連隊第2整備大隊戦車直接支援中隊が優勝した。
 今回の射撃競技会を振り返り、黒木連隊長は「練成通りの成果がだせて非常に満足している。ただ、今度は追われる側になるのでまたしっかり練成に励みたい」と意気込んだ。
 競技会参加者は第2音楽隊が演奏する中、優勝旗や顕彰板を掲げ堂々と上富良野駐屯地に凱旋し、第2師団長(森下陸将)や上富良野町長をはじめとする大勢の隊員・地域の人々の出迎えを受けた。第2師団長は「よくやった。君達は部隊の誇りだ」と今までの厳しい練成訓練を振り返り隊員達をねぎらった。

RDEC派遣隊員(岩見沢)
任務完遂し帰国
 令和元年8月17日に日本を出国し、アフリカのウガンダ共和国に国連PKO支援部隊早期展開プロジェクト(RDEC)の教官団として派遣されていた、岩見沢駐屯地所属隊員(教官団長・第12施設群副群長藤堂2陸佐以下14名)は、現地での任務を完遂し11月20日に帰国した。
 教官団は現地において、ウガンダ国軍工兵要員に対し油圧ショベル、ブルドーザ等の建設重機の操作・取扱い要領の教育を実施して技能・知識を習得させ、約30名の学生を育成した。
 翌21日、派遣隊員は北部方面総監(吉田圭秀陸将)、各部隊長及び家族に出迎えられるなか新千歳空港に到着、約3カ月振りに家族と笑顔で対面し、空港は和やかな雰囲気に包まれた。その後、南恵庭駐屯地へ場所を移し帰国行事を実施、岩見沢市長、恵庭市長をはじめ多数の来賓が臨席するなか、教官団長は北部方面総監に対し任務完遂し帰国した事を報告した。帰国行事終了後派遣隊員は岩見沢駐屯地へと移動し、駐屯地所属隊員の出迎えを受けるなか教官団長が駐屯地司令(末継智久1陸佐)に対して報告、無事帰隊した。
 今回教官団として派遣された統括教官(400施中・中上2陸尉)は「現地は、北海道の夏に似た気候で日差しが強いが過ごしやすかった。生活環境もホテル側の善意により快適な生活を送ることができた。ウガンダの人々はとても友好的ですぐに打ち解けられたが、言語の違いにより意思疎通が上手く行かない事もあった」整備教官(2直支中・岩崎3陸曹)は「日本では得ることのできない、とても貴重な経験をさせていただきました」と、現地での活動を振り返った。

ADMMプラスPKO専門家会合参加国合同実動訓練
<中央即応連隊>
陸自部隊として初の参加
 中央即応連隊(連隊長・岩上隆安1陸佐=宇都宮)は令和元年9月14日から22日までの間、インドネシア共和国の首都ジャカルタの南約40kmに位置する同国軍PKOセンターで行われた「※ADMMプラス(拡大ASEAN国防相会議)PKO専門家会合参加国合同実動訓練」に参加した。実動訓練への参加は陸上自衛隊の部隊として初めて。中央即応連隊からは女性隊員2名を含む10名が参加した。
 ASEAN10カ国を含む18カ国のPKO要員とともに、実際のPKOの現場で想定される女性や子供への対応が必要となる場面を含めた訓練が実施され、男性だけでは対応が困難なPKO業務の現状や教訓を収集する好機となった。
 当初基礎的知識として、文民保護や性的搾取・虐待、子供の保護などのPKOミッションに係る課目を受講。その後、実動訓練として、巡察時に遭遇する不法検問や暴徒への対応、国連スタッフとの意思疎通、司令部への報告要領及び応急救護等を実地で訓練した。
 これまで連隊は海外での各種実動訓練に参加してきたが、連隊の女性隊員が海外で警備課目に参加するのは初めて。本訓練に参加した女性隊員は、「一つ一つの課目全てがとても勉強になり、大変貴重な経験となった。特に個人行動規範の課目では、相手を尊重し、かつPKOの一員としての誇りを持つことの大切さを実感し、自衛隊の枠を超えた広い視点で自己の任務を考えるようになった。今後は女性隊員が参加することによる利点や派遣に必要な事項など、部隊の教訓収集に尽力したい」と述べた。
 また、最年少20才1陸士の男性隊員は、前段3日間にわたる基礎課目の講義において、得意とする語学能力を活かし、通訳として多大な貢献をした。当該1等陸士は、「今回訓練に参加し、各国の軍人と交流できたことは大変貴重な経験となった。通訳業務を初めて経験し、戸惑うことがあったが、徐々に通訳の流れや軍事英語に慣れ、日本隊の活動に貢献することができた。今後も自衛隊と他国軍との連携強化に携わりたい」と語った。
 連隊は、今後も国際平和協力活動に係る各種国外訓練に積極的に参加し、最新の教訓を獲得するとともに、多様な事態に即応できるよう、引き続き幅広く高い識能を備えた人材育成を行う。
 ※ADMM ASEAN Defense Minister's Meeting

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