防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
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自衛隊ニュース   1010号 (2019年9月1日発行)
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読史随感
神田淳
<第36回>

楠木正成の家訓

 楠木正成(1294-1336)は鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将。後醍醐天皇を奉じて幕府軍と戦い、後醍醐による建武の新政(建武中興)に大きく貢献した。
 正成が千早城に立てこもって鎌倉幕府の大軍を相手に一歩も引かずに奮戦している間、各地に討幕の機運が広がり、足利尊氏が京にある幕府の六波羅探題を攻め落とし、新田義貞が鎌倉を攻め滅ぼした。建武中興の失政をみとった足利尊氏はその後、後醍醐に反旗をひるがえした。正成は義貞や北畠顕家らと合流し、京に迫った尊氏軍と戦った。尊氏はいったん九州に逃れ、九州を制覇して勢いを盛り返し、十万を越える大軍をもって上京した。義貞とともに尊氏を迎え撃つよう命じられた正成は、天皇と朝廷は比叡山に避難し、京に入った尊氏軍を兵糧攻めにして討ち取る戦略を進言したが、朝議で容れるところとならず、死を覚悟して湊川(兵庫県)で尊氏の大軍と戦い、最後は自害した。
 楠木正成は、軽歩兵・ゲリラ戦・情報戦・心理戦をいくさに導入した革新的な軍事思想家で、日本史上最高の軍事の天才との評価をうけている。『太平記』で中心的人物の一人として描かれ、頼山陽も『日本外史』で正成の知略、勇敢、皇室への忠誠を称賛している。頼山陽は言う。正成は、義貞では尊氏に勝てないことも、当時の朝廷が国を支配できる器ではないことも見抜いていた。すべてを承知しながら、おのれは命を捨て、子孫には最後まで朝廷を守ることを託したと。こうした正成は戦前忠臣の代表として国民に喧伝された。
 私は楠木正成についてこのようなイメージしかもっていなかったが、最近、正成の遺した以下の家訓を読んで、正成が人間として真に偉い人だったと思うようになった。家訓の序にある「非理法権天」とは、非は理に勝たず、理は法に勝たず、法は権に勝たず、権は天に勝たずという意味で、正成が旗印としたものである。
 非理法権天
 一、極楽を願わんより地獄をつくるな。一、誉を求めんより恥をいとえ。一、立身を思わんより御恩を忘るるな。一、上に諂い下を卑しむな。一、足る事を知って及ばぬ事を思うな。一、忠を安んじて死を怖るる事なかれ。一、手柄せんより気たがうな。一、身のために身を損んずな。一、人我の心深うして、人に勝らん事を思うな。一、ただ今日無事ならんことを思え。一、万物一体の理を守らざる故万病生ず。一、金銭をためるよりは借銭するな。一、人は名利につかわれて一生苦しむ。一、礼厚くして人の非をとがむるな。一、おのれが分をよく知れ。一、身をはたらけば食あまし。一、薬を好めば困多し。一、珍敷(めずらしき)ことに実少なし。一、酒は飲むとも飲まるるな。一、慈悲するともかわりをとるな。一、人は空言世は無常。一、一得あれば一失あり。一、物毎に肝要を知れ。一、着類は寒くないほど。一、食物は腹一ぱい。一、居所は風雨を防がんため。一、物言は聞こえる様に言え。一、物書は読めるように書け。一、ものかたりより塩梅(あんばい)。一、矢石(やだま)はあたるがよし。一、刀は切るるが重宝。一、学文は理を知るため。一、懈怠の者は永く貧なり。一、僧は菩提をもっぱらにして、世事を次にすべし。一、俗は家職を専一にして、後世を次にすべし。一、生ある物は必ず滅す。一、唯一心の要を恐れよ。一、善にも着(じゃく)すれば悪敷(あしき)也。以上(一部省略)。
(令和元年9日1日)

神田 淳(かんだすなお)
 高知工科大学客員教授
著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』など。


初開催eスポーツ大会
<空自幹部学校>
新時代に向けた試み

 7月25日から8月2日までの間、航空自衛隊目黒基地(司令・長島純空将)において、「航空自衛隊幹部学校eスポーツ大会」が開催された。大会は、空自幹部学校のほか、近隣の陸海空自衛隊、他機関に参加希望者を募るオープン参加競技として、総勢66名もの職員、学生が参加。競技種目は、市販ゲームソフトを用い、フライトシューティングゲーム「エースコンバット7」のほか、格闘ゲーム「ドラゴンボールファイターZ」の2種目で1週間の熱戦が繰り広げられた。
 「エースコンバット7」では、現役パイロットが参加する中、空幹校の内山大地3空曹が優勝、「ドラゴンボールファイターZ」は、空幹校の水上健一空士長が優勝した。
 大会最終日は、ゲームソフトを開発した「バンダイナムコチーム」と「決勝戦参加者チーム」によるエースコンバット7でのエキシビションマッチが行われ、大会に華を添えた。
 本大会は、空自初めての試みとあって、空幕、他部隊からも多くの観覧者が集まる注目のプレ大会となった。
 大会を企画した空幹校吉原一郎総務班長は、「格段に速度を増す安全環境の変化にあたり、将来の教育訓練、研究を見据えた新たな試み。課業時間外の昼休みに実施することにより、参加者、観覧者が気楽に楽しめる企画とした。これを機に空自として発展する競技に繋がれば」と話した。

全自衛隊少林寺拳法大会
 8月3日、航空自衛隊芦屋基地において、元号が令和に変わって初めてとなる、「第45回全自衛隊少林寺拳法大会(大会会長・石渡幹生全自衛隊少林寺拳法連盟副会長)」が開催された。
 大会当日は、抜けるような夏空が広がり、列島を包む猛暑の中、全国から多くの隊員が集まった。加藤康博芦屋基地司令、川島一浩少林寺拳法連盟会長、岩田清文全自衛隊少林寺拳法連盟会長、中村秋尚北九州市少林寺拳法連盟会長ほか多くの来賓が列席し、三宅輝伸大会実行委員長(芦屋基地支部長)の開会宣言の後、単独演武、組演武、団体演武の順で競技が進行した。
 競技後は、芦屋基地の橋川幸生・西郡建人組による基本披露、北九州八幡道院の原田悠希さんによる単独演武、芦屋基地の西郡希美彦・西郡真生組による親子演武のほか、三宅輝伸大会実行委員長と河野朗新田原基地支部長により、気迫あふれる錫杖演武が披露された。
 また、大会後は恒例のレセプションが催された。冒頭、錫杖伝の伝承に尽力され、本年4月に逝去された故上田清先生を偲ぶ映像が放映されたほか、芦屋基地太鼓部「鼓道」による太鼓演奏が披露されるなど、大会実行委員会の心のこもった企画運営により、令和初となった全自衛隊大会は大盛会の内に幕を閉じた。
【入賞者】
(組演武)
◯三段以上の部
一位‥秋本・池田(防 大)
二位‥外園・栗林(善通寺)
三位‥川鍋・佐野(防衛省)
◯男女有段の部
一位‥山口・立川(防 大)
二位‥生形・小田(防衛省)三位‥野崎・石丸(千 歳)
◯初二段の部
一位‥谷口・久保(防 大)二位‥水永・宮本(小 牧)
◯段外の部
一位‥吉田・宮崎(防 大)二位‥伊賀・湯浅(善通寺)三位‥冨木田・江東
(善通寺)
※一位の吉田・宮崎組(防大)には、防衛ホーム新聞社賞が贈られた。
(単独演武)
◯四段以上の部
一位‥今泉(小 牧)
二位‥岡本(芦 屋)
三位‥川鍋(防衛省)
◯三段の部
一位‥小田(防衛省)
二位‥湯浅(防 大)
三位‥西郡(芦 屋)
◯初二段の部
一位‥石川(全自衛隊)
二位‥野々村(全自衛隊)三位‥佐藤(善通寺)
◯一級から三級の部
一位‥水野(防 大)
二位‥松林(善通寺)
三位‥浦西(入 間)
◯四級から見習の部
一位‥三村(徳教空群)
二位‥湯浅(善通寺)
三位‥江東(善通寺)
(団体演武)
一位‥防大
二位‥善通寺
三位‥芦屋

人気のC-2倍率約10倍
体験飛行抽選会
 8月21日、「令和元年度自衛隊記念日記念行事」の一環として行われる「体験飛行」の抽選会が、防衛省A棟大会議室で厳正かつ公正に実施された。会場には机の上に整然と並べられた応募はがきの束。中には当選への熱い想いを書き綴ったものもあった。
 今年度の体験飛行は、10月5日に4つの基地で行われる。千歳基地ではCH-47J輸送ヘリコプターに120名、入間基地ではCH-47J輸送ヘリコプターに180名、C-2輸送機に200名、築城基地ではCH-47J輸送ヘリコプターに120名、那覇基地ではCH-47J輸送ヘリコプターに120名、合計740名が搭乗できる。
 約1カ月の公募期間で、定員を大幅に上回る3564名の応募があった。特に入間基地のC-2輸送機は約10倍と、初めてだった昨年度と変わらない人気の高さを誇った。
 抽選方法は例年と同様に行われた。無作為に30名ごとの応募はがきの組(C-2は50名)を作り、それぞれの組に番号を割り振る。はがきの組数に対応した数字が書かれたピンポン玉を引き、同じ番号の組を当選とする。それを基地ごとに実施した。 木哲哉航空幕僚監部総務部長、渡部琢也広報室長、吉田ゆかり1空佐の3名が抽選箱からピンポン玉を抽出した(吉田1空佐は8月23日付で、航空自衛隊初の女性広報室長に着任)。全ての当選者が決定すると監査人の中嶋明2空佐が「本抽選が厳正かつ公正に実施されたことを確認しました」と述べ、抽選会が終了した。
 当落選の結果は、返信用はがきによって、9月中旬以降に応募者へ通知される。

航空自衛隊安全の日
美保基地で安全教育
 7月1日、第3輸送航空隊(司令・塩川壮1空佐=美保)は基地体育館において「航空自衛隊安全の日」の行事の一環として安全教育を実施した。
 教育は隊員の飛行及び地上安全の意識高揚を目的として実施され、勤務に支障のある隊員を除く全隊員が参加して行われた。
 体育館に集合した隊員は、最初に殉職隊員に対して1分間の黙とうを捧げ冥福を祈った。次に航空幕僚長の訓示、さらに塩川司令による訓示が実施された。塩川司令は「航空自衛隊安全の日は平成11年から12年までの間に5件の航空大事故が発生した事に端を発し設定された。しかし平成11年の事故から20年近くの歳月が過ぎ、当時を知る多くの隊員がほとんど退官してしまっている現状は事故を風化させるには十分過ぎる時間だと考えます。事故の記憶や教訓が風化していくことを完全に止めることは出来なかったとしても風化していくペースを少しでも遅らせるように創意工夫した教育を繰り返し行うことが重要です。それは事故を経験した者の使命であり、我々は多くの犠牲の基に得られた貴重な教訓を決して無駄にしてはならないということなのです。今日一日、全隊員が真摯に教育に臨み、今日の終わりに全隊員が事故は絶対に起こしてはならないという気持ちになっていることを期待します」(要旨)と訓示した。
 その後、安全班による教育が実施され、無事故の大切さを考えるよい1日となった。

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