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自衛隊ニュース   1008号 (2019年8月1日発行)
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読史随感
神田淳
<第34回>

徳と知とーー日本文化考

 ギリシアの哲人ソクラテスは「徳は知なり」と言った。人間の道徳も結局、人間の知、すなわちそれを知っているか、知らないかに帰着する。不道徳は無知のゆえであり、知者ならば、自然に徳ある人となる。
 日本人の多くはそう思わないのではなかろうか。日本文化には伝統的に徳と知は別だとする考え方がある。知者は必ずしも徳ある人ではない。また仁者(徳ある人)であって知者でない人もいる。そして、大切なのは徳であって、徳は知よりも上位にある精神的価値である。
 福澤諭吉は『文明論の概略』で、文明の進歩は人間の知と徳の進歩であるが、日本は伝統的に徳に重点が置かれてきたと言う。そして、今(明治時代)日本の文明の知は西洋に及ばないので、知の進歩を重んずるべきであると述べた。福澤は、日本史上初めて知の重視を説いた精神的指導者だといわれる。
 日本は歴史の中で、徳を知の上に置く文化を培ってきた。知ある人をよく「才ある人」と言い、徳ある人ほどは尊敬しない。「才知」ということばもある。儒教の影響で、人を君子と小人に分け、徳ある人が君子で、才があっても徳のない人は小人である。日本で理想とされる指導者は知の人でなく、徳望の人である。大局観をもち、細かいことは知らなくてよい。部下に任せ、そして責任をとる。いわゆる能吏、技術者、スペシャリストは、徳望の人の下で働くのがよい、とする文化である。
 戦前の日本の軍部も、日本のこうした文化に支配されていた。陸軍は日露戦争を戦った大山巌満州軍総司令官と、総参謀長児玉源太郎のコンビを理想化した。西郷隆盛の従弟である大山巌は茫洋とした人物で、部下に一切を任せ、責任を取るタイプだった。児玉源太郎は陸軍きっての知謀の人。大山に一切を任されて日本軍を指導、ロシア軍と戦い、そして勝った。
 この成功体験の影響は大きかった。陸軍の軍人は地位が上がるほど、知よりも徳望を重視した。中堅将校の声望を担うような徳望のみの人物が昇りつめた。陸軍は反主知的、精神主義的な組織となった。物理学者中谷宇吉郎は、陸軍には科学精神が全くなかったと明言している。
 しかし歴史をつぶさにみると、大山巌と児玉源太郎の実像は陸軍が単純化したようなものではなかった。大山はもともと大変な知の人で、茫洋とした人格は、意識的につくりあげられたものだった。児玉は大山が本来細かい知の人であることをよく知っていた。
 そして天才的な知力をもつと評価される児玉は、まれにみる徳望の人だった。日露戦争で命を使い果たし、戦後急逝したが、存命ならば必ず総理大臣になっただろうと言われている。『坂の上の雲』で児玉源太郎を生き生きと描いた司馬遼太郎が、日本の文化の中で、児玉のような知徳を高度に併せもった人格は珍しいと述べていたと記憶する。
 しかし私は、知と徳は児玉のように一人格の中に両立するものだと思う。ソクラテスの言う「徳は知なり」に共感する。知と徳は二項対立するようなものではなく、日本の徳重視の伝統は良いが、徳には知が伴わなければならないことを強く思う。
(令和元年8月1日)

神田 淳(かんだすなお)
 高知工科大学客員教授
著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』など。


第1回 プロフェッショナル・エアマンシップ・プログラム
日ASEAN信頼醸成促進

 7月8日から11日まで、「第1回プロフェッショナル・エアマンシップ・プログラム」が東京、航空自衛隊入間基地および美保基地で開催された。
 本プログラムは、日本とASEAN防衛協力の指針「ビエンチャン・ビジョン」に基づいた取組として、昨年10月の第4回ASEAN防衛担当大臣会合において岩屋毅防衛大臣が提案したもの。ASEAN全加盟国空軍から空軍士官等各1名(シンガポールは2名)とASEAN事務局から1名を招へいし、シンポジウムの開催や航空自衛隊部隊の研修等を実施し、日ASEANの空軍種間の信頼醸成促進、航空分野の能力向上支援等を図った。
 7月8日と9日は、防衛省に近接するホテルグランドヒル市ヶ谷で「航空の安全保障・国際法シンポジウム」を開催した。開催に際して矢田純子国際政策課国際安全保障政策室長は、「今回の空軍種間の事業立ち上げにより、既に行われている陸・海と共に3軍種間の協力事業が出揃った。これにより地域の安定に寄与できる」と述べた。本プログラムの座長を務める航空幕僚監部防衛調査官の菅井裕之1空佐は「日本とASEANの関係は45年以上続き、空軍種間の良好な関係もずっと続いてきた。本プログラムを通してお互いに学び合い、日ASEANの組織を強くしたい」と挨拶をした。
 翌10日は入間基地で装備品の見学等を行い、C-1輸送機で美保基地へ。11日は物料投下等の訓練見学を行い、復路は後継機種のC-2輸送機で入間基地へと戻った。


創隊55周年記念行事
<第1高射群>
 航空自衛隊第1高射群(司令・河野順一1空佐=入間)は、令和元年7月12日に部隊創設55周年記念行事を実施した。第1高射群は、昭和39年(1964年)4月に習志野にて編成されて以降、情勢の変化に対応すべく装備品を換装し、防空の任務についてきた。最近では弾道ミサイル等への対処により国民にも広く知られるようになり、更に現中期防衛力整備計画にも示されているPAC-3MSEへの換装も控え、更なる任務遂行能力の向上を図る。
 当日は、晴れ間こそなかったが前日からの雨も止み、協力団体及び関連企業の来賓が臨席し、式典において第1高射群司令が「国民の皆さまに信頼される、健全かつ明朗闊達な部隊づくりに努める所存」と式辞を述べた。
 行事は、式典の他、器材展示、記念会食というコンパクトながら協力団体及び関連企業との友好を深めるとともに、部隊及び隊員の精強性を披露し、和やかな中で行事は終了した。

秩父警察署長から感謝状
<第1ヘリコプター隊>
 令和元年5月12日、休日を利用し家族とともに秩父市黒谷にある「和銅遺跡」を散策していた入間ヘリコプター空輸隊の櫻井真二2空曹は、ハイキングコースから滑落して来る女性を発見、女性の元に駆け寄り、意識、呼吸、出血等の確認を行うとともに、付近にいた観光客へ、救急車の手配をお願いするとともに、消防署の指示を受けつつ救急車到着までの間、応急手当等の救助活動を行い救急車に移管した。この応急手当及び救助活動に対して、6月1日、秩父警察署長から感謝状が贈呈された。この感謝状贈呈について、埼玉県警、秩父警察署ホームページ上で紹介された。また、この善行は隊員の模範になるものとして6月28日に救難団司令から善行報賞状が授与された。

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