防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
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自衛隊ニュース   2003号 (2019年5月15日発行)
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空自浜松広報館が開館20周年
「夢や希望あふれるミュージアムとして」
 航空自衛隊浜松広報館は、4月20日に「航空自衛隊浜松広報館開館20周年記念行事」を実施した。式場では20周年記念にあたり募集し採用された記念エンブレム及び記念塗装を施したT-4機がラグビーワールドカップ記念塗装機と共に展示された。式典で浜松基地司令は、「20年の間には有料化や入館者数の減少など、いろいろなことがあったが、20周年を節目に夢や希望にあふれるミュージアムとして一層の飛躍をしていきたい」と挨拶をした。また、感謝状の贈呈式、U-125A及びE-767による航過飛行や基地太鼓部による演舞、中部航空音楽隊による演奏等が行われ、盛況のうちに式典が終了した。
 当日午後からは屋外展示場で太鼓部の演舞や中部航空音楽隊の演奏、展示格納庫エプロン地区では、T-4航空機及び救難機のパイロットサイン会や救難訓練展示等のイベントが行われ、来館者は「こんな間近で救難機を見たことがない」「ここからの撮影は最高です」と満足した様子で広報館を後にした。
 また、翌日21日には、航空自衛隊浜松広報館平成11年4月の開館以来、入館者数が700万人を達成した。700万人目の来館者になったのは浜松市在住の神谷さん一家で「家族みんな大好きで50回以上も来館しているが、こんな偶然にめぐり合うとは思わなかった。一生の思い出です」と話していた。また、長男の忠宏君は「将来はパイロットになりたい」と夢を語ってくれた。
 航空自衛隊浜松広報館は、「今後もいろいろなイベントを企画しています。ぜひ、ご家族で御来訪下さい」としている。

うちの子は自衛官
娘の入隊式に参加して
神奈川県自衛隊家族会大和地区会 片山 夕子
 4月10日、娘(海自第13期一般海曹候補生)の入隊式に主人と私の母(娘の祖母)、そして、友人2名(娘が生まれた頃からお世話になっている友人)で参加しました。この日は、4月にもかかわらず、真冬並みの寒さに加え、冷たい雨が降る中の入隊式となりました。
 横須賀教育隊へは、娘が「集団生活に慣れているのだろうか」、「友達はできたのだろうか」と心配な気持ちで向かったのですが、横須賀教育隊に到着し、娘の様子を見た時に、その心配は取り越し苦労であったことがわかりました。2週間ぶりに見る娘の顔は、晴れやかであり、髪も短くなったせいか少し凛凛しく感じました。また、馬子にも衣装とはよく言ったもので、親ばかではありますが、思いのほか制服も似合っていると感じました。そして、入隊式が始まるまでの短い時間ではありましたが、同期の人達と歓談している様子からも、既に始まっている集団生活に順応しているのではないかと安心した次第です。
 入隊式開始前の時間には、横須賀音楽隊の方の演奏や歌を聴かせていただきました。その間、娘との思い出や成長の過程を思い起こすと、胸に込み上げてくるものがありました。それは、大切に育ててきた娘の成長を嬉しく思う反面、親元を離れ社会人としての一歩を踏み出そうとしていることや、翌日から始まる厳しい訓練等、これから娘が直面する現実を想像すると、親としては複雑な思いになったからでした。
 入隊式には、多くの来賓やご家族が参列されるなか行われました。式では、入隊する人達の動作に若さと気迫を感じ取ることができました。また、横須賀教育隊司令や来賓の方のお話から、入隊した人達には大きな期待がかけられていることもよくわかりました。その中で、共通して話されていたことは「同期の絆を大切にしてもらいたい」ということでした。寝食を共にし、苦楽を共に過ごした同期の絆は一生のつながりがあるというものです。
 娘は自ら望んで海上自衛官の道を選択しました。そして、これから厳しい訓練が始まります。娘の入隊にあたり、親としては、まず、教育隊での訓練を無事終えてくれることを祈るばかりですが、この期間に、一生をとおして信頼できる友人ができればと強く願っています。職種や勤務地が違っても、ここで一緒に過ごした同期との絆は、これから海上自衛官として、そして社会人として過ごす娘にとってかけがえのない財産になるはずです。
 海上自衛官としての道を歩み始めた娘の頑張りに期待するとともに、母親としてしっかりサポートしていきたいと思います。
 最後に、寒く冷たい雨が降る中、入隊式の準備や私達を丁寧に案内していただいた海上自衛隊の皆様にこの場をかりて御礼申し上げます。本当にありがとうございました。そして、娘をよろしくお願いします。

ノーサイド
北原 巖男
即位後初の一般参賀
 5月4日朝、妻と皇居前の和田倉門到着。
 既に沢山の老若男女、家族連れ、外国人の皆さんが、前の人の背中にピタッとくっつくように並んでいます。立錐の余地の無い長蛇の列。頭はどこなのか、全く見えません。自分の後ろを振り返る余地もありません。
 そんな皆さんは、どこかとても明るく楽しそうに整斉とその時を待っています。
 「これだけ密集して並んでいる僕たちは、まるで人間バウムクーヘンだね」
 「即位後初の一般参賀の皆さんに国旗の小旗を配布するのが目的でしょ。このまま並んでいたら、どんどん時間だけが過ぎて行くわよ」
 何とか所属する隊友会世田谷支部長の岩崎さんに救われて、たどり着いた隊友会の集合場所。待っていたのは、衝撃の一言でした。
 「用意した10万本の小旗は、配布を完了しています」この時間で完了とは!
 でも、次から次へ途切れることなく祝福に押し寄せる皆さんがいます。そうした皆さんの気持ちに、少しでも応えて行く術を見出して行かなければなりません。
 東京都隊友会の松下事務局長が卓越された統率力を発揮。隊友会会員とその家族、約50名のボランティア集団は、支援を求める他の団体活動を組織的かつ積極的にサポートし、沢山の新たな小旗の準備や配布に全力で取り組みました。
 そして夕刻のテレビ。小旗を振っている14万人を超える沢山の皆さんに、両陛下が笑顔で応えていらっしゃいます。
 「このたび、剣璽等承継の議、および即位後朝見の儀を終えて、きょう皆さんからお祝いいただくことをうれしく思い、またこのように暑い中、来ていただいたことを深く感謝いたします。ここに皆さんの健康と幸せを祈るとともに、我が国が諸外国と手を携えて、世界の平和を求めつつ、一層の発展を遂げることを心から願っております」
 一般参賀を取材した記者は書きました。
 「…59歳での即位だ。同世代は仕事に一区切りつけ下山をする頃合いだ。が、新たな山頂を望み、靴ひもを結び直す境地だろう。皇后さまの体調不良など、過去の道程にはご心痛もあった。だからこそ到達できる象徴像がある。人々の歓呼の中でそう感じた」(5月5日付け日本経済新聞「春秋」)
 天皇陛下のご即位については、新聞各紙が多方面から大きく報道しています。私が最も思いを強くしたのは、5月2日付け日本経済新聞編集委員井上亮さんの署名入り記事でした。曰く、「…過去の記者会見録をひもといて感じるのは、陛下の家族愛だ。長い療養が続く皇后雅子さまを『支えになってくれている』といたわり続け、愛子さまの成長に対する喜びを隠さなかった。『天皇が私を優先し過ぎる』との批判もあるかもしれないが、家族に愛を注がずして、国民全体に寄り添えるだろうか。
 『人間らしさ』、芯となる伝統を守りつつ、時代に合わせて漸進的に変化する。そんな天皇像の予感がする」
 また、漫画家の「ちば てつや」さんは「人を癒すお力をお持ちのお二人のやり方で、色々な方々を癒して行かれると思います」と述べています。(5月1日付け朝日新聞)
 天皇陛下は、初の戦後生まれの天皇陛下でいらっしゃいます。私たち日本人の8割以上が戦後生まれです。産経新聞(5月1日付け)は、戦後70周年を迎えた平成27年のお誕生日のご会見を、私たちに紹介してくれています。
 「私自身、戦後の生まれであり、戦争を体験していませんが、戦争の記憶が薄れようとしている今日、謙虚に過去を振り返るとともに、悲惨な体験や日本がたどった歴史が正しく伝えられて行くことが大切であると考えています」
 両陛下には次のような歌会始の歌もあります。
天皇陛下
 人みなは
 姿ちがへど
 ひたごころ
 戦(いくさ)なき世を
 こひねがふなり
皇后陛下
 摩文仁なる
 礎(いしじ)の丘に
 見はるかす
 空よりあをく
 なぎわたる海
 戦争の無い、平和な令和の時代を創っていきましょう。

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