防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
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自衛隊ニュース   979号 (2018年5月15日発行)
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各地で記念行事

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滝ヶ原 44周年
 滝ヶ原駐屯地(司令・中嶋豊1陸佐)は4月8日に霊峰富士を背景に桜が満開に咲く駐屯地において駐屯地各協力団体からの支援・協賛を得て創立44周年記念行事を厳粛かつ盛大に挙行した。
 式典に先立ち、日頃から駐屯地の各種活動に対して支援と尽力をいただいている10名に対して感謝状贈呈式を執り行った。
 引き続き総合グラウンドでは国会議員をはじめ駐屯地協力5団体長、歴代駐屯地司令、静岡県内各自治体、米海兵隊キャンプ富士司令官及び関係者等から多数の来賓を迎え、記念式典が行われた。
 式辞において駐屯地司令は、駐屯地創設以来44年間に亘る歴史の中で、大切にしてきた3つの絆、駐屯地協力団体をはじめ、地域住民との「地域の絆」、隣接する米海兵隊キャンプ富士との「日米の絆」、隊員及び隊員家族の方々との「隊員の絆」について言及し感謝を述べるとともに、「駐屯地はこの絆をさらに強く確実なものにしていき、あらゆる事態に即応できる実力を兼ね備えた部隊の育成、地域の皆様に愛され信頼される健全な部隊の育成に向け精進するとともに、隊員には日々の任務に対する労をねぎらい、隊員一人一人が国防という崇高な任務と国民の期待の重みを深く認識し、厳正な規律を保持し、事に望んでは危険を顧みず一つ一つ着実に任務遂行していくことを改めて認識し、肝に銘じること」と式辞を述べた。
 続いて来賓より祝辞が述べられ、部隊は観閲行進に移行した。
 澄み渡る青空のもと富士学校音楽隊の士気高まる演奏に合わせ、観閲部隊指揮官(副連隊長・前田貴大2陸佐)を先頭に普通科教導連隊、教育支援施設隊、評価支援隊、教育支援飛行隊(計369名、車両81両、航空機4機)がそれぞれ装備する車両や装甲車・戦車等での躍動感ある行進、教育支援飛行隊の航空機による迫力ある飛行が披露され会場からは大きな拍手と歓声が沸き起こった。
 観閲行進後は、滝ヶ原駐屯地の滝ヶ原雲海太鼓と長野県の松本駐屯地より駆けつけた松本アルプス太鼓による勇壮な太鼓のコラボ演奏が会場を盛り上げた。その後、滝ヶ原駐屯地創立40周年を記念し誕生した滝ヶ原駐屯地マスコットキャラクターである「たきすけ」が車両に乗り登場した。「たきすけ」は誕生して4年経ち、来場者からの認知度も高くなり多くの人々が名前を呼んで歓迎していた。
 引き続き行われた訓練展示では、野戦特科部隊・施設部隊に支援され増強された普通科連隊の陣地攻撃の様相が実戦さながらに披露された。レンジャー隊員がUH-1から降下するリペリングで取り残された民間人を救出する場面では、いかなる状況下でも活動を行う自衛隊の姿をアピールすることができた。
 イベント会場では戦車及び装甲車の体験搭乗(搭乗者計892名)、16式機動戦闘車、10式戦車等を配列した装備品展示、富士学校音楽隊による青空コンサート、曹友会によるお汁粉の無料配布、子供達を対象としたちびっこ広場では、エアスライダー、動物ふれあいコーナー、ミニチュアホースカート、バルーンアートショウなどが会場を盛り上げ、大人から子供まで楽しんでいた。
 当日は、天候にも恵まれ約4600人の来場者が滝ヶ原駐屯地を訪れ駐屯地が大切にしてきた3つの絆を深めた1日となった。
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板妻 56周年
 板妻駐屯地(司令・山之内竜二1陸佐)は4月15日、「板妻駐屯地創立56周年記念行事」を挙行した。当日は雨の影響もあり当初、地元選出国会議員、近隣首長、各種協力支援団体、米軍キャンプ富士司令官等、内外の来賓出席の下、史上初の試みとなる体育館での記念式典及び屋内外において各種アトラクション、祝賀会食を実施した。
 記念式典で執行者である山之内司令は式辞において「我々がこうして半世紀以上の永きに亘り、地域の皆様の代表として日本国内はもとより、世界各地で安定した活動を継続させて頂くことができますのも、一重に栄光ある歴史と伝統を築いてこられた諸先輩のご尽力のお陰と深く敬意を表しますとともに、関係自治体はじめ協力団体の皆様による変わらぬご支援・ご協力、更には地域の皆様のご理解とご声援の賜物と心から感謝申し上げます」と述べた。
 式典後は引き続き、体育館内で第1音楽隊による音楽演奏、高等工科学校生徒隊による太鼓演奏及び行進と銃操作が一体化した一糸乱れぬドリル展示、34連隊らっぱ隊と昨年発足した板妻橘太鼓の合同演奏を行った。らっぱの美しい音色と鼓動ときめく力強い太鼓演奏は観客を魅了した。続く第4中隊担任による至近距離射撃技術展示では、武装した隊員が音楽に合わせて様々な射撃技術を披露した。
 正午以降は雨も止み晴天となった野外で一般来場者を対象として再度、高等工科学校生徒隊ドリル展示、至近距離射撃技術展示を行い、最後に第5中隊担任で模擬戦闘訓練展示を行い、隊員の迅速な動きやオートバイ、装甲車両、戦車、特科等が協同した大迫力の一連の戦闘行動が披露され、終了後は観客から拍手と歓声が上がった。
 また駐屯地内の各場所には様々な催し会場を設け、装備品展示、車両の体験試乗の他、防災装備品展示、らっぱ吹奏、和太鼓演奏、護身術講座、御当地アイドル歌謡ショー、駐屯地キャラクターITAZUMAN(イタズマン)の初お披露目やキッズスペース等、大人から子供まで存分に楽しんでもらい、本記念行事は、天候不順な中にも関わらず、約3000人が来場し大盛況のうちに終了した。
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駒門 58周年
 駒門駐屯地(司令・佐藤和之1陸佐)は、4月1日、創立58周年記念行事を挙行した。記念式典は、多数の来賓が臨席のもと、観閲部隊指揮官(第1機甲教育隊長・甲田宏1陸佐)以下人員約100名、車両約50両が参加した。
 佐藤駐屯地司令は式辞の中で、「陸自の創隊以来の大改革が推進されるなか、駐屯地各部隊はいかなる任務にも即応して完遂する強靭な部隊、そして地域の皆様に信頼される駐屯地であり続けるため、引き続き日々努力を重ねて参る所存」と述べるとともに、キャンプ富士司令官(エスカミヤ大佐)に対し「米軍の存在が日本だけでなくこの地域で大事な役割を担っています。この関係を維持していきましょう」と英語でスピーチを行った。引き続き、最新鋭の10式戦車を先頭に日本で唯一駒門駐屯地でしか見られない観閲行進が行われ74式戦車改、90式戦車とパレードを披露するとともに全国陸自駐屯地で初の米海兵隊による祝賀行進が行われた。
 その後の訓練展示では訪れた来場者から歓声が上がり多くの来場者で賑わいを見せた。

読史随感
(第5回)
「道のため、人のため」緒方洪庵の美しい生涯
 緒方洪庵は幕末の蘭医学者。大阪の適塾で福沢諭吉をはじめとする、日本の近代化に貢献する多くの英才を育てた人として名高い。洪庵の生涯を知ると、医者として、教育者として、まことにすばらしい人だったとの思いを強くする。
 洪庵は今から200年ほど前、備中足守藩(現岡山市)下級武士の子として生まれた。元服後医学に志し、大阪の蘭学者中天游に入門、続いて江戸の坪井信道のもとで修業した。さらに長崎で2年の修業を終えて29歳の時大阪で開業し、結婚、そして塾を開いた。
 江戸時代の習慣として、学者は自宅を塾にして、自分の学問を若い人に伝えることが、社会に対する恩返しとされていた。洪庵の適塾は、大村益次郎、箕作秋坪、佐野常民、橋本佐内、大鳥啓介、福沢諭吉、長与専斎、高松凌雲といった、日本の近代化を担う多くの俊秀を輩出した。
 洪庵は卓越した蘭医であった。開業した2年後には大阪の医師番付で前頭4枚目にランクされ、その7年後には西の大関(最高位)に番付されていた。
 開業医として往診、また宅診する毎日の中で、最新の西洋医学研究を怠らず、『病理通論』、『虎狼痢治準』、『扶氏経験遺訓』などの訳著を出版した。『扶氏経験遺訓』は、ドイツの名医フーフェランドが50年にわたる医療経験を集大成した内科書の翻訳であるが、その巻末にある「医師の義務」に洪庵は深く感銘し、『扶氏医戒の略』としてまとめた。
 その第1条にいう。「医の世に生活するは人の為のみ、おのれがためにあらずといふことを其の業の本旨とする。安逸を思わず、名利を顧みず、唯おのれをすてて、人を救わんことを希ふべし。人の生命を保全し、人の疾病を復治し、人の患苦を寛解するの外、他事あるものにあらず」。洪庵は、文字通りこの医の倫理の実践に生きた。洪庵は門下生への手紙の末文をよく「道のため、人のため」と結んだ。
 蘭医としての洪庵の顕著な活動に、天然痘予防のための種痘事業がある。牛痘に対する世の偏見がまだ強い中、志ある医師と大阪商人の協力を得て、牛痘種痘を施す除痘館を設立した。除痘館設立後4年間で数万人の子供が種痘を受け、天然痘の流行から子供が守られた。
 洪庵は53歳のとき、幕府の奥医師に任ぜられ、江戸に発った。奥医師拝命は最高の名誉であるが、洪庵には有難迷惑であり、再三固辞したが断り切れなかった。奥医師の務めは大きなストレスだったのだろう。洪庵は江戸に住んで一年後に急逝した。
 緒方洪庵はまことに穏やかで誠実な人であった。福沢諭吉は、「先生の平生、温厚篤実、客に接するにも門生を率いるにも諄々として対応倦まず、誠に類いまれなる高徳の君子なり」と記している。また洪庵は、学恩を受けた師に誠心誠意尽くし、師からも深く信任された。
 全国一の蘭学塾と評された適塾の自由闊達な学風は、諭吉の『福翁自伝』に詳しいが、その学風は、自由を尊び、寛容にして厳格な洪庵の人格の産物である。塾生は学業に没頭しつつ、師の姿から学んだ。後に近代日本の建設に邁進することになる卒業生は、師洪庵の高尚な精神を継承している。
塾生から母のように慕われた洪庵の妻八重も美しい。塾生の面倒を見ながら、13人の子供(内4人は夭折)を生み育て、洪庵なきあと、立派に成長させた。
 洪庵夫妻の生涯は高尚で美しい。洪庵の伝記を読むと、当時の日本人が教養豊かで、学問を尊び、ゆるがない道徳と慣習の中で、美しく生きていたとの思いを強くする。(2018年5月10日)
  
神田 淳(かんだすなお)
 高知工科大学客員教授
 著作に『すばらしい昔の日本人』(文芸社)、『持続可能文明の創造』(エネルギーフォーラム社)、『美しい日本の倫理』(https://utsukushii-nihon.themedia.jp/)などがある。

「友」に走る!
<飛行点検隊>
 3月11日、航空支援集団隷下飛行点検隊(入間)は埼玉県日高市で行われた「第42回日高かわせみマラソン2018」に隊司令以下、隊員有志約20名で参加した。同マラソンコースは、起伏に富んだコースで、タイムを争うというよりも楽しく走る事を優先、子供用種目もあり親子のファミリーでも多数参加している。
 このマラソンには、28年度に発生したU-125航空事故で殉職した隊員6名のデザインをあしらった「友(「共に」を掛けている)に走る」の黄色のTシャツを全員が着用して、一緒に走った。

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