防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
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自衛隊ニュース   第901号 (2015年2月15日発行)
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寄せ書き
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冬季山地訓練に参加
 第13普通科連隊(松本)3陸曹 菊池晴章
 私が冬季山地訓練に参加するのは今回で三回目となり、未だ教官の指導監督があって行動できている立場ではありますが、少しずつ技術や知識が向上している実感はあります。その中で私が感じた事は大きく三つあります。
 一つ目は、この様なリスクを伴う状況下では些細な事でも準備や計画を怠ると直ぐに個人や部隊を危険に晒してしまうという事です。例えば少しでも内部が濡れたグローブを装着したまま行動すれば天候が荒れた場合、凍結の危険が極めて高くなり、そこで部隊の行動を止めてしまいます。全ての隊員が準備や停滞している間に次の行動を見据え、装備、身体、計画を準備しなければ、その時点で部隊の行動は失敗してしまう事が分かりました。
 二つ目はレンジャー隊員は「リード」をしなければならないという事です。リードとは登攀において最初に登って行く事であり、ザイルを確保者と結び登っていくわけですが、もし墜落した場合、最後にザイルをかけた中間支点まで落ちる事となり強固な支点が取りにくい中で登っていかなければなりません。リードが登った後に固定されたザイルを使い登っていけるセカンド以降の人員とは、危険度や緊張感が全く違っています。今回は教官の方々がリードしてくれましたが私達、被教育者も経験を重ね、リードが出来るレンジャー隊員になる必要性を強く感じました。
 三つ目は、山地機動、山地潜入訓練における底辺の拡大の必要性です。前述の通り厳しい地形はレンジャー隊員がリードして固定ロープを構成する事になりますが、それを使って厳しい地形を突破する技術が一般隊員に浸透しているとは思えません。隘路を迂回しなければならない場合等、一般隊員でも固定ロープを使った山地の技術が必要な場面が想定され、自己確保技術等、最低限、山地潜入技術を修得しておく事が出来れば、山岳連隊の行動不能地域を局限する事になると思います。
 私は今回の訓練を通じて、実際の現場において能力を発揮出来るレンジャー隊員になれる様、これからも冬季山地訓練を始めとする訓練において、自己の能力向上に努めたいと思います。
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親の背中を追って
第47普通科連隊(海田市)1陸尉 浅野光夫
 「俺、自衛隊に入るわ」高校新学期間近い時だった。バイトと学校の往復で、すれ違いが多く余り会話の無かった長男が初めて進路について口にした言葉だった。入隊前夜、長男から出た親への感謝の言葉「18年間お世話になりました」。
 そして2年後の春、東日本災害派遣中の私に一通のメールが届いた。「じゃあ行ってきます」短い文面であったが長女の入隊を知らせる内容文。さらに、2年後、福知山駐屯地で新隊員の教育が決まった次男を広島の新幹線口まで送った別れ際、「18年間お世話になりました」。天真爛漫な末っ子から思いもよらぬ感謝の言葉。
 いずれも3人の子供たちは陸上自衛隊に自ら志願して入った。18年という長いようで短く感じた親子としての生活を卒業してそれぞれの人生を歩んで行くことを選んだ子供たちが決意させたものはなんだったのだろうか。私は常々「自らの行動には責任を持つこと」と「自業自得の精神」を子供たちに教えてきた。これには自立と自律という二つの意味がある。日常において子供への過干渉や過保護は一切排除した。かといって無関心ではない親子の微妙な距離感を保った。しかし「本当に困った時には万難を排して助けてやる」これが子供たちに対する私の口癖であった。そんな環境で育った子供たちは自分で考え自分で行動し、その結果について自ら向き合うといった習慣が自然に培われていったように思う。「親の気持ち、子知らず」というが、父親と同じ仕事を選択してくれたことは、仕事に対する父親の気持ちの一端が少なくても理解できるということである。子供たちが成長したと感じる瞬間であった。
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いざ陸曹教育隊へ入隊
 第32普通科連隊(大宮)陸士長 野澤祐太郎
 私は、履修前教育で多くの事を学びました。
 特に、「教育を行っても、被教育者が理解しなければ意味がない」ということを教官、助教の方々に教えて頂き、課業中はもちろん、課業外においても、つきっきりで指導してもらい、私は沢山の知識を得ることができました。また、厳しい訓練を通じ、同期の大切さを再認識することができました。
 陸曹教育隊では、今まで以上に同期の絆を大切にし、強い仲間意識をもって行動し、今回の履修前教育で得た「積極進取」の精神を持って新たな知識を吸収し、自ら技術の向上に努めていきたいです。
 今後私は陸曹となり、陸士の前に立ち、後輩を育成し引っ張っていく立場になるため、自分を律し強い責任感を持って行動しなければなりません。これまで学んできたことを決して忘れず、陸曹教育隊での訓練に活かし、また、そのために力を貸してくださった中隊長、先輩方、励まし応援してくれた同期、精一杯の情を注いでくれた教官、助教に恩返しができるよう何事にも妥協せず、志を高く持ち教育に臨んでいきたいと思います。
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私と野球
八戸駐屯地業務隊2陸曹 下坪 健
 自分は幼い頃から野球をやってきて、今現在も野球を続けている。振り返ってみるときつい事や辛い事も多かったが、野球をやっていて良かったと思っている。学生時代の先輩や後輩とは今でも付き合いがあるし、色々な方々に支えられ助けられての野球人生だったと思う。実に幸せ者だ。
 この歳になり、野球を客観的に見る機会が増えた。社会人やプロの試合を見ていると実に多くの技術や戦術を得る事がある。また、トレーニングも自分の学生時代と比べ大きく変わってきている。
 将来、叶うならば指導者として子供達に野球を教えてみたい。自分の経験や知識を活かして野球というスポーツの楽しさを伝えていきたい。プロ野球選手になれなくても、そこを目指して努力してきた過程は今後の人生において大きな力になると思う。
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「レンジャー」に思う
中部方面航空野整備隊(八尾)3陸曹 上坂大輔
 私は9月から信太山駐屯地で行われた部隊集合教育「レンジャー」に参加し、約2ヵ月半の教育を修了して、レンジャー隊員としての資格を取得する事が出来ました。
 私は航空科職種の隊員であり、レンジャー教育からは縁遠い立場でしたが、次の2つの思いから強くレンジャー課程の履修を希望しました。
 1つ目は「挑戦」です。自分がどこまでやれるのか、自分の弱さはどこなのか、肉体的、精神的に追い込まれても任務をやり遂げることは出来るのかを知りたいと思ったことです。
 2つ目は「好奇心」です。百聞は一見にしかず。自衛隊で最も過酷な訓練を実施するレンジャー教育を、身をもって経験したいと思ったことです。
 教育には精神面、体力面においてそれなりの準備と覚悟を決めて望みましたが、いざ教育が始まると、想像をはるかに上回る困難がありました。食べるものも無い中での生存自活訓練、地図判読、空路、水路及び山地の潜入要領、破壊、襲撃、伏撃等、航空科部隊ではほとんど経験出来ないものを体験し、乗り越えました。
 また、精神的に得たものも想像以上で、任務を完遂する使命感、不撓不屈の精神、仲間を思いやる心、自分の欲望を抑える自制心等、言葉の意味をしっかりと体得することができたと今は感じております。
 教育を終え、自分の人生観が少し変化するとともに自分自身の成長を実感でき、改めてレンジャー教育に参加して良かったと思っています。自分の限界に挑むことにより新しい自分に出会えるのかも知れません。この投稿を読まれた方もぜひレンジャーに挑戦してみてはいかがでしょうか。

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