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自衛隊ニュース   900号 (2015年2月1日発行)
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勝兜連隊が年頭訓練を実施
 第7師団隷下の"勝兜連隊"第73戦車連隊(連隊長・國嶋健一1陸佐=南恵庭)は、1月9日、北海道大演習場島松地区第1戦車射場において年頭訓練を行った。
 國嶋連隊長は7日、南恵庭駐屯地において、隊員に対し「今年の隊務に邁進してもらいたい」と新年の訓示を実施した後、年頭訓練を開始した。連隊長車を先頭に戦車を整列させ、北海道大演習場を見守る恵庭岳をバックに記念撮影を行い、じ後、北海道大演習場島松地区第1戦車射場において戦車射撃を実施し、平成27年の訓練をスタートさせた。

訓練始め行事
〈21普連〉
 21普連(連隊長・堺一夫1陸佐=秋田)は、1月6日、駐屯地内において訓練始め行事を実施した。
 訓練開始にあたり、各中隊年男の代表6人が壇上において新年の抱負を宣言、その後、連隊長を先頭に連隊本部・各中隊が駆け足行進を行った。寒空の中、各中隊とも大きな声で呼称を掛けあい、その声は駐屯地の隅々まで響き渡り、今年の訓練に対する意気込みが感じられた。
 駆け足行進終了後、堺連隊長は「これまでの伝統をしっかり継承すると共に、情勢の変化に的確に対応しつつ事態に即応し任務を完し得るよう、各部隊・個人毎目標を確立し訓練・業務を遂行していこう」と訓示し、連隊全隊員による「連隊歌斉唱」と「勝ち鬨」を行い、更なる強靭な連隊を目指し新年の誓いを新たにした。

大阪城に集いしさぶろく戦士
〈36普連〉
 36普連(連隊長・近藤力也1陸佐=伊丹)は、1月13日、大阪城公園で今年の「訓練始め」を兼ねた清掃活動を行なった。さぶろく戦士約600人が参加し「われわれが大阪を守る」との気概で困難な石垣清掃などを繰り広げた。
 訓練始めの大阪城清掃は「大坂の陣四百年」にちなみ、昨年初めて行ない、今年で2回目となる。
 訓練は、大きなかけ声と共に力強い統制走から始まり、天守閣前に集合した後、公園内に分散して大規模な落ち葉拾いを開始した。また、人を寄せ付けない内堀の石垣にはさぶろくレンジャー24人がロープで降下し、生い茂る草木をつぎつぎと切り落とし、それをボートにのった水上班が回収した。
 連隊長は開始式で「400年前に真田幸村が命を懸けて守った大阪を、今は36連隊が護っている。任務に対する思いを新たにして、大阪府民の期待に応えられる日ノ本一の連隊になることを願う」と訓示しさぶろく戦士を鼓舞した。

十和田湖冬物語2015
雪像制作を開始
〈八戸駐屯地〉
 八戸駐屯地(司令・藤丸幸二1陸佐)は1月16日、駐屯地において雪像制作協力隊の出発式を実施した。
 式は十和田湖休屋会場で開催される「十和田湖冬物語2015」メイン雪像の制作協力隊を見送るもので、協力隊長・水野1尉(第5高射特科群第322中隊長)以下33人が駐屯地司令に出発準備完了を報告し、司令からの激励を受けた後、出発する協力隊の車列に対し第5高射特科群長を始めとする駐屯地所在部隊約650人の隊員が、協力隊の任務の完遂と作業の安全を祈念して盛大に見送りを実施した。
 十和田湖休屋会場に到着後、雪像制作開始式が行われ、十和田湖冬物語実行委員長から協力隊長に雪像モデルが手渡された。式を終えた隊員は直ちに作業に着手、今年のメイン雪像「ねぶたとなまはげ」を2月6日のオープニングセレモニーまでに完成させる。

溌剌と新年の幕開け
〈20普連〉
 20普連(連隊長・西村修1陸佐=神町)は、1月5日、駐屯地において「平成27年訓練始め行事」を実施した。
 訓練始め行事に先立ち、駐屯地体育館で実施した連隊朝礼では、各中隊の代表者による新年の抱負が発表されたほか、連隊の更なる飛躍、国際貢献活動の任務完遂などを祈念して、副連隊長(岡田圭治2陸佐)、各中隊長による「だるまへの目入れ」が行われた。その後、年頭の辞で副連隊長は、「新年を迎え、各人は部隊の勤務に関すること、個人の充実に関すること、2つの具体的な目標を立て、目標達成に向け頑張ってもらいたい。そうすることが部隊の為、連隊の為、しいては自衛隊の為になる」と、訓示した。
 連隊朝礼後に実施された訓練始め行事では、晴天のなか副連隊長以下714人が中央営庭において自衛隊体操を実施した後、2号隊舎前を発着点に連隊本部、各中隊の順に中央営庭周辺約1キロを男性隊員は上半身裸体で、女性隊員は半袖シャツで駆け足した。当日はテレビ、新聞の報道機関が取材に訪れ、新年の幕開けに相応しく、溌剌と気勢充実した気合とともに駆け足を実施した隊員の様子が、県内のみならず全国版でも紹介された。
 テレビを視聴した協力団体関係者からは、「今年も元気に訓練始め行事を行う皆さんをテレビで見て安心しました。山形と南スーダン、それぞれの地で今年も頑張ってください」と、激励の言葉を頂いた。

雪月花
 テレビの正月番組にはことしも100年も前からの懐メロが各局から流れていた。改めて字幕を見ながら聞いていると半世紀以上に亘って意味を誤解していた歌詞に気がついた。筆者がこどもの頃に歌を憶えるのはラジオがほとんどだった。または近所のお兄さんの濁声だった。その一つがいまでも何気なく口にしている「勘太郎月夜唄」。小畑実さんの大ヒット曲だ。♪影か柳か勘太郎さんかを風か柳か勘太郎さんか♪と50年も続けていたのだ。カラオケでもこれをよく歌うのだが得意の18番との自信から字幕を見ないで歌っていたのでことしの正月まで気がつかなかった。小学校の頃は「ふるさと」、うさぎ追いしかの山を、うさぎ美味しいと本気で解釈していた。あとに続くかの川で釣った鮒も当時は貴重な蛋白源だったから違和感を憶えなかったのかも。おんなじように解釈していた同級生と何十年かたって笑い転げたことだった。ひと昔前はパソコンの表示転換で同音異義をよくやったが最近のパソコンは学習能力が上がったそうで傑作集が少なくなってきた、ちょっと寂しい。しかし今年いただいた年賀状にも「万民」が「蛮民」、「反面教師」が「半面教師」というのもあった、これは意識的なものと読ましていただいた。こんな遊びが日本語の豊かさを表しているのだと言うのはエッセイストの飛鳥圭介さん。

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