防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
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自衛隊ニュース   899号 (2015年1月15日発行)
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さっぽろ雪まつり協力団
協力団編成完結式
会場への雪輸送始まる
〈第11旅団〉
 第11旅団(旅団長・渡部博幸陸将補=真駒内)は、1月7日、札幌市大通公園において、第66回さっぽろ雪まつり協力団編成完結式を行った。
 協力団編成完結式で担任官(旅団長)は、多くの報道陣が取材する中、隊員に対し、「我々の協力が北海道の充実・発展に大きな貢献をしているということを認識し、自衛官としての誇りを持ち、一丸となって任務を遂行してもらいたい」と訓示した。
 引き続き同会場において、さっぽろ雪まつり実行委員会が主催で実施した「第66回さっぽろ雪まつり雪輸送開始式」に参加した。
 雪輸送開始式は、第11音楽隊(隊長・北川裕二2陸尉)のファンファーレ演奏で開式し、実行委員会会長の挨拶が行われた。
 その後、交通安全母の会10人から雪輸送隊及び雪像制作隊に交通安全を祈願した「マスコット」が手渡された。
 また、雪輸送部隊を代表し、北部方面輸送隊会田 真由3陸曹が「国民を守る自衛官として、また、北海道を、札幌を愛する市民として自覚と遵法精神を堅持し、心にゆとりを持って安全運転に努め無事故で雪輸送任務を完遂します」と交通安全を誓った。
 雪輸送隊は、札幌観光大使フレンズから激励の花束を受け取り、会場に並んだ3両の大型ダンプから雪輸送最初の雪を下ろし、大通会場への雪輸送がスタートした。

「夢と希望」
決意新たに平成27年訓練始め
〈14普連〉
 1月5日、金沢駐屯地において第14普通科連隊(連隊長・吉田幸一1陸佐=金沢)は平成27年の訓練始めを実施した。
 当初、各人が今年の目標として「夢と希望」を書いた用紙を天高く掲げて全隊員で写真撮影を行い、1年の目標を誓った。
 年頭の辞において連隊長は、「いかなる任務にも即応、任務完遂すべく『強さ』と『しなやかさ』を兼ね備える『強靱な普通科連隊』を目指し、全隊員が誇り高く、謙虚に、かつ『夢と希望』(目標)をもって任務に邁進する事を期待する」と述べるとともに、第14普通科連隊の更なる精強化を誓った。引き続き、各中隊の年男が音頭をとり、全隊員が晴れ渡る冬の空に大きな雄叫びを響かせ士気を高めた。
 その後、連隊本部を先頭に、各中隊は約4.5qの野田山登山走を行い、平成27年の厳しい訓練を前に新年の決意を新たにした。

平成27年訓練始め
新生49普連、新たな1年のスタート
〈49普連〉
 第49普通科連隊(連隊長・押川省三1陸佐=豊川)は、1月6日、連隊訓練始めとして、全隊員による山地機動訓練(本宮山登山)を実施した。 
 標高789メートルの本宮山(愛知県豊川市)は、山頂に砥鹿(とが)神社の奥宮があり、古くから東三河の人々に親しまれてきた場所。天候の良い日には登山道から富士山を望むことができると初日の出や初詣の人気スポットとしても知られている。
 今年度連隊は創隊10周年を迎える節目の年でもあるため、連隊創隊10周年記念の最終事業として実施した。
 隊員は午前4時から4個梯隊に分かれて順次登山口を出発、山頂を目指して約5キロの山地機動を行った。午前6時30分頃全隊員が山頂に到着、山頂において連隊長は、「各人が一年の目標を確立して、実現すべく努力せよ」と要望するとともに、「『新生49普連』の新たな歴史を全隊員一丸となって作っていこう」と隊員を鼓舞した。その後、各中隊長が27年の決意表明を行い、全隊員で連隊歌を斉唱、新生49普連は平成27年のスタートを切った。

「地域から信頼され愛される駐屯地を目指して」
~平成27年福知山駐屯地訓練始め~
〈福知山駐屯地〉
 福知山駐屯地(司令・井川賢一1陸佐)は、1月5日、駐屯地隊員の士気の高揚及び団結の強化を図るとともに、地域から信頼される駐屯地を目指して、駐屯地訓練始めを行い、平成27年のスタートを切った。
 午前8時15分、駐屯地営庭での年始朝礼において、駐屯地司令は訓示として、「有事の際、我々の家族を見ていただけるのは、地域の人たちである。引き続き地域から信頼され愛される駐屯地を目指していく。そのために各人は、確実に役割を果たすこと。お互いに戦友愛を貫くこと」の2点を要望した。
 その後、人文字で「H27ー羊 信頼」を描き、記念撮影を実施した。
 また、ここ数年、駐屯地内において、訓練始めを実施していたが、一昨年、去年と相次ぐ水害被害を受けた市民の方々に、元気な隊員の活動を見てもらい、安心してもらおうとの思いを込め、福知山市内を徒歩行進した。
  福知山駐屯地は、これからも「健全・真心・情愛」をスローガンに地域から信頼される愛される駐屯地を目指す。

雪月花
 江戸八百八町八百八坂。江戸には数えきれないほどの坂があるということらしいが確かに東京は坂の町だ。江戸には小さな峠がいっぱいあったので宿命上坂は二つできる。自転車で回っていても楽あれば苦あり行きは良いよい帰りは、を実感する。だが実際に歩いてみると往時を偲ばせる名前や風景が残っているのが無性に嬉しい。文京区には鐙坂、馬の鞍にさげる鐙(あぶみ)を作る職人が住んでいたのだろう。かなしい坂は府中市にあり処刑される直前の役人がつぶやいたとか。西馬込にはおいはぎ坂、蔵前通りには新妻恋坂。坂道研究家の山野勝さんの「江戸の坂」やタモリさんの「坂道美学入門」などに楽しく紹介されている。防衛省の周辺も坂道だらけ。今でこそ庁舎の並ぶ敷地まではエスカレーターで楽をできるが、防衛省が移転して来る前は本当の丘に登る感覚だった。今でも防衛省の東側にある左内坂はよっぽどでもないかぎり歩かないことにしている、坂下から見上げた途端引き返したくなる。江戸でも屈指の急坂だったのではないかと想像する。しかし防衛省正門前には綺麗な名前の比丘尼坂がある。ここには尾張藩の抱え屋敷があり、比丘尼と呼ばれる剃髪した美女が住んでいたことが由来だ。この辺には歴史や小説、文豪を想起する坂道がいっぱい残っている、小さな坂道の探検ができそうだ。
 秋の空こんな坂にも名前あり ビリー

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