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自衛隊ニュース   884号 (2014年6月1日発行)
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「オスプレイ」導入決議提出
小笠原が急患輸送に
 5月16日、東京都小笠原村の佐々木幸美・村議会議長や議員ら9人が小野寺五典防衛大臣と会談し「防衛省がティルト・ローター機を早期導入し小笠原の安心・安全のために運用することを求める決議書」を提出し。
 小笠原村には航空路がないため現在、急患搬送を海上自衛隊の救難ヘリと救難飛行挺が行っているが、航続距離・速度・輸送力に優るオスプレイタイプのティルト・ローター機を使用すれば格段に時間短縮が可能となる。このため同機を防衛省が早期導入し、小笠原での災害時や急患者発生時などに活用することを求める決議が3月26日の小笠原村議会で採択された。
 決議書を受け取った小野寺大臣は「できれば来年度予算にティルト・ローター機に関する予算要求をしたい。同機は皆様が求める機能は十分有している」、「導入後は、本土から最も離れた離島(小笠原村)で試験飛行を行いたい」などと回答した。
急患輸送800回達成
 海上自衛隊第31航空群(群司令・眞木信政海将補=岩国)隷下の第71航空隊(隊司令・立石和孝2海佐=厚木)は小笠原諸島への急患輸送を担当している。昨年12月10日の急患輸送で実績が800回に達したことから、4月10日に東京都と小笠原村から第31航空群へ感謝状と記念品が贈呈された。

小野寺大臣講演
防衛懇話会
 5月19日、東京・丸の内の日本工業倶楽部会館で防衛懇話会(今井敬会長)第49回定時会員総会が開催され、小野寺五典防衛大臣が『我が国の安全保障政策』と題して講演を行った。現職の防衛大臣が同会で講演するのは7年ぶり。
 小野寺大臣は講演の中で、大臣に就任以来の1年半を振り返り、国家安全保障会議(NSC)・国家安全保障戦略・25大綱・26中期防、2014年末をめどに見直しが進められている日米防衛協力のための指針(ガイドライン)などの諸課題を挙げ、「厳しさを増す我が国の安全保障環境を受け、ここ最近は様々な日本の安全保障についての制度がかなり変わっている節目の時期」、「今年は日本の安全保障にとって重要な年」と強調した。

遠航部隊が晴海から出国
海上自衛隊
26年度は太平洋周回航路
 5月22日、東京・晴海ふ頭で平成26年度遠洋練習航海部隊(指揮官・湯浅秀樹海将補)の出国行事が行われた。行事開始前には練習艦「かしま」(艦長・森田哲哉1海佐)、練習艦「せとゆき」(艦長・東良子2海佐)、護衛艦「あさぎり」(艦長・川内健治2海佐)の前で見送りの家族や友人と名残惜しいひと時を過ごす実習幹部(約170人)や乗員の姿が多数見られた。
 見送る家族の中には「10月24日に成長した姿で戻るのが楽しみ」と笑顔の母や「江田島は幼い頃の憧れ」と微笑む祖父、さらに「孫へ"国を背に たのみて立てる若者の 凛々しき姿 たのもしくあり"という短歌を贈ったのよ」と目を細める祖母もいた。
 練習艦隊は、これから約57000kmの太平洋航路をハワイ・北中米・タヒチ・豪州・東南アジアなど13カ国15港に寄港しながら156日間で巡る。航海中、実習幹部に初級幹部としての素養を身に付けさせるとともに、各国海軍等への親善訪問の役割を担う。キューバ(初寄港)は友好400周年、カリブ海のトリニダート・トバゴとジャマイカ(初寄港)は国交樹立50周年に当たる。
 出国行事では河野克俊海上幕僚長が「多国間の連携・協力が一層強く求められる国際環境の中で、様々な国とのNAVY TO NAVYのネットワークを構築することは特に重要」と壮行の辞を述べ、若宮健嗣防衛大臣政務官、石原宏高外務大臣政務官からも期待の言葉が贈られた。
 3月21日に江田島を出発し全国を寄港しながら近海練習航海を行った練習艦隊。「日本の良さを改めて知り、各地で皆さんの期待も感じた」(実習幹部・富城皓星3海尉)と役割の重さも自覚している。自衛艦旗を掲げた3隻は初夏の眩しい太陽に照らされ、日本代表の誇りを胸にした実習幹部を乗せて太平洋に向かい旅立った。

日米の連携強化
陸の幹部懇談
 4月24日、市ヶ谷駐屯地で、陸上幕僚長・岩田清文陸将と米陸軍第1軍団長・ランザ中将が懇談を行った。
 懇談では、オバマ米大統領の訪日を契機とし、陸軍種レベルにおいてもこれまで以上に、あらゆる機会を捉えて日米共同を実現させ、その成功に寄与できるよう努力することで一致した。
 特に、日米共同方面隊指揮所演習(YS)をはじめとする各種訓練において、日米相互が今後更なる連携強化を図ってゆく認識を共有した。
 ランザ中将は、4月22〜25日まで日本に滞在し、在日米陸軍司令部、東部方面総監部等を訪問。東方総監部では東部方面総監・磯部晃一陸将の表敬を受け、概況説明があったほか、YS—67関連の施設を確認した。

南スーダンへ派遣
施設隊6次要員
美幌駐屯地
 南スーダン派遣施設隊第6次要員の壮行行事が、5月17日美幌駐屯地(司令・野村昌二1陸佐)で行われた。同日午後10時から駐屯地体育館で隊区内2市8町の首長、協力諸団体の代表者、派遣要員の家族を招いて、壮行会が行われ、駐屯地隊員が整列する中、約120人の派遣隊員は、美幌駐屯部隊充実整備期成会から贈呈された黄色いカーネーションを左肩に付けて入場した。
 第6普通科連隊第3科長(上本勝彦3陸佐)は派遣施設隊長・美幌駐屯地司令に出国の報告をし、その後壇上で派遣隊員の紹介が行われた。
 野村司令は「我々自衛隊はPK0派遣以来、国連及び派遣各国から高い評価を受けている。先輩達の栄光に恥じることなく、厳正な規律、併せて派遣各国の地元に寄り添う思いやりの心をもって励んでもらいたい。そして健康に留意して務めてもらいたい」とはなむけの言葉を述べた。
 美幌地方自衛隊協力会会長(土谷耕治美幌町長)は派遣における留守家族の支援は隊区内全体で支援する。後顧の憂いなく任務の遂行にあたって下さい」と激励した。
 美幌自衛隊協力会からメダル、美幌駐屯部隊充実整備期成会からお守りと千羽鶴を、任務完遂祈願として贈呈された。
 派遣要員を代表して上本3陸佐は「これまでの訓練を生かし、日本の代表、美幌駐屯地の代表として任務に邁進し、美幌に残る隊員、家族、地域の支えを胸に刻み任務を完遂してきます」と述べた。
 5月20日には、第5旅団が主催する南スーダン派遣施設隊第6次要員、約400人の壮行行事が帯広駐屯地で行われた。第6次要員の先発隊は、23日に出国、そのあと6月4日、18日に主力1波、主力2波が現地へ向けて出発する。

潜水艇殉難者慰霊
第31航空群
 第31航空群(群司令・眞木信政海将補)は4月14日、第6潜水艇殉難者遺徳奉賛会が主催する第6潜水艇殉難者慰霊祭に協力した。
 同慰霊祭は、明治43年(1910年)4月15日午前10時頃、岩国港沖を半潜航訓練中に不慮の事故により沈没した第6潜航艇内で、佐久間艇長以下14人が停電し有毒ガスが発生する艇内で沈着冷静に行動、事故原因を記録に残す等総員が最後まで任務を全うし殉難したことを称えて開催されている。
 慰霊祭は事故海域を臨む岩国市装束町の高台にある殉難者記念碑前で実施され、岸信夫外務副大臣や福田良彦岩国市長等来賓をはじめ、奉賛会会員、第31航空群司令、呉地方総監及び第1潜水隊群司令各代理、呉音楽隊、岩国航空基地隊員等約200人が参列し、儀仗隊の敬礼、黙祷、慰霊の辞、呉音楽隊による慰霊演奏を実施した。
 眞木司令は「英霊が示された崇高な精神を永遠に受け継ぐとともに、我が国の平和と独立を守り、国際社会の安定に貢献できるよう日々の任務に当たる」と誓った。

雪月花

 『鯨一頭七浦賑わう」。本紙の鯨取りの読み物にこんな言葉があった。30数年前に訪れた和歌山県の太地町は鯨の町として活気があった、七浦どころか全県下が賑わっていた。熊野灘に面した太地港に数百頭の鯨・イルカを追い込んでいた、需要に応じてそこから鯨を出荷していたのだ。それから間もなく商業捕鯨の賛否を問う国際捕鯨委員会(IWC)が開かれ多数派工作は熾烈を極めた。賛成側の日本はインド洋に浮かぶセーシェルと言う小さな国の票にも手を伸ばした、筆者も資料造りの手伝いをさせられたことだった。それまでは捕鯨オリンピックと言われるようにマスコミも国威発揚よろしく囃し立てていた。結局1982年、商業捕鯨は禁止となり日本は調査捕鯨に限定された。しかしその調査捕鯨も国際世論に圧倒された形で国際司法裁判所から去る3月に中止命令が出された。関係者が落胆するのは当然だが、今回の判決は南極海の捕鯨に対するもので他の海域の鯨には及ばない。今すぐに鯨が日本の食卓から消えることにはならないが正直寂しく残念な気持ちになる、戦後の蛋白源として多くの人が親しんだことを憶えているのだ。禁止の旗振りをするオーストラリアではカンガルーを毎年なん十万頭も殺戮することは棚において鯨を食べることだけが残酷だと言うのかと反論しているが…。肉から骨、皮、髭まで全部有効活用する日本、捨てるところは何もない鯨のありがたみを一番知っている国民だ。


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