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自衛隊ニュース   2012年10月1日号
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米国市民に陸自音楽隊アピール
米陸軍士官学校の軍楽隊と合同訓練
中音
伝統の「ウェストポイント・コンサート」で合奏

 陸自中央音楽隊の隊長・武田晃1佐と隊員4名(谷口邦博准尉、野口雄二曹長、馬渡英一2曹、久慈明広3曹)は8月20〜28日の間、研修のため訪米した。世界最高峰の軍楽隊、ニューヨーク州ウェストポイントにある米陸軍士官学校軍楽隊と合同で訓練。またハドソン川を眺める景勝の地"米国で一番美しい音楽会場"で行われる伝統の『ウェストポイント・コンサート』で合奏を行うなど2度の演奏会を合同で実施、合わせて約4500人の聴衆を魅了した。

 平成21年から今回で4度目となる米国研修。武田隊長はそのすべてに参加。今回の研修では、米側の隊長ジム・キーン中佐と武田隊長が交互に指揮を執り合奏訓練を行った。「(米隊員は)指示に対する反応が素晴らしい。理解が早く、演奏への反映が的確。競争が激しいため、学ぶ姿勢が違う。本当の軍楽隊らしさ、メンタル面での厳しさ、高い使命感に触れることができた」(武田隊長)。
 また歌舞伎の音楽をベースにした吹奏楽曲『写楽』などの指導を通じ「米国人と日本人のリズム感、旋律感の違いを知ることができた」(同)という。
 米陸軍軍楽隊で最古、1817年創立の米陸軍士官学校軍楽隊は総員約100名。97%が音大卒、58%が大学院マスター以上を取得している。レコード会社と契約している隊員や大学で教鞭を執る隊員、国際音楽学会で講師を務めた隊員もおり、レコーディング・エンジニアはグラミー賞を受賞している。
 『ウェストポイント・コンサート』では、オープニング曲、アンコール曲を含め全曲の半数を武田隊長が指揮した。
 「米側が非常に気配りしてくれた。アンコールの『星条旗よ永遠なれ』は米国の"第2の国歌"。それを(他国の指揮者に)任せるなど通常ありえない」(同)。
 同士官学校軍楽隊はコンサートバンド、ジャズバンド、主に校内行事で演奏を行うフィールド・ミュージック・グループ「ヘル・キャッツ」の3つが、掛け持ちをしない独立のユニットとして活動。必要に応じてコンボバンドなどをユニットの垣根を越えて編成する。今回はヘル・キャッツとの合同訓練も行った。ちなみに同軍楽隊員は音楽活動だけでなく年に1度、7月の3週間、士官学校学生に対し訓練支援を行う。下級生に教える立場の上級生たちに「訓練における指導法」を教授するのだという。
 今回の米国研修について中音は「優秀な奏者と一緒に演奏することにより、優れた演奏法を吸収でき、また大勢の米国市民に対して陸上自衛隊音楽隊をアピールできた」としている。


空自千歳基地が社会人野球全国大会へ
「とうとう、やったぜ!」
全自衛隊で初めての出場

 空自千歳基地(司令・金古真一空将補)の野球部「航空自衛隊千歳」は8月31日から3日間、札幌円山球場で行われた第38回「社会人野球日本選手権北海道予選大会」に出場し、昭和56年の創設以来、初となる全国大会の切符を手に入れた。
 同野球部は創部から31年、最近では決勝に進むことも多くなってきたが、いつもあと一歩のところで優勝を逃し、悔しい思いをしてきた。「今年こそ」と臨んだ都市対抗野球決勝戦では、JR北海道の胴上げを見せられ悔し涙を流した。
 それから2ヵ月、悔しさを糧に練習に励んだ選手達は大会2日目、室蘭シャークス戦での勝利から勝ち星を積み、大会規定により行われた代表決定戦では、再び室蘭シャークスとの試合となった。連勝で勢いにのっていた野球部は、コツコツと点を取り、最終的には大きく差をつけ7対2で初優勝を果たした。創部以来の念願だった全国大会への道を開き、全自衛隊で初の本大会出場チームとなった。千歳市の市章をユニホームの腕につけ闘っている野球部は、その後、千歳市役所を訪れ山口幸太郎千歳市長に対し優勝の報告を行った。
 なお全国大会は11月3日から大阪市にある「京セラドーム大阪」で、全国各地の予選を勝ち抜いた19チーム、都市対抗野球大会及び全日本クラブ野球選手権大会優勝の各1チームなど計32チームが出場し行われる。


雪月花

 FM愛知で人気のディスクジョッキーの内田あやさんは名古屋を中心に演奏活動を行いライブなども頻繁に行っている、先般の24時間テレビにも出演した。地元で人気が急上昇している。筆者も習志野駐屯地で初めて聞いたが透きとおった声量とパフォーマンスはまさしくプロのそれである。内田さんは自衛隊の慰問活動には特に熱心で2010年の地震で破壊された中米ハイチで復興に活躍する自衛隊には3回も慰問に行った、もちろん費用は全部自分で賄う。1回行くたびにかなりのものが必要だが「現地の隊員さんを見ていたら自分でも何かしなければと思う、それが自分のステージや歌で喜んでもらえるのなら…。」2011年にはじめて行った時に感じたのは自衛隊の覇気だった、蒸し返る熱気の下で屈託もなく動き回る隊員、まずこれに驚かされた。自分をすててのひたむきさには涙が止まらなかったと言う。ハイチから原隊に帰った隊員さんたちとは今でも連絡を取り合っている。10月14日の遠軽駐屯地の創立記念日にはハイチ第6次隊のみなさんに会いに行くことになっている。そして11月には守山の10師団から派遣されている7次隊への慰問で4回目のハイチ行きを予定している。隊員さんに負けない元気と誠意で自分も成長したいと言う内田さん、歌の聴けるブログも楽しい。


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