防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
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自衛隊ニュース   2011年11月1日号
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ハイチ5次要員 敷地造成・道路改善など
復興支援活動に従事

 ハイチ派遣国際救援隊第5次要員(隊長・橋本功一1陸佐)は、ハイチ共和国での復興支援活動を開始して約1カ月が経過し、MINUSTAH(国連ハイチ安定化ミッション)司令部からの要請に基づき、様々な復興支援活動を実施している。最近では、WFP(世界食糧計画)敷地造成作業、首都ポルトープランス市内の道路改善作業(Friendly Hands Operation)などを実施した。

WFP敷地造成作業 8月1日〜9月21日

 WFPの貯蔵能力向上のため、倉庫建設準備場所の敷地造成作業を第4次要員から引き継いで、第5次要員で完成させ、引き渡しを行った。
 現場指揮官の渕竜一2陸尉は、「移動経路や現場にでは、子供達が笑顔で手を振ってくれたり、現地住民が笑顔で挨拶を交わしてくれたり、感謝の言葉を聞くことができます。また、『東日本の震災は大丈夫なのか?』と心配の声さえ聞くことができます。出国前に参加した東日本大震災の災害派遣時、被災地の方々から『頑張ってください』という温かい言葉をかけて頂いたことを、日々の活動の中で思い出しています」と活動間の感想を語っている。
 引き渡しを終え、その仕上がりを見たWFPの担当者から、固い握手とともに感謝の言葉があったという。また、作業間は、ヨルダン軍による警備支援を受けつつ、任務を実施した。MINUSTAH参加各国とは、警備支援を受けているほか、作業支援などで共同作業を実施しており、お互いに連携して任務を遂行している。

ポルトープランス市内道路改善作業 9月19日〜23日

 この任務は、交通量が多いポルトープランス市内の幹線道にもかかわらず、土砂が道路脇の歩道を閉塞しているため、土砂を除去・運搬して市民のスムーズな交通促進を図るもので「Friendly Hands Operation」と名付けられ実施された。
 日本隊は、早朝から活動を開始するハイチの住民及び現場の交通事情を考慮して朝5時から行動開始。現場に赴きバケットローダー、油圧ショベル、ダンプトラックを使用して約450立法メートル繧フ土砂を除去した。
 作業間には、地元ラジオ局が「日本隊がハイチのために頑張ってくれている」「空港前の道路を綺麗にしてくれて感謝している」など、感謝の放送があり、また、スムーズに通行ができるようになった市民から「Good job!」やクレオール語で「Mesi!(ありがとう!)」と声が掛かり、任務に従事した隊員は、やりがいと充実感を覚えるとともに、次の任務に向けて力をもらっていた。
 現地の隊員は、「各種任務を通じて、我々日本隊の丁寧な作業は、ハイチ国民の皆さんから良い評価を頂いていると実感しています。依然としてハイチ国内には、倒壊した建物が残っており、その解体工事の要請もあります。こうした中、施設解体や瓦礫の除去といった復興支援において、『日本人らしく・自衛官らしく』、『相互に信頼し、助け合い、感謝して』『健康に留意し、安全確実に行動する』ことを合言葉に、ハイチの人々の目線に立った丁寧な仕事に心がけています。時に、摂氏40度を超える酷暑の中、ハイチの皆さんの早期の生活の回復を願って、今後も汗を流し、声を出し、知恵を絞って復興支援に当たっていきます」と感想を寄せている。


国緊隊準備訓練を支援
国際活動教育隊

 国際活動教育隊11名は、9月25日から29日まで、第12旅団(相馬原)及び東部方面航空隊(立川)において、国際緊急援助隊準備訓練を支援した。
 この訓練は、第12旅団基幹の部隊が、国際緊急援助隊の派遣態勢を確立することを目的として実施された。訓練においては、医療又は航空援助隊単独派遣を想定した指揮所訓練を実施し、迅速な派遣準備に対応できるよう演練した。
 国際活動教育隊は、本訓練の計画策定から訓練後の研究会に至るまで、総合的な支援を実施した。特に、過去の派遣教訓について助言するとともに、時間に余裕がない中で派遣準備をするための方策等を教育するなど、訓練部隊に対してきめ細やかな支援を実施した。このように国際活動教育隊は、国際平和協力活動等の待機部隊に対して密接な訓練支援を実施し、その任務達成に大きく寄与している。


方面総監訓練検閲
西方航空隊
 西部方面航空隊(隊長・田尻祐介1陸佐)は、9月4日〜9日の間、平成23年度の方面総監訓練検閲を受閲した。
 西部方面航空隊は、北は対馬から南は大東諸島、西は先島諸島までの広大な地域を担任する陸自最大の方面航空隊であり、また最新鋭戦闘ヘリコプターAH—64D(通称アパッチ)を全国で唯一部隊配備している。
 今年度の訓練検閲は、離島侵攻対処の場を捉え、佐多射場に仮設したレーダーと対空火器をAH—1S1コ小隊をもって洋上から攻撃するヘリ火力戦闘や、熊本空港(高遊原)から沖縄(那覇基地)へ普通科部隊を空輸する長距離洋上空中機動など西方独特の任務もあり、極めて実戦的なものとなった。
 なお、アパッチも沖縄に初上陸を果たした。

自衛隊サポーターズ
「写真でお手伝い出来たら」 戸田潤一さん
艦艇の写真を撮り続け20年

 広島県広島市在住の戸田潤一さんはアマチュア写真家。艦艇の写真を中心に自衛隊の写真を撮るようになって20年近くが経つ。メインの撮影対象は呉に入出港する艦艇だ。長年撮影するうちに、どんな艦艇をいつどこで撮影出来るか、おおよそ把握できるようになったという。撮影した写真を好意で部隊などに寄贈しているうち戸田さんはいつしか、地本や隊員から「戸田さんにしか撮れない視点の写真を」と撮影を依頼されるようになった。

 —自衛隊の艦艇撮影を始めたきっかけは。
 戸田 20代半ばから風景写真を撮り始め、丁度その頃に海自呉基地で日曜日に一般公開が始まりました。見るもの聞くもの全てが興味深く、毎週のように呉に通っていました。そこで、艦艇写真家の大家であった大崎剛氏(故人)との出会いもあり以後艦艇を中心に自衛隊関係の写真を撮り歩くようになりました。一般公開以外の日も周辺の丘など、外部から艦艇を撮影できるスポットを自分で地道に探したりもしました。以前、イカロス出版から『日本の港 艦艇ウォッチングガイド(上船修二 著)』という、艦艇の撮影スポットを紹介した本が出版された際には、一部お手伝いさせていただきました。元々、風景写真からカメラ撮影を始めたこともあり、景色の中に艦艇を収めたカットを撮ることが好きなのです。そうして撮影した写真をお渡しするなどしているうちに、自然と広報担当者をはじめ自衛隊の皆さんと親しくなりました。広報イベントや行事の時に撮らせていただいた写真を、部隊からの希望があれば自由使用可で無償提供しています。部内の写真員は艦艇に密着していますから、近くからでは撮れない外部からの視点の写真を意識して撮っています。また、隊員の方から外部からの写真を具体的にリクエストされることもあり、楽しんで撮らせていただいています。  
 —思い出に残っている出来事、印象に残っている写真などを教えて下さい。
 戸田 ある艦の除籍記念のアルバムにそれまで差し上げた写真が全て収蔵されていたということが一番思い出深いです。「艦の記録と思い出として大事にしてもらっていたんだなあ」と、とても感動しました。
 また、広島地本の募集看板に撮影した写真を使っていただけた事も嬉しかったですね。多くの皆さんの目に触れる大事な場所に使っていただいて、カメラマンとして、とてもありがたいと思いました。
 —最後にメッセージをお願いします。
 戸田 写真を通して自衛隊に興味に興味を持っていただける方が1人でも増えれば、これほど嬉しいことはありません。今後ともいろいろな面で、手伝いをさせていただけたらと考えています。


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