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自衛隊ニュース   2011年8月1日号
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ソマリア沖・アデン湾海賊対処
第9次隊が出発
大村

 第22航空群(群司令・渡邊剛次郎海将補)は6月15日、海賊対処法に基づくソマリア沖・アデン湾での護衛任務に向かう第9次隊の第4護衛隊所属、護衛艦「さみだれ」へ派遣する第22航空隊(大村)「SH-60K」哨戒ヘリコプター2機、搭乗員8名(派遣隊長・第221飛行隊=坂口健治3海佐)の派遣壮行会及び見送りを行った。
 午後1時15分から大村航空基地第1格納庫内で実施した壮行会には、派遣隊員家族、地元防衛協会関係者等の来賓、隊員等を含む約500名が派遣隊員を見送った。
 出発に先立つ壮行会で、派遣隊長が、第22航空群司令に対し力強く出発報告を行い、群司令が「酷暑の中、多くの苦労もある事と思うが、我々の誇りと国益を担って頑張ってほしい」と訓示した。
 派遣隊員は「SH-60K」2機に搭乗し、家族、来賓、隊員に見送られ、午後1時45分大村航空基地を離陸、広島県呉沖で待つ護衛艦「さみだれ」へ元気に出発した。
 第22航空群は、初回時の「さざなみ及びさみだれ」への搭載派遣から今回(9次隊)を含め、大村基地から6回目の派遣となる。
 現在も22空群は8次隊に搭乗員8名、整備支援員6名及び「SH-60K」哨戒ヘリ2機を派遣中であり、基地隊員は留守家族と共に、「派遣隊員の活躍と無事の帰国」を願い、今後も一丸となって後方支援するとしている。

21空群も出発
 第21航空群(群司令・山本敏弘海将補)では6月16日、ソマリア沖・アデン湾における海賊対処活動への派遣のため派遣護衛艦(第4護衛隊群第4護衛隊「うみぎり」)に臨時乗組する第21航空隊搭乗員(派遣隊長・鍛屋直宏3海佐以下8名、SH-60K哨戒ヘリコプター1機)の出発壮行会を行った。
 壮行会には、金丸館山市長をはじめ、秋山県議、福岡館山市議会議長ら市議13名、来賓約54名及び派遣隊員家族が参加、基地の隊員総員が整列する中、鍛屋派遣隊長が力強く任務完遂を誓う出発報告を行い、山本群司令は、「東北地方を中心に未曾有の被害をもたらした東日本大震災において、本日出国する諸君らも被災地で実際に任務に従事したが、我々の立ち向かう脅威が自然災害だけに限定されるものではない以上、全てのニーズに応じることが使命である。海賊対処活動については、ソマリア沖アデン湾という暑く厳しい環境下、長期間に渡り実施しなければならない任務であり、我々海上自衛隊の能力を持ってしか完遂できないものである。現地では、世界十数カ国の海軍と協同で任務にあたることから、諸君らは日本の代表とし、我が国の国際社会における責任を果たすことになる。これらのことをよく認識し、鍛屋派遣隊長を中心とし、これまでに培ってきた実力を十分に発揮し、無事任務を完遂することを期待する」と訓示した。また、引き続き館山市長が、「大いなる使命感をもった任務遂行を期待します」と激励した。
 その後、派遣隊員8名は、盛大な見送りの中、護衛艦うみぎりに向け、館山航空基地を離陸していった。


野営訓練を実施
国分駐屯地

 第113教育大隊(大隊長・三浦2佐)は、第4期一般曹候補生に対し、福山演習場での野営訓練を実施した。
 訓練内容は、昼間夜間の歩哨及び露営。歩哨では歩哨の任務の重大さを自覚させるとともに、昼夜間における外哨内歩哨の基礎的事項を修得させた。慣れない自衛隊用語に苦戦しつつも敵情の監視、報告及び対敵行動について一人一人が真剣に取り組んでいた。また、露営では、宿営用天幕の構成、宿営地の警戒及び飯ごう炊飯等を行った。候補生たちは炊きあがった飯ごうのご飯をしっかり噛みしめて食べていた。
 訓練最終日には昼間における歩哨の練度判定を実施し、野営訓練を無事終了した。


自衛隊サポーターズ
「登下校の学生にアピール」永田喜代志さん
私有車を広報車にしてPR

 永田喜代志さん(74)は沖縄県名護市在住。父兄会北部支部事務局長で、地区の募集相談員を務める。私有車に拡声器を取り付け高校生の登下校に合わせた広報活動を10年以上続けている。歴史的な背景もあり、活動を始めた当初は自衛隊に対し良い感情を持っていない一部市民もいたが、近年では「自衛隊に対する好感や関心が急激に高まっているのを肌で感じる」(永田)という。

 —ご子息が自衛官でいらっしゃいますね。
 永田 私は若い頃に愛知県で働いていたのですが、同僚に元自衛官の方が沢山いる職場でした。「自分も自衛官に!」と強く志望した時期もありました。しかし、年齢を理由に諦めざるを得ませんでした。息子は米軍のグッズを集めたり、幼い頃からそうした嗜好のある子でしたが、駅伝選手の息子を応援しに足を運んだ陸上競技場のスタンドで高校生をスカウトされていた広報官と出逢ったのが直接のきっかけです。昭和61年の夏でした。広報官からお話しを伺い、息子に自衛官になるよう薦めました。翌年海上自衛隊へ入隊して、もう四半世紀になります。

 —平成10年からは地区の募集相談員に。
 永田 息子の存在も含め、父兄会を通じ自衛隊の活動や現職の隊員と接するうち、「地域の子ども達が自衛官として活躍して欲しい」と強く思うようになりました。息子は運よく素晴らしい出逢いがありましたが私のように自衛隊を知らずに大人になる若者が多いことが勿体ないと感じていました。
 相談員になってから、私有車に募集看板を取り付け、近所の4つの高校の登下校に合わせ拡声器を使った広報を始めました。「妨害や嫌がらせなどがあるかも」と不安でしたが案ずるより産むが易しで、懸念したほどではありませんでした。それでも当時は、「名護ファミリーコンサート」の会場に数十人で集まり「自衛隊反対」のシュプレヒコールを上げる団体もいました。その後、国内外の災害派遣やPKO活動など、また、周辺諸国との緊張の高まりで安全保障について関心が高まっているせいでしょうか、近年では目に見える否定的な活動は殆ど無くなりましたし、コンサートをはじめ駐屯地・基地の一般開放など各種イベントに足を運ぶ市民が年々増えています。

 —最後に今後の抱負をお願いします。
 永田 先の東日本大震災以降、「自衛隊は素晴らしい。自衛隊がいないとやはり駄目だね」という声をたくさん耳にします。広報車を運転していると、高校生本人や親御さん、教師の方から相談を何10件と受けます。今後も募集相談員として募集事務所、父兄会、隊友会、防衛協力会との連携を密に行い、積極的な活動を続けていきたいです。


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