防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
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自衛隊ニュース   2011年6月15日号
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寄せ書き
空からの贈り物
第32普通科連隊(大宮)広報班
 東日本大震災における災害派遣の真っ只中の5月6日、大宮駐屯地に空から心温まるプレゼントが舞い降りてきました。それは、東京都青梅市の保育園児が同市の老人ホームの方々と、母の日の行事として風船に付け飛ばした「ほうせんか」の種でした。風船は青梅市から南東の風に乗り大宮駐屯地(さいたま市北区日進町)まで約30キロもの距離を園児の想いを乗せ飛んできました。袋には可愛い字で名前と連絡先が書いてあり、自衛隊に届いたことを伝えると、とても喜んだ様子で、「じえいたいのみなさんを、てれびでいつもみています。おしごとがんばってください」と励まされ、勇気づけられました。
 後日、広報班員で、ほうせんかの花言葉「快活」(元気で生き生きとしている様子)にもあるように、未曽有の国難に国民が一致団結して立ち向かい日本が快活していくことを願って駐屯地の花壇に種をまきました。
 広報班一同、花が咲く7月頃を楽しみにしています。
格闘練成を通じて
第8施設大隊(川内)3陸曹 緒方宏幸
 挌闘練成を始めて2年が経ちました。挌闘に関しては素人でしたが、新挌闘では、受け身や投げ技で、首や腰を痛める隊員が多く、練成前のストレッチから前転後転など、十分な準備運動を実施し怪我の予防にも心掛けました。練成が進むにつれ隊員の練度もやる気も向上し、第2課題の練成では隊員と一緒に汗を流し、時には力が入りすぎ身体にあざを作る事もありましたが、隊員一丸となり練成に取り組むことが出来ました。
 練度判定では、これまでの練成の成果を発揮し、全員合格という素晴らしい結果に終わることが出来ました。練成期間を振り返り、私の練度が未熟であり、隊員に上手く伝える事ができたのだろうかと反省する点は多々ありますが、教える事の難しさと喜びを知ることができ、私自身充実した練成期間を終えることができました。次回もこの経験を生かせるよう練度向上に努めていきたいと思います。
1年目を振り返って
第13旅団(海田市)陸士長 檜垣寿徳
 平成22年の4月に第3期一般曹候補生として入隊し、もうすぐ2年目を迎えようとしています。この1年を振り返ってみると常に周りの方々に支えられてきた1年でした。
 右も左も分からず、ただがむしゃらになった前期教育、夏の暑さにまけそうになった後期教育、日々の限られた時間や、きつい訓練にくじけそうになり、何度やめてしまいたいと思った事かわからない自分でしたが、無事に教育期間を終えることができました。
 ここまで頑張ってこれたのは自分一人だけの力だけではなく一緒に頑張ってきた同期や愛情をもって教育して下さった区隊長、助教の方々、いつも自分を信じて応援してくれた家族や友人、本当にたくさんの方に支えられたからこそやり遂げられたのだと思います。
 部隊に配属され訓練や作業に従事する現在も、先輩や上司からご指導を頂いています。これからは早く陸曹になり、一人前の自衛官を目指すと同時に自分も周りを支えられる人間になれるよう頑張っていきます。そしてこれから先、一つ一つの出会いを大切にしていきたいと思います。
演奏に夢心地、興奮の中部方面音楽まつり
光市 長尾 隆(山口地本投稿)
 2月12日、山口地方協力本部のご案内で兵庫県立芸術文化センターにおいて開催された創隊50周年記念陸上自衛隊中部方面隊音楽まつりの研修に参加する機会を与えていただいた。演奏は4幕で構成され、陸上自衛隊中部方面管内の各音楽隊の他、各駐屯地から太鼓部隊、さらには海上自衛隊呉音楽隊・航空自衛隊中部航空音楽隊をゲストに迎えての陸海空自衛隊のコラボレーション、強弱をつけた演奏は刺激的でとても素晴らしく、中でも山口維新太鼓の演技は県内意識もあり頼もしくもあった。約2時間の演奏も夢心地の内に終わりを告げ興奮冷めやらぬまま会場を後にした。
 音楽まつりを通して自衛隊活動の一部を見たに過ぎないが、私たちの見えざるところで様々なことが展開されていることに意を強くし、誇らしくも感じた。古来より、日本は「水と安全はタダ」との認識が強く、日常生活の中でも防衛問題が話題になることを避けてきたふしがあるように思えるのは私だけであろうか。日本周辺が騒がしい昨今こそ安全保障論議が進捗されるよう望みたい。今後、一人の市民として自衛隊への援助協力が一層深まるよう日々努めたいと考えている。最後に研修のお世話を頂きました山口地方協力本部の広報担当官及び研修参加の皆様に御礼を申し上げます。
江田島研修
第33普通科連隊(久居)2陸曹 那珂昌弘
 初めて江田島へ行き、海上自衛隊第1術科学校の門へ入った。陸上自衛隊とは何か雰囲気が違った。すごく歴史を感じた。広報官の方にいろんな説明等わかりやすく丁寧に話していただき、海上自衛隊の知らない世界を肌で感じることができた。建物一つ一つの説明を受けたが、本当に今まで感じたことのない威容と空気を感じた。先輩方が巣立っていった場所であり、偉大さがあった。
 この研修に参加する前、中隊長からお話しを聞いていたが、改めて、「私たちは先輩方に感謝の気持ちを持ち続けないといけない」と思った。特に教育参考資料館では、偉大なる方々の紹介と遺書が残されていた。すべてに目を通したかったが、要点だけしか読むことができなかった。そのため、すべてにおいて感想を述べることは出来ないが、その中で、遺書についてであるが、「この遺書をどんな気持ちでどういう思いで書かれたのかな」と考えながら読んでいった。「もしこれが私だったら」と思うと、こんな感じでは絶対に書けない。「凄い覚悟で、大切な家族を残し、強い愛国心を持って戦場に行かれたのだなあ」と私なりに感じながら遺書を読んだ。時折、涙が出るくらいの場面もあった。
 この研修では、今まで感じたことがないものを感じ取ることができて、とても収穫のある研修であったと思う。機会があれば、行ったことがない人を連れて行き、一人でも多くの人に感じて欲しいと思う。私自身も、次はゆっくりと見て回りたいと思った。
後輩の育成
第109教育大隊(大津)1陸曹 岡部隆宏
 四国で有名な讃岐うどんの職人はうどんをこしらえるとき、その日の気温、湿度等、過去の実績から作り上げていくそうだ。作り上げていく過程において何度も何度も揉んで、こねて、うどんが何を求めているのかを見極めながら、味がありコシのあるうどんを作り上げるのである。その過程は、同じ作業を何度も行い、経験を元に職人のカンで最後の工程を終了する。
 我々も陸上自衛隊において、うどん職人と同じことなのではないか。陸曹として後輩を育成する立場だが、育成という観点から子供を育てるということを例にとり、述べてみる。
 子供の目線に立って、という言葉があるが、それでは大人が腰を屈めて同じ目線になれば良いのか?ということになる。上から見下ろし押さえ込む又は威圧するという観点から考えると、腰を屈めて同じ目線になるということは決して間違いではない。更に、もう少し掘り下げて考えると、同じ目線、つまり同じ環境に自分を当てはめ、そこから良き方向付けをして導くのが子供に対する指導ではないかと考える。
 具体的には、子供に何かさせると、おそらく失敗するだろう。しかし、その失敗は多いほどその子供の経験や引き出しは増えていくのである。子供の失敗という経験を大人が阻害してはならない。同じ目線に立つということは、子供に失敗をさせ考えさせることを大人が導いてやるのだ。応用から覚えた子供と、基本基礎をしっかり覚え考える能力を持った子供では、その後の発展の違いは一目瞭然である。
 先に述べたうどんを例にするならば、うどん(隊員)をこしらえるときの温度・湿度(環境)、うどん(隊員)が何を求めているのかを考え、何度も揉んで、こねて(多くの失敗)その結果、味がありコシのあるうどん(真に役立つ隊員)が出来るのである。
 教育とは教えて育む、指導とは指して導くことをよく考え、陸曹は後輩の育成にあたるのだ。
久々の一般部隊
第304施設隊(出雲)2陸曹 霞田賢一
 私は平成23年3月の定期異動で島根地方協力本部から第304施設隊に配置になりました。
 島根地方協力本部での勤務間については、主に、庶務業務に本部長の操舵手として勤務していました。
 島根地方協力本部での勤務間は、迷彩服で勤務する事はなく、迷彩服を着る事がなかったので、異動が決まり、久々に迷彩服を着ると、とてもぎこちなく感じました。
 そして、久々に履く半長靴も硬く、歩くのもぎこちなく、まるで自衛隊に入隊した時のように感じました。
 一般部隊を離れていた期間が長く、訓練等についていけるのか、今は不安もありますが、無理をせず自分のペースで少しずつ、部隊に慣れ、そして迷彩服、半長靴にも慣れ、一日も早く部隊の戦力になれるよう頑張りたいと思います。
新しい家族
第6戦車大隊(大和)陸曹長 千葉正広
 去年の2月、子供達にせがまれ、犬(柴犬)を飼う事になりました。名前はチョコ、赤毛で目がくりっとした優しそうな顔立ちの犬です。しかし性格はとにかくやんちゃ、服は破かれ庭は穴だらけ、オマケに脱走常習犯、えらい者を飼ってしまったなと後悔しました。
 当然、子供達の手に負える訳もなく、その世話は私にまわってきました。そうなるだろうと覚悟はしていたので、ただ散歩と餌を与えるだけでは芸がないと思い、あらかじめ本で勉強をしていました。まず上下関係をはっきりとさせる為、毅然とした態度で接するように心掛け、悪い事は叱りつけ、褒める時は体全体を撫でまわしスキンシップを図りました。
 その甲斐あって、少しずつ心を許してくれるようになり、今ではお座り、お手、待て(驚く事では無いが)をマスター。子供の成長を見ているようで、本当に嬉しくなりました。
 今では末っ子のように家族の一員として可愛がっています。

「頑張っています」新しい職場
活躍するOB シリーズ
エスピトーム(株) 奥野芳夫
「火中に飛び込め」の一言で
奥野氏(平成22年9月、第22警戒隊を1空佐で退職。55歳

 先般発生しました東日本大震災により被害を受けられた皆様に、謹んでお見舞い申し上げます。また、復興支援活動等に従事されている現役の皆様に心よりエールを送ります。私は昨年9月、空自御前崎分屯基地司令職を最後に退官、現在の警備会社に勤務しています。入社に際し、期待や不安もありましたが後押ししたのは妻から"自衛官なら火中に飛び込め!"の一言でした。至って単純な動機です。
 支社長要員として採用された後、想像していた座学はほとんどなく、約4ヵ月間現場、現場、また現場の連続。その雰囲気は"習うより慣れろ"が基本でした。研修中は私有車に寝袋を積んで移動、各支社、営業所、車中に寝泊り、早朝、昼間、夜間、深夜を問わず、寒く雨降る辛い現場勤務の連続でした。
 ある時、この現場で私よりも年上の女性警備員が"給料安いけどここしか働くとこないからさ!寒いから新人は先に休んで!"と言って深夜に黙々と働く姿に心打たれ、何も知らなかった自分が恥ずかしく無力感が込み上げてきたことを今でも鮮明に覚えています。"何かを変えなければいけない!"これが全ての原点となりました。
 12月の或る日、"1月に衛生管理者試験を受け、資格を取得せよ"との命を受け、年末年始もなく今までとは全く方向性の異なる分野の受験勉強に臨み、受験日前日の新年会参加のリスクもなんとか乗り越え、無事、同資格を取得し浜松支社長に着任しました。着任後は時間外労働時間関連で労働基準監督署に頭を下げ、監督官庁の警察署に頭を下げ、お客様契約先に頭を下げ、そして入札で落札できず社長にも頭を下げる日が続きました。支社長とは"稲穂も実れば頭を下げる""頭は下げても視線は遥か先をしかと見据えイメージしている"ものだと実感しました。再就職に臨んでは"給料は自分で稼ぐ"という強い信念のもと、再就職先企業において、果敢に人生を賭けてみるのも案外、スリリングで緊張感があります。


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