防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
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自衛隊ニュース   2011年6月1日号
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被災地はいま・・・

 5月19日から5日間、岩手・宮城・福島の被災現場に行ってきた。
 テレビなどで被災地は何度も見ているが、実際に自分の目で見ると言葉が出ない。がれきの山に個々の生活が埋まっているのを感じる。カーナビ頼りではどこにも行けない。地震から2ヶ月経っているのに…。町の人は「自衛隊さんがあっという間に片付けて道を作ってくれたんだ、とても綺麗になったよ」と言っていた。
 入浴支援をしている場所では、毎日500〜600人の人が訪れるという。気持ち良さそうにお風呂から出て来て談笑している人たちは「自衛隊さんのお陰でお風呂に入れる、嬉しいよ」と。被災民が全て帰ったあとの最後のお湯には、近くに駐屯している部隊がお風呂に入る。
 給食支援している施設では「自衛隊さんが毎日2回おにぎりやおみそ汁を持って来てくれます。本当に助かっています」と職員の方が言っていた。
 あちらこちらで目にする手書きで板に書いてある「自衛隊さんありがとう」などの文字…。
 相馬市大野台8連隊指揮所にもお邪魔した。陸上自衛隊第8普通科連隊は福島県内で「温もり作戦」を実施している。これは「被災者の視点にたった温かい支援の実施」という意味で、内容は捜索活動・給水支援・給食支援などである。
 今迄「災害派遣」などと軽々しく言っていた自分が恥ずかしい。先の見えない現状にストーブをつける程寒い日も額に汗して活動する自衛官たち。地震発生直後は、もっともっと悲惨な状態だっただろうに黙々と活動していたのだろう。目に見えない色々な物を見ながら色々な物と闘いながら、今も…。


正夢
—東日本大震災に派遣されて—
第8普通科連隊長  豊留廣志1陸佐
8普連隊長から現地の声

 1973年祥伝社から発行された五島勉の著書「ノストラダムスの大予言」という本を学生の頃読んだことがある。この本は、フランスの医師で占星術師でもあるノストラダムスが著した予言集(1555年初版)である。1999年7月恐怖の大王…環境問題、水質汚染の問題、核兵器、彗星の衝突や大震災による陰惨な状況・光景を畳みかけるように展開している。この本を読んだ後、私は夢の中で鬱蒼とする埃の中、瓦礫を歩いていた。それから、私が体験した災害派遣等で、あの『瓦礫の中を歩く』夢は現実とはならなかった。
 ところが、2011年3月11日1446忘れていたあの夢が甦った。M9・0という未曽有の地震発生、約30分後3波に及ぶ最大高30m以上の津波…物品管理検査を終え、ふと、テレビを見るとリアルタイムに何度も津波の映像が映し出されているではないか。そして260名の隊員を率いての鳥島支援(米子・出雲の混成部隊)の出動となった。
 当初ここ、福島県いわき市に入って驚いたことには人がいない、車は走っていない。ガソリンスタンドに縦列を作って車が止まっている。よく見ると、車の中は無人である。まるでゴーストタウンであり、この現象は原子力災害による風評被害であった。燃料を積載したトレーラーを置いて運転手は逃げたそうだ。そして平薄磯から豊間海水浴場に向け海岸線沿いに入ってみると美空ひばりの歌「みだれ髪」で有名な塩谷岬燈台が南の方角に見えるが、手前を見ると海岸線の悲惨な光景が浮かび上がる。その一角の集落が無くなっている。道路が寸断され、家屋が倒壊、おびただしい数の瓦礫が点在、漁船が建物に突き刺さっており、車が破壊された家の間の路地に横倒しに挟まっている。これらの光景を目の当たりにして言葉を失った。まさに、夢で見た瓦礫の中に私はいた。また、フラガールで有名なスパリゾートハワイアンズのある常磐湯本地区では地震による土砂崩れで道路が寸断、将来に亘って活動することがないといわれた湯ノ岳断層が活動し、4月11日いわき市で震度6弱を観測した。毎日の余震による揺れは、まるで実弾射撃による砲撃の振動と同じ感覚であり、ここは本当に日本なのかと思えるほどの戦場のような状態であった。
 あらためて1万4千人を超える犠牲者並びに被災された方々にお悔やみを申し上げる。そのような悲惨な状況で隊員は黙々と任務を遂行している。ご遺体を発見、収容支援、合掌、隊員はその光景に目を向けられないもの、また、その場を離れるもの、中隊長は隊員に「俺たちがやらなければ誰がやるんだ」と、叱咤激励するとともに被災者の目線に立ち地道に活動を続けている。地域の人々が我々の迷彩服を見て安心しているということが肌身に突き刺さる。我々が日頃訓練してきたこと、気力・体力そして各々の分野での知識及び技能が今国民のために役立っているんだと自分に言い聞かせ、我々の力を結集し活動に全力傾注したい。連合艦隊司令長官山本五十六の言葉『百年兵を養うは国の平和を守るため』であり、報道によると国民の95%が自衛隊を頼もしく感じると評価している。迷彩服を着た我々が国民に今安心感を与えている。現地に派遣され60日(5月13日現在)私は現場で愚痴も言わず黙々と働く隊員を誇りに思う。そして、復興の足跡は着実に聞こえている。


東北方面隊に激励品贈る
陸幕

 東日本大震災で全力を挙げて活動している統合任務部隊(JTF)の基幹である東北方面隊の隊員やその家族に対して、北部方面隊と東部方面隊の隊員家族らから激励の手紙などが贈られた。激励のメッセージが書かれた手紙は約3000通、同じく色紙は約300枚にのぼり、日本国旗に書かれた寄せ書きや千羽鶴などの心のこもった慰問品も多数集まった。
 震災への派遣活動が長期にわたる中、陸上幕僚監部では派遣隊員の士気を維持していくため、戦力回復センターの構築や補給品の迅速な補給、部内外への広報などの支援を実施している。同時に各方面隊で家族による慰問品の送付を行っているが、被災地となった地域を含む東北方面隊の隊員とその家族の中には、被害を受けたり避難生活を送っている状況の人も多いため、対応が進んでいなかった。今回集まった激励品は、5月18日に陸上幕僚監部からJTFに向けて発送され、到着後に各部隊に送付されることとなる。


雪月花

 こんなにも自分の周辺に善意の人がいるとは気がつかなかった。いつもは酒を交わしながら天下国家を論じ合っている会社社長、3月18日には4トンロングトラック、ワゴン車、4輪駆動車に水、パンや生活用品を満載して被災地に入った、この惨状を見て一度では止められなくなり5回も行った。若いIT会社の社長も友人に声をかけて物資を届けながら被災者の手伝いをした、かれも5回行ったそうだが緊急車輌の通行証がないので大変だったらしい。市ヶ谷に飲食店で働くミャンマーから来た20代の女性が居る。本国でも体験したことのない大地震とそれに続く放射線事故に外国人の多くは帰国した。しかし彼女は日本に住んでお世話になっているのにいま帰ったのでは裏切りになる、大好きな日本でなら死んでもかまわないと言って東京に残った。母国の両親からはひっきりなしの電話で帰るように言われたようだ。だが4月30日にはミャンマーの友人ら95人とバス2台、トラック、乗用車などで物資とともに被災地に行った。お得意のカレーの炊き出しが人気で自分たちの昼食はなくなり空腹で帰ってきたそうだ。彼女らがどんな生活をしているかは知らないが本当に頭が下がる。この人たちが口を揃えて讃えるのが途絶えることのない自衛官の活躍ぶり、自衛隊車輌の隊列と行き交った時の安心感と心強さには思わず万歳を叫んでいた。そして自分たちはほんのいっときのお手伝いだが自衛隊さんは終点の見えない仕事になっていることに申し訳ないと言う。


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