防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
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自衛隊ニュース   2011年5月15日号
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生活支援に全力挙げる
メンタルケアにも一役

医療支援
 長引く避難所生活で健康面の心配をする被災者は多い。衛生科隊員は巡回診療で対応し、避難所で被災者の健康状態を聞いたり血圧測定など行っている。診断を受けることでメンタル面でのケアとしても効果が出ている。また、4月7日に発生した余震で仙台病院の手術室が使用できなくなったため、移動式医療システムが同病院に運ばれ、手術室の機能を補填することとなり、5月1日から運用を開始した。

隊員の声
第13後方支援隊(海田市) 2陸曹 石原祐介
 私の部隊は福島県で活動しており、被災者や被災地で活動する隊員達に対して医療支援を行っています。初めて被災現場を見た時は想像を絶する光景に、信じられない気持ちと恐怖の気持ちが入り混じった複雑な心境になりました。
 被災者の方々は震災により十分な診療が受けられません。また、人命救助等で現場で活躍している隊員も怪我をしたり、体調を崩したりしています。
 被災者や被災地で活動する隊員達に少しでも役に立てるよう持てる力を全て出し切り、精一杯医療支援をしていきたいと思います。

音楽演奏
 陸自は東北方面音楽隊をはじめ、師団隷下の各音楽隊、駐屯地の音楽クラブなどが慰問演奏会を行った。3月29日に多賀城文化センターで行われた東北方面音楽隊の慰問演奏では、約500人が集まり盛況した。宮城県石巻市東部地区で慰問演奏を行った第5音楽隊は、まごころのこもった演奏で被災者が感動の涙を流す場面があり、演奏後の被災者との触れ合いでは、隊員も涙を流しながら激励する姿も見られた。
 海自では大湊音楽隊、横須賀音楽隊などが慰問演奏した。被災者の心情を第一に考え、心和らぐ曲や子どもにも楽しんでもらえる曲が選ばれた。「指揮者体験コーナー」「イントロあてクイズ」など楽しいアトラクションを設ける工夫を加えたほか、唱歌「ふるさと」の歌詞カードを配布して、被災者と合唱する機会も設けられた。イントロあてクイズでは、「北国の春」をとりあげ、希望者が歌い音楽隊が演奏をした。指揮者体験コーナーでは、「ラデツキー行進曲」の冒頭部分を児童が指揮した。
 空自では、航空中央音楽隊、中部航空音楽隊などが演奏会を開いた。中でも、北部航空音楽隊は3月28日、岩手県山田町・織笠小学校の卒業式で演奏支援を行った。卒業生入場では「世界に一つだけの花」で迎え、続いて校歌を演奏支援した。退場時には「春よ来い」を在校生と合奏し、晴れの日を祝った。同町のほとんどの小学校では卒業式を行える状況にはなかったが、現地で活動を続けている北部航空方面隊の災害派遣隊が織笠小学校では卒業式が行われると町役場から聞き、今回の演奏支援が実現した。

隊員の声
織笠小卒業式を支援して
北部航空音楽隊演奏班 空士長 志田陽紀

 岩手県下閉伊郡山田町、高さ8メートルの堤防を決壊させる程の大津波は多くの民家をなぎ倒していった。避難場所になっている織笠小学校は小高い場所に位置し津波の難は逃れたものの、目前にまで波が押し寄せ、倒壊した民家のものと思われる家財や瓦礫が、小学校へと続く沿道に散乱していた。
 3月28日、延期になっていた織笠小学校の卒業証書授与式が挙行された。卒業する児童の中には、恐らく津波で全てを持っていかれたであろう普段着で式に臨む児童や、未だに親が行方不明の中、悲しみをこらえて式に臨む児童がいて、確かにそこが災害に見舞われたという現実が自分の中で大きくなり、ただひたすら心が痛く、悲しさが込み上げてきたことを覚えている。今回の派遣では織笠小学校の父兄からの強い要望を受け、我々北部航空音楽隊が単独で行う演奏に加え、織笠小学校の児童達と合同で行う合同演奏が実施された。
 卒業式では、卒業生を送り出すにあたって、隊員と児童が一丸となって良い音楽を奏でようとする思いが、言葉以上に形を成して会場全体を包み込んでいた。震災後練習もままならなかった児童達だったが、それでも彼らの持ち味が発揮できるようにと、音楽隊の一人一人が全力でサポートしていた。式の最中に卒業生と在校生が行った合唱では、それぞれが胸に秘めた喜びや悲しみの気持ちを抑えきれずに多くの参列者が涙していた。私自身も込み上げてくる涙を抑えることができなかった。
 卒業式終了後に行われた慰問演奏では、校内に避難していた織笠地区の方々が体育館に足を運んで暫しの演奏に聴き入っていた。被災者の方々を勇気づけようと意気込んで赴いたものの、演奏前は正直不安なことが多かった。演奏者と聴衆との距離は1メートル強くらいだったと認識している。音楽隊の演奏に合わせて手拍子する人、歌を口ずさむ人、さまざまな思いが重なって涙する人など、近い距離感だからこそ伝わってくるものも多かった。最後のアンコールも含め、慰問演奏はあっという間に終了した。
 今回の派遣を通じて、被災者の方々と近い距離で接することで、自分たちが自衛隊員として何ができるかを再認識するとともに、復興に向けて前進していこうという決意を新たにした。


ロンドン五輪 期待の星
オリンピックへカウントダウン
水泳200m個人メドレー
高 桑 健 3海尉(新潟県出身、1985年4月生まれ)体育学校
 4月初旬、世界水泳代表選考会がチャリティーの名の下に開催された。自衛隊体育学校高桑健3海尉は、日々水泳の練習に励んできたが、多くの尊い命が失われた災害という国家的危機にあって、同じ自衛隊員が被災地に派遣され日夜苦労している中、競技を続けていていいのかと自問自答した。競技を通して東北に勇気を与えたいと多くの選手が発言していたが、高桑は最後まで悩んだ。だが、高桑の任務とは国際大会で活躍し、国家の威信を高めることだ。自衛隊員は、どんな状況に置かれようが、自分に与えられた任務を、例え自分の生命の危険があっても全うしなければならない。高桑に悩むことは許されなかった。
 高桑は昨年のアジア大会では圧倒的な力差を見せて優勝。だが、高桑が目指すのはオリンピックでのメダル。そのためには、現在の自己ベストである1分57秒を2秒縮めた55秒台で泳がなければならない。高桑はこの2秒を縮めるため、欧米の選手が使い始めたバケットターンと呼ばれる背泳ぎから平泳ぎへのターンに着目した。このターンは背泳ぎで壁にタッチをする際、平泳ぎに完全に移行する前に体を翻すもので、極めて難度の高いテクニックだ。強豪達はこのターンで1〜2秒の短縮を図ることに成功していた。試合前、高桑はこのターンを70%の割合で成功させるまで技術を向上させていた。この災害が起きたこの時期だからこそ、このターンを成功させて57秒台を突破し、高桑の存在意義を再認識させたい。自衛官アスリートとしての意地が、この挑戦に踏み切らせた。
 予選では過早にターンを開始し、タイムをロスした。それでも、予選は1位通過、そして、決勝。高桑は記録を狙って、最初のバタフライから飛ばした、背泳ぎに入ったところで、高桑自身がもつ日本記録が見えたかに思えたが、バケットターンで壁へのキックが不十分になり、平泳ぎが失速してしまった。壁へのキックから推進力が得られないまま、泳ぎきらねばならなくなり、自由形に入った時には、最後のダッシュがかけられないくらい、疲弊した状態だった。それでも、高桑は1位でゴール。タイムは、国際大会派遣標準記録に0・06秒足らない1分59秒71。高桑にとって初めて代表落ちとなった。だが、それは飛躍するチャンスとなるかもしれない。今年1年をじっくりと自分の計画で錬成できるのは高桑にとって悪くない。ここでバケットターンをはじめ新しいテクニックを磨き、オリンピックで戦い抜くための体力をつけることができる。国内の優勝が目標ではない、あくまでも、オリンピックそしてメダルだ。高桑の挑戦は止まることなく続く。それが自衛隊アスリートの進む道だ。

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