防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
スペーサー
自衛隊ニュース   2010年11月1日号
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寄せ書き

感謝状受賞の喜び
三軒屋支処(三軒屋) 技官 三村郁夫
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 私は、結婚して10年ほど地元を離れており、地元に帰ってから何か地元に貢献できることはないかと考え(35歳ぐらいを過ぎてから私を育ててくれた地元に恩返しがしたくなり)地域のスポーツ少年団、PTA活動等に積極的に参加するようになりました。
 中学・高校PTAでは副会長、会長などの要職をさせていただき、その功績として、このたび和気閑谷高等学校創立340周年記念式典において感謝状を贈呈していただきました。
 「えっ!340年?」と思われる方もおられると思いますが、同高校は寛文10年(1670年)、当時の備前藩主池田光政公が庶民の学問の場として創設された学校で、岡山県南東部に位置し旧閑谷校舎大講堂は国宝、その他も重要文化財等に指定され、観光地としても有名なところです。是非、一度お立ち寄りください。
 尚、私も娘同様閑谷高校の卒業生であり私の父も卒業生ということで、歴史の古さを感じさせる学校です。
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貴重な時間を有効に
第36普通科連隊(伊丹) 2陸佐 中山 努
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 私は、趣味で自己啓発の本をよく読む。何故かというと自己意識を変革させてくれるからです。
 読書する中で頻繁に目にする言葉に「1日24時間は万人に平等」というものがある。確かに世の中で唯一差がないのは時間だけであり、どう使うかは自分次第。無駄な時間をどれだけ自己啓発の時間に費やすかで人生が変わると思う。あの金メダリストの高橋尚子さんですら「私は人の倍やって人並み、人の三倍やって人以上」だと言っている。
 私も朝ジョギングをしたり少しでも教範を読む時間を増やしたりと、無駄な時間を自己啓発の時間に費やす努力をしています。
 私の好きな言葉の中に「努力は裏切らない」があります。
 私は、これからもそれを信じて日々自己啓発に全力で取り組んでいきたいと思っています。
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後期教育終了所感
第8高射特科群(青野原)1陸士 北村 健
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 前期教育を終え初めて青野原駐屯地に来たときは、見知らぬ土地、そして初対面の同期、助教を前に不安ばかりが膨らんでいきました。
 しかし、そんな僕に対し笑顔で握手を求めてくる人がいました。
 彼も僕と同じように不安なはずなのに、彼の「これからよろしくな!バディ」という言葉に僕の不安は見事に希望に変わりました。
 それからどんどん他の同期とも打ち解けていき、暑さや慣れない器材操作で辛かった訓練も支えあい辛さを共有する事で乗り切ることができました。
 僕たち第2営内班は8人おり、高射特科隊員と通信科隊員がそれぞれ5人と3人に分かれていて、班訓練では全く違う事をしていました。自衛隊自体、出身地も年齢もバラバラの人たちが寝食をともにするという特殊な環境です。それだけで貴重な体験なのに、さらに職種も違う隊員が同じ部屋で出会えたこと、2班の班員になれたことを僕は本当に良い縁に恵まれたと思います。
 9月11日をもって教育期間を終え、それぞれの中隊に配属されます。今は正直不安でいっぱいですが、僕が行く搬送通信中隊には、尊敬する2班の班長、班付がいるので大船に乗ったつもりで精一杯頑張りたいと思います。
 最後に、最高の駐屯地で出会った最愛のバディと同期、そして最強の助教の方々に、大きな大きな感謝を申し上げます。ありがとうございました!
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原隊を離れて思う
岐阜地方協力本部 2陸曹 安藤幸康
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 今年、私は住み慣れた原隊、陸上自衛隊第35普通科連隊を転属し、岐阜地方協力本部美濃加茂地域事務所へ異動した。
 もともと岐阜県は私の出生地であり、原隊の所在する守山駐屯地(愛知県名古屋市)ともそれほど離れていない。そのため今でも、嬉しいことに仕事やプライベートで交流を持たせてもらっている。
 今回の転属は、私の自衛隊人生で初めての転属であり、私を自衛官として産み落とし育ててくれた第35普通科連隊を初めて外から見た。
 そして、原隊にいるときは当たり前だったことや、気付かなかったことが垣間見えた。
 今回例に挙げるのが、レンジャー養成訓練である。私もレンジャー徽章をつけ、助教として訓練に参加した経験もあり、転属した今も非常に気にかけている。今年は我が原隊の後輩も試験に受かり教育中であったので、部隊は違えど、応援していた。
 そんななか見えてきたのが、部隊の温かさだった。当たり前のように応援し、影ながら学生を支え、そして部隊だけでなく各自衛隊協力者の皆さんと連携している姿があった。
 改めて、厳しい訓練に挑む仲間を応援する部隊の姿に感動する一方、新たに、私たち地方協力本部も部隊と協力し、地域との架け橋役をやっているのだと感じた。今回のレンジャー養成訓練は、原隊と岐阜地本、そして地域との関わりをみることによって、改めて組織の素晴らしさ、現場で動いている人たちが全てではなく、それを支えている人たちがいるということがわかった。
 どこの歯車が欠けても、自衛隊という大きな組織は廻らないので、どんな仕事でも誇りを持って仕事をしたいと思った。
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サッカーに夢中
藤元亮汰(第12普通科連隊=国分、藤元秀一2陸曹長男)
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 ぼくは、天降川小学校6年生の藤元亮太といいます。
 ぼくが、サッカーを始めたのは、昨年の9月からで、国分西小のサッカー部に入ってからもうすぐ1年がたとうとしています。ポジションはセンターFWで、初めてした練習はパスやトラップでした。だんだんできるようになるとドリブルやシュートの練習も行い、自分の身に付けていきました。
 ぼくは、リフティングが一番不得意なので、今はあまりできないけど、これからずっと練習をして、うまくできるようになりたいです。だから、サッカーの練習日じゃない日も、お父さんといっしょにコミュニティー公園や河川敷などで、一番不得意なリフティングやロングパス、フリーキックの練習をしています。
 ぼくは、まだまだへたなので、人一倍練習してうまくなりたいです。そして将来は、プロのサッカー選手になりたいです。
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貴重な体験に感謝
山口地方協力本部 非常勤 吉田由美
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 陸上自衛隊の富士総合火力演習は、ニュース・新聞などで知ってはいましたが、今回の研修に参加させてもらい見学できるなんて思ってもいないことでした。演習当日、早朝に見た澄み切った空にそびえる富士山の姿に感動し、思わず写真を撮り、観光気分でしたが、演習が始まるとそんな気持ちがどこかへ消えてしまいました。
 まず、戦車の実弾の発射音と地響きに衝撃を受けました。今までに体感したことのない経験でした。実弾というすごさにただ驚き、また正確な射撃に感心し、テレビなど映像では伝わらない実感を体験しました。そして夜間演習。暗闇の中で動く戦車、飛んでいく実弾は今まで全く目にしたことのないものでした。
 陸上自衛隊といえば災害派遣で迅速な対応している姿が私の中でまず思い浮びます。火力演習ではまた違う陸上の防衛力の一面を見ることができました。自衛官募集のパンフレットの紙面に記載されている職種などをより深く理解することができ、それと同時に自分の仕事に対しての理解も深まったように思います。大変勉強になりました。
 私は「平和で当たり前」の今を享受し、日々生活しています。そのことを疑問に思う機会はほとんどありません。テロ・戦争などは報道のニュース・映像の中、新聞の紙面の中の世界としか感じる事ができませんでした。(私だけかもしれませんが…)
 この研修で「国防」という言葉が今までとは違い、重く響くものとなりました。体感することで気付かされることがあると感じました。今回、この研修に参加させていただき貴重な体験をすることができました。ありがとうございました。
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結婚生活について
第15普通科連隊(善通寺) 陸士長 大山 翔
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 私は、昨年1月30日に元中隊長ご夫妻のご媒酌により無事結婚式を挙げました。しかし、今は、新しい家族が一人秋に誕生予定で妻とは現在、別々に暮らしています。仕事の都合で、家を空けることが多いため、お腹の大きい妻を一人きりにさせることが出来ないため、実家に預けています。それで私は安心して仕事をすることが出来ますが、長い間顔を合わせていないので、少し心配になることもあります。
 家に帰ってもご飯も寝るのも何をするにも今は一人なので本当に寂しいです。
 しかし、妻は、岡山の実家で出産のため、これからの生活のため、すごく頑張っています。それを見習い私も頑張りたいと思います。今回、陸曹候補生一次試験を合格することが出来たため、二次のため頑張り合格出来るよう努力したいと思います。それに、今まで些細なことでよくケンカをすることがありましたが、秋には家族が増えるので、「三人」で協力し、更に賑やかで楽しい家庭にしようと思います。
 最後に、仕事が忙しく家族と過ごす時間が少ないですが、一緒に過ごせる時間を大切にし家族を大事にして頑張りたいと思います。
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41歳のルーキー
第38普通科連隊(八戸) 2陸曹 和田 純
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 私は、中学から始めたバスケットボールを30代前半で引退し、余暇を何もしないで過ごしていた。40歳を過ぎたある日、地元の先輩に誘われ、シニア(40歳以上)のナイターリーグに参加した。練習は週1回程度、試合は年間に8試合行われる。
 1試合目、私も41歳のルーキーとして出場した。軽い気持ちで出たが、50歳以上の大先輩が20代にでも戻ったかの様なハッスルプレーに私たち他の選手も自然と熱くなり、僅差での勝利。結局2試合目以降は、負けが続き、年間を通じての優勝はできなかったが、もっと練習して、いつか優勝したい。
 一般社会人のチームのみんなと交流を深めながら、縁があって、また始めたバスケットなので、体と相談しながら、無理をせずに一生現役でやっていきたいと思う。

「頑張っています」新しい職場
活躍するOBシリーズ
電話対応に大苦戦
株式会社ティエルブィ 石橋高治
石橋氏は平成21年3月、第3特科隊を3陸佐で定年退職。55歳
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 平成21年3月に陸上自衛隊を定年退官し、早いもので1年が過ぎました。同じように再就職して1年が経過したわけですが、もし仕事に慣れたかと聞かれたら当然の事ながら慣れましたと答える事が出来ます。しかし、入社当初、自分に与えられた仕事できるかという不安より、会社に貢献できるかという不安を強く感じていました。
 年齢54歳されど新入社員、生活基盤そして自分の地位・役割を考えるとおのずと自ら取るべき行動が見えてくるようになり、分からなかったら調べ、又は質問し新鮮な気持ちで業務内容を覚えるよう心掛けてまいりました。
 苦労話をあえて述べるとしたら夜間、休日等の電話対応で「ありがとうございます。TLVでございます。」「○○会社の△△様でいらっしゃいますね」「いつも御世話になっております」「マネージャーの××でございますね」「少々お待ちください」この一連の対応要領、特に相手の会社名、名前を聞き直したり、○○様でいらっしゃいますね等がスムーズに言えず、自分自身で情けなく感じたこともありました。
 いずれにしても元気で頑張っている事実は今も変わりません。
 24時間の保安業務を終え、帰宅途中に加古川及び姫路市のハローワーク付近を通ると何時も駐車場は満車、道路上での順番待ち状態を見ると再就職には本当に恵まれた環境にあったと痛感しており、援護業務担当者の方のご尽力に深く感謝の意を表します。
 私が勤務している会社は、長きに亘り退職自衛官が採用され現在も7名が勤務しており、上司は自衛隊及び退職自衛官の雇用にご理解を示され、本当に良い環境の下で勤務させていただいています。
 これも偏に当社で勤務されていた先輩諸氏のご尽力の賜であり、この信頼関係継続の一助となれるよう自衛隊らしさを継続し、今後も誠実、熱心、積極的に業務に取組む所存です。

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