防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
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自衛隊ニュース   2009年10月1日号
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実践的英語教育を開始
《空自5術校(小牧)》
ETL、CALLシステム完成
盛大に記念式典開く
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(上)式典で関係者が一堂に(下)ETLの案内看板
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 航空自衛隊小牧基地にある第5術科学校(学校長・木村和彦空将補)で9月16日、「ETL披露行事」が自衛隊・民間企業・地元から多くの来賓を招いて行われた。
 ETLとは英語訓練講堂のことで、改修された講堂の披露とともに「CALLシステム(コンピュータ学習支援による語学演習装置)」の運用開始を記念しての披露行事となった。従来の英語視聴覚教育は、CDやビデオ等から音声や映像等を学生が視聴する受け身の学習だったが、CALLシステムにより学生間や教官との双方向の情報交換が可能となり、より実践的な学習が出来るようになった。
 木村校長は「情報発信機能を付加し、各基地に居ながらにしての学習を可能としたり、他自衛隊の英語システムとも連携する等、より効率的な教育を追及して、時代のニーズに応じたシステムにしていきたい」と挨拶。来賓として小牧基地司令谷井修平空将補は「海外での調整、会議等が多くなって来たと実感している。必然的に英語を使った調整も増え、ETLのCALLシステムに期待している」と述べた。
 テープカットの後、各施設や授業風景を見学した来賓達。学生の机に座って聞いた概要説明では「ほ〜」「凄いね」などの感嘆の声が多く上がっていた。
(吉田佳子)

16連隊音楽部が「祈願祭」演奏支援
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 第16普通科連隊(連隊長・高田祐一1陸佐)の音楽部(部長・吉田繁守陸曹長)は9月1日午後7時から佐賀県嬉野市大野原地区一の宮で、20回目の派遣演奏を実施した。
 この祭りは、大野原演習場が所在する地区の祭りで豊作祈願祭として開催されている。
 祭り会場は、周辺地区の多くの観客でうめつくされた。連隊音楽部の演奏は、前段隊員の歌を交えての演奏で、後段は音楽部の演奏をバックに嬉野市町やその他3組が自慢ののどを披露し、手拍子と歓声で祭りは大いに盛り上がった。


納涼花火大会
武山3自衛隊・横須賀市西地区
観客1万1000人が訪れる
夏を惜しむ1200発の花火
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盆踊りで隊員と一般市民が交流深める(武山駐屯地で)
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 武山駐屯地(司令・山形克己陸将補)は8月29日、3自衛隊(武山駐屯地所在の陸・海・空各部隊)・横須賀市西地区納涼花火大会を実施し、隊員の士気の高揚と周辺地域市民との交流を図った。
 この納涼花火大会は、3自衛隊と横須賀市西地区との共催により24回目の開催となり、三浦半島の夏の最後を告げる風物詩として駐屯地近隣の住民をはじめ、県内各地からも多数の観客が訪れている。
 今年の大会は、天候にも恵まれ、残暑の強い日射しが照りつける中、約1万1000人の観客が来場した。
 大会は、少年工科学校和太鼓チーム「桜花太鼓」の太鼓演奏から開始され、観客から大きな声援を受ける中、少年工科学校軽音楽部によるバンド演奏、少年工科学校吹奏楽部によるミニコンサートに次いで、「炭坑節」「東京音頭」「横須賀音頭」の盆踊りを実施したのち、第31普通科連隊自衛太鼓チームによる太鼓演奏、大会の最後には、約1200発の色鮮やかな花火が打ち上げられた。
 なお、大会行事にあわせて各部隊等による模擬売店、駐屯地曹友会による「ぼんぼりコンクール」(各部隊と近隣各地区からの出展)など多彩な催しを実施した。また、曹友会及び少年工科学校生徒による近隣老人ホーム等(4団体)の入所者を接遇案内するボランティア活動も行われた。フィナーレとなるスターマインが打ち上げられると、部内外観衆から割れんばかりの歓声と拍手で全ての行事を終了した。


隊員と地域住民の交流会に130人参加
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 8月25日、中富良野町で『中富良野町在住隊員家族交流会』が実施された。
 この行事は、富良野地方自衛隊協力会中富良野支部(支部長・四方昌夫中富良野町長)の主催で平成11年から毎年開催され、今年で11回目。今回は、中富良野町在住の隊員及び家族約130人が参加して、協力会員との交流を深めた。
 様々なイベントが催され、参加者は過ぎ行く夏を惜しみつつ楽しいひと時を過ごしていた。

雪月花
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 明治天皇崩御に殉死された乃木希典陸軍大将は全国各地で乃木神社として祀られている。9月13日は乃木大将の命日、この日には六本木・元の防衛庁に近い旧乃木邸が一般公開される。このほど弊社から出版した陸自衛生学校「彰古館」を調べるうちに乃木大将の凄さを知った。明治38年1月の旅順開城でロシアの将軍ステッセルとのやりとりは華やかだった、筆者の子どもの頃の記憶にかすかに残る唱歌「水師営の会見」にも描かれている。しかし前年明治37年にはこの日露戦争で同じ年に2人のご子息を亡くしている。後年乃木式義手も作るが一般兵卒のために私財をつぎ込む、自分には後継者がいないので何も残すものはないと言って。旧乃木邸には旅順に植わるのと同じなつめがたわわに実っていたが、意外に内部は質素、敷地も狭く当時の最高位の人の屋敷とは思えない、ステッセル中将から贈られた「寿号」の厩舎はレンガ作りで母屋とは対照的に立派だ。手術台に白布を掛けて会談に使ったテーブルは旅順とここに1台ずつ現存し100年の昔を語っている。静子夫人と共に自決した部屋の畳に薄黒く見えるのは血の痕かもしれない。寄り添うようにして最期の一瞬を迎えた夫妻の脳裏に浮かんだのは明治天皇のお姿だったのか、2人のご子息だったのか。(所谷)

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