防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
スペーサー
自衛隊ニュース   2009年3月1日号
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スポーツよもやま話
根岸直樹
またひとり偉大な野球人が…
シュート打ち名人「ヤマさん」の思い出
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 「おい、メシ食ったか」。人なつっこい笑顔で話し掛けてきた“ヤマさん"の夢を見た。2月2日、山内一弘さん(毎日―大毎―阪神―広島)がなくなってから、早いものでもう一ヵ月がたってしまった。享年76才。肝不全だったというが、早すぎた逝去に無念の思いが消えない。
 “ヤマさん"には、新米の駆け出しスポーツ記者時代から大変お世話になった。数え上げたら切りがないが、よくメシは食わせてもらった。夢の中でまで、またお世話になるとは考えてもみなかったので、改めて思い出をかみしめている。
 大毎時代、オフの少年野球教室に同行して「お前、打ってみろ」といわれ“下手な鉄砲も数打ちゃ当たる"だろうと、思い切ってバットを振り回したところ、少年投手のタマもまともに打てない。「みんなよく見るんだよ。これが一番悪い例。あんな打ち方じゃ、絶対に打てない」と少年選手達に諭していたのが、まるできのうのことのように思い出されてくる。
 愛知県・起(おこし)工高からノンプロ・川島紡績経由で毎日入り。阪神・小山正明投手との「世紀の大トレード」(S39年)で阪神へ。その後広島へ移籍、19年間の現役生活を終えたが、指導者となってからも打撃コーチ(巨人、阪神、オリックス、ヤクルト)監督(ロッテ、中日)として、日本プロ野球界に多大な貢献をした。現役時代には、特に大試合に強く、賞品を総ざらえしてしまうことから「賞品泥棒」の異名を取った。
 コーチ、監督になってからは敵、味方を問わぬ“教え魔"ぶりに「じゃまうちさん」「かっぱえびせん」(やめられない、止まらないのCMでおなじみ)などと呼ばれていた。広島の高橋慶彦(現ロッテ打撃コーチ)を、中日の監督に就任してからも、試合前に熱心に教えすぎ、球団幹部に「自分のチームの選手を優先して下さい」と、いや味たっぷりにクギを刺されていたことがある。
 それにしてもあの内角シュート打ちは、大毎時代の西本幸雄監督が「球界の3指に入る技」と賞賛していたが「神技に近いものがあった」(元広島・衣笠祥雄氏)とだれもが認めている。現楽天の野村克也監督は「ワシの打法が似ているといわれたのは、徹底的にマネしたから。全ての面で教えられることばかりだった。ワシのいまあるのはあの人のおかげ」と回顧していた。
 ヤマさんは、川島紡績時代、中日のテストを受けて不合格となり「毎日(大毎)に契約金0、6千円の捨て扶持で拾われた」。野村監督も無名高から南海へテスト入団、下積みの苦難を乗り越え「現在がある」わけで「現役のころ“シュートはどうやって打つんですか"と聞いたら“お前はオレのライバルになる打者だから教えられない"と突っぱねられた」思い出があるそうだ。“やめられない、止まらない"教え魔のヤマさんでも「野村は強敵」との思いが強かったのだろう。
 数々の思い出を残して、“ヤマさん"山内一弘選手は帰らぬ人となってしまった。与侍子夫人の「腹の底までトコトンきれいな人。また生まれ変わっても、きっとあの人と一緒になっているはず」といった言葉が心に残る。プロ野球からまたまたひとり、偉大な人材が消えてしまった。

HOME's English Class
(防衛ホーム英語教室)
We get along like a house on fire!
ウィ ゲット アロン ライク ア ハウス オン ファイア
意気投合だな!
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 Hi!皆さん。3月ですね。梅祭りもおわり、そろそろ桜の季節ですね。満開の桜が待ち遠しいものです。今年の桜はどのように花開いてくれるのか楽しみですね。3月で新しい職場へ移られる方も多いと思います。新しい環境でも、楽しい人間関係が生まれるといいですね。そんなことを想像して、今回の表現をお楽しみ下さい。
 今回の表現は、“We get along like a house on fire!"「意気投合だな!」です。Get alongは「うまくやる、仲良くする」ですね。Like a house on fireは、直訳すると「家が燃えているような」ですが、「どんどん、どしどし、盛んに」という意味です。全体で、とても仲良くやっていくという意味になります。この一言で、一気に盛り上がること間違いありませんが、相手の反応がいまいちな時は、早々に退散するのが宜しいかと。笑 何にしても、人間関係は積極的に前向きに捉えた方がうまくいくようです。袖振り合うも多生の縁ともいいます。出会いを大切にしたいものです。
 暖かい日、寒い日が交互にきますね。気温の変化にしっかりと備えて、暖かい日も薄い上掛けをもって外出されたらいいですね。楽しく陽気な春がきますように。それでは、皆さん。See ya!
〈スワタケル〉

防衛ホーム 俳句コーナー
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山門へ吸ひ込まれてゆく夕遍路 山地里水
ひつそりと喪服の人の花下に寄る 並木桂子
二十年ぶり東京へ春の旅 浅野澄江
日向ぼこして七曜に疎くなり 江口景舟
独り言呟き妻の雛飾る 黒石誠一郎
白ワイン雛に選びて老夫婦 鈴木余汐
この香り故郷の土堤の蓬餅 西無左夫
娘の家の沈丁の香に迎へられ 本田すみ子
老揃ひ玻璃戸の内に花の宴 内井紀代子
鋸の出番となりて梅を活く 須藤薫子
医務室に患者ふへしは花粉症 關由起夫
海の色散らし針魚の釣られけり 立川美佳
むらさきに暮れて灯点る深雪村 都築由佳
マスクしてマスクの人に離れ座す 米田ふさゑ
車椅子山の墓地ゆく彼岸かな 加川師亨
神橋の泰然として雪解川 今田三郎
青き踏む術後の生命重くして 須釜嚠子
度忘れは老の所為なり春寒し 人見 冬菜
  選者吟
薄紅梅ほどの濃さして影揺るる 成川雅夫
(「栃の芽」誌提供)
 「栃の芽」誌をご希望の方は〈栃の芽会連絡先=畠中草史氏042・796・0961〉へご連絡下さい。

イラク派遣を終えて シリーズ
支援してくれた方々に感謝
第2高射群第8高射隊 1空尉 川南 匡
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 私は平成20年7月中旬から12月中旬までの間、イラク復興支援派遣輸送航空隊で、厚生小隊長として勤務しました。初めての海外勤務ということもあり、出発前にクウェートの地における勤務を想像した時は、気分が高揚する一方、不安な気持ちで一杯になりました。しかし、既に経験された諸先輩方に色々な話を聞く事が出来たことと、派遣前に小牧での全体教育を通じて新たに出会った隊員と、皆で一丸となって頑張ろうと誓うことで、徐々に不安は解消されました。
 「防衛ホーム」をご覧になられている皆様も、すでにご存知のことかとは思いますが、四季折々の自然がある日本とは裏腹に、ここクウェートは砂漠色一色です。私が勤務していた間は、最低気温は10℃、最高気温は48℃と寒暖の差が激しく、当初は熱風と砂塵との格闘でした。11月を過ぎると気温も低くなり、吐く息が白いくらいで、実際に体験するまでは想像もつかない環境でした。
 さて、ここで厚生業務を簡単に紹介します。クウェートの厚生業務は、大きく分類すると「衣、食、住」の「食」と「住」を全面的に支える業務と、遠く離れた隊員と家族とを繋ぐ留守家族支援です。「食」に関しては、普段の食事の提供や食堂設備の維持は勿論のこと、朝早くから勤務する隊員の携行食や機内食の手配等、任務に直結した調整を実施しています。「住」の方は、普段当たり前に使っているTV、洗濯機、ベッド、シーツ、枕カバー等に至る生活必需品から、健康器具やサッカーボール等の物品まで、その大多数を厚生小隊が管理しています。事前に知っていたものの、現地に着き、いざその物品を目の当たりにするとその多さから驚きを隠すことができませんでした。また、留守家族支援については、今期は3回ある家族からの追送品の受け渡し業務や残された家族の近況等を得るためのメール通信等を確保し、隊員及び家族の不安を払拭できるようにしています。
 ここクウェートの地で苦労した点では、粉塵や熱で、色々な器材が故障してしまう事です。特に派遣期間中に食堂の大型冷蔵庫の故障が2回あり、隊員の健康と活力の根源である食事の提供に危機が迫り対応に追われましたが、その後1週間の期間を要し復旧した時には、「ホッ」と肩を撫で下ろしました。
 嬉しかった点として、留守家族支援の追送品の受け渡しや生活備品の修繕を終えた後の「ありがとう!」の一言が、クウェート勤務での遣り甲斐に繋がったことと、慣れない勤務地における隊員の生活や士気に直結し、それを支えていると確信できました。
 今回私が毎日無事に勤務できたのは、このように周りで私を支えてくれた派遣隊員の仲間と、日本で様々な業務をサポートして頂いた隊員、ご家族の方々、その他様々な人の協力で成り立っているものと感じました。イラク復興支援は、第16期をもって終了します。第1期から繋いできたイラク復興支援の任務は「完全試合」となり今後は撤収隊へとそのバトンをタッチします。最後に、今までイラク派遣復興支援をサポートして下さった方々に感謝を申し上げます。
 ※(このシリーズは今号で終了します。長い間、ご愛読ありがとうございました…編集部)

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