防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
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自衛隊ニュース   2008年3月15日号
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隊内生活体験を支援 海田市
民間11人、基本教練など学ぶ
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 第46普通科連隊(連隊長・松村芳治1佐)は、2月4日から6日の間、第3中隊(中隊長・岡田3佐)の担任で、生活体験(もみじ銀行2世教室)を支援した。
 教官上野2尉以下7名の指導部に出迎えられた11人は、初めて着用する迷彩作業服に身を包み、連隊長の訓話に耳を傾けた。
 その後、基本教練やコンパスコースを使った地図判読、AEDを使った野外衛生などの体験を通じて規律や団結、自衛隊の任務の多様性などについて認識を深めていった。
 当初は緊張した面持ちながらも二日目には次第に隊員ととけ込み、積極的に質問が交わされるようになった。また、生活体験間の2月3日に発生した「恐羅漢における雪山遭難者の捜索」のための速やかな準備・災害派遣出動対応は、参加者全員の心の中に自衛官の真摯な姿を焼きつける結果となった。
 三日間という短い期間ではあったが、内容の濃い体験と新たな思いを抱いて、参加者たちは連隊を後にした。

がんぼう太鼓で地域に貢献
《25普連(遠軽)》
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 第25普通科連隊(連隊長・手塚信一1佐)の有志で構成する「がんぼう太鼓隊」は2月9日、上湧別町文化センターTOMで、上湧別町商工会青年部設立50周年記念式典で太鼓演奏を披露した。
 この太鼓隊の演奏は同青年部の依頼によるもので、原田雅美上湧別町長をはじめ、約100人の関係者が集う中で行われた。
 がんぼう太鼓隊は祝賀会で30分間の演奏を実施、参加者は勇壮な太鼓の響きと一糸乱れぬ太鼓隊の勇姿に感動した様子だった。

37連隊が武道競技会を実施
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 第37普通科連隊(連隊長・柴田昭市1佐)は、1月17、18の両日、連隊武道競技会を行い、各中隊対抗団体戦と個人戦で中隊、個人の名誉をかけた戦いが繰り広げられた。
 17日、徒手格闘競技会では、5名編成の団体戦で、毎年優勝の座に君臨している重迫撃砲中隊が今回も有力候補とされていたが、第2中隊の勢いは凄まじく、常勝重迫撃砲中隊を制して勝ち抜き見事優勝を手にした。
 翌18日、銃剣道競技会では、各中隊が白熱した試合を展開する中、徒手格闘優勝の追い風ともいえる勢いが第2中隊を後押しし、銃剣道競技会においても見事優勝を手にした。
 一昨年から、課業内外を問わず中隊長以下継続的に練成した事が報われ、徒手格闘と銃剣道競技会両競技を制した第2中隊は、表彰後、中隊長・佐藤伊知郎3佐を胴上げし、続いて各教官・指導官を胴上げするなど、優勝の余韻に浸り歓喜に満ち溢れた。
 各競技結果は次の通り
 〈徒手格闘競技会〉
 【団体戦の部】
 ▽優勝=第2中隊▽第2位=重迫撃砲中隊▽第3位=第1中隊
 【個人戦の部】
 ▽優勝=田中準浩士長(5中)▽第2位=東山延幸士長(2中)▽第3位=倉田光浩1士(本管)
 〈銃剣道競技会〉
 【団体の部】
 ▽優勝=第2中隊▽第2位=第1中隊▽第3位=第5中隊
 【個人戦の部】
 ▽幹部優勝=竹原栄規2尉(重迫)▽陸曹優勝=谷口彰3曹(本管)▽陸士長優勝=塩崎隆之士長(本管)▽1士・2士優勝=福上真志士長(3中)

座禅で精神修養
《25普連(遠軽)》
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 第25普通科連隊(連隊長・手塚信一1佐)で隊付教育を実施しているB・U幹部候補生は2月10日、紋別市萬霊寺で「郷土研修」を行った。萬霊寺の住職の上野祥雲氏は、現紋別地区自衛官志願推進協議会会長で、日頃から紋別地域での自衛官募集活動などに協力している。今回の研修も幹部候補生の精神修養を目的に、上野氏が協力した。
 研修内容は「座禅」と住職からの「説教」で、約1時間実施された。座禅には手塚連隊長も参加し、厳粛な雰囲気の中で皆一様に精神統一を図った。日頃の隊付教育で身心共に疲労気味だった幹部候補生たちも、己を無にして座禅に取り組んだ結果、「やって良かった」「日頃の慌ただしさを忘れ、気持ちが非常に落ち着いた」など語り、有意義な研修となった。

彰古館 往来
陸自三宿駐屯地・衛生学校
<シリーズ73>
乃木式義手の発見 (3)
小改良続ける
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 柿沼要平が拝受した乃木式義手は、2号機以降の極めて初期のものだと考えられます。柿沼と乃木大将のやり取りによって、不具合が修整され、その後は一定の規格が定められ、ある程度が量産されたようです。
 大きな変更点は、身体に固定する部分の支点の位置で、脇の下から、脇腹になっています。また、物をつかむヤットコの先端までの全長が短くされ、この変更によって、本来あった自分の腕の長さと、指先の長さと同じになり、使い勝手が向上しています。
 乃木大将から柿沼宛の手紙が現存しています。「預かった義手の手直しに、思わぬ時間が掛かってしまった。これで良いか心配であるが、ほかの負傷者への貴重な情報となるので、遠慮なく意見を聞かせて欲しい」
 義手の返送を受けた柿沼は、さっそく礼状を送付しています。「この義手を使えば、タバコも吸え、お茶も飲めます。筆を取って文字も書けます。色々な用事ができるので、倦怠もありません。身体健康なのは愉快で御座います」
 両手を失った廃兵が「身体健康で愉快」だというのは、柿沼の前向きな物の考え方をよく表しています。
 学会誌に掲載された水沼作次郎の写真が撮影された時点では、身体への固定は革紐によるもので、固定位置が高いこともあり、首にきつく食い込んでいます。
 同時に発表された図面では、すでに柿沼の改修型義手と同じ、幅の広い革ベルトによる固定方法に変更されています。
 物をつかむヤットコ部分の先端は、2号機、柿沼仕様とも、上下の幅が広いものが使用されています。2号機はこの部分にクッション材が付けられていますが、柿沼仕様では、滑り止めの刻みが彫られています。
 腕に固定する部分は、2号機はニッケルメッキ(汗による錆防止)の施された鉄製でした。これに対して柿沼仕様は、柔らかい銅製に変更され、前後長も短く詰められています。これは柿沼の腕にフィットさせる目的で、柿沼仕様だけの特徴となっています。
 これ以降製作された旧陸軍軍医学校旧蔵品(現彰古館所蔵品)では、先端部には斜めに溝が彫られ、タバコや、筆が挟みやすくなっています。
 その後、柿沼の義手は使い込まれるにつれ、恐らく柿沼自身の手によって修理が行われています。具体的には、縫い目がほころび、切れかかった革ベルトが、三十年式歩兵銃(日露戦争で活躍。有名な三八式歩兵銃の原型)の負い紐に交換されています。胴当て部分との縫い糸も、リベットの結合に変更されています。
 ヤットコの根元部分は自在に動くピン結合部分を、ドリルのチャックと同じ、締め込んで固定するように改造されています。物を保持する角度の維持や、ヤットコ本体の脱着が出来るようにしたものです。ドレスデン衛生博覧会に出品された義手も同じ仕様です。
 柿沼の意見によって、乃木式義手の小改良が続けられていた事実が、今回の調査で確認されました。
 柿沼要平の向上心あってこその、乃木式義手の改良だったのです。

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