防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
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自衛隊ニュース   2008年3月1日号
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極寒の八甲田
猛吹雪に耐え、伝統の八甲田演習
《9師団5連隊》
積雪寒冷地 訓練成果を次世代に伝える
猛吹雪の八甲田でアキオを曳行しながら行進を開始
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 陸自第9師団第5普通科連隊は2月13日、伝統行事の「八甲田演習」を実施した。これは、明治35年、旧陸軍歩兵第5聯隊が八甲田雪中行軍中に遭難したことに対して、その軍人の霊を追悼し遺徳を広く内外に顕彰することを目的に昭和40年以来行われているもので、今年で39回目。極寒の猛吹雪の中、約650隊員が凍傷や雪崩などに注意を払いながら防寒服姿の完全武装でアキオを曳行、八甲田温泉付近から増沢までの約22キロをスキー行進した。また、防衛記者一行も訓練のほんのごく一部を自ら体験するとともに演習中の隊員の姿を各ポイントで取材した。

 青森駐屯地、第5普通科連隊(連隊長・田草川茂人1佐)は2月13日、酷寒の八甲田山系で、積雪寒冷地における部隊としての基本的行動を目的とした訓練を実施した。
 演習に先立ち、青森市幸畑にある八甲田雪中行軍遭難軍人の英霊が眠る旧陸軍墓地において、連隊長以下200名が参拝行事を行い、連隊長が「今は去る106年前、不幸にして護国の礎となられた山口少佐以下210柱の勇士を偲びつつ諸先輩の遺訓を学び、ご遺志を全うすべく、明日ここに第5普通科連隊長田草川茂人以下650名は、八甲田演習に挑みます。本演習が事故もなく無事にかつ多くの成果を得て、終了することができますよう、英霊の御加護を賜らんことを願い、演習出発の辞とします」と墓前に報告するとともに追悼の意を捧げた。その後、青森駐屯地東グランドで、隊容検査を実施し、隊員の背のう入り組品や、アキオなどの点検を行った後、連隊長が訓示で「周到な準備とその徹底、機動能力の向上、安全管理」の3点を強調するとともに「演習に初めて参加する隊員は、連隊で77名いるが、各級指揮官はもとより、隊員一人ひとりが安全管理に細心の注意を払い事故の未然防止に万全を期すよう」要望した。
 翌13日早朝、スキー行進開始地点(八甲田温泉付近)に車両移動。当日の気温氷点下12度、体感温度は氷点下28度と、風が強く吹雪く中、隊員らは防寒服に身を固め約30キロ余りの背のうを背負い、スキーを装着し、先遣の情報小隊が出発後、第1中隊は当初、大中台まで雪上車でジョーリング。じ後、増沢まで進路啓開をしながらスキー機動した。その15分後、連隊主力も八甲田温泉付近から増沢に向けスキー行進を開始、高低差のある約22キロのコースを行進した。
 積雪寒冷地における部隊行動能力の高い連隊は、予定より約1時間早く目的地の増沢に到着し、引き続き車両移動により駐屯地に帰隊した。
 今回の演習に初めて参加した隊員は、悪天候の八甲田山の厳しさを知るとともにその中を「スキーで完歩した事が自信につながり、また、誇りに思います」と口を揃えて話していた。
 「八甲田連隊」と異名を持つ5連隊は、今年もまた伝統を継承し、1件の事故もなく平成19年度の八甲田演習を無事終了した。


「温故知新」受け継がれる5連隊魂
八甲田山雪中行事記者研修 所感
先人の遺徳を偲ぶ
極寒の中、風雪に耐え、顔面を紅潮させながら八甲田の険しい坂を駆け登る
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いざ東京を出発!
 「建国記念日」の2月11日、近くの神社で、八甲田山雪中行軍記者研修からの無事帰還を祈願して東京駅へと向かった。若い頃から、この記者研修にいつか参加してみたいとずっと思ってはいたものの、この歳(56歳2ヵ月)になってしまい、もう「ご縁はなかった」と正直諦めていた。ところが、今回このような絶好のチャンスをいただき、「諦めていた頃に、願いは叶うものだ」と人生の不思議さを感じた次第。ただ、雪がめったに降らない九州大分県生まれで、生まれてこのかたスキーの体験が一度もない私にとって研修日が近づくにつれて「はたして大丈夫だろうか、ご迷惑をおかけしないだろうか」など、一抹の不安が頭をよぎってきた。その都度、「7年前まで約20年間、寒中水泳を続けてきたし、その延長と思えば何とかなるだろう」と無理やり自分自身を納得させ、気持を強く持とうとした。
「津軽海峡冬景色」
 私が八甲田研修に参加することを知った方々から「その齢を考えてけっして無理をしないように」「遭難するんじゃないか」「救助に行くから」など、温かい?声援を背に受け、東京駅を出発、一路青森駅へ。途中、野辺地駅で尊敬する陸自OBの銭谷岩夫さん(のへじ治療院)のことがふと頭に浮かび、「元気にしておられるだろうか」と思ったりもした。阿久悠さんの「津軽海峡冬景色」を口ずさんでいると、ここら一帯から深い雪景色に変わり、青森駅に着いたら本当に歌詞どおりの「雪の中」だった。改札口を出ると、あたり一面の銀世界。九州生まれの私にとっては初めて見る雪深い景色で、興奮のあまり道路端に積まれた大量の雪を手や足で触りながら街を散歩してみた。行きかう人々の表情は雪国にもかかわらず、みんな明るい。男は逞しく、女性は頬がほんのりと赤く染まった美人が多い。なぜ、こうも美人が多いのか、その理由を知りたいものだと思ったりもした。そうこうしているうちに、宿泊先の青森グランドホテルにチェックイン。このホテルには、5連隊OBの瀬川清春さんが勤務している。瀬川さんはスキーの大ベテランで八甲田演習参加も30回を超える強者。いろいろとご指導を受けながら翌日からの記者研修に備えた。
青森駐屯地へ
 充分に休養をとったあとの翌12日午前9時、ホテルから青森駐屯地へと向かった。多少、雪が降ってはいるものの、スキーには絶好のコンディション。勇んで駐屯地に乗り込んだ。9師団司令部教場で、既に到着していた陸幕広報室総括の田尻祐介1佐と直井卓3佐に挨拶したあと、他の記者とともに9師団広報室長の野呂和生2佐からスクリーンを使用しながら「師団の活動状況」「八甲田雪中行軍」「八甲田演習の概要」などのブリーフィングを受けた。引き続き、記者一行は戦闘服に着替え、三本明世師団長を表敬、越智正典副師団長をはじめ幹部とともに懇談した。次いで、立派な「ねぶた」が飾ってある隊員食堂に移動、永井昌弘東北方副長と野田文久総務部長も同席、和やかに会食した。
初のスキー体験
 午後から、第5普通科連隊(連隊長・田草川茂人1佐)の約650隊員が雪深いグランドに整列する中、全員でUNDOF派遣隊員壮行会と八甲田演習隊容検査を見学したあと、いよいよ記者一行のスキー体験が始まった。当初、私は「柔道と合気道の心得があるので、ころんでも受身をとれば大丈夫だろう」など、生意気なことを考えたりしていたが、実際にスキーを初めて装着したところ、「勝手が違う、ストックの紐が手にからみついて、これじゃ受身がとれない」と顔面そう白、焦ってきた。他の記者は全員スキーに精通しているようで、悠々と気持良く滑っている。自分一人、全身の筋肉を硬直させながら恐る恐る一歩一歩、足を踏み出していく。しかし、我が人生の如く、七転び八起きの連続。その度に野呂室長や広報の方々に手を引っぱって助け起こしてもらった(この起き方がなかなか難しい)。ただ、OBの瀬川さんの教えを守り、けっして前後には倒れないように、横にころぶことにした。もうこの段階では周囲を見渡すことも、人に話しかける余裕も全くない。ひたすら黙々と教官の後を追って前方2、3メートルの範囲しか見えてこない。全身の筋肉が悲鳴をあげ、「もうこれ以上は無理だ」と思ってはみたものの、「ここで中断すると明日の八甲田研修に参加できない。何のためにここまで来たのか」「何が何でも明日の行軍に参加して10メートルでもスキーで滑らなければ申し分けない」と心を奮い立たせ、スキー訓練を続けた。その間、なぜか、八甲田雪中行軍中に亡くなられた旧軍の方々のことが頭に浮かび、「あの方々に比べれば、これくらいの苦痛は取るに足らないこと」、“千の風になって"のように「必ずどこかで見守ってくれているはずだ」と妙に自分自身を納得させていた。ところが、そのうち、おもしろいもので、全身の筋肉の力を使い果たし、これ以上力を入れようにも力が入らない状態になって「もうどうにでもしてくれ」と思った瞬間から、多少うまく滑れるようになった気がした。「幾分、スキーらしき格好になってきたかな?」と思えるようになった頃、残念ながら訓練が終了してしまった。ただ、体は正直で、整理体操もままならないほど完全に力を使い果たしていた。
 引き続き、旧軍時代から現在の自衛隊に至るまでの貴重な史料を展示した防衛記念館を見学して、一日目の研修を終えた。
猛吹雪の八甲田
 昨夜から爆弾低気圧が接近、今年最強の寒気団が南下した13日、青森県は猛吹雪に襲われた。早朝、ホテルの窓から見える景色は、地上の雪が強風で舞い上がり、天と地と両方から雪が降っているような、初めて見る正に恐ろしい光景だった。「旧軍の方々が八甲田で遭難したのも、こんな日だったのだろう」「少しでも同じような体験ができたら本望」と思いながら午前6時、マイクロバスでホテルを出発した。取材場所の八甲田地区が近づくにつれ、風雪は強まり、辺りは薄暗く、車もヘッドライトを点燈しなければ前が見えないほど。スキー場やロープウェーも休止になったという悪天候。「いや〜、すごいところに来たもんだ、来なければよかったか」など、弱気な心が頭をもたげてきた。そうこうしているうちに現場に到着。周囲はこれまた体験したことのない、想像だにしなかった猛吹雪。「最年長でもあるし、齢を言い訳にして、このままバスに残っていようか」と思ったものの、野呂室長の「はい、到着しました」の声で、体育会系育ちの我が身の悲しさか、信頼できる人の声には体がすぐ反応してしまい、脳みそで考えることとは逆に足が勝手にバスから降りていく。「しようがない。さて、やるか」と気合いを入れ直し、雪の積もった地面に着地。前方を見ると、白い防寒服を身にまとった完全武装の演習部隊最後尾の隊員が列を組んで行進を開始しようとしている。雪が容赦なく、顔やカメラをたたきつける。気温マイナス12度、体感温度マイナス28度という膚を刺すような寒さと横なぐりの雪が襲ってくる。積雪は3メートルを超えている。昨日の駐屯地でのスキー訓練がいかに甘かったかを痛感すると同時に大自然の脅威を目の当たりにした。この極寒の中、早朝4時から行進を開始した隊員は約30キロの背のうを背負い、スキーを装着したうえでアキオを曳行しながら起伏に富んた約22キロのコース踏破を目指し、順次出発していったという。隊員の逞しさ、強さに改めて感じ入るとともに無事の任務完遂を願った。
 次いで、再びマイクロバスに乗車、隊員が深い雪に覆われた急な登り坂をスキーを付けたまま駆け登ってくる場所に移動して取材を続けた。バスを降りて現場に行くまでがこれまた一苦労で、雪の上に、ころんでは直井3佐に助け起こしてもらいながら何とか写真撮影ポイントに到着。自分のスキー操作もままならないうえ、写真を撮らなければならないというプレッシャーの中、困り果ててたところ、「金澤さん、スキーをはずしてもいいよ」という広報の方の声につい甘え、スキーをお渡しして、自分一人存分にシャッターを押すことができた。
 ますます荒れ狂う猛吹雪の中、必死の表情でお互いをロープでつなぎながらスキーを付けたままの完全武装で、しかも80キロのアキオを曳行しながら雪深い坂道を登ってくる隊員の姿は感動的で心打たれるものがあった。頬を紅潮させ眼は輝き、気迫をみなぎらせたその姿は、雪山のせいもあるのだろうか、野性味にあふれ「これほど美しい男の姿を見たのは初めてだ」と正直思った。また、都会ではあまりお目にかかれない人間の逞しい姿でもあり、我が身を顧みて、半面うらやましくさえ思った。こういう厳しい訓練に耐えて隊員は一段と成長していくのだろう。9師団隊員の苦労の一端が身にしみて感じさせられた一コマだった。
 早朝4時から隊員と行動を共にしている師団長、副師団長、連隊長をはじめ幹部に挨拶して、記者一行はバスに乗車、今だに地吹雪状態の現場を離れると他の方々はさておき、私はしばらく放心状態で茫然自失。やがて我に返りホッと一息ついた。
 引き続き、幸畑陸軍墓地と八甲田山雪中行軍遭難資料館を見学、一連の長いようで短かった記者研修を終えた。
関係者に感謝
 研修中の八甲田地区では「何で俺はこんな所にいるんだ」「二度と来るもんかい」と思ったりもしましたが、寒中水泳と同じで、終わったあとの充実感は何ものにも代え難く、来年もご縁がありましたら、ぜひ参加したいと思っています。都会生活にない自分を再び発見したいものです。
 最後に、今回の感動的な研修中に頭に浮かんだことをいくつか。「ご先祖も子孫の平和と繁栄を願っているように思えた」「ご先祖の失敗を真摯に受け止め、後世の者がそれを活かしていくことの必要性」「今の我々が旧軍を良きにつけ、悪しきにつけ、評価しているのと同様に、今の防衛省・自衛隊が後世の子孫からどのように評価されていくのか、心に留めながら行動することが大事」「子孫から、『あの当時の防衛省・自衛隊は新たな国の礎を築いた』と称えられたい」など。
 今だ余韻覚めやらず、長年の夢が叶った記者研修でありました。我が人生の糧となりました。お世話になった関係者の方々に心より感謝申し上げます。
 なお、翌14日、私事で弘前駐屯地防衛館を見学させていただきました。内山さん、ありがとうございました。(金澤修治)

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