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   2007年9月15日号
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副大臣に江渡聡徳氏
寺田稔政務官、秋元司政務官
 政府は8月29、30日の臨時閣議で各府省の副大臣、政務官を決定、防衛副大臣に江渡聡徳(えと・あきのり)衆院議員(青森2区選出、衆院当選3回、51歳)、大臣政務官に寺田稔(てらだ・みのる)衆院議員(広島5区選出、衆院当選2回、49歳)、秋元司(あきもと・つかさ)参院議員(参院比例、参院当選1回、35歳)が就任した。
 新旧副大臣の離着任行事は同30日に行われ、木村隆秀前副大臣の見送り行事に続いて江渡副大臣が初登庁、儀仗隊による栄誉礼・巡閲や殉職者慰霊碑拝礼のあと、副大臣室で防衛省・自衛隊高級幹部の挨拶を受け、引き続き木村前副大臣と事務引き継ぎを行った。
 大臣政務官の離着任行事は同31日に行われ、大前繁雄、北川イッセイ両前政務官の見送り行事に続いて寺田稔、秋元司両新政務官が相次いで初登庁、儀仗隊による栄誉礼・巡閲や殉職者慰霊碑拝礼のあと、両政務官室で防衛省・自衛隊高級幹部の挨拶を順次受けた。
守屋事務次官が離任
 守屋武昌前事務次官の離任式が9月3日、防衛省A棟講堂などで行われた。
 この日午前、守屋前次官は殉職者慰霊碑に拝礼したあと、午後1時から事務次官室で増田好平新事務次官との事務引き継ぎに臨んだ。お互いに笑顔を見せながら固く握手を交わし、和やかな表情で順次署名した。
 次いで、A棟講堂で離任式が行われ、守屋前次官は防衛省・自衛隊の高級幹部を前に、防衛官僚として37年間勤務してきた自らの体験について触れながら「今後も防衛省・自衛隊を取り巻く環境には厳しいものもあるかと思いますが、何事にも逃げずに向き合っていけば、結果は自ずとついてくると思います。逃げれば困難は2倍にも3倍にもなっていきます。しかし、自分一人ではなく部下や仲間を信じて、チームワークをもって困難に当たれば辛さは半減し、ものごとを成し遂げた喜びもそれだけ大きくなります。在職中、私を支えていただいた職員の皆さまに心から感謝の意を表します」と離任の挨拶(全文は18面に掲載)を述べた。次いで、増田次官が守屋前次官に対して心温まる送別の辞を述べたあと、場所をA棟前儀仗広場に移して、守屋前次官が儀仗隊による栄誉礼を受け、巡閲した。
 引き続き、守屋前次官はA棟前儀仗広場から正門前までの歩道や階段の脇に隙間のない程に集まって並んだ大勢の職員の見送りを受け、階段下の車へと向かった。温かい拍手や声援の中、最後に女性職員から持ちきれない程の花束を贈られた守屋前次官は防衛省をあとにした。

《論陣》
上海近郊・平湖市に日本人街
まるで日系企業城下町
 「中国の日系企業の視察に参加しませんか」という誘いを受けた。総勢6人のマスコミ人の一員として、久しぶりの上海は浦東国際空港に舞い降りた。79年12月に大平首相の中国訪問のおり、経由地として上海の大地に立ったのが最初である。30年代はアジア最大の都市として知られたが、いまや世界最大の商業都市として衣替えしている。地震のない大地には、高層建築物が外来の客を圧倒して止まない。
 上海市の観光担当NO.2の朱承容さんは「昨年から日本人訪問客は北京を超えた」と教えてくれた。10年ほど前、昨年亡くなった元読売政治部長の多田実氏らと上海の浦東地区を見学したことがあるが、72年当時を知る氏の、大変貌した上海に仰天する姿が今も忘れられない。
 上海空港にいると、福島・小松・名古屋・岡山・福岡・北九州など日本の主な地方空港と接続していることがわかる。日本語の案内があるのもうれしい。成田からしか飛んだことがない筆者には、このことだけでも驚きである。
 目的地の平湖市は、人口50万人の中国の都市としては小さいほうである。空港から車で1時間30分足らずの距離だ。高速道路が整備されている。杭州湾を抱えての港も整備されている。インフラが万全なのだ。かつてスイカの産地も、いまや日系企業の進出で農村経済は一変していた。
 小型の精密モーターを製造している日本電産は、13社の全てをここに移転、実に2万人近い中国人を雇用していた。ホテルも建設し、同じ敷地内に日本人向けの社員寮も併設してあった。製造された小型モーターは、中国内の日本など大手の電器メーカーに購入してもらっている。
 チリ一つない作業場で、手先の器用な20代のういういしい女性が働いている様子を目の前にすると、日本人経営者のしたたかさをも印象付けているようなのだ。利潤の大きさが素人にも伝わってくる。
 20年ほど前に日本企業を見学したことがある。そこも確かモーターの会社だったと思うのだが、見学したあと日本人の支配人は「報道しないで欲しい」と釘を刺してきた。おいしいビジネスを知られたくない、というのが真相だった。日本経団連会長を擁するキャノンも中国に進出しているが、賃金の安さを会長自ら吹聴している。
 こうした部品工場に原料を供給している鋼板加工会社が、これまた日本の川鉄と日本鋼管が一緒になったJFEの関連会社である。岡山あたりから船で原料を輸送してくるのだが、港まではものの10分足らずと便利である。ユニクロなどに洋品を納入している縫製工場・MATSUOKAは、1万人もの社員を抱えて意気軒昂だった。「日本よりもいいものを作れる」と馬場総経理は鼻高々に語っていた。これほど平湖市に日本企業が集中するのかというと、地の利と市当局とりわけ石雲良副市長の日本企業に寄せる期待と情熱である。「問題があれば、われわれの立場に立って動いてくれる」(日本電産幹部)からである。
 現在、この地に滞在する日本人は600人を数える。なんと「日本人街」があった。広い道路の両脇に「京都」「東京」「大阪」といった簾や看板が200メートルにも及ぶ。寿司など日本料理店の街なのだ。中国初の「リトル・トウキョウ」とでもいえようか。中国広しといえども、こんな場所は平湖だけだろう。ここに来ると、異郷の地にいる感覚などない。この平湖と寧波を結ぶ36キロの大橋が来年開通する。東京湾のアクアラインの2倍以上の長さである。近くに安らぎの場所である中国の水郷地帯・周荘が迎えてくれる。平湖は文字通り、日系企業の城下町である。時あたかも今年は、日中国交正常化35周年の記念すべき年であった。

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