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   2007年7月15日号
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《論陣》
廃れる日本農業に智恵を出そう

年金組は家庭菜園に汗をかけ

 月に何度か千葉県の田舎へと車を走らせる。アクアラインなど無縁だ。高速道路は高いため一般道を走るのだが、なんと本来、高速を利用しているはずの大型貨物車が占拠している。空いている曜日と時間帯を見つけて走行しているはずなのに、それでも車の混雑は相変わらずである。わずかなコスト削減のために運送会社は、運転手に一般道使用を強要しているのである。
 サラリーマンの大半がサービス残業をさせられて「うつ」の状態と聞くが、貨物車の運転手は過労による居眠り運転におびえながらハンドルを握っているらしい。家族の心配もただ事ではない。事故はいたるところに転がっているのだろう。それに巻き込まれる不安を抱えながらの田舎行きなのだ。
 どうして行くのか。知り合いのおばあさんが「主人は入院生活。畑を耕すことができない。なんとか耕作してちょうだい」といわれて逃げるわけにはいかない。ならば「無農薬の野菜を作ってやれ」とばかり、わずかな農地に鍬を入れているのである。無理すると、こちらの健康があぶなくなる。ゆっくり作業である。
 ご存知だろうか、地方の商店ばかりではない。東京の下町も廃れてきている。シャッターが下りているのが、最寄り駅へと行く途中、何軒もぶつかる。それでも中には必死で踏ん張る商店主もいる。しかし、元気はない。そのはずで頭髪が白い。豆腐屋や魚屋の主人の腰は曲がっている。多くの都会の小売店でも景気は悪い。だから跡継ぎがいないのだ。
 わびしい思いで田舎に車を走らせるのだが、田植えの農繁期だというのに耕運機を動かしている男たちは、まず間違いなく腰が曲がっている。畑の草を刈っている女たちもそうである。老人が農業をやっているのだ。まず若い男女を水田や畑で見つけることは容易ではない。昔のように泥田に両足を入れて、90度に腰を曲げての田植え風景は見られない。
 要するに、新潟のような米どころのことは知らないが、都会の商店も田舎の農業も、まぎれもない老人らで支えられるという歪んだ日本の現状なのである。
 それはさておく。土いじりの効用は、何よりも精神の安定にある。生きていることの喜びを感じることができる。筆者などは、春先から初夏にかけてだと、都会では体験できないウグイスのさえずりに、うっとりとさせられてしまう。たまらない至福の瞬間である。そればかりではない。草取りをしていると、不思議と世の中のことがよく見えてくる。政治家・官僚・財界人の行動の善し悪しについてだ。
 世の不正や腐敗がことさらに、学者や文化人などのイカサマぶりも、である。恐らくは廃れる農業を目の前にして、農民の精神は健全化しているのかもしれない。
 そこで提案したい。農村には放置されている農地がいくらでもある。他方、都会には「粗大ゴミ」扱いされている年金組が沢山いる。彼らにはふるさとである農村育ちも多い。だからUターンよろしく田舎に行けばいい。まずは家庭菜園から始める。農薬のいらない野菜をつくるのである。面白くなれば百姓だって悪くない。
 これを大々的にやると、農村も農業も活性化するだろう。農薬付けの野菜を取る確率を下げることも可能である。筆者は今年わずかな農地からほぼ1年分のジャガイモを採取することに成功した。心うきうきである。
 コンクリートジャングルでの取材では断じて味わえない生きがいなのだ。団塊の世代の諸君よ、田舎に入ろうよ。長生きも出来るぞ、といいたい。


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