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   2007年6月1日号
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スポーツよもやま話
根岸直樹
野球にかけた男・宮地
富山を第3の故郷に…
 「はっきりいって、このまま引き下がるわけにいかなかった。もう一度、挑戦したい。ただそれだけのことですよ」。彼は、そういって表情をゆるめた。
 彼―宮地克彦選手、37才。今季誕生した北信越BCリーグ所属・富山サンダーバーズの選手兼コーチ。元プロ野球西武、ソフトバンクでプレーしていた。
 宮地とは、西武に入団した1990年からの付き合い。大阪から香川の尽誠学園高に野球留学。そこで注目され、ドラフト4位指名で西武に入団した。最初は投手だった。尽誠学園を春夏連続して甲子園に出場させた左腕は、かなりの期待を持たれていたが、打力を買われて野手に転向。以後、長い下積み生活を送り、辛酸をなめた経験を持つ。
 結局、西武からは03年終了時点で戦力外通告を受け、ソフトバンク(当時ダイエー)にテスト入団。05年にはプロ入り初めて125試合に出て打撃ベストテン5位(・311)。夏には監督推せんで球宴に初出場した“超"遅咲き選手だった。しかし、これも06年終了を待ってクビ。ツテを頼って富山サンダーバーズ入り、というのがこれまでのいきさつだ。
 「プロとして17年、われわれにも想像のつかない苦悩を体験している。それだけに、技術はしっかりしたものを持っているし、若い選手に接する方法もわきまえていて、いい指導者を獲得できたと喜んでいる。地道に頑張り続けていてくれる姿に、監督として頭が下がる思いだ」とサンダーバーズ・鈴木康友監督(元巨人―西武)。
 北信越BCリーグ(4チーム所属)は「町おこし」を目標に「地域の活性化」を目ざし今春、誕生した。「野球に不向きな雪国で、果たしてどこまでやれるか不安はあった。でも関係者、選手たちのひた向きさに感動した。このひた向きさがあれば、ファンはついてきてくれる。レベルの高さもさることながら、どれだけ感動を与えるプレーができるか、地域貢献に一生懸命になれるか、がこれからのカギ」とリーグの村山哲二代表。
 村山代表は、かつてJ2のアルビレックス新潟の広報担当として努力を積み、J1に昇格させた経験を持つ。「サッカーで満員にしたスタンドを、今度は野球で…」と胸を張っているのだ。
 「ボクが大阪から香川に野球留学したとき、地元県民の目は冷たかった。地元の球児がいなかったため、大阪代表かいな、といわれたことさえある。でも、一生懸命頑張って、尽誠学園を甲子園の4強にまで押し上げたことで、地元ファンに認めてもらった。香川はボクの第2の故郷、次ぎは富山県民の皆さんに“オレ達のためによくやってくれた"といってもらいたい。富山が第3の故郷と胸を張っていえるように頑張ります」と宮地。
 ソフトバンク時代7000万円だった年俸は150万円(いずれも推定)にまで激減した。奥さんと娘さんを残しての単身赴任が続く。「もう一度プロ野球の舞台へ。ボクには野球しか能がないんです」と宮地。捨て切れない夢を胸に秘め、一球一打に全身全霊を傾注しているきょうこの頃だ。

防衛ホーム 俳句コーナー
能面の声なき微笑桜桃忌 佐藤 汀舟
息つめて何か居さうな五月闇 桑野 英毅
縁日に見馴れし金魚糶られをり 富岡めぐみ
川蜻蛉好きな手摺に吾も寄る 北川 矩子
草むしる自称植物愛好家 三川 明美
老妻と居れば涼しと思ひけり 杉田 淹
遠足の子に海広し空広し 今村 淑子
どの顔も老いてをりけり田植人 清家 義輝
ひたすらに何を目指すか蟻の道 小野 道子
太刀打つは至高の使命父の日も 渡辺 刀雲
かき分けて探してもなき思草 山崎 明子
時を告ぐ汽笛も梅雨の霧笛橋 滝澤 緋沙
河鹿川はさみ温泉宿の灯点りし 和田 一菜
青簾吊られ明るき路地の奧 斉藤 利恵
くっきりと湾を描きて佐渡は夏 鶴間 俊子
宣教女まづ花ほめて聖書説く 神馬 文男
老兵は水鉄砲に撃たれたり 戸部 弘美
幾年も残りてをりし古団扇 川村トモ子
心にも明るさ生れ梅雨晴間 生嶋千代女
千の薔薇匂ひひとつとなりにけり 伊藤 天草
梅雨の灯を点す向ひ家ありにけり 島田 基三
遠き日や蟻の如くに働きし 青木 敏夫
実梅落つ何の不思議もなけれども 内井紀代子
遠雷や湖畔に傾く道標 鈴木 吟悠
梅漬けて母の思ひのよみがへる 清家はるみ
  選 者 吟
夏帽の少年を乗せ島渡舟 保坂 伸秋
(「栃の芽」誌提供)

イラク派遣を終えて
シリーズ
空自北部航空方面隊 司令部医務官付 空曹長 川 端 浩
隊員の健康管理に従事
 私は第10期イラク派遣空輸隊前段要員として、小牧を出発したのが7月12日で台風の影響で進路を妨げられ、那覇で2日間滞在を余儀なくされました。そして、各国を経由して4泊5日の長い行程で、なんと合わせて7日間もかけて、この砂漠の地クウェートにようやく到着しました。
 あれっ、ちょっと行程が違うなと気付かれる方もおられると思いますが、通常、要員の入替は、政府専用機、又は、チャーター機によってタイ経由で行われますが、私の場合は、C―130の入替便に搭乗して、飛行クルーの健康管理任務のため、このような派遣移動となったわけです。
 私としては、C―130での国外運航への搭乗は2度目なので、少しは慣れている事もあり、4泊5日行程も苦にはなりませんでした。
 現地クウェートでは、衛生隊先任空曹業務と看護師・救急救命士としての医療業務に従事しました。衛生隊は、医師・歯科医師・薬剤師・心理幹部・私と同じ看護師・救急救命士等によって、派遣期間中24時間態勢で派遣隊員の健康管理等の業務をしています(夜間・休日等も衛生当直が常駐勤務しています)。
 身体検査を受けて、健康な方が派遣されてはいるものの、そこは異国の地クウェート。砂・砂・砂に乾燥、暑さ、そして11月になると寒さと、気候の厳しさと変化で、病気になる隊員がいないわけではありません。少人数の医療集団ですので、一度急患が発生すると、全員で対処することとなりますし、当直等も巡ってくる回数が必然的に多くなってしまいます。逆に少人数であるがため、和気あいあいの雰囲気の中で、楽しく派遣期間を過ごすことができました。生活環境は、個人的には申し分ありませんでした。ただ、日本人シェフによる食事は、美味しく、そのため、食べ過ぎによる高カロリー対策に苦労することとなりました。
 今回の派遣での一番の個人的成果は、他国の友人そして自国の友人に多く巡り会えたことでありました。今後勤務する上での多大なる糧となることと思います。
 最後に、無事任務を終了出来ましたことは、支援してくださった数多くの方々のお陰と思っております。みなさまに感謝をして手記を終わりたいと思います。

HOME's English Class
(防衛ホーム英語教室)
I FEEL LIKE PUKING
吐きそうだ
アイ フイール ライク ピューキング
Hi! How are you doing? 皆さん、お元気でしょうか。関東地方も初夏のような暑い日が続いています。若者の間では、ハシカが流行っているようで、大学の休講も増えています。元気の良い若葉が目に入ってきます。朝日に輝いて一層美しく見えます。いい季節です。

 さて、今回の表現は、“I feel like puking"「吐きそうだ。」です。Pukeは、口語で「ゲーっと吐く、もどす」という意味です。なかなか思いつかないことばですが覚えておくと、いざというときに対処できます。こういう状況はジェスチャアーで十分通じるものではありますが…。
 “I get the pukes"「吐きそうだ」という表現も合わせて覚えておくと便利です。風邪やその他の病気、悪いものを食べたとき、飲みすぎたときに感じる吐き気について表現できます。

 沖縄ではもう入梅したようですし、暑さと湿気でかなりのストレスになります。特に通勤時間平均1時間半の東京地域では、きついものがありますが、楽しく通勤したいものですね。健康に留意して頑張りましょう。
 それでは、皆さん。See ya! 〈スワタケル〉

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